鬼よさらば-2/4

 ハザクの案内で一行はオーガの村へと向かう。空は相変わらず分厚い黒い雲に覆われたままで、水の匂いは少しずつ強くなっていた。荷台には仕入れた品物が積んだまま、幌があるとはいえ大雨に見舞われれば大事な商品を濡らしてしまう。


 早くせねばと焦るのだが進むのは道なき道、先導しているハザクがカブリから借りたナイフで草や低木を切り開きながらであるがために時間が掛かって仕方が無い。そうこうしているうちにぽつりぽつりと雨が降り始め、さらに焦りを募らせた所で森の中へと入った。


 これもまた鬱蒼と茂った森であり、人の手が入っていないもの。馬車を置いていく事もよぎりはしたが、荷物を置いていくわけには行かない。仕方なく馬車が通れそうな経路をハザクそしてブレトで探しながら進むのだが時間が掛かる。

 鈍重な牛よりもさらに遅い歩みで森の中を進んでゆく、降りしきる雨は大粒で葉を叩く音が五月蝿かった。ただ幸いなのは木が密集しているためにそれらが雨を遮ってくれた事である。それでも大雨が小雨になった程度で、幌はじっとりと濡れて荷台に座っていると蒸し暑さを感じるほどだった。


「ねぇハザクさん、あなた達オーガの村までは後どのぐらいなんですか? のろのろ歩きとはいえもう結構な距離を進んでいると思いますよ」


 ブレトがハザクに尋ねた。ブレトは森の中で暮らしていた時期の方が圧倒的に長く、歩きづらい森の中でも大した疲れを感じていないどころか心が弾むのを感じている。けれども馬車の中にいる二人は違うし、何よりも馬が心配だった。

 慣れていない獣道を歩かされているためか馬の疲労が濃い。早いとこ休ませてやらないと荷車を引けなくなってしまうかもしれなかった。


「長く歩かせてしまって申し訳ない、けれどもうすぐだ。今日は獲物が多く取れたらしいから、新鮮な生肝をご馳走できると思う。楽しみにして欲しい」

「お、肝ですか良いですね。ただ生肝も悪くないのですけれど、私としては炙る程度に火にかけたいところです。そうした時の肝の食感が好きでしてね、そいつと一緒に葡萄酒をやるのが好きでして」


「おぉエルフ殿も肝が好みなのか、それは良かった。ただ残念なことに葡萄酒は無いのだ、代わりといってはなんだが森で取れた林檎の酒ならある。それで良ければ肝と一緒にたらふく飲んで欲しい、女たちが丹精こめて作った酒なのだ」

「それは楽しみですね、林檎酒も好きなんです。故郷の森では林檎酒の方を良く飲んでいたぐらいでして、オーガの林檎酒はエルフのものと比べてどんな味がするのか興味を惹かれますね」


 オーガに対して最初は嫌悪感を持っていたブレトだったが、森の中で共に道を探している間にすっかりオーガに対しての嫌悪感は消えてしまっていた。もっとも刷り込まれてしまった意識を消し去るほどではなく、苦手に思うところまだある。けれども恐怖は微塵も感じなくなっていた。

 そこからしばらく歩き続け、夕暮れになろうかという頃にようやくオーガ族の村へとたどり着く。空は相変わらずの空模様で雲が厚い上に森の中、太陽はまだ地平に沈んでいないというのに辺りは既に夜と変わらぬ暗闇に包まれている。


 そのために村の全景を見ることは適わなかったが、ごく小さなものであることはすぐにわかった。森の中を開いて作られた村の建物はどれも小さく、数も少ない。大きな灯りは無く、活気が感じられない。

 オーガは凶暴だと教えられ育ってきたブレトとオクトンにとってこの村の慎ましさは想像外であり、カブリにとっても隠れているとしか思えない村の姿に侘しさそして悲しみを感じさせた。


「おぉい! みんな聞いてくれ、ようやく! ようやく我らが里に客人がこられたぞ!」


 雨が葉を打つ音に負けぬようにハザクが声をあけると、村の家々の戸が勢いよく開け放たれ住人たちが飛び出した。もちろん全員オーガである。

 道中のハザクとの交流でブレトとオクトンはオーガに慣れたつもりでいたが、一〇を超える見慣れぬ種族の数に圧倒され忘れかかっていた恐れが甦ってしまい馬車から降りるのを躊躇してしまう。


 そんな二人をよそにカブリは颯爽と馬車から飛び降りた。そして身に着けていた革鎧だけでなく、上着までも脱ぎ去って半裸になると自慢の肉体を強調しながら自身が何者かを語り始める。これの何が琴線に触れたのかはわからないが、ハザクだけでなく村のオーガ達は喜びを露に歓迎の言葉を口々に述べた。

