誠の友情は真実の愛より難しい

文丸くじら

入学前後編

友情を探して途方に暮れる

零番:入学前

「命をけるにあたいする友情を見つけてこい」


 西せいれき2222年。冬が最後のごりと言わんばかりに雪を降らし、和風家屋の庭を白でくそうとする日。

 スメラギ・ことたたみの上で正座した父親代わりの男にそう告げられた。

 厳格なかれの目は深い赤で、ことあざやかな赤い目をとらえている。

 和服のすそから出てきたのはアミティエ学園高等部への編入届。

 学校に通ったことがなかったことほおゆるませ、として育て親の提案を受け入れた。




 春が近づいた朝。赤いブレザーを身にまとい、ぐせが付いたくろかみを整える。

 和服しか着たことがなかったことにとって制服は初めてのものだった。

 その立ち姿を見た父親はかんがいぶかうなずき、


「出立の時間だ。時には便りを出せ。達者でな」

 

 特別警護車両の発車時間がせまっているのを伝える。

 真ことあわてて慣れていないローファーをき、


「いってきます」

 

 がおあいさつを済ませて家の門を出ていく。

 両開きの門をくぐけた先には青い空がわたせた。とうめいな結界がドーム状を形成し、街を守っている。かべの外はこうはいした土地が広がっており、時折黒いかげうごめいていた。


 アミティエ学園は別の保護区に存在しており、ことは人生で初めて生まれ育ったA4保護区から出ていくことになる。

 保護区間を移動する場合、特別警護車両が手配される。

 旧時代のワゴンバスに似ているが、使われている素材や設計は護送車である。

 がんじょうしんにゅうを防ぐ厳重な造りの車が保護区ゆいいつの入場門の前に停車しており、その周囲を警護するとうばつ隊員がにらむように待っていた。


「失礼ですが、証書を」

「はい。こちらです」


 ちゃぱつを短くんだ若い隊員がことに声をかける。言われた通りに父親からわたされた身分証明書と移動許可証を差し出す。

 隊員はことみょうを見て赤桜色の目を細めた。しかしついきゅうせず、軽い注意こうをわかりやすく伝えてくる。


「現時点において五行鬼ごぎょうき以上のおには発見されておりません。しかし、びょうが発生しないとも限りません。目的地にとうちゃくだい、健康しんだんを受けてください」


 事務的な話し方であり、慣れたように言葉を続けていく。

 

「もしもおにおそってきてもとうばつたいの隊員が応戦します。命を賭けてお守りしますが、決して外に出てげないでください」


 鬼。その単語を出すだけで隊員の目は厳しくなった。

 それこそせまるという表現がさわしく、ことは少しだけけいかいする。

 

きんきゅう時には最も近い保護区にてっ退たいするため、指示に従ってください。その際に保護区のランクに対する文句は受け付けません。以上となります――それではこちらへ」


 そう言って若い隊員はあかりが一つしかない特別警護車両にことを乗せる。向かい合うような座席に、小さな窓が両側に一つずつ。もちろんぼうだんガラスの窓である。

 右側の座席にぎょうよくすわったことは入学祝いとしてもらった四角いスクールバックからアミティエ学園のパンフレットを取り出す。何度も読んだせいでよれているが、気にとどめることはない。


「鬼、かぁ……」 


 ことはこっそりと窓がらから様子をうかがう。

 車両窓の外側では討伐鬼隊が綿密な打ち合わせを行っていた。一ぴきで軍人五人分の力を持つ鬼を討伐する者達。

 その多くがあかを帯びた目をしていた。




 2030年。世界で大きな戦争があり、世界大戦と名付けられた。今でも明確な理由はわかっていないが、経済や宗教もしくは人間の心が原因だったと言われている。

 世界大戦は五年ほど続き、各国がへいして戦力が大きくがれた時、不可解な存在が戦場に現れた。それが現在では鬼と呼ばれるかいぶつの話である。

 鬼はじゅうだんで殺すこともできたが、その強さと数はあっとうてきであり、人々は戦場となってれた土地を捨てて、まどうしか道はなかった。


 しかしおうという赤い目の一族が、鬼を退治する方法と身を守る術を世界中に知らせ回った。人々はわらすがる思いで彼らの教えに従った。

 煌家ははるか昔から鬼について研究する者達であり、しかるべき時に備えて準備をしていたという。討伐鬼隊という組織を創設し、きょだいドームの作り方をしょうで提供した。

 その功績から各国で王位などの地位をさずける動きがあったが、彼らはきょした。そこで有力者達とこんいんを結び、救世の証である赤い目を残すことになった。


 おかげで現在では人口の大半が赤味を帯びた目をしており、赤の色が強いほど煌家の血をいでいると重宝された。ゆえに赤はあらゆる面で多用されるえんのいい色とあがめられている。


