第7話 完売 と 完敗

「だって~、お兄ちゃんの胃袋は、お袋で堪忍袋なんだよ~」

「……いや、それは結婚式での上司のスピーチだろうが」


 が、まったくの意味不明な抗議だったとさ。とりあえず呆れた表情で訂正しておいた。

 コイツの言いたいのは『人生には三つの大事な袋があります』と言う口上で始まる、結婚式の上司のスピーチの定番中の定番な話。

 それぞれが、それぞれで大事であり、それが結婚生活を円滑にするのである。確かそんな内容だったはずだ。

 それが何故か、お得な『おまとめパック』として俺に差し出されている。何でもまとめりゃいいってモンでもないと思うぞ。

 正直に言おう。胃袋に堪忍袋があっても問題はない。だがな。

 そこに鷹音さんお袋が生息することが大問題なのだよ。あんな人が俺の胃袋と同居してみろ。

 俺は慢性まんせい胃腸炎と、緒がキレッキレな抜き身の刃な性格を併発していることになる訳だ。


『……いや、胃腸炎はともかく、抜き身の刃な性格は……』

『別にお袋さんがいなくても変わんないだろ?』


 俺の高説を聞いていた二匹は呆れた顔でこんなことを言う。うむ。そう言えばそうだった。でも、これでも丸くなったんだよ……昔に比べて。

 と、とにかく、お袋と一緒にするとロクなことはないんだよ。まぁ、胃が別の意味でキリキリしそうだから話を続けよう。

 そんな俺の呆れ顔を見ながら、何故か小豆さんが逆ギレして――


「いいもん! お兄ちゃんが帰ってきたら……『お帰りなさい、あなた♪ ……私にします? 小豆にします? そ・れ・と・も……いもうと?』ってやっちゃうんだから!」


 ふくれっ面をしながら、こんなことを言ってきたのだった。

 なんでコイツは逆ギレしているんだろうな。とは言え、逆ギレの精神構造が解明できるなら、誰も逆ギレなんて起こさせないだろうが。

 もしも仮にそんなものが解明できたとしたら、きっとノ●ベル●和賞……の授賞式をTVで見ていた八百屋の西田のおじさんから、手書きの賞状が贈られるくらいには貢献できるはずだ。

 西田のおばさん……いつも逆ギレ起こして、おじさんを困らせているらしいからな。だが、スマン。俺には貢献できそうにないんで、他をあたってくれ。

 そんな感じで西田のおばさんは、おじさんに任せればいいが、小豆さんは俺が対応しないと先に進まない……と言うよりも飯の時間が迫っていた。なので逆ギレの応対をすることにしたのだった。

 そもそも選択肢の意味がまるでない選択を正さねばならないからさ。


「いや、新婚さんテンプレを偽造すんな! と言うか、ご飯とお風呂はどうすんだよ!」


 とりあえず小豆の台詞が、旦那さまの帰宅を出迎えた新妻の、玄関先で言う定番中の定番な台詞。

「お帰りなさい、あなた♪ ……ご飯にします? お風呂にします? そ・れ・と・も……わ・た・し?」だと知っている俺は、小豆の勝手な捏造を指摘して、消去された二つの選択肢の所在を訊ねた。


「え~とねぇ……ファミレスと銭湯?」

「職場放棄してんじゃねぇー!」


 すると苦笑いを浮かべて、人差し指を下唇に当てながら、斜め上を見上げたまま考える表情をする小豆。

 そしてパッと顔を下ろして、ジッと睨んでいた俺へと顔を向けると、アッケラカンと未だに斜め上を向いているんじゃないかって感じの『二〇二〇年の笑い』をドヤ顔をしながら取りに来たのだった。

 当然俺の時間は、先月開催された南半球のオリンピックが閉幕したばかり。次の冬季ですら開幕していない状況で、更に先の我が国のオリンピックの結果など知る訳がないのだ。

 だから、そんな先を見据えたコイツらしい答えを認める訳にはいかない。だから、職場放棄を言及するのだった。


 確かに今の世の中は共働きの家庭が多いからね。奥さんの負担を考えれば仕方ないかも知れないけれどさ。さすがに新婚さん家庭で旦那さんに外食と銭湯はないだろう。俺達は新婚さんでもないけどさ。

 せめてコンビニ弁当とシャワーくらいは用意してあげませんかね。

 まぁ、その、なんだ……普段から家事全般を放棄して、小豆さんにすべて任せている俺が言えることではないんだが『二〇二〇年の笑い』へのツッコミだと思って勘弁してくださいと、心の中で土下座しながら言及した訳なのだった。


「してないよぉ~。ちゃんとお嫁さんの、よ……おつとめは頑張るから♪」


 そんな俺の言及を受けた小豆は、焦った表情を浮かべて否定すると、一瞬だけ言いよどんでから「おつとめを頑張る」と宣言していた。それよりも『よ』って何だ?

