機械人間

前花しずく

記録

 幼い頃はごく普通の子供だった。私も、そしてみんなも。

 元気に外を走り回ってたし、馬鹿なこともしたし、笑ったり、はしゃいだり、泣いたりもした。

 学校なんかは存在しなかった。あったってどうせ無駄なだけだから。でも、娯楽も何もないこの世界で、することと言えば外遊びしかなかった。

 手術の前日も、でかい図体した仲間らと鬼ごっこをしていたことは昨日のことのように鮮明に覚えている。

 目を覚ました瞬間、なんだか変な感覚がした。目の奥に何かごろっとした異物感。そして、その不快感を超えるほど、大量の情報が脳に流れ込んできた。

 ――私が受けた手術は「外部機器挿入術」、読んで字のごとく、外部メモリや通信機器などを人体に埋め込む手術だ。

 この手術は十八になったら必ず行わねばならない。これこそが我々が導き出した「教育」の最適解だ。

 まず、挿入される外部メモリには我々の祖先の英知を結集させたものだ。基本的な情報から専門用語まで、ありとあらゆる情報が脳に直に接続され、いつでも取り出し可能となる。想像がつかないかもしれないが、つまり「この情報がほしい」と思えば頭にパッと勝手に浮かんでくる、そんな感じだ。

 そしてもう一つが通信機器である。これを埋め込むことにより、我々はサーバを通して互いの思考や感覚を共有できるようになる。つまり、他人の見ている景色や感情などが、余すとこなく直に感じられるわけだ。

 結果から言って、私の手術は失敗だった。さっきも言ったように、確かに大量の情報は脳に流入していた。しかしそれは外部メモリからの情報であって、私に埋め込まれた通信機器はネットワークに接続するることはなかった。

 一度失敗したら、もう取り出すことも取り換えることも許されない。完璧な計算の上、頭蓋骨の一番適当と思われるところに微々たる穴を開け、そこから機器を入れている。これ以上いじろうものなら身体に異常が出かねない。

 結局、私は不良品として病院の外へと出た。しかし、むしろ私は不良品になってよかった、と思っていた。

 街はシンと静まり返っている。大勢がひしめき合っているとは思えないほど、不気味な静かさ。今、目の前の道にも人が溢れているのにも関わらず、聞こえてくるのは「ザッザッ」という規則正しい足音のみ。

 彼らはみな、脳に通信機器と外部メモリを埋められた、「完成品」の人間たちである。私はこの人間たちを、幼い頃から「機械人間」と呼んでいた。

 もちろん、機械を埋め込んだ人間、という意味でもあるのだが、それ以上に言動がまるで機械のようなのだ。

 「完成品」の人間たちは何も話さない。話さずとも思考を共有できるからだ。

 「完成品」の人間たちは笑わない。笑ったり泣いたりせずとも感情を共有できるからだ。

 「完成品」の人間たちは規則正しい。全ての情報が手に入るため、必要最低限、超効率的な行動しかしないからだ。

 通りを見ると、「完成品」の人間たちは五列に並んで一人も乱れることなく歩いている。全員、別々のところを出発して別々のところへ向かっているはずなのに、総合的な効率がネットワークによって導き出されるため、ぶつかったり、まごついたり、立ち止まることすらない。

 そして何より――「完成品」の人間たちは意志を持たない。ネットワークによって効率的な行動が示されてしまうため、意志などもはや必要としないのだ。仕事でさえ、どの仕事にどのような人材が何人必要なのかを計算され、勝手に決められる。結婚、性の交わり、起床、歩行、その他一挙手一投足に至るまで、ネットワークの支持の通り人間が動く。

 ネットワークが意志、そして欲を消滅させる作用を持っているのかもしれない。傍から見ている限り、個人の人間がネットワークに抗っている例を見たことがないからだ。その部分の詳細は過去の文献にも見当たらなかった。

 もちろん、そうなれば倫理的にどうなのか、と言いたくなるかもしれない。しかし、この世界には既に、この制度に異を唱えられる者は誰もいない。文献によれば、過去にはそういった論争もあったらしいが、意志を持った成人は一世紀以上前に絶滅している。

 むろん、私のように不良品となった者もいないことはないが、その多くは不調を訴えて手術直後に死んでしまったり、精神を病んで自ら死を選ぶことが多いそうだ。

 かく言う私はどうなのか。もちろん、こうやって言葉を遺せるくらいなのだから、意志はまだあるんだろう。しかし、正常な判断力というものはとうに失われているようだ。孤独であるはずなのに孤独を感じられない。客観的に悲しいであろうことは理解できるが、実感として心から思っているわけではない。

