第3話 リリーのネット小説

 ネット小説にハマった。きっかけはスマホに届いた差出人不明の一通のメールだ。それに添付されたネット小説にハマったのだ。それは様々な美女が入り乱れる、わくわくするようなハーレムもののライトノベルだった。続きが気になるのでそのネット小説サイトにおれも登録し、読み専になった。

 ある日ちょっとエロい描写があったので興奮し、感想を書いてみた。作者が返事をくれた。丁寧で人柄を感じさせる優しい口調で、おれは彼のことが好きになった。

 そして今はもっと好きだ。

 やっと暖かくなってきた日の午後、おれは部屋でベッドに背をもたれてヒビの入った古いスマホをいじっていた。彼の小説を読むためだ。リリーは床に置いたパソコンに向かい、キーボードを打っていた。この時点でおかしいと思うべきだがおれは小説に夢中で気づかなかった。

 ふと尋ねてみる。

「なあリリー、『猫とクローディアス』って知ってる? もうすぐ書籍化される大ヒットネット小説」

「ああ」

「おれ大好きなんだよ。今回は特によかったなあ。主人公の凛々之介がライバルのクローディアスと肉弾戦を繰り広げて第三ヒロインのニケを取り合う場面! 凄い迫力だったよ」

「そうか」

「従者の太郎がすげー馬鹿で、凛々之介がいつも戦いに使うナイフを忘れちゃったんだよなー。でも凛々之介はクローディアスのナイフを奪って、でも卑怯な真似をしたくないからナイフを捨てて殴り合いの勝負になったんだ。まじで、太郎さえいなきゃなあ。おれと同じ名前だよ。恥ずかしいよ」

「そうだな」

「第三ヒロインのニケはそれはもう上品で、いつもおしとやか。凛々之介にベタぼれなんだよ。でも第一ヒロインのクイーンはかなり美人の上お金持ちの姫だから、どっちかに偏ったらもったいない。迷うよな!」

「ああ」

「第二ヒロインのスノーは目がエメラルド色なんだ。性格がかわいくて、明るいとこがいいよな! ……聞いてる?」

「聞いてるよ。でもちょっと黙っててくれるか」

 リリーは前足を凄い速さで動かしてキーボードを打っていた。最近こればっかりだ。たまには飼い主に構ってほしい。

「何やってんだよ」

「ん? ……小説書いてんだよ」

「マジマジ? 何てタイトル?」

「『猫とクローディアス』」

 ……ん?

 おれはわからなかったのでわからない顔をした。リリーが手をとめておれを見て、ため息をついた。

「あのな、お前のお気に入りのネット小説、おれが書いてんだよ。かなり前からな」

 んん?

「凛々之介はおれ、クローディアスはお隣のクロ、クイーンは二月にでっかい鰹節くれたあの猫、ニケは三毛猫、スノーは白猫がモデルだ。単純だろ?」

「た、太郎は……」

「お前に決まってるだろうが」

 何だと……。

 いや、違う! こだわるべきはそこじゃない!

 おれはリリーに震え声で尋ねた。

「リリー、お前本出すの?」

 リリーはおれをちらりとも見ずにキーボードを叩く。

「そうだよ。今は出版に向けて作品を修正してるんだ。気づかなかったか?」

 気づかなかった。パソコンばっかりやってるなとは思っていたが。しかし。

 やった、やった、やったー! わが家からプロの作家が生まれるぞ!

 おれはリリーに近寄り、いきなり抱き上げて高い高いをした。リリーは憮然とした顔でされるがままになっている。

「ばんざーい、ばんざーい、ばんざーい!」

「……降ろせよ」

 興奮覚めやらぬ中、リリーを解放すると奴は早速パソコンに向かった。

「忙しいんだよ。静かにしてろ」

 静かにしてみた。しかし興奮は収まらない。リリーはやれやれといった様子で、

「困った奴だな。まあ印税が入ったら新しいスマホ買ってやるから今は大人しくしてろよ」

 と言った。新しいスマホ! 嬉しいこと続きだ!

 ということを母に話したら、飼い猫にスマホ買ってもらうバカがどこにいるんだこのとんちんかんと言われ、確かに、と軽く反省した。あくまで軽く。

 そして月日が流れ、リリーの本を読むときが来た。……従者の太郎がますますバカになっていた。ナイフを持ってきたと思ったら鰹節だった! っておれは違うぞ……。

 リリーは約束通り新しいスマホを買ってくれた。どうやって買ったのかは謎に包まれているが、おれは気にしないのだ。多分猫又の妖術でうまく誤魔化したか、人間に化けて買ったのかもしれない。リリーはついでに自分用にも買ったようだ。おれと一緒に部屋にいるときに誰かから電話が来たらしく、肉球で画面をつついて本体を耳に当てる。

