第21話

 その病気を僕が自覚したのは、十の頃だったかな。初めに殺意を抱いたのは両親だった。

 国に仕える軍人の、厳しいけれど強い父と優しい母。幸せな家庭だったと思う。きょうだいはいなかった。一人息子の僕を、父も母も愛情深く育ててくれたよ。僕の剣は父から貰ったものなんだ。父に、剣術も教えてもらった。僕は父も母も大好きだったよ。愛していた。心の底から。本当だ。

 同時に僕は、いつだって、両親を殺す妄想に囚われていた。父のあの鍛えられた腹筋を割いて、内蔵ごと貫いて、引き摺り出したならそれはどんな色をしているんだろう? 母の柔らかな肌を、肩からお腹まで切り裂いたならどんな声をあげるんだろう? そんな妄想を何度もした。夢にまで見た。僕は恐ろしくて堪らなかったよ。そんな妄想を勝手に流す己の脳が。何より、それに興奮を覚えている僕自身が。

 勿論、実行しようなんて考えもしなかった。実行なんてしたくなかった。そんな恐ろしい妄想を実現させてはいけないと思った。だけど妄想は容赦なく僕を襲うんだ。僕は妄想を見るたびに、恍惚として、そしてどうしようもなく興奮してしまっていた。苦しかったよ。恐ろしいと思っているはずの僕が、確かに興奮を覚えているんだ。そんなことを認めたくはなかった。誰かに相談しようにも叶わない。こんなこと誰にも相談しようがない。

 ――そうして、その日は来てしまった。母の手伝いで、料理を作っていたんだ。僕は包丁を持っていた。指示を仰ぐために、僕は包丁を持ったまま、母の方を向いた。母は無防備だった。背中を向けていた。母は髪をくくっていたから、うなじがはっきり見えたんだ。

 記憶はね、正直に言うとあんまり無いんだ。気付けばキッチンは血塗れで、母は首と胸が滅多刺しにされていた。僕の持っている包丁は真っ赤だった。僕自身も赤く染まっていた。鉄さびの臭いが充満してて気持ちが悪くなったよ。


 同時に、ものすごく高揚したんだ。


 そのあと、すぐに父が帰ってきた。父はね、その時庭で薪を割っていたんだ。多分、僕が殺すときに母が悲鳴を上げたんじゃないかな。血相を変えて父がキッチンに入ってきたよ。僕にはもう迷う理由がなかった。だから父が入ってきた瞬間、迷わずその目に包丁を突き立てた。父はよく体を鍛えていたから、体には簡単に包丁は入らないだろうなって思った。だからそうしたんだ。顔は流石に鍛えられないからね。目だけじゃ人は死なないから、倒れた父に跨って首を刺した。暫く父はひゅーひゅー苦しそうな息をしていたけど、やがて動かなくなった。

 僕はすごく楽しくて、恐怖に染まった父や母の死に顔を見て、とてもとても愛おしさを感じたんだ。両親を僕は愛していたんだよ。愛していたから殺したんだ。それがすごく楽しかった。楽しかったというよりは、幸せだったといった方が正しいかもしれないね。僕の愛が、漸く伝わった気がしたんだ。

 そうして、暫く恍惚としていて、はっと我に返った。改めて惨状を見渡して、僕はとても恐ろしくなったよ。無惨な両親の死骸、荒れた部屋、血塗れの自分……僕の病気が発症してしまったんだ。


 僕は何度も、ごめんなさい、と謝った。誰に謝っていたのかは分からない。父かもしれないし母かもしれない。友人かもしれないし隣人かもしれない。そうして、「神様」と何度も呟いたんだ。かみさま、どうして、と。

 神様は全知全能だから、いつもあなたをみているのよ、と、母は言っていた。何か良いことをすれば報われるし、何か悪いことをすれば天罰が下るのだと。

 両親を殺すなんて、こんなのは確実に悪いことだ。こんなことをした僕には、きっと天罰が下ると思った。神様が、全知全能の神様が、天罰を与えてくださると思った。

 ――だけども、待っても待っても天罰なんか下りはしなかったよ。

 取り返しがつかなくなって、僕は逃げることにした。自分の国からね。

 ローガンって名前は、国から逃げてから、着いた国……君と出会ったあの国で、自分で付けた名前なんだ。前の名前は忘れてしまった。僕は、名前ごとその病気も忘れてしまいたかった。『ローガン』になってからは、僕は病気を発症することはなかったから、僕は安心感を覚えていた。そして僕はまた、愛する人ができた。君も知っているだろうアンゼリカ。君を飼っていたあの屋敷の、娘だよ。