 つまり、私は人間と機械人間の狭間の存在と言っていいかもしれない。だがたった一人意志を持つ特異な私だからこそ、この星に起こったことの顛末について記録させてほしい。


 まずはこの星がどういった場所なのかを語ろう。

 文献によれば、もともとこの星事態には生物はおらず、大気すらもなかったという。祖先は母星での食糧難や環境破壊などで移住を余儀なくされ、数光年離れたこの星を開拓し始めた。

 何故この星を選んだかについては定かではないが、宇宙船が永続的に航行できる設定ではなかったのが災いしたのかもしれない。祖先は生きるのに適しているとはお世辞にも言えないこの星に住むことを余儀なくされたのだ。

 しかし当たり前ながら、大気がなければ生物は住めない。まずはドーム型の巨大な屋根を作り、その中に空気を送り込んだ。つまり、その中に街を作ろうというのだ。

 工事は難航したが、三十年とかからずに完成したらしい。そして順次、宇宙船からの移住が始まった。

 人間の体調を考慮して、天井は電飾によって朝、昼、晩、そして曇りなど、ランダムに自然に近い光が発せられるようにされた。また、天井には水道管が張り巡らされ、不定期に雨が降るようにもなった。今、私の頭上にある空も、人工的に天井に映し出されたものに過ぎない。

 さらには風を発生させる装置も備えられ、ほとんど自然に近い生活が営めるようになった。移住が完了した時点で総人口三百万人だったそうだ。ちなみに、それは今でもほぼ変わっていない。

 話は変わるが、トランスヒューマニズム――人間に機械を埋め込む研究は移住する前からすでに盛んで、それを全員に強制しようという動きが出始めたのが移住して少し落ち着いた頃だった。

 人間は効率を求める生き物だ。そういう流れになるのも必然だったのかもしれない。反対の声も多く、百年以上論争は続いたものの、結果として機械人間が勝利を収めた。主な原因は子供に埋め込ませる親が多かったことだろう。人間、自分の子供には優秀でいてほしいという情を持っているのだろう。

 そして効率化は極めに極まり、さっきも話した通り、町全体が大きな一つの機械、一人一人がその歯車であるかのような現在の状況に至る。確かに、誰も不幸にならない、これ以上なく効率的な世界。

 手術の後、私はどうすべきか迷った。機械人間になる前の子供たちと接触しようか、あるいは手術室を襲撃してこの制度を壊してやろうか。

 だが、どちらも行動に起こすことはなかった。手術を終えて、私は無気力になっていた。それは手術のせいなのか、精神的なものなのかは分からない。

 私はそれから毎日、小高いビルに座り込んで機械人間が秩序良く行きかう通りを眺めた。特に何か面白いわけでもなく、興味があるわけでもない。ひたすらに眺めていた。それだけ。

 たまにかつて友人だった機械人間が通りがかると、胸の痛む思いがした。手を振るなんてことはしない。無表情でやり過ごされて余計にむなしくなるのは目に見えているのだ。

 半日もすると機械人間がわざわざ食事を持ってきてくれた。別段、その人間が優しいわけでもなんでもなく、救済プログラムが働いただけなのだろう。私は無表情なそいつに恵んでもらうのに屈辱を感じた。

 しかし、私も内心気付いていた。私も無口、無表情になりつつあることを。それこそ、出会う人みな無表情な者ばかりで、笑いかける相手も話す相手もいない。今日、この記録を遺すのにも、もしかしたら話し方を忘れてるんじゃないかとハラハラした。

 私は無気力、そして無欲になっていた。ただ通りを眺め、恵まれた食べ物を食べ、用を足し、眠る。自分が嫌っていた機械人間に近付くようで嫌悪感はあったが、そこから抜け出す気力がなかった。

 そのままで何年過ぎたことか……と言っても、脳内メモリに記録が残っているから、何年何か月何日何時間という正確な時間は分かるのだが、そんなものに頼りたくないだけであるが。抜け殻のように過ごした期間は途方もなく長く、今思い返すと一瞬のようにも感じた。