「学校なら、ぼくと同じくらい赤い目の人もいるのかな? なんかピンとこないかも」

 

 鏡はなかったが、窓硝子にわずかながら映る容姿をながめる。育て親すらかんたんした赤い目がひときわ目立つ。それは現在着ている制服の色とこくしていた。

 ブレザーの色が赤いのは、煌家のぎょうに敬意を示しているためだ。そしてアミティエ学園こそ、討伐鬼隊を目指す者があこがれる育成学校である。

 中等部と高等部が存在し、卒業後の就職先は討伐鬼隊のせんとういんのみ。進学先も討伐鬼隊に関わる大学を用意しており、そういう意味でもゆうしゅうな学校だ。


 しかし鬼はいんの気を好む。人間の性別上、女性には陰の気、男性はようの気が多い。陰にかれる鬼は好んで女性を先に襲う。

 従って討伐鬼隊の戦闘員の多くは男性であり、アミティエ学園も必然と男子校となった。女性を一か所に多く集めると、鬼にとって格好の対象だからである。

 ぜんりょうせいなのも保護区間の移動には厳重な警護と身分証が必要なため、学園を保有する保護区は全て学生専用の街として開発されている。


 保護区にはAからDのランクが付けられており、数字は重要度の高さを示す。A1保護区が政治などの主要機関がそろっており、D5がひんこん街という区別がなされている。

 しかしドームの機能は全て統一されており、討伐鬼隊の隊員数や大型武器のちくで格付けされている。アミティエ学園はB1保護区である。

 かつて東京都があった場所に作られているが、保護区としての機能や働きから重要度はそこそこの物であり、住んでいる者も学園関係者のみだ。




「なんにせよ楽しみかも。同年代の子は近くにいなかったし」

 

 赤い目をかがやかせたことだったが、車が動き出した気配を感じてパンフレットをバックの中にしまう。今日区間移動するのは自分だけのようだと察し、窓から外を眺める。

 白い街並みのA4保護区が少しずつ遠ざかり、すなぼこりがたつを進んでいく。道として整えられていないため、かなり車内はれていた。思わず舌をみそうになったことは、初めて海を遠目でかくにんする。

 黒い水が白いあわ波と共に岸に迫ってははじける。かつては空のように青い海だったらしいが、今では黒海と呼ぶ機会が多い。


「海をえればあっそうくつ、だっけ」


 ことは独り言をつぶやく。移動とはひまで、自分自身で気をまぎらわすしかない。

 昔話のように聞かされた伝説を思い出すのさえ、暇つぶしの一つだ。


 海の向こう。南のとうにはあっせつおうと呼ばれる鬼の大将が城を構えているという。赤の湖と名付けられた場所では日々鬼が生まれていると。

 それを実証した者はいないが、確かめようとして死んだ者は多い。うわさでは悪鬼せつ王をたおせばこの世から鬼はしょうめつするとささやかれているが、本気で信じている者はかいだ。

 鬼の頂点に君臨する存在を頭にかべたことだが、


「ん? なんだろう……」


 窓の向こう側から視線を感じて背筋をふるわせた。敵意とじゃを混ぜ合わせたようなおぞましさ。


 荒れた土地、百メートル先の小さなれきの上に赤いほのおちんしていた。揺らめきによって色の強弱が顔となり、火で作り上げた手足が不気味に折れ曲がっている。

 さかさると言えばそう見える。そして額らしき場所から天にすが如くびるねじれた一本角。

 護送車両の運転席からアナウンスが流れる。


『五行鬼を確認! であるため、車内温度を下げる! しょうげきに備えて!!』


 春先だというのに真冬のように寒くなった車内で、ことはあんな遠いところにいる鬼が襲ってくるはずがないと高をくくっていた。

 今まで保護区で平和な時を過ごしていたため、鬼のおそろしさを知らなかった。もう一度鬼の姿を見てみようと窓に目を向けた。しかし鬼の姿は見えなかった。


「え?」

 

