「もうっ。私の好きなように解釈しちゃいますからね!」

 その背中に、三佳は腰に手を当て、ふんと鼻息荒く言う。

「まったく。なんて人――いや、オオカミなんだろ。てか、めっちゃ恥ずかしい……」

 もし三佳の解釈するところがすべて本当なら、寝相や家事のド下手ぶりもしっかり見られていたんじゃないだろうかと思えて、非常に恥ずかしいし居たたまれない。

 早坂のおかげでコロたち共々危険な目に遭わずに済んだが、早坂のせいで見られたくないところまで見られてしまったかもしれない恥ずかしさは底知れないものがある。

『でも、よかったじゃないですか』

『そうそう。ぼくたちもショチョーさんのおかげで助かったし』

『うん。お母ちゃん、山の中でショチョーさんの匂いを辿ってたんだって。正確に言うとお姉ちゃんに付いてるショチョーさんの匂いね。少し時間はかかったけど、その匂いのおかげで山から出られたんだから、よかったんだよ』

 と、そこへ、変化を解いたコロたちがトコトコとやってきて口々に言った。

「そうなんですか? コロさん」

『はい。これくらいの靄なら案内できると言ったのは、幾重にも混ぜ合わさった獣たちの匂いの中に、それらよりも、もっと強い雄々しい獣の匂い――所長さんの匂いですね――を感じ取ることができたからなんです。わたしたちは最初、所長さんの匂いに身が縮みあがるほどの恐怖を覚えましたが、山中では彼に優しく導いていただいたのです』

 両手で顔を覆い悶絶する三佳が半信半疑で尋ねると、コロはそう言い、三佳の足に体をこすりつけた。マルとチビも甘えるように体をすりつけ、三佳はジーンズ越しでも伝わってくる、ふさふさの毛のくすぐったさに、自然と笑みがこぼれていった。

「あのオオカミ、いつも二言目には〝オオカミはひとりを愛する生き物なんです〟とか言って格好つけてますけど、本当は、私たち人間やコロさんたちみたいな動物と触れ合ったり、そばにいることを、まんざらでもないって思ってるんですよねぇ……」

 昼間から酒盛りをはじめた声に目を細めながら、三佳はしみじみ言う。

「結局、今回も、なんだかんだで助けてもらっちゃいましたし、そういう面倒くさいところも含めて、なんだか憎めなくて、どこか放っておけない不思議な人です」

『ええ。三佳さんと所長さんは、とってもいいコンビだと思います』

 そう言ってつぶらな瞳で見上げるコロに、三佳もふっと笑った。

 本当にそうなれたらいいなと思う。三佳はまだまだ新米で、経験値も浅い。早坂に助けてもらって、どうにかこうにか仕事ができている状態だ。でもゆくゆくは、助けてもらうばかりでなく早坂の力になれるくらい成長したいと、心からそう思う。

 生身の人間とあやかしとでは、生きる時間も、そもそもの次元も違うのは百も承知である。それでも三佳は、面倒くさい早坂のことをなぜか放ってはおけないのだ。

「ところで、コロさんたちも、どうして山から出られたんです? 確かトラックのタイヤ跡が途切れるところに境界があったと思うんですけど……」

 さっきから常々気になっていたのだ。早坂の透視疑惑が浮上したせいで先延ばしにせざるを得ず、今になってしまったが、なぜここにいるのかという謎も解決しなければ、奥歯にものが挟まったときのように、なんともすっきりしない。

 狐と狸の化かし合い、なんて言葉もあるくらいだから、この際、化けられるのは容認するとしても。ガラリと空気が変わるくらい強い境界の外へ出るとなると、それ相応の苦労があったのではないだろうか。再びこうして会えたのは嬉しいが、そのときにどこか怪我でもしていたら、憑かれやすいことだけが取り柄の三佳には、どうしようもない。

 コロたちの体に怪我がないか注意深く確かめていると、

『なんのことはありません。お前ら怖いから出ていけ、と追い出されたまでです』

 ケロリとした様子でコロが言った。

『オオカミの匂いは強力なんですね。みんな怖がってしまいまして、山に置いてもらえなくなったんです。ですので、三佳さん。出戻りみたいで恥ずかしいのですが、もうしばらく天井裏でお世話になってもよろしいでしょうか……? けっして家族の皆様の迷惑になるようなことは、いたしません。どうかよろしくお願いいたします』

「な、なんと……。オオカミって、めちゃくちゃ強いですね……」

 だそうで。

「いいですよ。好きなだけいてください。あ、そうだ。もしよかったら、私と一緒に東京に来ませんか? チビちゃんたちもまだまだヤンチャ盛りでしょうし、気兼ねなく自由に動き回れる環境にいたほうが、成仏も早いかもしれませんよ?」

 どうせ事務所は自分と早坂だけだし、ハウスクリーニングの依頼に来る人には見えないし。と思い至った三佳は、思いきって母子の引っ越しを提案してみることにした。

 もちろん、野々原家の天井裏がしっくりくると言うなら、無理強いはしない。そういえばまだ瑞恵に聞いていなかったが、コロたちの骨も野々原家のどこかに埋まっているはずだ。その骨からあんまり離れすぎるのも、成仏の観点から言ってどうなんだろうか。

「あ、いや、コロさんたちさえよければの話ですので……」

 良かれと思って誘ってはみたものの、なんだか見切り発車で申し訳ない。

『お母ちゃん、ぼく、トーキョーに行ってみたい!』

『ぼくも、ぼくも!』

『そうねぇ、東京にもわたしたちの仲間がいるかもしれないしね。行ってみましょうか』

『やったぁ!!』

 ところが、母子の反応は、すこぶる良かった。

 どうやら骨との距離はあまり関係ないらしく、三佳はほっと息をつくと、

「じゃあ、みんなでお引越ししましょう」

 ありがとうございます、と頭を下げるコロの周りを無邪気にピョンピョン跳ね回る子ダヌキたちに可愛いなぁと破顔しながら、ウキウキした足取りで「所長!」と早坂に了解を得に家族が待つ居間へようやく足を向かわせたのだった。


 ひょんな巡り合わせから、タヌキの母子を引き取ることになったが、山中での神隠しも含めて、これも何かの縁ということなのだろう。自分の勝手で母子を生まれ育った宮城の地から引き離すことに罪悪感を覚えつつも、三佳の胸は、もうしばらくは優しく勇敢で、とっても可愛らしい彼らとともに過ごせる日々に否応なしに弾む。

 父のとびっきりの日本酒を早坂に注ぎながらふと窓の外を見ると、三匹が元気に庭先を駆け回っている姿が目に映った。その姿はもちろん三佳と早坂にしか見えないが、隣で早坂もふっと笑った気配がしたので、三佳もつられて口元に笑みが広がっていく。

 先ほど早坂の耳元で例の話をした際は、露骨に嫌そうな顔をされたけれど。でもきっと事務所に仲間が増えることをまんざらでもなく思っているのだ。

 ほんと、面倒くさい人――いや、オオカミなんだから。

 庭のヒマワリが大輪の花を咲かせる先には、どこまでも青い夏空が広がっていた。

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