 そこに怪しいものは一切認められず、思い出された恐怖は引っ込んでブレトとオクトンも馬車を降りることができた。するとあっという間も無くオーガ達に囲まれる、彼らは出迎えの文句を言ってくれているのだがバラバラに言うものだから何を言われているのかは聞き取れない。


 ただどういうわけか服を脱いで筋肉を見せるように言ってくる。なるほど、カブリがしていたあれはオーガ族の風習だったのかとここで合点がいきはしたが脱ぐには躊躇いがある。オクトンは商人であり人目に晒せるような肉体をしていない、ブレトは自信が無いわけではないが素肌を衆目に晒すのは恥ずかしかった。

 だからといって脱がないと彼らの怒りを買うかもしれない、その狭間で悩み何も返せないでうろたえていると一人のやや小柄なオーガが彼らの前に立つ。オーガらしく二本の角が生え、牙もあるがハザクと比較すると顔立ちは丸くやわらかさを感じさせる。あまり大きくは無いが胸には確かな二つの膨らみがあって、そこでようやく彼女だと理解できた。


 さてこの彼女、困惑している二人の前で慎ましやかな胸と共に顎を突き出す。言葉は無いが挑戦的なものを覚えたが、その意図がまったく汲めない。さらに頭を悩ませているとこの女性、自らの衣服に手を掛けたかと思った次の時にはもう惜しげもなく自らの裸体を晒している。

 これにはつい視線が釘付けになる。オーガ族の特徴なのだろうか、細くはあるがその筋肉は鍛え上げられたものでそれがより女性の特徴を強調する役割を果たしていた。


 頭を真っ白にしてしまったブレトではあったが、我に返ると自分のマントで彼女の体を隠そうと動く。オーガの風習かもしれないが、ブレトにとって女性が大勢の前で裸体を晒すなど以ての外なのだ。だがこれをカブリが止める。


「お前は何をしているんだ!? 脱いで肉体を晒せ、それが彼らのしきたりであり礼儀だ。そもそもお前は女以下の筋肉なのかと馬鹿にされているのだぞ、それがわからんのか?」


 オーガと一切の交流が無かったブレトにわかるはずも無い、カブリの言うことが本当なのかと尋ねるように女性に視線を向ける。彼女は目が合うと牙だけでなく歯を見せて笑う、どうやら本当らしい。

 裸を見せることに嫌悪感はあるし強い抵抗がある、しかしここはオーガの村。凶暴とされる彼らの気分を害してはいけないと、ブレトは彼らの風習に従おうと服に手を掛けた。しかしまたもや止めるものがいる、オーガのハザクだ。


「えぇい初めての客人だぞ、勝手に俺たちの風習を押し付けちゃあ駄目だ! そこのカブリはダンロンの氏族と交わりがあったから合わせてくれただけで、この人たちは都から来て貰った客なんだぞ。これから多くと親交を得ようというのに、俺たちの流儀を押し付ける真似は絶対に駄目だ!

 特にガムナ、お前だお前。客人を挑発するような真似をしてからに、人前でなければその頬を殴りつけていたところだ」


 ハザクは一行と村人の間に割って入り、怒りを露にしながら特に半裸のガムナと呼んだ女性に向けて声を荒げた。脱がなくて良いことに安堵しながらも、ハザクに怒られたことで意気消沈する村人の姿に申し訳なさを感じないわけでもない。

 村の皆が反省していることは一行の目から見ても分かるほどだったが、ハザクは罵倒としか思えぬ言葉と勢いで叱り付けた後にクルリと振り返る。どこか疲れた様子を浮かべながら彼は身を小さくし、オーガを代表して深々と頭を下げた。


 顔を上げて唇を動かしはするが声が出てこないようである。ハザクの瞳は右に左に揺れており、何度か口を開こうとしたが結局出てこない。そうしてまた彼は頭を下げる、こういう場合どのような言葉が適しているのかの判別ができないらしかった。

 言葉は無くとも彼の態度と様子から充分に謝意は伝わってくるし、ハザクの後ろでは彼と同じように村の人々も頭を下げている。ここまでされると頭を悩ますのは一行の代表オクトンの方だった、ここまで謝られる様なことをされたとは思っておらず、慣れぬ相手ということもありこちらもまた言葉が見つからない。


