第8話

「ナギちゃんの裏切り者! 嘘つき!」

「あんた! ナギちゃんにこんなにお世話になっておいて、何てこと言うのっ!」


 目の前に置いてある和菓子には目もくれず、二人はそれぞれ違う者に対して怒っている。


「私はルミカを裏切ってなんかいないよ。嘘もついていない」


 私は冷静な態度で言った。裏切り者にも嘘つきにもなっていないのは、本当のことだ。


「だって私、ママ来るなんて知らなかったもん」

「嘘はついていない。黙っていただけ」


 我ながら、なかなかの屁理屈だと思う。


「ルミカ、私はルミカのために何かをしたい」

「うん……」

「だけどね、私だとできる行動が限られる。未熟だし、ルミカのことは好きだけど、家族じゃないから難しい問題が尽きない。やっぱり、こういうのは家族で、じゃないと大変だよ」

「でも……どうせ私の家族はみんな、私の気持ちなんて」

「聞いていない」


 私たちの会話に、ママさんが入ってきた。


「ママ、ルミカの気持ち、まだ聞いていないわよ」


 ママさんは、真っ直ぐにルミカを見つめている。


「ルミカ、聞かせて……」


 俯いているルミカ。彼女の両膝は、もう濡れていた。


「産みたいよ……」


 産みたい。

 私がその言葉をルミカから聞いたのは、これで二回目だった。


「ルミカ……」


 ママさんの目から、きれいな雫が滴った。

 そんな親子二人を、私はただただ見ているだけだった。




 夕方、ルミカのママさんは近くの親戚の家に一泊するというので、去って行った。明日、ルミカを迎えに来ると言った。

 そしてママさんは去り際に、ルミカにこう言っていた。


「明日は心配させた罰として、ママの買い物と観光に付き合いなさい! そしたら、今回のことは許してあげるわ。ただし、無理しない程度にね。パパも会いたがっていたから、帰ったらすぐに謝ること。じゃあ、また明日。これ以上ナギちゃんに迷惑かけないようにね」


 思い出すと、つい笑ってしまう。母親というものは、何だかんだ言って自分の子どものことが大切で、大好きなのだ。


「ナギちゃん」


 私が後始末を終えると、ルミカが呼んできた。


「何?」

「こっち来て。話そう」


 私たちはテーブルに向かい、それぞれの席に着いた。




「あのね、」


 切り出したのは、ルミカの方だ。


「私、ママが来たときはナギちゃんに怒っていたけど、もう怒っていないよ」

「うん」


 私は心の底から「良かった」と思った。


「というか、ありがとう」

「え、何で?」

「ナギちゃんが背中を押してくれなかったら私、ずっとママとパパに会えずにいただろうし、赤ちゃんを産む気もなくなってしまっていたと思う。しっかりと自分のことを考えていなかったかもしれない。だから、ありがとう!」

「……私はただ、ルミカにこれからは幸せになってもらいたいと思っただけだよ」


 ルミカがあんなにも苦しい思いや悲しい経験をしていたなんて、正直思ってもいなかった。ルミカの過去の話を聞いたとき、何で私は彼女に寄り添ってあげなかったのか、彼女をもっと知ろうとしなかったのか、心の底から後悔した。

 だから私は思ったのだ。これからは大切な友人を、私は友人として、しっかり支えていこう、と。


「でもナギちゃん、すごいよね」

「何が?」

「だって何年も電話していないのに、私の自宅の電話番号、未だに覚えているんだもん! すごいよ!」


 私たちは、笑い合った。




「じゃあ、また連絡するね」

「うん。私も時間見つけて、遊びに行くよ」

「待ってる」

「ありがとう」


 ルミカがママさんと帰るときが来た。


「ナギちゃん、本当にお世話になりました」

「いいえ、久々に会えて、私も楽しかったです」

「こんな娘だけど……ずっと仲良くしてあげてね」

「喜んで」


 ママさんは、ルミカと同じくらい晴れやかな笑顔だ。

 別れのあいさつが済み、私たちは外へ出た。


「ナギちゃんありがとう! またね!」

「ルミカ元気でね! 赤ちゃん生まれたら、見に行くから!」


 会釈するママさんの横で、ルミカは空いている右手をブンブン振っていた。私も右手をブンブン振っていた。

 ルミカと過ごした数日間、短かったけれど充実していた。




 ルミカが家からいなくなり、だいぶ淋しくなった。そして、また散らかっていくこの家の未来を想像して、私は一つため息を吐いた。


「……履歴書、買いに行こう」


 使い切ってしまった履歴書のことを思い出した。みんな、頑張っている。私も頑張って進まなくては。「就活が終活に……」なんて言っていられない。

 おっと、その前に……。

 私は携帯電話を取り出した。


「もしもし、お母さん?」

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