「もしもし……はい、凛々之介です……はい……わかりました、来週までに」

 担当編集者かららしい。何だか忙しい猫になった。担当編集者はリリーが猫だと知っているのだろうか。そこも謎に包まれている。

 リリーはまたパソコンに向かう。パチパチとキーボードを打つ。時々ため息をついたりして、何となく疲れが見える気がする。

「リリー」

「忙しいからあとでな」

 おれは黙らなかった。

「リリー、わかるよ、忙しいのは。でも気楽な猫の生活をやめて作家になんてなったのはどうしてだ? お金なんてなくても困らないし、時間がないのは嫌だろ?」

「うるさいぞ」

「リリーが心配なんだよ」

 リリーは前足の動きをとめ、おれに向き直った。

「お前、新しいスマホほしいって言ってたよな」

「うん」

 何だ? いきなり。

「そのためだよ」

「え?」

 おれは急にどきどきしてきた。まさか、全部……。

「お前、おれを拾ったときのことを覚えてるか? おれは人間の男に怪我させられて、死ぬ寸前の子猫だった。怖くて痛くて、もうどうすればいいかわからなかった。さ迷ってるうちに公園に着いた。子供たちはおれのことを汚い気持ち悪いと嫌がった。それくらい酷い傷だったし、おれは血まみれだったからな。そこにお前が来た。『大丈夫?』とおれを抱き上げてくれた。服を血で汚してな。お前はまだ小学生だった。大人とは違う優しい心臓の音がとくとく聞こえた。おれは安心して眠った。……目が覚めるとおれは包帯だらけでお前の家にいた。お前やお前の両親は絶えずおれに世話を焼いた。おれは元気になった。クロと喧嘩したり、色んなメス猫とロマンスを楽しめる真っ当な猫になった。家ではお前が優しくしてくれた。おれはお前が大好きだった。……猫又になって優れた力を得たからには、お前やお前の両親のために何かできないかと思ってな。最初はお前に読ませるためのネット小説だったが、何だか都合よく進んでしまったな。知らないだろうがお前のスマホにメールを送りつけたのはおれだ。……スマホ買うくらいならできた。次は……」

「次なんていらないよ!」

 おれは思わず叫んでいた。涙がぽたぽた胸に落ちた。熱い。

「リリーが元気なら何にもいらないよ! 無理すんなよ。おれも父さんたちもリリーがいつもみたいに元気にしててくれれば充分なんだよ。お前を拾ったのは得をするためじゃないんだからな!」

 拳を震わせて叫ぶおれを、リリーは放心したように見詰めていた。そして、目を細めて笑った。

「そうだな。お前も父さんも母さんも、そういう人間だよな」

 おれは初めて見るリリーの笑顔にぽかんとしていた。

「おれだって笑うさ」

 リリーはまた真顔に戻り、パソコンに向かった。やめてくれるんじゃないのか?

「連載が始まったからには最後まで書かないとな。大丈夫、短いシリーズだから」

「でも」

「無責任なことはしたくない」

 リリーは黙々とキーボードを叩いた。パチパチ響く音。

 おれは黙ってそれを見ていた。

 リリーの小説はライトノベル部門で大ヒットを飛ばした。おれも毎回熱心に読んだ。リリーの文才は人間以上だと感じる。流石は猫又といったところか。

 シリーズは一年余りかけて五巻で完結となり、作者の凛々之介は二度と作品を出すことはなかった。凛々之介の作品について語るサイトがたくさん立ち上げられた。凛々之介は伝説となったのだ。

 凛々之介、いや、リリーはうちでいつものようにゴロゴロしている。おれの部屋の真ん中にある専用の青い座布団に乗っかり、

「おい、太郎」

 とおれに呼びかける。おれはあれ以来リリーに頭が上がらず、

「何?」

 と笑いかける。おれはもう大学三年で、もうそろそろ就職活動が始まるというころだ。リリーがアドバイスをくれるから心配してない。いや心配しろよとリリーに言われそうだが。

 リリーは顎でおれに指示を出す。猫じゃらしを持ってこい、ということだ。おれは部屋の隅に転がっていたピンクの猫じゃらしを持ってきて、リリーをじゃらした。リリーは前足を一つの生き物のように素早く滑らかに動かして猫じゃらしを捕らえる。

「太郎、水」

 息の荒くなったリリーはおれに命じる。早速下の階に行き、水をそっと運ぶ。リリーは王様のように待っている。

「太郎、おやつ」

「おやつはダメだ。もう食べたじゃないか」

「ちぇっ」

 何となく、何となーくだが、リリーはおれをしもべ化するためにあんなことをやったんじゃないかという気がする。本当に何となーくだが。

「じゃあ太郎、ブラッシング」

 リリーの柔らかな毛並みをブラシでときながら、いやいや、と首を振る。こんないい奴がそんなことをするわけがない、と。

「太郎、三回回ってワンだ」

 ……いや、わからないぞ。

 おれはじっとリリーを見た。不細工な顔を笑顔にして、本当に居心地がよさそうだ。

 多分、多分だけど気のせい、だよな?

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