一年生交流会編

夜明けも待たずに走り出せ

十一番:交流

 スメラギ・真琴まことはアミティエ学園の中庭で、電子学生証で配布されたお知らせメールの内容に目を輝かせる。初めての学園生活は困難ばかりだが、今回こそはと願っている。

 十三日から十七日までの中間試験を終えたアミティエ学園の五月。土日の休日を経た二十日。少し強くなってきた陽射しすらも問題ならないほどの胸の高まり。

 五月十日の委員会の顔合わせで気まずいことになったことを必死に忘れようとしつつ、真琴は横にいるはずのアイゼン・遮音しゃおんに喜びを伝えようとした。


「あ、遮音殿なら保健委員会の呼び出しくらって移動中でござる!」

「そっかぁ……」


 いつの間にか当たり前のように地面へと片膝ついて見上げてくるランバ・覗見うかがみに対して気の抜けた返事をする真琴。GW以降、覗見は宣言通り真琴をあるじとして慕っていた。

 前のように壁布で姿を隠すことはしなくなったが、気付けば傍にいる。学生寮の風呂場で水中から現れた時は思わず頭を叩き落としてしまった。積極的に忘れたいことである。

 今は昼休み。学生達が購買や食堂、好きな食事形態を選びながら友達と談笑するはずの時間。しかし真琴は一か月以上この問題に頭を悩ませている。


 育ての親、叔父であるが父親とも認識しているスメラギ・源藏げんぞうから命を賭けるに値する友情を見つけてこいと言われ、予想以上の難航に真琴は梅干しの種を齧ったような顔になる。

 遮音は自身も友情がわからないと言うので仲の良い知り合い、覗見は勝手に上司と部下の関係にされ、同じクラスのハセガワ・広谷ひろややフジ・裕也ゆうやは一悶着あったので膠着状態。

 殴りあった仲であるマナベ・実流みのると育む友情よりも敵対心が強く、先輩である二年のヤガン・古寺こでらとキヌガサ・颯天はやては序列を重んじる真琴としては友達など気安い関係は難しい。


「去り際に、脳筋の紫音と同じ委員会になって哀れな、と言っていたのをさり気なく伝えておくでござる」

「うう……遮音の双子のお兄さんだから仲良くなりたいんだけどなぁ……」


 項垂れて落ち込む真琴は仕方なく五月十日の出来事を思い出す。それは初めての委員会、風紀委員会所属になった者達の集まり。

 真琴は目立つ銀髪であり後ろ髪の毛先が青く染められたアイゼン・紫音しおんを見かけて喜んだ。その喜びのまま声をかけたが、勢いよく睨まれた。

 あまりに強い目力に真琴は手を上げた体勢のまま続きの言葉を出すことができなかった。その後の委員会説明の間も殺気に似た威圧を向けられ、萎縮し続けていた。


「僕……嫌われるようなことしたっけ?」

「主な原因は実流殿でござるが、副要因として認識されたようでござるな。なんだかんだ言って仲の良い御兄弟でござる!」

「そうなんだよね。それにしても僕のいないところでそんなことを……後で躾し直すか」


 自然に会話に紛れ込んできたリー・茨木いばらきに真琴と覗見は驚く。深い紅の目と深緑の髪、そしてつい最近のテストで学年一位という成績を勝ち取った人物でもある。

 学園長の甥らしいことが判明した後も、彼に関しての伝説は留まることを知らない。一年から一人しか選ばれない、年によって補欠ということもある、生徒会の会計職に選ばれた逸材だ。

