6.二日目欠席入浴中②

 入学二日目。午前に二時間のオリエンテーションと、もう二時間を講堂での部活紹介に費やすだけとはいえ、これも一応授業の一環として位置付けるとしたならば、それらに参加せず、クラスメイトのお迎えに生徒が行くなど、どう考えてもおかしいだろう。


 これって先生の仕事じゃね? どうして俺が行かされてんの?


 留守先生は「だって。今、職員室に戻って連絡取ってみたんだけど、家の電話は誰も出てくれないし、携帯も電源が入っていないみたいなんだもんっ」とか言ってほっぺたぷくーって膨らましてくれてたけどさ。

 それ、理由になってないから。「そうでしゅかー。それじゃあしょうがないよねー」なんて返事をした俺もどうかしてるけど。

 とか思いつつ、俺は留守先生に渡された無敵さんちの住所メモを胸ポケットに収め、朝の街を制服姿でてくてくと歩いていた。

 あくまでも断るという選択肢もあった。あったのだ。

 しかし、「オリエンテーリングは、先生があとで個人的にしてあげる。部活紹介にも間に合わなかったら、先生が体験入部にも付き合ってあげるから」と留守先生の可愛い声でお願いされては、それも不可能だった。

 耳に息を吹きかけてくるとか反則だろ。あれのせいで、「はい」って脊椎反射で返事しちまったんだから。留守先生は、見かけからは想像も出来ない《男の操作術》を持っていると考えた方がいいようだ。女って怖い。


 それにしても、先生はまだオリエンテーションをオリエンテーリングとか言っている。先生との個人的なオリエンテーリングってなんですか? 先生の体のあちこちにチェックポイントがあるんですか? それらを全て踏破するんですか? スタンプ全部集めたら、どんなことになるんですかぁっ!


「ママー。あの人、なんか気持ち悪い顔してるー」

「しっ。見ちゃダメよ、まーくん」


 などと妄想を膨らませていると、すれ違った親子連れに指差されていた。どうやら俺は、相当気持ち悪い顔をして歩いていたらしい。いや、気持ち悪いとか酷過ぎない? せめて「エッチな顔してるー」とかにしてくれませんか、クソガキが。

 一気に現実へと引き戻された俺は、真面目に任務を遂行すべく、無敵さんち情報を思い出していた。望む望まないに関わらず、俺の中の無敵さんフォルダにはどんどん情報が蓄積されてゆくようだ。ああ、削除してぇ。


「ふーん。本町(ほんまち)の、三丁目、か。なんだよ。俺んちの近くだな」


 留守先生に追い出されるようにして教室を出る際、住所の書かれたメモを受け取ったのだが、「本町だから、分かるでしょ? 三丁目ね」とだけは口頭で知らされた。それは知っている住所だった。てか、俺はその本町に住んでいる。

 俺はこの高校に通うに当たり、親元を離れて一人暮らしを始めている。今まであまり来たことのなかったこの街は、俺にとっては知らない場所しかないと言っていいくらいだ。

 それなのに、あの厄介な無敵さんの住んでいるところが、たまたま俺んちの近くだって? 出来過ぎていやがる。もしもこれがラブコメなら、どう考えても俺があいつと恋に落ちるシチュエーションだろ、これ。いや、無いけど。絶対に無いけど。


 それにしてもあいつ、なんで学校来なかったんだろ? もしかして、俺のせいかな? 昨日、思いっきり「死ね」とか言っちゃったもんな。あれはちょっとまずかった。さすがにちょっと言い過ぎた。別に迎えに行ったからって、無理に来てもらう気はないけれど、それだけは一応謝っておこうか。

 つーか、部屋に行ったらもう死んでた、なんてことになってたらどうしよう? 遺書には「八月一日に死ねと言われたから死にます」とかあったりして。

 そんなん発見したら、迷わず燃やすけどな。この年でそんな重い人生の十字架は"これ以上"背負えない。そう考えると、この役目は受けて正解だったのかも知れない。遺書さえ一緒に住んでる親御さんより先に発見出来ればオッケーだ。いぇーい☆ 俺って最低だぜー☆