 正確には外の光景すら火と熱で埋まった。防弾ガラスをかす勢いで燃え盛る炎が護送車両に張り付き、不気味なみを浮かべた炎の鬼がごうおんに似た笑い声を上げながら窓をこわそうとしていた。


「ひっ、わ、あ、うわぁああああ!?」


 あまりの熱気にことは慌てて窓からはなれる。気持ち悪い暑さが車内空調を壊し、にぶい頭痛とを呼び起こす。これが一番弱い鬼なのかとことおどろくしかなかった。

 鬼にも種類がある。五行鬼が一番弱く、属性で分別可能である。次にやりやまいを起こす病鬼、じゅじゅつを使い人語会話を可能とした妖鬼ようきいっぱんてきだ。

 さらに上がひゃっこうという行軍を指揮できるおにしゃ、人間の女性が鬼にへんぼうすればしゃ、人間の男性が鬼にちればしゅとなる。


 おにしゃが出れば保護区はげんかい態勢となるほどきんぱくするが、めっに起きないちんだ。しゃしゅなど現れた日には大事件として、衛星通信で世界中に報道される。

 それらに比べれば五行鬼など雑魚ざこに等しく、討伐鬼隊に入ればいやでも戦う相手である。その鬼ですらことにとって初めて出会う未知のきょうであり、死を感じさせる化け物だ。


(こんなの……本当に倒せるの?)

 