 約三年ぶりのことらしく、本来ならば恨み妬みも買いそうな位置なのだが、茨木は持って生まれたカリスマ性及び整った顔立ちや友好的な性格であらゆる状況を受け流している。


 見た覚えのある紅い目を注視する真琴の目も赤い。赤は煌家に繋がる高貴な色。そのためアミティエ学園の制服であるブレザーも赤い。

 真琴はあまり自分の目の色を気にしたことないのだが、茨木の目を見ていると惹き込まれそうな魅力があると思わず見入ってしまう。

 そして何故か茨木は真琴に友好的であり、よく話しかけてくるのだ。真琴としては不思議なのだが、茨木は従妹に接するように気さくな様子で笑う。


「そういえば覗見くんは何処の委員会になったんだい?主である真琴くんと同じ風紀かな?」

「拙者は図書委員会でござる!電子書籍リクエストで今回こそ念願の絶版扱いである元祖ときキスの小説を入荷!」

「よーし、それじゃあ六月の予算会議に向けて図書委員会の費用を減らす方向でいこうか。理由は委員による私的な購入、と」

「嵌められたぁあああああ!!殺生でござる!無体でござる!だったら拙者は広報委員会に会計の茨木殿は……ああ!欠点がない!?」


 賑やかな様子を羨ましそうに見ながら、真琴は電子学生証に届いたメールを見て微笑む。病院生活をしている少女、ヤガン・小毬こまりとの電子文通。

 ささやかな日常についてお互い連絡し合い、簡単な感想を返す。病院では限られた時間で電子機器を扱うしかないので、やりとりはゆったりしたものである。

 それでも真琴は充足した気持ちになる。これが癒しなのか、と心が温かくなる半面、やはり友情とはなにか違う気がすると小首をかしげるのであった。


「こう見えて欠点の一つや二つはあるよ。虫とか怖いな。足の多い生き物が背筋を這ったらと思うとなんかね」

「それは弱点でござる!そして虫は貴重な生き物枠であるため、美化委員会の管轄でござる……そういえば広谷殿が美化委員会所属でござったな、主殿」

「え?あ、うん!裕也は用具委員で、広谷は美化委員だったみたい。あ、そういえば……美化の副委員長と委員長、綺麗な人だったね」

「主殿、ここ男子校。全部男。騙されてはならぬ」


 遠目で見た美麗な先輩の姿を思い浮かべた真琴に対し、覗見は冷静な声で告げる。アミティエ学園は鬼を倒す者を育成する学校、鬼は女性を好むため討伐鬼隊の多くは男である。

 鬼の発生原理には多くの謎がある。しかし保護区と呼ばれるドームで囲まれた街ならば、鬼の脅威は日常まで届かない。それも討伐鬼隊が尽力している証でもある。

 真琴は空を見上げる。わずかに見える半球の形した透明な結界。鬼への対策を世に知らしめた煌家の傑作の一つでありながら、普及率は高い。


「生徒会の面々も顔面偏差値高すぎて、拙者としては現生徒会長の好みではないかと憶測している最中でござる」

「……いや、あの生徒会長のストライクゾーンの判定と範囲がおかしいのは認めるけどね。一応身内になっちゃったし、フォローしとくね。生徒会は実力重視だよ」

「茨木殿も甘いでござるな!広報委員会委員長の手にかかればどんな虚言妄想すらも瞬間的に信じるに値する情報になるでござるよ!」

「あの人はそういう能力保有プレートだからね。で、真琴くん。もしも紫音で困ったことがあるなら僕に相談していいよ。少しは力になれると思うからね」


 話を横で聞き続けた真琴に対し、茨木は女性ならば見惚れそうな笑みを向けてくる。真琴は少しだけ判断が遅れ、困ったように考え始める。

 優しくされるのは嬉しいことである。しかし茨木の言葉には素直に従い辛い雰囲気がある。担任であるシラス・矢吹やぶきの言葉を思い出し、真琴は返事する。