「よし。無敵さんのお母さんとかが玄関のドアを開けてくれたら、靴はいたままでソッコー上がり込もう。すっごい心配して焦ってるフリすれば、多分そんなに怒られまい。くっくっく」


 とかなんとか我ながら非道なことを考えつつ、まだ通い慣れていない通学ルートを歩いてゆく。時間はまだ九時半を少し回ったところだ。通勤通学のあわただしい時間帯ももう過ぎて、街は少し落ち着いているように思える。

 学校から、歩いてだいたい十五分。本町というのは、この市に昔からある巨大な商店街全体を指している。ずらりと立ち並ぶ様々なお店は、八百屋だの酒屋だのの古くからあるものに混じって、やけにオシャレなコーヒーショップやベーカリー、古着屋なんかも軒を連ねている。

 見上げれば、ビルの五階相当ほどの高さにガラス張りのアーケードがある。七夕になると、このアーケードから化け物みたいに巨大で派手な花飾りが何百個と吊るされる。日本三大七夕祭りに数えられるだけあって、その様は実に壮観。


 で、あるらしい。


 俺はここに来て日が浅いので、まだその祭りを見たことはないのだ。でも、もうすぐ見られるのかと思うと、ちょっとウキウキしたりもする。

 そんな本町商店街の正面入り口。《本町商店街》のネオンサインが掲げられたばかでかいアーチをくぐり、人がまばらに歩いている商店街を進む。この時間だと、まだ開いていない店もある。見かける人は、たいていがおばちゃんだ。あ。ベビーカーを押しているきれいな女の人もいた。いや、それはどうでもいい。


「確か、この辺に交番があったよな」


 商店街の活性化を目指した市は、数年前、この辺りを重点的に整備したと聞いている。その恩恵に与ったここの交番は、やけにきれいでかっこいい。カラー舗装を施された歩き心地のいい道を踏みしめ、交番のある方へ視線をぐるりと巡らせた時だった。


「待ってー、みーちゃーん」


 良く通る子どもの声。女の子の声がした。


「小学生か」


 俺の右側方、距離約十メートル。ひらひらとした可愛らしいドレスを着た少女が、オレンジ色のカラー舗装の施された歩道を、三毛ネコを追って走っていた。


「……なんだか危なっかしいな、あの子」


 嫌な予感がした。俺の予感は、なぜだか嫌なことだけ良く当たる。

 ブラウンに塗装された、歩道と車道を隔絶するガードレールは隙間だらけだ。デザインがいいのは認めるが、あれでは子どもならすり抜けたりも出来そうだ。太いパイプで出来ているので、車が歩道に乗り上げない為には有効だろう。しかし、その逆については問題がある。


 そして、やはり予感は当たった。


「あ!」


 ネコがガードレールをくぐり抜け、ついっと車道に飛び出した。


「危ない、みーちゃん!」


 女の子はネコを追おうとしたが、ガードレールに阻まれた。商店街の、正面入り口前の大通りだ。交通量はかなりある。運悪く、みーちゃんなるにゃんこの方へと迫る車は、よりにもよってダンプカーだった。


「ヤバい!」


 叫んだ瞬間、またしても頭でカチリと音がした。

 来た。まただ。直後、俺の目に映る世界がスローになる。ほぼ静止した状態になっている。ちなみに、俺もほとんど動けない。体はちゃんと通常の時間軸の中にあり、加速しているのはあくまでも俺の意識だけだからだ。


 うわぁ。やっちまった。こんな状態で《ブレイン・バースト》きちゃったよ、おい。


 なぜ「やっちまった」なのか? 考えるまでもない。今、この瞬間、あのネコを救えるのが俺だけだという状態に置かれてしまったことがだ。

 人通りはおばちゃんばかり。みんな、とにかく俺よりネコから遠い位置にいる。ダンプからネコまでは二十メートルくらいだろう。おばちゃんからネコまでもそれくらいだ。つまり、あのおばちゃんたちがダンプより速く走れない限り、ネコを助けることはかなわない。

 ぜってー無理。あのおばちゃんが実はサイボーグだったりしたら素敵だけど。ベビーカーが実はボンドカーで、ロケット付いてて空まで飛べるとかでもいいけれど、そんなことがあるわけない。

 こんな時、ラノベだったら超能力の使い手であるヒロインが、コイン使ってあのダンプカーを吹っ飛ばし、華麗に助けてくれるのに。で、「危なかったわね。怪我はない?」って、にっこり笑ってくれるのに。その言葉はダンプカーの運転手さんにかけてあげてくれよ。多分死んだと思うけど。まぁいいさ。その辺のリアリティは物語に必要ないし。モブキャラに人権とか無いし。

 てか、そろそろマジでヤバいことになっている。くだらない現実逃避をしている間にも、ダンプは着実に前進しているのだ。


 どうなる? どうする? 考えろ、俺!