 二進も三進もいかなくなってしまったが、この状況を打破するためブレトはある考えを閃いた。これが効果的かどうかカブリに耳打ちで確かめると、カブリは大きく頷いて賛意を示す。そこでブレトはオクトンに向け、自分に任せてくれと目配せを送って前へと出た。


「とりあえずハザクさん、そして皆さんも顔を上げてください。私たちとしてもこのようにオーガの皆さんと知り合えたことは嬉しい事です、お近づきの印として私たちからこの短剣を友好の証として送りたいと思います。受け取っていただけませんか?」


 ブレトは腰に差していた短剣を鞘ごと引き抜くと宝物を扱うかのように、両手で持ってハザクへと差し出した。この短剣はブレトが日常の雑事に使用しているものであり、使い古され柄は手垢で黒く汚れているものだった。

 けれどもこれはオーガにとってはまたとないほど嬉しい贈り物である、彼らにとって使い慣れた武器を贈るというのは親愛を示す行為なのだ。ハザクだけでなく村のオーガ達は短剣を差し出されると喜びが過ぎるあまりに固まってしまうほどである。


「なんと……なんと……都と我らオーガは大きな戦をしたというのに、ここまで親しんだ短剣を送って頂けるとは。おいガムナ! 俺の山刀を持って来い! これだけの物を贈って頂いたんだ、相応の返礼にはそれしかない」


 ガムナに命じて持ってこさせたハザクの山刀は、これも長く使われた代物だった。ハザクとブレトは互いに礼を失さぬように愛用の品を交換し、受け取ったことを示すためそれぞれの腰に短剣そして山刀を差した。


「宴だ!」


 誰かが声を上げた。即座に後に続くものがいた、そしてさらに繋がり大合唱となってゆく。こうなってはもう止められない、ハザクはまた村人たちへと振り返ると両手を高々と掲げて叫ぶ。


「そうだ宴だ! 目一杯のもてなしで楽しんでもらおうじゃないか!」


 この一声で村人たちは動き出した。その動きの速さといったらとんでもない、元々準備をしていたこともあるのだろうが見る間に屋外に天幕が張られ宴会場が作られる。

 オクトン一行はどうしたものかとうろたえていうるうちに準備が終わり、手を引かれて天幕の中へと座らされるとほぼ同時に木製の杯を握らされた。杯の中には発泡性の酒が並々と注がれている、果実を用いた酒らしく匂いを嗅ぐと甘い香りがする。


 混ぜ物をしている様子は無く、都で同等の質の酒を飲もうとするとそれなりの値がしそうだ。こんな人里はなれた隠れ里のようなオーガの村で、上等な酒と出会えたことに感心や驚きを抱いていると料理の盛られた皿も運ばれた。

 皿に乗っているのは肉ばかりで、野菜は一切無かった。彩を与えるために果物が端っこに添えられているだけで、それ以外は全てが肉である。生の肉、茹でた肉、焼いた肉。調理法が異なっているとはいえどどの皿にもほぼ肉ばかり。


 カブリはこれを喜んだが、ブレトとオクトンは見るだけで胸焼けしそうだった。エルフは肉も食べるが野菜や果物を食べることのほうが多く、オクトンは肉よりも菜食を好む性質なのである。とはいえそれを顔に出すわけにはいかず、笑みを浮かべてハザクに謝礼を述べた。


「都と比べれば貧相なものと思われますが、これが我々の目一杯のおもてなしです。色々と話をしたいこともありますが、まずは食べて飲んで互いの友好をより一層深いものとしようではありませんか」


 ハザクが乾杯の音頭をとり、杯を交わすと一行の周りに若いオーガの女が寄ってくる。彼女らは手に瓶を持っており、杯の中身が減ると即座に品をつくりながら酌をする。こういうところは人間もオーガも変わらないようだ。

 カブリは喜び、ブレトは辟易し、オクトンは妻を考え小さな罪の意識を覚える。


 さてこのようにして始まった宴だが、特にオーガらしさを感じるようなところは無かった。人間のそれと変わらず、肴と共に酒を飲み気ままに語らう。過去には仇敵として殺しあった種族ではあっても、友好の意思を持って酒を飲めば人であることに変わりは無かった。

 空の瓶が何本も転がり場の全員に酔いが回りきり、誰もが顔を赤くした頃になってハザクがすっくと立ち上がる。それまでは気の向くままに酒を煽り気ままに語り合っていたオーガ達はぴたりと動きを止めてハザクに視線を注いだ。これは何事だろうかと一行もハザクに目を向ける。