「ありがとう。でも大丈夫。自分で解決するよ。きっと……人と付き合うってそういうことなんだと思う」


 高等部編入から約一ヶ月。その間ずっと真琴は同年代の少年達に囲まれ、初めてぶち当たる壁に悩まされ続けた。特に人間関係という難題に。

 誰かに相談して解決するほど簡単ではなく、だからといって一人で乗り越えられるほど優しい物でもない。誰かの手を借りながら、自分の力で挑むしかない。

 本心をぶつけるために殴り合ったことも一回ではない。その度に怪我しては痛い目にもあっているが、真琴は無駄ではないと思っている。


「そう。じゃあ僕は見守るとしよう。紫音はああ見えて面倒見がいいからね、迷惑の一つくらいかけても大丈夫だから」

「茨木は紫音と仲がいいんだね。昔からの友達……も、もしかして親友!?」


 真琴の脳内では友情を掴むには友達という段階があり、その上にはさらにマブダチや親友及び心の友といった格付けがされている。

 親友とはその中でも最上の位置にある関係であり、一種の憧れを抱き始めていた。しかし茨木は聞き慣れない言葉に困ったように眉を八の字にする。


「……いや、僕と紫音はそういうのじゃないかな。えーと……隷属関係とは言えないし……ある意味、真琴くんと覗見くんの関係だよ」


 言葉の中盤は小声で聞き取れなかったが、最後に聞こえた言葉に真琴は不思議な気持ちになる。仲が良さそうなのに、友達ではない。

 やはり友情は難しいと真琴がさらに思考の迷路を勝手に複雑化する中、暖かい風が頬を撫でる。春から夏に移り変わっていく時期特有の湿っぽさ。

 長袖だと背中に汗が滲み始める日々。暑がりの生徒は早く夏にならないかと赤いブレザーの袖を捲くっている者もいるくらいだ。


「つまり拙者と主殿のライバルみたいなものでござるな!負けてられませぬ!これは学年別交流会で仲を深めるしかないでござる!」

「そうだ!ずっとその話題を出したかったんだ!楽しみだよね、どんな内容なんだろう?」


 電子学生証をブレザーのポケットにしまい、膝に置いていた焼きそばパンを再度手にした真琴は遊園地を目の前にした子供のようにはしゃぐ。

 その声が聞こえたらしく、中庭に通じる空き教室にいた古寺と颯天が窓から顔を覗かせてくる。もう昼ご飯を食べ終わっていたらしく、トランプのカードを手にしている。


「おー、まこ坊。なんやねん、茨木の坊ちゃんと覗見も一緒かいな。遮音はどないしたん?」

「古寺先輩!遮音は保健委員会に呼び出されてるらしくて……あれ?慎也先輩と……」


 白い横長の机と椅子。講義を受ける際に使う多人数収容目的の教室だが、使用率は高くない。そのため休み時間は生徒の集まり場となっている。

 しかし密閉性が高いため五月の中盤では少し熱気がこもりやすい。古寺はトランプ数枚を扇子のように広げて顔に冷気を送ろうと煽いでいる。

 古寺に近寄って空き教室を覗き込んだ真琴は疑問を浮かべた。てっきり古寺と颯天の二人だけだと思ったら、知らない先輩も含めて五人がいた。


 一人は美麗な日本男児というか、若侍の雰囲気だ。黒く長い髪をひとまとめに結い上げ、凛々しい黒目がプラスチック製トランプのカードに書かれた絵札を睨んでいる。

 もう一人はブレザーだけでなくシャツの胸元も開けて腹筋と胸筋が逞しい、豪快そうな青年だ。サングラスのせいで目の色は判別できず、荒れた金髪を手で掻いている。

 残った一人は真琴と同じ風紀委員会所属のコゲツ・慎也しんやである。首元にかかる黒髪が暑かったらしく、手で煽いでいる。