 僕は剣の腕があったからね、その国で王様に気に入られて、聖騎士という立場も手に入れた。そんな僕と娘の交際を、父親であるあの屋敷の主人は大いに歓迎してくれた。あの屋敷の人達は僕にとても良くしてくれたよ。アンゼリカ、君は信じられないだろうが、あの人達はとても優しい人達だったんだ。

 親切で、心の広い人達だった。ただ、異形を差別視する価値観を、他の多くの人達と同じように持っていたというだけで。

 僕はその人達が大好きになった。恋人である彼女を愛した。そうして――忘れかけていたあの病気が発症したんだよ。


 僕は彼女に対する愛が深まるにつれて、殺意がわき上がってくるのを感じた。愛したい、愛したい、殺したい……そんな欲望が僕を支配した。だけど僕はそれを見ないふりをしたんだ。なぜって、怖かったからだよ。僕は、僕が異常な人間だと、認めるのが怖かったんだ。両親を殺した時点で、そんな事は明白になっていたのにね。

 そうして、両親の時と同じだ。病気は発症した。何の前触れもなく。



「あの日恋人だった彼女を殺して、僕はやっぱり幸福だった。そして同時に、どうしようもなく理解したんだ。僕は異常なんだって。……僕はね、本当はあの時、自分を刺してしまおうかと思った」

 ローガンは微笑んで、アンゼリカの髪を梳くように撫でた。青い目にはもう涙は浮かんでいなかった。

「それをしなかったのは、君がいたからだよ、アンゼリカ」

「私?」

「僕が、これに信仰を捧げているのは知っているだろう?」

 そう言って、彼は己の首の、十字架のネックレスを掲げた。

「主は仰ったのだという。あなたの隣人を、あなた自身のように愛しなさい、と。だけど僕は隣人どころか、恋人や親でさえ『普通』の形では愛せない。こんな僕を、僕は愛せない。僕は両親を殺したあの日から……いいや、もっと前、僕の病気に気がついた頃から、僕は僕を愛せなかった。……こんな悪徳を、主は許しはしないだろうと思った。何より、僕が僕を許せなかった。だからね、殺してしまおうと思ったんだ。愛ではなく憎悪から、僕自身を殺してしまおうと思った。だけど、そこには君がいた」

 再び、ローガンはアンゼリカを抱きしめた。剣を握ったまま、その両腕で彼女を抱きしめた。アンゼリカの羽根に、冷たい剣が当たった。

「恐れも嫌悪も無く、僕を見つめる君は高潔だった。とても美しかった。僕は君を見て、天使みたいだって思ったよ。母が昔読んでくれた絵本に出てきた天使。君は僕を否定しなかった。血塗れの僕を見て、笑いかけた。僕はそれだけで、僕の存在が許された気がしたんだ。アンゼリカ、アンゼリカ。僕の天使だ。君は僕の天使で、かみさまだったんだ。君が隣にいてくれるなら、僕は僕を許して、愛せる気がしたんだよ」

 ちゃきん、と、アンゼリカの背後で、剣が動く音がした。ローガンが堰を切ったように言葉を紡ぐ。

 こんなにも饒舌に話すローガンを、アンゼリカは初めて見た。

 これがローガンの本当の姿なのだろう。多分。思えば、アンゼリカは全然彼を知らなかったのだった。

「アンゼリカ。僕は君と過ごすうち、君を心から愛していた。君が僕を好きだと言ってくれるうち、僕は僕自身を愛せるようになった。だけど、僕はそれを声に出してはいけないと思ったんだ。愛せば、殺したくなってしまうから。それでもどうしようもなく愛おしくて、愛おしくて、殺したくて。でもそれを君が知れば君は僕を嫌うだろうと思った」