「お客人もある程度は酒と肉を楽しまれた頃合だと思う、皆も良い具合に酔いが回っているようだ。そろそろあれを始める頃だと思うがどうだろうか?」


 ハザクがぐるりと辺りを見回すと「そうだそうだ」と声が上がる。いったい何が始まるというのだろうか、一行は想像できずに互いに顔を見合わせた。過去争った歴史を持つオーガである、謀られている可能性が無きにしも非ず。

 カブリとブレトは周囲に見咎められぬよう、音も無くそれぞれの得物を手に掴んだ。しかし、それはただの杞憂だったとすぐに知ることになる。


「いよぅしならばまずは俺からだ、ナの氏族一番の。いいや、オーガ族一の我が美声をご照覧あれ」


 ハザクは胸に手を置くと高らかに歌いだした。万が一に備えていたカブリとブレトは胸を撫で下ろし、肩から力が抜けていく。どうやらオーガ族の宴に芸はつき物らしい、ハザクが歌い終わるとまた別のオーガが立ち上がり踊りを披露する。

 それが終わればまた別の者が芸を初め、オーガがこんな愉快な種族だとは知らなかった一行は手を叩いて彼らの芸を楽しんだ。そうして一通りお披露目が終わると、今度は一行が芸を求められる。


 これは充分に予想できていたことで、カブリは待ってましたとばかりに自慢の剣を引き抜き演舞を披露し、オクトンはオクトンでこういう時のために習得していた手品を彼らに見せた。これにはオーガ一族も大喜び、杯を交わしただけでなく互いの芸を披露することでさらに距離が縮まったのである。

 そうしてブレトはというと、小用を足しに行くと嘘を吐いて宴会場となっている天幕を離れていた。村のはずれにある木の根元に腰掛、こっそり拝借した果実酒の瓶と肉の串を手に一人楽しむ。宴会が嫌いなわけではなかったが、馬鹿騒ぎするのは性に合わない。彼らには悪いが一人で落ち着いて精霊と語らう時間が欲しかったのである。


 雨がやみ星の浮かぶ夜空を見上げながら近くの精霊に語りかけ、果実酒を楽しむ。宴会場から聞こえてくる騒ぎ声はちょうど良い音楽だった。


「エルフの兄さんじゃないか、どうしてこんな外れで一人飲んでいるのさ?」


 声を掛けられ視線を空から地面に落とす、そこにはガムナと呼ばれていた女がいた。

 酒を取りに場を離れていたのだろう、彼女は蓋のついた酒瓶を両手に抱えていた。ブレトは見つかった罰の悪さを誤魔化す為に小さく笑う。


「賑やかなのは悪くないんですけれど少し疲れてしまいまして。もうしばらく休んだら戻るつもりですよ、気にするなというのは難しいかもしれませんが私のことよりもあっちです。お酒を取りに出たんでしょう? 早く戻らないとあそこから酒が無くなってしまいますよ」


 早く離れて欲しくて宴会場を指差すと彼女から視線を離して酒を煽る、けれどガムナは動こうとせずにブレトから視線を離そうとしない。人目を引くのには慣れてはいるが、二人しかいない場で見られ続けるのはいい気がしなかった。

 こっちを見るなとは言えないブレトは大きく顔を背ける。ただそれがより一層の興味を引いてしまったのか、ガムナは酒瓶を持ったままブレトの隣に腰を落ち着けた。二人の間には拳一個分の距離しかない、貞操観念の強いブレトにとってはあまりに近すぎる距離だ。離れようとして腰を上げるとガムナの手がブレトの肩を掴む。


「ちょっと待っておくれよ、私らオーガが嫌われてるのはわかってるさ。でも取って食おうっていう気はないんだよ、オーガも昔と同じじゃないんだ。それにエルフの兄さんはそこまで酔ってはいないだろう? ちょうど話したいことがあったんだよ、戦士の兄さんや商人さんじゃダメなんだ。エルフのあんたに聞きたいことがあるんだ」


 下らない話を始めそうだったらブレトは手を振り払うつもりでいた。しかし彼女の肩を掴む手は男のような力強さで、まっすぐ真剣にブレトを見上げている。

 真面目な話なら聞いたほうが良いだろう、ブレトは拳二つ分の距離を開けて腰を落ち着けなおした。


「カブリさんやオクトンさんには出来なくて、私でないとダメな話というのは何なんです? 私がエルフだからというのが大事な所なんですか?」

「あぁそうさ、その通りなんだ。話でしか知らないけれどエルフってやつは、ほとんど森から出ないんだろう? ということはだよ、都には色んな種族がいるはずだけれどエルフは数が少ないと思うんだ。そこはあってるかい?」