「今な、集まった二年でお菓子賭けてるんや。勝者が総取り一本勝負、大富豪!!慎也と、あっちの黒髪で堅苦しいのがB組のカジキ・佑助ゆうすけ。体育員会副委員長な」

「あっちのおっさん臭いのがA組のトウゴウ・武蔵むさし。おい、後輩の前だぞ。少しはそのむっさい筋肉をしまえ。見ている方が暑いんだよ、副生徒会長」

「うぃー……暑いんだから大目に見ろよぉ……あー、勝ったら杏ちゃんの好きな食べ物教えてくれんだろぉ、古寺ぁ!」

「事務員とはいえ年上の女性に対してその敬称は好ましくない、訂正を要求する。そして筋肉しまえ」


 トランプの絵札を睨み続けながらもカジキ・佑助と呼ばれた青年はトウゴウ・武蔵に注意する。集中しているのか、真琴には気付いてない。

 慎也は少しだけ顔を上げて真琴の姿を認識したが、特に声をかけることもせずトランプに目線を戻す。負けず嫌いの性格らしく、どんな勝負も本気らしい。

 勾配のある机配置だが、全員気にせずに思うがままの体勢で、武蔵などは机の上に座りながら円陣を組んでいる状態だ。


「んだっよー!!もー!!皆して俺ちゃんの筋肉に嫉妬かぁ、この野郎!だったらマッスルポーズしてもっと見せつけてやる!うおらぁっ!!」

「やめぇ!胸糞悪いわ!!まこ坊、風紀委員会で有害指定してくれや!うわ、臭いが男、つーか漢臭おとこしゅう!えぐいえぐい!!」

「やかましいぞ、古寺。真剣勝負中に騒ぐとはいい度胸だ。この場で全員倒してやる故、かかってこい」

「風紀委員が校則無視すんな。というわけで、スメラギ。巻き込まれない内に昼飯食べ終えた方がいいぞ」


 颯天のさり気ない気遣いに頭を下げつつ、真琴は静かに空き教室から三歩離れた。様子を静観していた茨木と覗見は微妙な顔をしている。

 数十秒後、勝負がついたらしく盛大な叫び声と怒号と勝利した武蔵の歓喜の声が廊下まで響いたらしく、空き教室にハジマ・万桜まおが注意しに乗り込んできた。

 その場にいた二年全員が連携して窓から逃げ出し、万桜はその後を身軽な動きで追いかける。その背中を見送りつつ、真琴は何事も見なかったかのように話題を戻す。


「学年別交流会ってどんな感じだろうね」


 焼きそばパンを手にしたまま真琴は改めて地面に腰を下ろしつつ、爽やかな風と遥か遠方から聞こえる追走劇の音を軽やかに受け流す。


「僕が知っている限りでは、毎年生徒会の一人が一年の交流会を引率するよ。今年は副生徒会長の武蔵先輩。さっきの漢臭の人」

「あ、そっか。茨木は知り合いだったね……ん?なんか怒られてるけど、生徒会長の次に偉い人?」

「そうだよ。ラフだけど基本は良い人だよ。フェロモンがあるというか……ちょっと男らしすぎる人かな」


 男らしすぎると言われた武蔵の絶叫が遠くから響く。小柄な女性である万桜にあっさり捕まったらしい。次に流れるように佑助の声。

 誰かに言い訳しているらしい弁明の声だったが、虚しく却下されたのか喝を入れる野太い誰かの声と共に勢いよく謝罪しながら土下座している様子がわずかに見えた。

 よく見れば三年の姿があり、佑助が委員長と言っているので体育委員会委員長が捕獲に協力したようである。万桜は既に一番手強いと判断した慎也と接戦を繰り広げていた。


「ふっふっふ。灯台下暗しや。ちゅーわけで、学年別交流会楽しみなまこ坊に先輩としてアドバイス教えたるわ!」


 遠回りして戻ってきた古寺が少しだけ窓から顔を覗かせ、真琴に声をかけてくる。振り向いて見れば颯天も一緒らしく、フードを被った頭がわずかに見える。

 パルクールやフリーランと呼ばれるような体幹全てを使って建物を駆け上がる万桜と慎也の動きに他の生徒達が注目し始めていた。