 ああ、とローガンは恍惚とした、とも、虚ろな、とも取れる目で、どこか遠くを眺めていた。

 彼は笑った。乾いた笑いが部屋に響いた。


「アンゼリカ、僕の天使。君に否定されてしまえば、僕は僕を、また愛せなくなってしまう。僕は僕を肯定できなくなってしまう。それが怖くて、だから言えなかった。だけど君が反狼の牙に入り浸っていることを知って、僕は醜い感情に、そう、嫉妬だ。嫉妬に駆られたんだ。君の愛を受けるのは僕だけだったのに。僕の天使が奪われてしまうと、そう、だから、だからねアンゼリカ。僕は彼らを殺そうと決めたんだよ。そうすることで君が僕を嫌ってしまって、僕から離れてしまっても構わなかった。君に嫌われた僕に価値はないから、そのまま死んでしまえばいいのだからね。矛盾してるかな、そうだね、矛盾してる。君が離れてしまうから彼らを殺すのに、それで君がいなくなっても良いなんて。僕にもね、なんだかよく分からないんだ。どうせ君が離れてしまうなら、いっそ君に嫌われてしまいたかったのかな。そうすれば僕は迷いなく僕を殺せるからね。だけど君を昨日のあの日、教会に連れて行って、森から遠ざけたのは、やっぱり君にこのことを知られたくなかったのかな。ああ、もうなんだか、わかんないな。だけど、だけどさ、君は戻ってきたね、アンゼリカ。僕が彼らを殺したことを知ってもなお、戻ってきたね。愛していると言ってくれた。嬉しいよアンゼリカ。最早僕と君との間に隠し事なんて何一つ無い。そして君はこんな僕を愛してくれるのかい、愛していると言ってくれるのかい。僕はね、そうして漸く僕を愛せるよ。アンゼリカ、愛してる。愛している。アンゼリカ、僕はアンゼリカを愛している。そして今、やっと、完全に、完璧に、僕自身を愛せるんだ。僕は君が愛おしくて、僕が愛おしくて、ああ、愛してる。あいしてるよ、だから、お願いだ、アンゼリカ」

 ローガンが強くアンゼリカを抱きしめた。幸せそうに、本当に幸せそうに笑って、彼は。

 ――アンゼリカの背中に、逆手で持った己の剣を突きつけた。


「アンゼリカ、僕と一緒に、死んでくれ」


 アンゼリカは目を見開いた。自分の体が震えるのが分かった。

 それは恐怖ではなく、歓喜で、だ。

 彼女を支配していたのは紛れもなく高揚感だった。そうして同時に確信した。やはり自分には、ルゥ達と共に泣く資格など無かったのだと。だって、こんなにも嬉しいのだから。

 ローガンが自分を愛してくれているのだと、そのためにウルソン達を殺したのだと。

 それほどに彼は愛してくれているのだと、ああ、それはなんて喜ばしいのだろうか。

 何より彼は、彼も、アンゼリカと『同じ』だったのだ。歪んでいた。狂っていた。矛盾していた。

 そうして、彼はアンゼリカを受け入れた。アンゼリカもまた彼を受け入れたかった。

 ああそうだ、これはもう、これこそが、愛し合っている姿ではないだろうか。


 ローガン、ローガン。もしかしたら私達、運命だったのかもしれないわ。だってこんなにも、まるで歯車がかみ合うみたいに、かっちりと二人の愛がぶつかることなく解け合っているの。


 ウルソン達は大好きだった。彼らが死んでしまったのは実に悲しいことだった。それでも、そんなことが些細なことに思えるほど、ローガンの愛が嬉しかったのだ。

 私はきっと酷い奴ね、そう思って、それでも笑みが抑えられない。

 ローガンの背中に回した両腕に力を少し込めて、ぎゅう、と彼を抱きしめ返す。

「ローガン、愛しているわ、心から」

 身をよじってローガンと顔を向かい合わせる体勢になり、そのまま唇を合わせた。

「だから、ねぇ。ローガンの愛を頂戴?」

 ローガンも微笑んだ。二人は幸せそうに、もう一度口づけを交わす。彼等はただ、しあわせだった。


 アンゼリカの柔肌を、鋭く研がれた剣は簡単に貫いて、その勢いのままローガンの腹を突き破る。

 二人は抱き合ったまま崩れ落ちた。赤い、二人分の血液は小さな池を作り、その中に倒れ込んだ。びちゃん、と湿った音と共に滴がはじけてアンジェリカの白い羽根を汚す。

 

窓から注ぐ朝日だけが、幸せそうに微笑んだ二人の死骸を照らしていた。

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