 たまに来る子供たちの声で辛うじて自我を保っていた状況。それがぶち壊されたのが昨日だった。


 気が付いたら通りから誰もいなくなっていた。早朝も深夜も誰かしらが歩いていたはずなのに、真昼間から閑散とした通りに己の目を疑った。

 突然、本当に突然、空が――天井が裂けた。耳をつんざく轟音とともに、黒と茶色の狭間のような色をした物体が裂けめから覗いていた。その周りの「空」も電気系統をやられ、天井全体の四分の一程度が真っ暗になった。さらには水道管も破裂し、一点から滝のように漏れ出している。

 私はそれを見たとき、おそれよりも何よりもまずワクワクしていた。心躍る、と表現するのが適当かもしれない。すぐさま立ち上がってその様子を観察した。

 それがどうやら隕石の類であることは一目で分かった。恐らく天井の強度よりも強い鉱石を含む隕石が突っ込んできたのだ。

 私は興奮して思わず走り出した。どこへ行こうなどとつゆほども思ってはおらず、走らずにはいられなかった。

 息が切れたところでふと冷静になり、なぜ通りから人が忽然と消えたのか、確かめてみたくなった。目の前にあった民家のドアを何も考えずに開けてみる。

 そこには大人が二人横たわっていた。手を当てると死んでいることが分かった。不思議なことに、隣の家も、そのまた隣も、同様にその一家全員が外傷もなく死んでいた。

 そこで私はいろいろと思案した。

 そもそも隕石がぶつかることは外にある観測機器で把握していたはずだ。そうなると機械人間たちはそれを当然知っていたことになる。

 防衛しきれないと判断して国家事心中した。そんなところか。

 自分なりの答えにありついて満足して外へ出ると、機械化される前の子供たちが泣いたり喚いたりしていた。私を見たら助けを求めるだろうと思っていたが、子供たちは私などに目もくれず走り去っていく。

 確かに私は一見大人には見えないかもしれない。身長は中学生くらいで、残念なことに胸も申し訳程度でしかない。かつてよく友人にからかわれたものである。そんなコンプレックスを数年越しに思い出すとは思わなかった。

 しかし、さっさと自害してしまう機械人間と比べれば、コンプレックスを持っていることの方がよほど人間らしくて素敵じゃないか、などと一人で勝手に思った。見せる相手もいない小さな胸も、そう思えば好きになれるというものだ。

 さて、隕石が刺さっているのはいいのだが、一見あまり生活に支障はなさそうにも見える。ただ、機械人間が自殺したのだから、この後どうにもならないくらい事態が悪化するんだろう。

 もしこのまま死ぬんであれば、私は何をするべきだろうか。そう考えたとたん、様々な欲が頭の中に溢れてきた。

 その辺の店にある食べ物を手当たり次第食べようか。その辺にいる子供を捕まえて犯してしまおうか。

 しかし、そういった想いはある一つの欲にかき消されてしまった。「私の生きた証を遺したい」という欲だ。私という存在を、そして、この国の存在を、誰かに伝えたかった。

 だから、私は録音機材のありそうなところを片っ端から探した。そして、病院でこの機械を発見し、こうして話をしているのだ。我々の先祖の母星の住人が来たら分かるように、七千近い言語のいずれの形でも再生できるように、特殊な方法で録音している。

 しかし、病院に着いてすぐ、何故機械人間が自殺したのか理解した。

 また隕石が突っ込んだ時と同様の轟音がして窓の外に目をやると、隕石が跡形もなく消えていたのだ。恐らく空気に押し出されたに違いない。穴をふさいでいた隕石がなくなれば、空気が漏れるのは当たり前だ。しかも今回は穴が巨大すぎて漏れる漏れないどころの騒ぎではない。

 穴の近くに立っていたビルなどはたちまち先端が折れて外に吸い出され、私がいた病院の窓ガラスも粉々に砕け散って、その他諸々のごみとともに上空に吸い上げられていった。

 ……ではどうやって私が今生きてるのか、と疑問に思うかもしれないが、幸い私がいたのは病院で、医療用酸素ボンベが大量に置いてあったのだ。この酸素ボンベが尽きた時が私の死に時だ。


 これがおおよそ私とこの国に起きたことの顛末だ。まもなく私も死ぬ。

 散々効率だけを求めた結果がこの様だ。いくら効率を追い求めても、そこには効率的な死しかない。

 かと言って人間的に暮らしていれば滅びぬのか。それも違うだろう。命あるものはいつか死ぬ。栄えた種族はいつか滅びる。それが定めというヤツだ。

 もしこれを文明的な生物が聞いているのであれば、私は君たちの種族のよりよい繁栄とよりよい滅亡を願っている。

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機械人間 前花しずく @shizuku_maehana

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