「夜は寝たらアカンよ。あと……一年は天然温泉に入れるはずや!ムフフなお楽しみがそこにはあるで!」

「天然温泉?でもイケブクロシティには温泉ないですよね……まさか!」


 予想の答え合わせしたかった真琴の目の前で、頭を蹴られて窓から中庭に吹っ飛んでいく古寺の姿が。全てがスローモーションのように感じられた。

 慎也を追う際に隠れていた二人を見つけた万桜による追撃である。颯天もフードの頂点を小さな手に掴まれて身動きができない状態である。


「ジョー、中庭に一人!空き教室に一人だ!マッスルは慎也を捕まえたか!?」

「今鷹尾たかお先生と一緒に追いかけてますよ。というか本当にそのあだ名やめません?」

「やかましい!せっかくの昼休みにばか騒ぎしおって!テスト後だからといって浮かれ過ぎなのだ!採点終了直後に交流会の打ち合わせを行っていたというのに!」


 語気を荒立てる万桜の珍しい姿に真琴は目を丸くしつつ、地面の上に倒れたまま動かない古寺の様子を気にする。

 やる気のない足取りでいつもの白衣を着た矢吹が古寺の首元を掴んで軽く持ち上げ、そのまま引きずっていく。慣れた手つきであるため日常茶飯事らしい。

 そのまま万桜と一緒に姿を消した矢吹達。真琴はとりあえず状況を共にした茨木と覗見に視線を向け、確認するように呟く。


「えっと、まさか……交流会は別保護区で行うのかな?」

「らしいよ。地下にある運搬ルートを利用した大型移動。特例中の特例だよ」


 茨木の言葉に驚く前になる予鈴。昼休みの終わりを告げる鐘に慌て、真琴は急いで焼きそばパンを口に放り込んだ。




 保護区間の移動は難しい。鬼は人間の気に反応する。保護区は結界で守られているが、外はその限りではない。

 人が多ければ多いほど発生する鬼の数は多くなる。保護区間の移動を担うのは討伐鬼隊だが、移動する人の数が多いほど守る側の数も求められる。

 大人数の移動は危険性を高めるため推奨されていない。物資の移動は地下にある結界チューブで守られた無人貨物用リニアモーターカーで行われている。


 学年別交流会。これは歴代の学園長、いわゆるリー家が所有する保護区へ移動し、三箇所で生徒達の交流を育むのが目的である。

 特徴的なのは交流会に使用する食材や道具と共に生徒も別保護区へ大量に輸送することである。毎年この件に関しては政府が問題視し、抗議文が送られている。

 もしも輸送中に生徒に気付いた鬼が輸送チューブの結界を破壊してしまえば、そこからイケブクロシティへの侵入を許してしまう。多くの人間が犠牲になる。


 しかしリー家はこの問題について結界の仕組みと鬼の判明している生態について詳細に記述した計画書を送ることにより黙殺している。

 結界と言っても、煌家が作ったのは大きく分けて二種類ある。一つは鬼の侵入を防ぐ概念的な結界。もう一つは決闘場でも使われている物理的な結界。

 概念的な結界は鬼だけを防ぐ。そのため例えば隕石が落ちても防げない。しかし物理的な結界は強度操作すれば隕石を防ぐことも机上の理論では可能である。


 ただし物理的な結界には欠点がある。これは鬼を防げない。そして概念的な結界と併用することができないため、両方の機能を組み込んでいても片方しか作動できない。

 リー家の考案した大量輸送は物理的な結界のみを活用した方法である。この物理的な結界は一時的に地上のあらゆる鉱物よりも固い強度に変えることができる。

 地中でマッハ移動。その衝撃に耐えるほどの強度。鬼がいくら強力な存在とはいえ、マッハで動く存在は確認されていない。さらにリー家は学園長だけに渡される特別な能力保有プレートを利用する。