 窓向こうで笑い続けていた火鬼が空を見上げたしゅんかん、白い影が横切って警護車両から火鬼をはなす。討伐鬼隊の隊服は基本が黒のがいとうだが、隊長格は白の外套だ。


「助け、てくれた? 隊長の……だれだろう?」


 ことは熱がこもっている窓硝子から外をのぞく。近寄るだけで熱いが、それよりもこうしんが勝った。

 一人の男が、火鬼と堂々とたいしている。


 きんぱつを適当に整え、くわ煙草たばこを揺らす白い外套の男。首からげた銀色のネックレスチェーンにつけられた一枚の銀プレート。

 男はしょうひげを指先ででながら、火鬼をったであろう足を地面にりつけている。くつぞこから黒いけむりくすぶっていたが、じきに消えた。

 男がてた煙草一つれただけで火鬼の体が四散し、あとかたもなくなる――遠ざかっていく男の背中を眺めながら、ことは鬼が退治される場面を初めて見た。


『火鬼のはいじょを確認。現在、進行先に鬼の影はありません。目的地に向かいます』


 車内温度が元にもどっていき、どこか安心したようなアナウンスが流れてくる。ことこしけたまま、目に焼き付いた男の白い外套を思い出す。

 あれが討伐鬼隊の隊長格。修羅や夜叉の討伐経験がなければ就任できない、鬼討伐専門家の頂点に座する者。

 アミティエ学園に入学するということは、彼らを目指すという意味。ことは学園のパンフレットが入ったバッグを知らずの内にきしめていた。




 B1保護区イケブクロシティ、アミティエ学園を中心とした街。その外観を例えるならば城下町である。

 建物の多くは白い石や木材を使用しているため暖かみがあり、つぼみをつけた桜のが歩道をいろどっているのが目に鮮やかだ。

 見上げれば西洋の城をイメージした学園が街の中央にそびえており、そこから広がるように坂道や横道が配備され、うように商店や住居が立ち並んでいる。


 そんな街並みを眺めながらことは、


「キヨミズシティとは全然ちがう……」


 住んでいた保護区との差に驚いた。和風に慣れていたせいで、洋風なふんはどこか胸おどる気分を味わえる。

 う人々を見て、あんする。鬼に襲われたのが悪夢だったようにも思えてきた矢先。


「ああ、いた」


 保護区の出入り口でことに声をかけたのは学園に所属する教師、シラス・ぶきという男だった。欠伸あくびをしつつもおだやかな笑みでことに手をる。

 薬品のにおいがんだ白衣にしわが付いた白シャツと黒いスラックス。くせ毛の黒がみをかき混ぜつつ、あいいろの目で新しい生徒の姿を映す。

 無精髭を撫でる仕草が似合っているが、逆に先生という職業にいていることをかすませてしまう要因となっていた。


「やー、少年。ようこそアミティエ学園の街へ。衛星れんらくでは鬼とそうぐうしたと聞いたけど、だいじょうだったみたいだな」


 どこかめんそうにしながらもやさしく話しかけてくるぶきことはひたすら頷いた。が、自己しょうかいするタイミングを完全に失っていた。

 護送を終えた討伐鬼隊の隊員はぶきに敬礼し、次の目的地へと向かうため静かに移動を始める。のない仕事ぶりに、ぶきかたすくめた。


おれは今年度の高等部一年A組担当のシラス・ぶき。つまりお前の担当になるわけだが、あまりたよりにしない方が良いぞー」

「え、あ、はい! ぼ、僕はスメラギ・ことです! よろしくお願いします!」


 ややきんちょうしながらもことはなんとか名前を告げる。スメラギという苗字にぶきは小さく反応するが、ことに気付かれることはなかった。

 ぶきは自己紹介に対して適当に頷きながら、案内をすると言って歩き出す。B1保護区アミティエ学園内包のこの街は五つのエリアに分かれる。

 中央エリアは保護区を代表するアミティエ学園。西には買い物ができる商業街、東には畑などを管理する農業街、北にはりょうふくめた住居街、南は出入り口に面したオフィス街。


「まずは健康診断を行い、問題がなければ寮へ案内する。三日後の入学式といっしょに高等部編入式もある。代表挨拶はないが、全校生徒の前で紹介されるから心の準備しとけよー」

「は、はい!」

「あー、それと……」


 ぶきは歩く足を止め、視線をらしつつもことの方に顔を向け、昔を思い出しながらたずねる。


「スメラギの母親ってどういう人だ?」

「母上はお仕事がいそがしいとかで会ったことがありません。ただ父上が言うには討伐鬼隊でかつやくしているじょけつと聞いています」

「やっぱり……あー、あれだ。今のは忘れてくれ、たのむ」


 首をかしげて疑問を表すことだったが、明らかに肩を落としてんでいるぶきに聞けることはないかもしれないと判断する。

 討伐鬼隊の多くは男性隊員だが、まれに女性隊員も存在する。それがことの母親であるが、彼自身母親に会ったことがなく、その顔も知らない。

 しかし父親が母親の話をする時、必ず険しい顔で腹を擦りながら苦々しく話す。とりあえずすごい人なのだろうとことは勝手にかいしゃくしていた。


「ん? けどスメラギさま……いや、スメラギさんの夫は討伐任務での負傷でくなっていたはず」

「はい。父上とは言っていますが、けつえん上は叔父おじです。しかし母上の要望により、養子えんみを行っているので問題はありません」


 母親のけいしょうを言い直したぶきの様子を気にしつつも、ことあくしている家の事情を簡潔に話す。

 ことにとって本当の母親と父親は姿を見せたことがない、会話上の人物である。そして父親と呼ぶ相手は叔父。

 本当の父親は婿むこようだったらしく、母親と叔父の苗字は同じである。物心がついた時には厳格な叔父の手で育てられてきた。


 正直なところことは十さいに至るまで、母親は死んでいて父親が一人で子育てしてくれていたのだとかんちがいしていた。

 十歳の誕生日に叔父から本当の父親と母親の話を聞いた。だが実感がかず、尊敬する叔父が父親になってくれて良かったと思うほどだった。

 なのでことは叔父のことを父上と呼び続け、彼の教え通り学校に通わず通信教育で中学卒業資格を習得し、余った時間はれい作法など習い事についやした。


「あー、スメラギさま、隊長、いやスメラギさんは相変わらずとっだなー。おぼっちゃんのように見えて苦労してるのな」

「あの、母上ってどんな人なんですか?」

「すまない。その話はかんべんしてくれ」


 ぶきの様子が母親のことを話す叔父の姿とそっくりであるため、ことはそれ以上は尋ねなかった。意外な場所から母親の情報がでてきたものである。

 再度歩き始めたぶきの後ろをついていき、オフィス街に入る前にある簡易しんりょうじょで健康診断を受ける。血液採取と、質疑応答テスト、体温検査の三つですぐに終わった。

 診断結果も問題なしと判断されたため、北にあるがくせいりょうへ向かうことになる。


 ぶきはICカードに似た電子証明カードを取り出し、


「電子学生証はちゃんと持ってきたよな? たまーに保護区に忘れるやつがいるんだよ」


 しょうを浮かべた。

 ことはスクールバックから慌てて同じ形のカードを出す。


「えっと……こちらですか?」

「そうだ。まあぶかいだろう」


 そう言って歩きだしたぶきは、背後で首を傾げていることの様子に気付かなかった。


 電子カードによる身分証。生活のばんを支える道具だ。

 交通機関の料金精算やさい管理などをデータ送信でいっかつ管理する街システム。どこの保護区でもきゅうした生活利用法である。

 