 あのネコが轢かれて死ねば、女の子はマジで大泣きするだろう。「みーちゃん」って呼んでるからには、あの子の飼い猫である可能性が高いしな。それがぺちゃんこになって、一瞬でグロテスクな姿に変わり果てたら、一生残るトラウマにもなりかねない。


 だがしかし。

 ここからダッシュでネコを救うのは相当キツい。ネコどころか、俺まで一緒にぺちゃんこになった場合、それを見たあの子は、トラウマが残るくらいじゃ済まないぞ。踏まれたケチャップのチューブみたいになんのかな、俺? そんなのネコどころの騒ぎじゃない。もう精神が崩壊してもおかしくないレベル。


 と、その時。俺の視界の端から、“何か”が急速に現れ出した。

 ぶぅん、ぶぅん、と風を切り、唸りを上げて回転しつつ、にゃんこを目指す物体。俺の視界は定点カメラそのままなのだが、まず判別出来たのは小さな車輪だった。徐々に全貌を現す謎の高速飛行物体。それは。


「ベ、ベビーカーかよ!?」


 その物体を識別したと同時に、俺の《ブレイン・バースト》が解除されていた。

 ダンプの目前に、その挑戦的なベビーカーが突っ込んだ。カミカゼ特攻ベビーカーだ。刹那、ダンプのブレーキがキキキキキと悲鳴を上げた。にゃんこは自らを目指す二つの脅威に怯えてしまい、竦んだままで動けない。にゃんこがどちらかの餌食となるのは確実だ。


「いや! ベビーカーの方が一瞬早い!」


 俺は拳をぎゅっと握り込んだ。


「みーちゃぁんっ!」


 ガードレールから手を伸ばした少女が、悲痛に絶叫する。


 ガアアアアアアアアア!


 ダンプは。

 そのまま何を撥ね飛ばすこともなく、通過した。相当焦ったのか、大音量のホーンをパァーンと鳴らして走り去る。道路に残された物は何もない。にゃんこが潰されたような痕跡は無かった。カミカゼベビーカーは、反対側の歩道で横倒しになり、車輪をからからと虚しく回していた。


「みーちゃん!」

「おっと。ちょっと待とうね」


 まだ車の行きかう車道に飛び出し反対側へ渡ろうとした少女を、俺は後ろからひょいと持ち上げて思い留まらせた。


「でも! みーちゃんが!」


 足を浮かされ成す術がない少女は、振り返って俺に叫ぶ。おお。かわいいじゃないか。涙で顔がぐちゃぐちゃだけど、笑顔が俺の想像通りなら、将来有望な少女だな。


「大丈夫。みーちゃんなら、きっと大丈夫。だから、な? 信号が青になったら、そこの横断歩道から見に行こう」

「ほんとう?」


 ぐし、と少女が鼻を鳴らした。なんかこの感じ、つい最近見たことあるな。ま、いい。


「ああ。お兄ちゃんが保証する。みーちゃんは無事だ」


 少女を安心させようと、俺は努めて優しい笑顔で断言した。俺の自信が伝わったのか、少女は「うん。分かったぁ」と涙を拭いた。その様子にもう大丈夫だと判断した俺は少女をとんと地面におろし、一応念のために手を繋いで横断歩道の方へと歩き出す。

 手を繋いだのは念のためだよ、念のため。他意はないぞ、絶対に。俺はロリコンとかじゃないからな。

 その時、背後からとんでもない金切り声がした。


「な、なんてことをしてくれるの、あなたっ!」


 若い女性の声だ。あ。これ、多分あのベビーカーの持ち主だな。……待てよ。そういや、あのベビーカーの“中身”はどうなった? 中身入ったままであれだけ飛んだら?