 物理的な結界による高速移動に、能力保有プレートを併用した──輸送実験。学年別交流会は一種の実験結果を統計するための行事でもあった。


 アミティエ学園はあらゆる結果を討伐鬼隊及び政府に渡す。だからこそ抗議文は形式だけとなり、意味を失くしていく。

 ただしこれだけの強硬策に出られる背景にはリー家を管轄する女当主、リー・菫による徹底的な根回しの賜物でもあり、学園長であるリー・梁の実績とはならない。


 しかし生徒達にとって別の保護区で好き放題できる絶好の機会であり、大人の利権や事情は関係ないのである。一年生の間はそうであった。


 職員室では毎年の問題である学年別交流会について念密な打ち合わせが行われて続けている。特に苦い顔になっているのが万桜だ。

 毎年一年生の交流会には女性教員及び事務員が付き添うことになっている。お茶の準備をしているノザカ・杏里あんりは去年事務員になったばかりで、二度目である。

 桜色の目を度が強い厚めのメガネレンズで隠しているが、黒髪のおかっぱ頭や痩せとぽっちゃりの中間である柔らかい体を大人しい服装で誤魔化している。


「むぅ。毎年のことながら……この夜行事に変更はないのか?吾輩は一応二年の担任なのだぞ?」

「去年も酷かったけど、今年は奴らも小賢しくパワーアップしてますからね。全く、どこかの卒業生を思い出しますな」


 交流会の打ち合わせに対して愚痴る万桜に返事をしたのは教頭のフタミ・鷹尾である。眩しい禿げ頭は毎日手入れしている証である。

 禿げていても優美な英国紳士風ハゲ。そう生徒達に例えられる彼は紅茶を飲みながら昔を思い出しつつ、その昔に該当する矢吹の顔を横目で見る。

 曖昧な笑みを浮かべた矢吹は、助け舟を求めるように隣に座っている二年C組担任教師のヒトシズク・仁王におうに視線を向ける。


 仁王の傷だらけの顔は威圧に満ち溢れているが、これは毎朝髭剃りに失敗している痕である。しかしスキンヘッドとサングラスの組み合わせにスーツを着ているせいで誤解を受けやすい。