 ぶきがバスの入り口に設置されたへきめんタッチパネルに電子職員証を触れさせた。軽い電子音が鳴ったのを確認して自然な流れでバスに乗る。

 しかしことは電子学生証を片手に立ち止まってしまい、運転手が何事かと首を動かしてかえる。ぶきが嫌な予感がして、信じられない様子で尋ねる。


「お前、電子カード使ったことないのか?」

「はい。大体は徒歩の移動であしこしきたえ、父上からもこのような道具を渡されたことがないので」


 どこの保護区でも普及したシステムを知らないことに対し、ぶきは心の中で箱入りむすかとあきれた。箱は箱でも、重箱並みの育てられ方だ。

 仕方ないので電子学生証を壁面タッチパネルに触れさせることを伝える。座席に腰を落ち着けた後は、ネットけんさくや衛星通信などの機能をつまんで説明していく。


「簡単に言えば旧時代に存在したけいたい電話の機能を一通りもうしたカードなんだよ」


 世界大戦と鬼によってケーブルがつなげられない情勢から、衛星を利用した通信が主流だ。

 ぜにへいさいくつばっさいなどが難しいため、資源の利用を減らす目的でデータ上のみの存在となった。代わりに通信保護の技術がやくしん的にがり、不正をつぶす安全性を確立した。

 鬼も宇宙空間までは手が出せないらしく、衛星にあらゆる技術をむことで世界通信や電話料金の無償化などをすすめた。


「財布にしょせき、それに買い物も。これ一つで自由自在。そんでもって顔にんしょうもん認証をえた人体波形認証ときたもんだ」

「……えーと、つまり自分で操作しろってことですね」


 技術的な話に対し、ことあいまいな笑みで答えた。

 じゃっかんぶきの口元が引きつる。常識だと思っていたことが、目の前の少年には通じないのだ。


 人の体表面に流れる電磁波をぶんせきし、身分証明カードは本人以外があつかえないようになっている。なのでぶきことの慣れない操作に合わせて説明を続けていく。

 大きさは片手に収まる四角いうすがたのカードである。紙よりは厚みがあるが、CDケースよりはうすい。画面を指先で操作するタッチパネル式。うらめんは黒のコーティングで、そこにはアミティエ学園の校章が金でえがかれていた。

 アミティエ学園の校章は三日月の船に桜を浮かべたデザインであり、制服の赤いブレザーにえるしきさいとして金色が多用される。


「ネットや電話帳にアプリ? 父上に教わらなかったことばかりです」

「A4保護区のキヨミズシティから来たんだよな。あそこは古き良き日本を残す都としての側面があるし、スメラギさんも機械苦手だったからなぁ」

「建物もこちらは旧時代で言う都市型ビルなどをイメージしているようですし、保護区でもこんなに差が出るとは思いませんでした」

「ここは旧時代の東京を再現しようとしてるからな。ま、旧時代から見れば近未来都市なんだろうけどな」


 世界大戦前の時代をこと達は旧時代と呼ぶ。大戦を境にあまりに世界は変わってしまい、同じ歴史として見るには苦しい背景があるからだ。

 旧時代には鬼という存在はなく、今では失われた多くの技術が人々の生活をうるおしていた反面、かんきょうを苦しめていた。

 しかし保護区では旧時代の風景を残そうとする動きは多く、保護区のべっしょうである街名もかつての土地の名前を活用していた。


 バスは桜並木を通り過ぎて行き、北の住居街に辿たどく。また壁面タッチパネルに電子学生証を触れさせようとしたこと。二重支払いを防ぎつつ、ぶきはバスから降りていく。


「バスの使い方でこれだけ苦労するのならば買い物なども同じだな……ああ。丁度いいのが目の前に」


 ぶきは面倒そうにしつつも、寮の手前で立ち話していた男子二人を見つけて声をかける。

 寮は西洋風のれんしきのような外観で、白い建物が多い街の中ではわずかにさいを放っていた。学生といっぱんじんの区別をつけるためのはいりょなのだが、ことは気付かなかった。


