6話「ポイズンダンスでデスフィーバー」

 夏なのに、雪が舞ってる。そんな馬鹿な感想を抱く俺、雑賀さいがサイタは現在米俵のごとく多々良たたらララに担がれている。ちなみに多々良ララは女子である。

 同じく米俵担ぎされているのが猫耳野郎ことくるるクルリ。踊りそうな名前をしているが、今踊っているのはこいつじゃない。

 暗い路地の真ん中でテオバルド・鏡・エーレンベルクだったか、面倒だからかがみテオと呼んでいる男の周囲で、変な人影が踊っている。


 とりあえず人間じゃないのはわかる。明らかに液体の体で、灰、青緑、茶紫、な三つのドレスを着たような姿の人形らしきなのが自在に動いている。

 喉を押さえて蹲る鏡テオの足元に食いかけの林檎が落ちている。ただし本来白いはずの果肉が、不気味なくらい真っ赤になっている。無花果か、もしくは人肉みたいな色だ。

 液体人形に踏まれたのか、汚れた紙一枚と潰れたテープレコーダー。そしてガスマスクつけて倒れている男一人と、それを運ぼうとして足を引きずっている男二人。


 椚さんは鏡テオに近付こうとして、液体人形が近寄るたびに遠ざかっている。俺はとりあえずこの兎リュック返して帰ろうかとも思った。

 俺達は忘れ物を届けに来たただの一般人であり、今回の件には無関係であり、この後なにが起ころうとも無関心を貫きたいと思います、と表明したいくらいだ。

 しかし俺が持っているメルヘンな兎リュックに気付いた黒スーツでガスマスクつけてない奴の一人が、怒気を孕んだ顔で近寄ってきた。


 とりあえず英語じゃない言語でなにか言っているが、全くわからん。世界共通語を使ってもらったところで、リスニングテストが苦手な俺には聞き取ることが不可能な話だが。


「メンドーなことにドイツ語で、その兎リュック渡せ、とか言ってるみたい。今携帯電話の翻訳アプリが訳してくれた」

「翻訳アプリすげぇな。じゃあ早速それを利用して、おとといきやがれ、と訳してくれ」

「残念ながらドイツ語訳は装備されてない」


 枢クルリと呑気な様子で会話していたが、近寄ってきた黒スーツが銃を取り出すもんだから、多々良ララが俺達を瞬時に地面へと落とす。

 落ちていく間に走り出した多々良ララは筋力増強、主に脚強化、の固有魔法【灰の踊り子サンドリヨン】で、相手の腕を硝子の靴でへし折って、銃を握らせないようにした。

 レオタードにレースやフリルをつけてドレスに仕立てたような衣装と硝子の靴は魔法使用時に現れるが、あの可憐な服を着てえげつない戦闘方法だ。


 激痛で転がる相手が叫んでいるドイツ語。今なら俺でも訳せる。絶対、うぎゃああいてぇえええ、な感じだろう。だって腕があり得ない方向に曲がってるし。

 地面に背中をぶつけた俺はとりあえず起き上がる。するともう一人ガスマスクをつけてた奴を運ぼうとしていた男が接近していて、兎リュックの右翼部分を引き千切った。

 枢クルリが手にしている携帯電話の画面には、ここに資料データのチップがあるはず、と表示されている。もしかしてこのメルヘン兎リュック、予想以上に重要な物なのか。


 しかし右翼を引き千切った男は、綿しか入っていないそれに驚愕している。ついには俺の手からリュックごと奪い去り、右翼があった部分に指を突っ込んで探している。

 兎にシルクハットと天使の羽根をつけたメルヘンなデザインが仇となり、一気に猟奇的な光景に。しかし綿しか出てこなかったため、男はリュックを俺の顔に投げつけた。

 ぬいぐるみのリュックとはいえ、中には荷物が入っているわけで、その荷物が固ければ俺の顔面にダメージが来るわけで、総括すると地味に痛かった。


「てんめぇ……ドイツ人だがなんだか知らねぇが、人の顔に物投げるなと母親から教わらなかったのかよ、この野郎!!」


 俺の体表面に青い鱗が生える。俺の固有魔法【小さな支配者リトルマスター】は決して砕けない鱗を生やして操る魔法だ。

 そのせいで過去に鱗怪人と呼ばれたが、今は気にしない。花弁のように空中を舞う鱗は、盾にもなるし矛にもなる。ただし今は三枚を、パチンコ玉のように飛ばすだけ。

 リュックを投げた男の眉間、喉、そして腹。三か所に勢い良くぶつけ、吹き飛ばす。黒スーツはすぐに路地の壁に当たり、そのまま気を失って倒れた。


「うーわー。メンドーなことに、また人払いされてるっぽい」


 路地裏の壁に背中預けた枢クルリが、裏路地から続く表通りに目を向ける。誰もこの騒動を気にせず、歩き続けている。

 何回も味わったことだが、今回は少しありがたい。今、俺は容赦なく自分の魔法でドイツ人ぶっ飛ばしたからな。見られていたら警察のお世話になっていただろう。

 固有魔法所有者が問題起こすとかなり騒がれるからな。特に傷害や殺人関係は罪が一層重くなる。好きでこんな力手に入れたわけじゃねぇのにな。


 俺は顔にぶつけられた兎リュックを枢クルリに投げ渡しとく。意外と反射神経が良かったらしく、枢クルリは片手で難なく受け取った。