 その通りだとブレトは頷いた。


「当たってて良かったよ。エルフは数が少ないわけだけどさ、その……いじめられたりってことは無いのかい? エルフは他の種族とも中が良いけどさ、やっぱり昔に争ったりってことはあっただろう? そこはどうなんだい?」


 彼女の話の意図を察したブレトは大きく首を縦に振る。


「なるほど、つまりあなた……えぇとガムナさんでしたか。あなたはこの村を出て、パンネイル=フスに行ってみたい。やや婉曲な言い方をされましたけれど、オーガが都に行って殺されやしないだろうかと、それが気になるという話ですか」


 この言葉は的を得ていたと見えてガムナは身を硬くすると共に返答に窮したようである。ブレトは彼女の手から酒瓶を取ると蓋を開け、悠然とそれを飲み始めた。オーガの果実酒はエルフのそれと比べて繊細さにかけてはいるが、自然を感じながら飲むにはちょうど良い。


「その通りさ。オーガが嫌われてるのは分かってるつもりだよ、大昔に酷く争ったのは事実さ。けどそんなの昔の話で、今オーガと戦った奴なんてどこにいるんだい? 外に出て行こうっていうなら、まず誰かに間に入ってもらうのは間違っちゃいないと思うよ。けどその手段として私らの道具を売ろうっていうんだ、やっぱり誰かが都に行ったほうが良いに決まってる。私は女だ、あんたらの目から見た時に男よりかは柔らかく見えるはずだよ。違うかい?」


 ブレトはすぐに答えない、ガムナではなく正面を向いたままゆっくりと酒瓶を傾ける。


「そういう嘘は良くないですね。自分に正直になったらどうなんですか? ハッキリと口にしましょうよ、こんな狭い森から出て都に出て広い世の中を旅したい、と」


「いけ好かない奴だね。あーそうさ、その通りだよ。私はずーっと森を出たかったんだ、女だからって狩りにも連れて行ってもらえない。嗜みとして剣や弓を習ったところで使う場所なんてないんだ、ずーっとずーっと森で野草や果物を取ってばかり。そのうち男とくっついて子供を生んで育てるんだろうさ、けど私はそんなの真っ平なんだよ。だから頼むよ、あんたから口を利いてくれないか?」


「お断りします。私も里にいた頃は外に出たいと思ってましたが中々出れなかった、けどちょっとした切欠があって今ここにこうしている。だからあなたの気持ちはよく分かります。でもね、やっぱり危ないんですよ。

オーガだからといってすぐに殺そうなんていう人はいないでしょう、けれど怖がる人はいっぱいだ。そんな人が大勢いると最初はそうでなくても、やがて殺せとなるのが人というものです。もうちょっと待ちましょう、私たちがうまいことしてみせますから」


 横目でガムナの表情を伺う、不服を通り越して怒りすらも感じられた。偏見は消えつつあるが怖いものはやっぱり怖い、それでも平静を装って肉を食んで酒を飲む。

 今のブレトですらこうなのだ、都の人々が今オーガを目の当たりにしたら小さくない混乱が広がるだろうことは容易に想像がつく。


 ガムナはしばらくの間ブレトの横顔を睨みつけていたが、やがて溜息を吐いた。だが諦めたわけではなさそうで、顔を俯ける様な事は無かったし彼女の瞳は遠くのまだ見ぬ都の情景を映し出している。この様子では何かの拍子で飛び出しかねない。とはいえ、ブレトは誰かに伝えようとは考えなかった。


「ブレトよ! どこにいる!? こっちで楽しもうじゃあないか!」


 天幕からカブリの大声が聞こえてきた、ようやくブレトがいなくなった事に気づいたらしい。まだ戻る気は湧いていなかったが呼ばれてしまったのなら戻るしかなく、ブレトは立ち上がり宴会場へと戻り始める。

 途中で一度振り返ったが、ガムナは木に凭れ掛かったまま酒瓶を手に遠くを見ていた。気にならないわけではないが、手を出せる話ではないとブレトは向き直り天幕の中へと入る。


 出たときよりも酒の臭いが強くなっており、カブリは鍛えた上半身の筋肉をさらけ出しながらオーガ達と腕相撲に興じていた。

 そしてオクトンは隅のほうで杯を手に、何やらハザクと二人小声で話し合っている。首まで真っ赤になっているが理性を失った様子は無く商人の強さに感心を覚えつつ適当なところに座り込む。大勢の輪の中で楽しむのも悪くない、けれど自分はそれを眺めているのが性に合っている。


 そう実感しながらもブレトは指笛を吹いて腕相撲に興じるカブリ達を煽るのだった。

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