 一抹の不安を抱えた俺は即座に聞き返す。


「おい……『よ』ってなんだよ?」

「よ……よ……よ……ヨーソロー!」

「おい、逃げんな!」


 すると『よ』を連呼しながら、後ずさりする小豆。そして咄嗟とっさに踵を返すと敬礼のポーズで「ヨーソロー!」と叫ぶと、全速前進で廊下を走って逃げ出した。俺はもう靴を履いた状態で会話をしていたんで、追いかけることもできずに呼び止めるだけだった。まぁ、問い詰めるのもなんだしな。

 顔を真っ赤にして走り去る背中がリビングの中へ消えたのを見届けてから、頭を掻いて苦笑いを浮かべる俺。そして深呼吸をしてから踵を返して玄関を開けてコンビニへと向かうのだった。


 とまぁ、実を言うとだな。全部わかってはいたんだけどさ。

 小豆が飯を作ろうとしていた。それなのに俺がコンビニで弁当を買ってくるって言うから怒ったんだろう。 

 実際に小豆の飯を食っている俺としては、コンビニの飯は少し味気ないから、小豆が作ってくれた方が嬉しいんだけどな。

 仮に食費を浮かして諭吉さんを残してもさ。

 出がけに「釣りは小豆への指輪の足しにしてくれ」と言い残して去っていった親父。

 だから、超豪華な弁当……あくまでもコンビニ弁当の中でだが。

 それを買って……残金は明日からの食材やら足りていない調味料やら、必要な日用品を買い込んで、すってんてんに使い切ってやったのさ。まぁ、消費税分を計算しなかったから足が出たんだがな。それくらいは問題ない。間違って同じ漫画の巻数を買って帰った時のショックに比べればダメージは少ないからな。


 そんな感じで両手一杯に荷物を抱えた俺は帰宅する。そして未だに顔を赤らめつつ、少し不機嫌さが残る小豆と一緒にコンビニ弁当を食べる。そして飯を終えて風呂に入った俺は、自分の部屋に戻って待望のアニメを観ようとしていたのだった。


『それで、結局「よ」ってのはなんだ?』

(……)

『よ●い、のことですよね?』


 人が綺麗に流そうと思っていた話題を掘り起こす悪魔の所業しょぎょう。まぁ、悪魔なんだけどさ。そして俺が黙秘しているのを見ながらニヤリ顔で、正解に似て非なる答えを提示してきた。そんな堕天使の答えを同じようにニヤリ顔で聞いている悪魔。お前ら、絶対答えを知っていて言っているよな。

 まぁ、二匹とも俺なんだし、俺が知っているなら知っているだろう。単に俺の口から白状させたいだけなのさ。


(……『よ』って言うのはな……)

『うんうん』

『なんなのですか~?』


 無視をしたって、どうせ言及してくるだろうと観念した俺は正解を伝えようとした。そんな俺にニヤニヤしながら聞き返す二匹。だから、俺はスゥーっと息を吸い込むと――


(よけいな詮索をするんじゃねぇー!)


 大声で一喝してやった。俺は大声に驚いて耳を塞いだ二匹を横目に、フッと息を軽く吐くと、話を続けることにするのだった。

  

◇12◇


 そんな感じでアニメを観ようとしていた俺の耳に、突然部屋をノックする音が聞こえる。だから――

「リサイクルしたくても俺の部屋の代物は秋葉原でしか買い取ってくれないような代物しかないんで、お引取りください!」と一喝してやったら、勝手に扉が開いて妹が入ってきた訳だ。

 なんでウチの家族は俺の言葉を無視するんだろう。


「お兄ちゃ~ん♪」

「……お兄ちゃんは売り切れました」


 俺の一喝を一括払いで清算しちまった小豆は、普通に満面の笑みを浮かべながら声をかけてきた。だから最終手段『完売御礼』で乗り切ろうと企てたのだった。


「お兄ちゃんじゃないなら、けっこ――」

「ご要望にお答えして、お兄ちゃん再入荷いたしました!」

「わ~い♪」


 それなのに「お兄ちゃんでないなら結婚できるよね?」と言うニヤリ顔をしたと思ったら、言葉にしようとしていたので慌てて再入荷した訳だ。お客さまのニーズに答えるのは店の努めだからな。そんな再入荷を待ち望んでいたかのように喜んで近づく小豆さんなのだった。


 部屋に入ってきた妹は、茹でたての小豆の包装に――何故か俺が脱衣所で洗濯に出したシャツを羽織っていた。しかも何故かシャツの下からは肉付きの良い素足が伸びている。

 あれかな? パンツじゃないから恥ずかしくないもんってことなのか?

 アレは水着だから成立しているのであってだな? お前のは下着なんで恥ずかしいだろ……お兄ちゃんが!