「あ、ぶき。そっちのは編入生か? 中等部には見えないもんな」

「フジ、お前は少し敬語使え。敬語。俺だから許してんだぞ?」

「もちろんぶきだからタメ語なんじゃん。他の先生だったらこわくて言えねーもん」

「スメラギ、このタメ口少年がフジ・ゆうとなりにいる大人しそうなのがハセガワ・ひろ。どっちもお前とクラスメイトになる奴だ」


 ことはフジ・ゆうと呼ばれた少年を見る。今はまだ春休みのため私服を着ており、活発な少年らしい動きやすい服装をしていた。

 青い目が元気であふれており、明るい赤かみが黄色いパーカーに似合っていた。しかしピンクのジーンズを見てしまうと、センスは別方向にあるらしい。

 隣のハセガワ・ひろは少々人見知りらしく、黒い目に多少のおびえが見える。やわらかな茶色の髪も少年にしては少し伸びている方だった。白シャツと黒いズボンという地味な服装もひとがらを表している。


「スメラギ・ことです。わからないことばかりですが、よろしくお願いします」

「うおっ!? すっげーれいただしい感じの坊ちゃん風味! 俺みたいにタメ語で良いぜ、こと

「僕の方こそよろしく。僕はくせで敬語が多いけど、ことくんはゆうくんほどじゃないくだけた口調でも大丈夫ですから」


 明るくことに接してくれる二人に対し、くすぐったいような小さなずかしさと、伝えられそうにないこうようを感じ取る。

 今まで父親の教え通りに生活し、友達と呼べるほどの深い仲になった同い年の子供はいなかった。それがさっそく二人もできたのだ。


 ――もしかしたら命を賭けるに値する友情を見つけるのはやすいかもしれない。


 そう考えたことは二人を紹介してくれたぶきに小さくおする。


「それじゃあ編入生についてなんだが……」


 ぶきは楽しそうな様子を確認しつつ、ゆうひろことが街を利用するシステムについてほぼ知らないことを伝え、それを教えるように頼んでから仕事があると学校へ向かう。

 二人はことの箱入り具合に驚きつつも、日用品の買い出しついでに街で遊ぼうと提案し、りょうちょうから聞いた部屋の案内をしてくれた。


 ことは荷物を部屋に置いてから私服にえる。

 仕立てのいいシャツとジャケットを着こなし、皺あと一つないズボンを穿く。それだけでとしごろの少年らしい姿に見えた。

 ことは初めて同年代の少年達と買い物に出かけた。それは楽しい一時としょうするに相応しい時間だった。




 夜。ゆうひろと一緒に買い物した際に一冊の本をこうにゅうしたことは、備え付けのベットで明かりをけて読んでいく。

 寮の部屋は一人部屋から四人部屋まで種類があるらしく、大半は中等部のころに決定された部屋割りのまま過ごす。ことは編入生であるため、一人部屋を案内された。

 ゆうひろは二人部屋であり、ことが望めば三人部屋になってもいいと買い物中に提案してくれた。


 最初は学校生活に慣れるため、一人部屋のまま一げつ過ごすと決めた。友達の作り方を伝授する本の大事なしょに赤線を引きながら、浮かれた気持ちをかくしきれずににやけてしまう。

 部屋の中はねむるためのベットと、勉強机。個人用トイレに荷物を入れるクローゼット以外なにもない。部屋をじゅうじつさせたければ街で買い物をするのが基本だ。

 しかしことはあまり買い物に興味が湧かなかった。現在読んでいる本ですら、机にあるブックスタンドでじゅうぶんな厚さだ。


「とりあえず生活用品は揃えなくちゃ……」


 思い出したように呟く。一時間前に発覚した、での話だ。

 大浴場と食堂はりょうないに存在し、利用時間内であるならば自由に使える。ゆうひろと食堂の使い方を教えてもらうと同時に夕食をとり、入浴も済ませてしまった。

 その際にタオルは私物利用と知り、ひろに大きめの一枚を借りたのである。後日、せんたくに出して返さなくてはいけない。


「まあ、明日またゆう達と出かければいいや」

 

 寮の三階東側に配置された一人部屋で充実した気持ちのままベットにころがることは、父親の言いつけがすぐにかなえられそうなこと以上に、ゆう達と仲良くなれたのががうれしかった。

 全てが初めてばかりであり、そのどれもがことの経験になっていく。なやむ必要もないほど周囲は優しかった。


 これならば編入式も無事に終わるだろうと安心したことは、部屋の電気を消して少し早い眠りにつく。

 自分がどれほど無知であるかも知らず、本当の友情が真実の愛よりも難しいことも気付かず、穏やかな夢の中に落ちていった。


 それらを思い知るのは、初めての学校内で起こるイジメを見た後である。

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