「いやいや。んなアホなこと、あるわけ……」


 自分の恐ろしい想像を振り払うべく、俺はそろそろと振り返った。だが。


「あ! ま、待ちなさい、あなた!」

「ひゃあぁぁぁ。ごごご、ごめんなさいぃぃぃ」


 赤ちゃんを抱いた女性が手を伸ばす先にある建物の角を、とんでもなく聞き覚えのある声の主が、ひゅん、と曲がったところだった。ちらりと見えた黒髪と、情けなさ過ぎて苛立ちすら覚える謝り方。そして、そのとてつもない身のこなし。どう考えても“ヤツ”だ。姿など視認せずとも特定出来るくらいに“ヤツ”だった。


「お兄ちゃん。信号、青になったよ」

「あ。う、うん。さ、行こうか」


 俺がここにいる理由を作った張本人である“ヤツ”が、なぜこの場面でとは思ったが、女性の腕に赤ちゃんが抱かれている以上、さっきのベビーカーに中身はない。とりあえずは安心だと自分に言い聞かせ、手を繋いだ少女と横断歩道を渡る。


「みーちゃーんっ!」

「みゃー」


 転がったベビーカーの座席から、無事なにゃんこが顔を出した。少女はにゃんこを抱きあげると、「悪い子めぇ。心配させてくれちゃってぇ」と笑顔で頬ずり。

 うん。この子、やっぱり笑顔が凄くかわいい。俺の目に狂いはなかった。ついでに頭も正常だ。俺はロリコンではないのだから。


「あら……? そう。そういうこと、だったの。あの子、怒っちゃったりして、悪いことしたかな、私……」

「え?」


 ひとり言かと振り返ると、先ほど“ヤツ”に怒鳴っていた若いママが、俺たちの後ろに立ってベビーカーを覗きこんでいた。


「それにしても、あの子……。小さな体をしていたけど、一瞬で赤ちゃんをベビーカーから引っこ抜いて私に渡し、こんな所まで投げ飛ばすなんて……。一体、何者なのかしら?」


 それは俺が聞きたかった。わずかに関わっただけの人にまで、”ヤツ”はこれほどに問題を提起する。


「さぁ? まぁ、台風に近いもんなんじゃないですかね? あれは、きっと“天災”です」


 あちこちひしゃげてぼろぼろになったベビーカーを見て、この若いママが哀れになった俺は、ついそんな言葉を返していた。


「そっか。天災じゃあ仕方が無いわね。おじいちゃんに頼んで、また新しいの買ってもらおうねー、ゆーた?」


 俺の答えが気に入ったのか、若いママは抱っこしたゆーたくんのぷくぷくほっぺにキスをした。もし俺が結婚するなら、こんな人がいいなと思いました。まる。うーん。俺って年上好きらしい。これは発見。


「どうもありがとう、お兄ちゃん。ゆりは感謝するのです」


 そういう少女へと手を振り返し、俺は再び交番を求めて歩き出した。

 あの少女、名を閖上由理花(ゆりあげゆりか)と言うらしい。なぜだか自己紹介をされ、「お兄ちゃんって、モテるでしょ?」とまで聞かれた。俺も一応名乗り返しておいたが、さすがに「メアドを教えて欲しいのです」という要求にはやんわりとお断りを入れさせてもらった。

 なのに、「じゃあこれっ」と無理やりに渡されたのは、一枚の名刺。その名刺には「閖上由理花」という表示の下に、PCと携帯の二つのメアドと、TEL番が書かれている。

 小学生が名刺持ち? 今時の小学生には普通なのかな? とか訝しむも、俺は「ありがとう」と愛想笑いをしてその名刺を胸ポケットに仕舞った。

 そんな俺たちの隣で閖上由理花の名を聞いたシャレオツママは、「え? うそでしょ?」と呟いたまま、なぜだか硬直してしまっていた。


「きっとまた会えるのです。いつか、きっと。……無敵さんにも、きっと」


 去り際に閖上由理花が呟いた。


「え?」


 振り返ると、そこに閖上由理花の姿はもうなかった。


   *   *   *


「そうだ。道を聞くにも、詳しい住所が伝えられないと。メモ、メモ」


 交番へと進みながら、俺は胸ポケットにしまっておいた住所メモを取り出し、いそいそと開いた。留守先生はよほど急いでいたのか、やけに可愛いピンクのメモ紙に住所を殴り書いていた。確かボールペンで書いていたと思ったが、これも毛書体になっている。達筆。