『パンツじゃないから恥ずかしくないもん』とは……アニメ『コスト低下? むりっ! チーズ』と言う作品の設定だ。

 チーズ作りの少女達が織り成す作品。巨大釜でチーズを作る彼女達は汚れてもいいように、水着の上に制服の上着を着て作業している。そんなところから作業中に見えてしまう桃源郷を指して、こう言うのだとか。


『……見たのか?』

『脳内保存は完璧ですか?』

(……)


 俺は今、ベッドに背を預けて床に座っている。そんなローアングルに迫り来るシャツ一枚の妹。

 当然目の前には白と肌色の境界線の桃源郷が見える訳でして。

 変態オヤジの形相で真剣に聞いてくるスケベな二匹。だが俺は完全に黙秘した。いや、見てもいねぇし、俺の低スペックの保存環境では元からピンボケ画像しか残らんからさ。恥ずかしくて目を逸らしていたしな。無視して話を進めることにした。


 と言うかだな……毎日小豆さんが洗濯していますよね? 寝巻きや部屋着もたくさん持っていましたよね?

 なんで俺のシャツを着なくてはいけないのですか? それも洗濯されているのではなくて、一日分の青春を燻製しているシャツを……。

 そう言えば、少し前にお袋が――


「あんた、自分のシャツくらい洗濯カゴに入れておきなさいよね? どこにやったの? まったく……そんなに匂いが嗅ぎたいんなら、自分のじゃなくて小豆の下着にしておきなさい。お母さん黙っとくから……脱衣所にあるわよ? 今、小豆が洗濯しているから言えば渡してくれるんじゃない?」


 なんて言っていたのを思い出した。うん。内容に関しては思い出したくなかったが。 

 なんだろうな……ウチのお袋は俺を匂いフェチではなく変態さんにしたいらしい。

 ――どっちも、お断りします!

 そもそも洗濯してんのは小豆であって、お袋はただ洗濯カゴ……二階の廊下に置いているカゴを脱衣所まで運んで、脱衣所のカゴに入れるだけなんだよな?

 その時に俺のシャツだけが、なかったことに気づいただけなんだろう。それなのに「自分で洗うから、ないと困るのよ」みたいな言われ方をされてもだな。 

 と言うより、小豆に「くれ」って頼んだら黙っている意味もねぇよな。それ以前に頼んだが最後、毎日のようにデリバリーしてくるのが目に見えていることが悲しいんだけどよ。

 まぁ、そんなことする訳ねぇから安心だけど。

 そんなことがあってシャツを探したんだけど、みつからなかった。なのに次の日に小豆は、普通に俺へと洗って干して畳まれている、探していたシャツを手渡したんだよ。

 だから、思わず「それ、どこにあったんだ?」って、聞いたのに――

「元から脱衣所にあったよ~♪」と、ごく自然に返事があったから、単にお袋の見間違いだと思っていたんだが。

 謎はすべて解けた! じっちゃんの名……のもとに発足された絶対ルール、を賭けるとヒドイ目を見るから賭けないが。

 つまり、俺の脱いだシャツはコイツの寝巻きになっていたってことだ。


「――って、人のシャツ返せー!」

「ヤ・ダ!」


 謎がすべて解けたことにより、犯人を追い詰めた俺は小豆にシャツの返還を求めた。だが腕をクロスしながらシャツをギュッと掴んで拒否してきやがった。しかもスイカを強調するポーズで。だから思わず顔を逸らしていた。まぁ、洗っていないシャツを返されても困るんだがな。


「……わかった。百歩譲って、タンスの中にあるシャツを貸してやるからな?」

「タンスの中のは、洗濯されているから意味ないじゃん?」


 俺は困惑しながらも、とりあえず譲歩案として俺の部屋のクローゼットの中にある洋服ダンスを指差して、洗濯されてあるシャツを貸してやることにした。

 なのにコイツは「何言っているの?」って表情でこんなことを言ってきた訳だ。


「――俺の百歩を返せー!」


 だから思わず叫んでしまったのだった。いや普通、汚れているから洗濯に出すのであってだな。

 洗濯して綺麗になったのを着るからタンスに収納されているんじゃねぇのか?


『中には奇特な嗜好の持ち主だっているからな……』

たで食う虫も好き好きと言うことですね……』


 そんな妹の言動を聞いて、ドン引きしながら距離を取って声をかける二匹。いや、俺が貸した訳じゃねぇぞ。あと、俺の妹を変人扱いすんな……変人だけど。他人に言われるのが一番ムカつくんだよ……俺だけどな。話を進めるぞ。

 

 そんな感じで食ってかかっていた俺に対して、何を思ったのかいたずらっ子のような満面の笑みを浮かべる小豆さん。その直後、俺を襲う爆弾が投下されるのだった。

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