 今も顎を撫でているのは今朝失敗した髭剃りの痕が治癒して痒くなってきたためである。太い指で撫でる様は確かな風格を錯覚させるほどだ。


「矢吹先輩の学年はあれでしたからね。最悪な災厄の年。なにをしなくてもトラブル続き。後輩としては苦い顔をするしかありません」

「えー?俺は普通だったんだけどなぁ……ただ御門みかど斐文ひふみが物好きなことに厄介を引き連れてくるだけで」


 まさかの後輩からの不意打ちに矢吹は軽薄な笑みを浮かべるが、内心は汗をかかないように冷静になろうと慌てている。

 生徒達から見れば仁王の方が身長や体格からして四十台に見えるのだが、実は二十八歳の矢吹より二つ年下の二十六歳である。


「矢吹くんの年は面白かったよねぇ。僕は新任だったけど、毎日楽しかったよ」


 追い打ちにも感じられる台詞だが、一年B組担任であるハナミチ・桐生きりゅうが言えば無邪気な天使の歌声である。柔らかい微笑みに誰もが見惚れるほどだ。

 愛らしい薄桃の目に柔らかいパーマがかかった白の髪。絵画に描かれた幼い天使と見紛うほど小さな体。服のサイズも子供用で補えるほどである。

 シャツとベストにスラックス、それだけなのに可愛いと感じられる容姿。ただし中身は万桜と同い年の三十九歳独身男性である。


「生徒だった彼と今は同じ学年の教師同士。時間の流れを感じるよー、いいねぇ、確かあの年から……」

「桐生先生。計算を始めないでください。数字大好きなのはわかりますが、今はそれどころでは……」


 一年C組担任であるマツ・夕鶴ゆうづるが電卓器とそろばんと定規に分度器まで取り出し始めた桐生に小声で注意する。

 その間も杏里は手に持ったお盆から急須を落とさないように抜き足差し足忍び足で職員室を亀の如く歩いている。もちろん茶は冷め始めている。

 二年A組担任であるノブシ・和彦かずひこはそんな杏里を呼び、冷めた茶を湯呑に注いでもらいながら懐に入れていた飴を渡す。


「しかし今年は二年より一年の方が気配的に嫌な匂いがする。源内先生は……」

「この源内、エレキテルと爆発と芸術と発明とそれやあれやこれに関係しない物には一切興味がない!」

「清々しい返事ありがとうございやす。結婚式でエレキテル放出によるブレーカー爆発事件について今度の飲み会でゆっくり話をしますか?」

「あれは一発芸!まさに刹那の如き鮮やかな瞬間芸!この源内、一切悔いはございませぬ!」


 全く反省してない上に開き直っているキソ・源内げんない。これが三年A組の担任かと数人は頭抱えるが悪人ではないのがさらに厄介である。

 和服を着ており、整えられた黒髪黒目が醤油顔によく似合っていた。ただしエレキテルという単語だけで鼻血が出せる特技で女性が逃げる人物でもある。

 新婚である和彦は教師陣による一発芸大会を忘れたいのに忘れられない強烈な印象として残っており、酒の席では度々話題にしていたが、誰も反省してくれない。


「矢吹先輩の年と今年の一年はなんだか似てますね。三年の学園生活最後としていい刺激になると良いですけど」


 痛んだ白髪を指先でいじりながら赤灰の目を困ったように細めるのは三年C組担任のサザヤ・竹藪たけやぶである。

 仁王と同じ年なのだが、彼とは別の意味で四十代に見える。細い体は病人のようで、頬もこけている。全ては気苦労と苦労による疲労の表れ。

 苦労性を突き詰めた人物として生徒に慕われているが、そのせいで苦労も絶えない。それに比べれば労働など楽だと、労尽くしである。


「馬鹿だなー、竹藪先生は!男から男の刺激なんて暑苦しいだけだよ?やっぱりさ、共学での女性から与えられる刺激を考えれば」

「樟蔭先生、黙ってください。大体俺は前から広報委員会で貴方の記事が委員長が会心の出来と持ってくる度に髪の毛が抜けるんです」

「雑!?私の対応雑過ぎない!?裸婦像は芸術だよ、アートだよ!美術なんだよ!」


 容赦のない竹藪の言葉に盛大に抗議する三年B組担任のマツダ・樟蔭だが、鷹尾の咳払いにより一瞬で口を閉じる。

 イタリアの伊達男を再現したような姿の樟蔭だが、教師としては合格点であり、人格者としては及第点であるため問題をよく起こす。

 その度に教頭である鷹尾が注意喚起や説教するため頭が上がらないのである。自業自得の一言で終わる生活態度だ。


「んー、でぇ、今年も一年はB4保護区のオニオシでいいのよねぇ?あそこの温泉って美肌期待値高くていいわよねぇ」

「や、やっぱり温泉はいるんですよね?うう……今年も武蔵くんいるのは謀略の気配が」


 養護教諭であるマチ・未森が自分の肌を撫でながら呟く横で、肩を落とすのは杏里だ。耳まで真っ赤にしている姿は初々しい。


「美肌と引き換えとか気楽に考えればいいじゃない!大丈夫よ、毎年どうせなんやかんやの水の泡みたいな結果になるんだし!」

「吾輩は気が進まぬ。褒美とはもう少し目に見える形の方がいいのではと思う。そうだろう、桐生」

「いやー、僕が数字にエロティックを覚えるように、男のロマンっていうのは単純で奥深いからねぇ。ま、僕は万桜先生の肌より数字の八の方が興味あるけど」

「教師として最低だ。そして男としても最低だ。ちっ、これならばまだ猿の方がいい」


 愛らしい天使の笑みでさらりと酷いことを言う桐生だが、いつものことなので万桜も改めて事を荒立てようとは思わない。ただし握った拳は迷った挙句テーブルに置いてあった仁王お手製の編みぐるみを潰した。

 仁王はばれないようにサングラスの下でそっと涙を流しながら編みぐるみに手を合わせる。大好きな人へのプレゼント、少しでも有効活用されているならばと、自分で自分を慰める。

 個性が強すぎる職員室でまとまる意見などなく、結局は例年通りということで職員会議はお開きになる。矢吹は凝った肩をほぐしながら、先程出た話題を思い出す。


「……懐かしい名前が出てきたもんだ」


 学生時代。矢吹は二人の友人にいつも振り回されながらも付き合っていた。一人は今も付き合いがある。

 電子職員証の写真アプリを開き、若い頃に撮った三人の写真を画面に映し出す。最初で最後の、三人だけの姿が映った写真。

 十秒ほど見てからアプリを閉じてポケットに電子職員証をしまう。十年前の写真より、今は週末に行われる学年別交流会に頭を悩ませる。


「あー……例年通り、大変なイベントだよ。俺達も、生徒達も」


 浮かれる一年生の顔、特に友情を求めて奔走している真琴の顔を思い浮かべ、矢吹は深い溜息をつく。

 彼は知っている。一筋縄では終わらない。それを十年以上前に体験しているからこそ、心の底から同情する。

 この行事は生徒達に与えられる試練であると。テストなど問題にならない、勝手に命を天秤に乗せられる賭け事に似ていることだと。

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