「えーと。本町三丁目の、十の十三。シャトーロータス……、五階……?」


 俺は目をごしごしとこすってメモ紙を見直した。しかし、どうも見間違いではないらしく、どう読んでも《シャトーロータス五階》とある。

 それを確認した俺は、思わずメモをくしゃっと丸めた。そして「っざけんなよ、おいっ!」と怒声を上げて、歩道に目いっぱい叩きつけた。

 メモはぽよんとバウンドして転がった。その動きを目で追うこと数秒、メモは見知らぬおじいさんに拾われた。らくだ色のステテコをはいた、ガリガリのちっさいじーさんだ。


 いつも思うんだけど、それって肌着なんじゃないの? 下着で街をうろついてて、逮捕とかされないの? 最近じゃあ、「おしゃれステテコ」なんて物もあるけどさ、このじーさんのは明らかに肌着だろ。上半身、裸だし。まだ春なのに、寒くないのか?


「おい、小僧。ゴミを道端に捨てるんじゃない。ゴミはゴミ箱に、と親に教わらなかったのか?」


 なんて思っていたら怒られた。いや、叱られたという方が正確か。これって似ているけれども全然違うんだよな。

 しかし、どちらにしろじーさんは怒っている。ぎろりと俺を睨む、落ちくぼんで濁った瞳は、妙な凄みを持っていた。その瞳を見て、俺は“叱られている”と思い直したのだ。一見して偏屈そうな、つるっつるのハゲじじいではあるが、悪い人ではなさそうに思える。

 そうだ。こういう人を、俺は見たことがあるから。それは、俺のじいちゃん。五年前に死んでしまったけど、俺を本当に大事にしてくれた。褒める時はごりごりと頭を撫でられたし、叱る時には固い拳骨をお見舞いしてくれたっけ。結局どっちも痛いんだけど。


「あ、すいません。あんまりにもショックなことが書いてあったんで」


 とりあえず、このじじいが言っていることは間違っていない。それどころか、自分の子どもすら叱れず、見て見ぬふりする大人ばかりの現在では、かなり貴重な人種だろう。そう思い、俺は素直に謝った。

 本当にさ。複合ショッピングモールでも電車でも、特に静かにしていて欲しい映画館でまで騒ぎまくるバカなガキっているんだよな。それを注意するべき親からして煩かったりしやがるし。まぁ、劇場版プルキュアとか観に行くからなのかも知れないけど。ドラ左衛門とか。


「あぁん? そういや、何か叫んでおったの、自分」


 じじいは「ふん」と鼻を鳴らすと、丸めたメモを広げ出した。

 おいおい。なんで見ようとしてんの、このじじい。それ、一応個人情報になるんだぜ。そんなに自然に、なんの躊躇いも無く人のプライベートを覗くとか、モラルや道徳って言葉を知ってんのかよ?


「ふん。全く、最近の若いモンは、親のしつけがなってねぇ。そもそもがよ、車の窓から吸殻やら空き缶やらゴミやら子どもやらを平気で捨てるような親に育てられちゃ、そりゃモラルの欠如したクソガキになって当たりめぇよな。はー、嫌な世の中になったもんだの、おい」


 ぶつぶつと文句を垂れ流しながら、じじいはメモを開き見た。

 いや、車の窓から子どもはポイ捨てしないだろ。どこで見たんだよ。それ、大事件じゃねーか。てか、おめーがモラルとか言ってんじゃねーよ、じじい。俺の素直な謝罪を返してくれ。じいちゃんに似てると思って下手に出てりゃ思い切り乗っかってくるとか、ただのお調子者じゃねーかよ。


「おい、じーさん。そういうあんたこそっ」


 自分の行いも顧みず、偉そうに語るじじいに我慢が出来なくなった俺は、一言言ってやろうと口を開いた。が、次にじじいが発した意外な言葉で、俺は出鼻を挫かれる。


「ありゃ? こりゃー、おめー、無敵さんちの住所じゃねーかよ。なんだ小僧、おめーは無敵さんの知り合いか何かなのかい?」

「え? あ、はい。クラスメイト、ですけど」


 勢いを殺がれた俺は、ついまた敬語に戻ってしまった。心だけがつんのめって前に飛び出したような気持ちになる。


「そーかぁ、そーかぁー。坊主は、無敵さんの友達かー。いや、怒鳴っちまって悪かったな。なんだ、今から無敵さんとこに行くわけか? 遊びにか? お! 坊主、もしかして彼氏かい? げひゃひゃひゃひゃ」

「……いや、そういうんじゃないですけど。ちょ、痛いんで、叩くのやめてもらえます?」


 先ほどまでの怒気満々な態度から一転、急にフレンドリーになったステテコじじいは、下品ででかい笑い声を発しながら、俺の肩をばんばんと叩いてきた。呼び方が小僧から坊主になったのも、じじいの中ではいい扱いなのかも知れない。どっちも一緒な気がするが、俺には。

 なんにしろ、このじじいも相当うざい。どうやら無敵さんの知り合いらしいが……。なんであいつ絡みのことって、こう何もかもが面倒臭いの?


「ま、無敵さんとは仲良くしてやってくれい。あの子も、いろいろとてぇへんだったもんだからよ。ここにも、夜逃げ同然でたどり着いてんだ。苦労してんだよなぁ、あの子。可哀そうな子なんだわ。……ああ、別に貧乏してたってわけじゃぁねぇけどよ。げひゃひゃひゃひゃ」

「……は? あの、今、なんて?」


 聞き捨てならない。俺は無敵さんのことなんて知りたくないと思っていたことすら忘れてしまっていたらしい。そこのとこ、もっとkwskとか言いそうになったのだが。


「よし。このメモは、俺がちゃあんと捨てておいてやっからよ。俺はこの商店街の西口(にしぐち)役で、犀田鉄次郎(さいだてつじろう)っていうもんだ。おめー、名前は?」

「あ、俺は、八月一日於菟(ほずみおと)、です」


 犀田鉄次郎なるじじいの中では、もうその話は終わっていた。でかい声と勢いに負け、俺はつい素直に名乗ってしまう。


「オトくんか。へへぇ、こりゃあいい名だなぁ。これで俺らぁ、お知り合いだ。またここに来た時にゃ、気軽に声をかけてくれ。げひゃひゃひゃひゃ」

「は、はぁ……」


 そう言ってひらひらと手を振りながら歩き去る犀田鉄次郎というステテコじじいを、俺は呆然と見送った。

 また来た時もなにも、俺はここに住んでんだけど。しかし、西口役? この商店街の役員か何かなのか? なんつー品の無いじーさんだ。もしあんなのが役員とかしてんだったら、この商店街の先も見えてるような気がするぞ。


「ん?」


 とか思って徐々に遠ざかってゆく犀田じーさんを見ていること数秒。ひょいと屈んだじーさんは、地面から何か拾い上げた。


「ファーストフードの紙袋? ゴミ?」


 それは、多分ゴミだと思う。「ふっふふーん♪」と上機嫌で鼻歌交じりに去ってゆくじーさんは、それからも何度か屈んではゴミを拾っていた。ゴミは後ろ手にしっかりと握ったままよたよたと歩き去る。

 そういえば、と思い改めて商店街を注意深く見てみる。電柱の根元、壁際、排水溝。汚れやすそうな所を選んでだ。すると、やはりやけにきれいなのが分かった。


「ん? だからなんだっていうんだ? それより、早く無敵さんとこに行かないと」


 事実だけをまとめれば、無敵さんを知るじじいがゴミ拾いをしているだけだ。あのじじいが無敵さんの何なのかなんて、興味もなければ知りたくもない。でも。


「変なじじい……」


 少しだけ。本当に少しだけ気にはなったが、あんまりゆっくりもしていられない。無敵さんの様子次第では、部活動紹介の時間はおろか、今日の下校時刻にも間に合わなくなるからだ。俺はくるりと踵を返し、シャトーロータスへと足を向けた。


 それにしても。

 この街では、無敵さんの知り合い遭遇率が異常である。

 あいつ、もしかしてスターなの?





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