 わかった。絶対キャッチゲームとか考えて、絶対落とさないとか思ったなゲーマーめ。なんにせよ黒スーツはこれで全員黙ったな。

 というのも腕が折れた黒スーツは多々良ララの硝子の靴で股間を踏まれ、泡を吹いていた。なるべくそちらを見ないように努めたが、自然と内股になるのは注目しないでほしい。


 その間にも椚さんが少しずつ鏡テオに近づこうとして、むしろ距離を取っている。灰色の液体人形がスカートを翻すたびに、雪が舞う。

 いや違う。地面に降り積もっている。夏なのに溶けない雪なんてないし、なにより積もったことで灰色だというのがわかる。もしかして鏡テオの魔法か。

 しかし鏡テオの固有魔法は【貴方に贈る毒薬ギフト】というもので、七人の小人は見たが、あんな舞踏会に出てくるような液体人形じゃなかった。


「坊ちゃん、魔法を止めてください!おねがい、ひっ!?」


 青緑の液体人形が舞踊に誘うように椚さんに手を伸ばした。息を詰まらせるような悲鳴を上げて、椚さんはその手から逃げる。

 やっぱりこの現象は鏡テオの魔法か。それにしても一体どうなっているんだ。魔法が進化したとでもいうのかというほど、鏡テオの魔法が変質している。

 確かに小人の姿した液体人形は自在に動いていたが、それが今や等身大の淑女の姿になっている。つまり人間一人分の毒薬が動いているということだ。


「椚さん、テオは毒の魔法を操るんだろう?なら耐性があるはずだ、離れて作戦を」

「サイタ。魔法は体質を変えるんじゃなくて、現象をもたらす」


 俺が椚さんを安全な場所へ誘導しようとした手前、枢クルリがそんなことを言ってきた。言われなくても知っている。

 例えば俺が操る鱗も別に俺の肌から生えたように見えるが、発生しただけの現象だ。多々良ララの魔法も筋力が増大したのではなく、強化された現象。

 だから肌が鱗になったから操れる、のではなく、操ることが可能な鱗が発生したに過ぎない。俺の肌が鱗みたいに固くなったわけではない。


「だからテオは毒を発生する現象が起こせても、毒に耐えられる体を持っているわけじゃない」


 しかし枢クルリの説明に、俺はやっと言葉を止められた意味を理解した。鏡テオの魔法は現象であり、体質の変化じゃない。

 つまり鏡テオ自身も魔法の効果を受ける対象だ。だから椚さんは鏡テオに何度も近づこうとしたんだ。灰色の毒薬が粉雪となって舞い続けている。


「テオっ!!」


 俺が叫んだ際に、鏡テオがわずかに顔を上げた。緑と青のオッドアイ、じゃなかった。怖いくらいに真っ赤に染まった目が、俺を映していた。

 声を出そうとしたらしいが、喉に手を押さえて苦しそうにしている。なにかが引っかかっているのか、今にも血を吐きそうだ。

 なんで忘れ物届けに来ただけでここまで巻き込まれるんだよ、理不尽だ、横暴だ。しかしここまで関わってしまうと今更帰るのは気まずい日本人精神が。


「なんで……関わるんですか。アンタ達には関係ないことじゃないっすか……だから、手紙にしたじゃないか!!」


 悔しそうに椚さんがコンクリートの地面を叩く。夏の日差しで夜でも熱いままの石の上に、小さく血がこびり付いた。

 汗でずれたサングラスはひび割れて歪んでいて、着ているスーツも皺だらけ。内ポケットから見えた拳銃に、俺は息を呑んだ。

 やたら金属音や黒光りするなと思っていたが、本物の銃だろうか。本物を見たことがない健全な俺には判別できないが、知らず知らず汗の量が増える。


「これ以上坊ちゃんを、苦しめたくなかったのに……」

「俺達が関わったから、今があるって言いたいのかよ?」

「違いますよ。坊ちゃんは……もう、一年の命なんですよ。魔法と、管理政府のせいで」


 椚さんは静かに語り始めた。できれば深く聞きたくなかったんだが、仕方なく黙っていた。





 双子で生まれた赤ん坊。どちらも強い固有魔法を持っており、管理政府は両親に決断を迫った。片方を渡すか、両方とも強制奪取されるか。

 両親は奪われる方が少ない選択をした。魔法管理政府はそうやって、親の顔も知らない、家族も知らない鏡テオを回収した。

 鏡テオは魔法管理政府の下で日々実験されていた。毒薬を作る魔法によって、最先端医学の中でも薬学を驚異的な速度で発展させた。


 しかし鏡テオの様子を両親は知ることがなかった。残った片割れを育て、子供を失った母親は精神を病んで、憔悴していった。

 三年前、母親が死んだ日に魔法管理政府ドイツ支部から密告者が現れた。その人物は鏡テオを家族の元に返すため、そしてドイツ支部の陰謀を潰すため、動いていた。

 そして密告者の手引きによって鏡テオは帰還を待ち望んでいた家族の元に帰ってきた。本当ならそこで物語はハッピーエンドになるはずだった。


 鏡テオはなにも知らない子供のまま成長していた。異常だったのは常識の欠如と、世界の見方、そして体の変質。

 汗が出ない、異様に体が細くて気温に鈍感、オッドアイとなった目、すぐに体調を崩す虚弱さ、日の光を一度も浴びたことない肌の白さ。

 笑顔の死人が動いているような診断結果が家族には待っていた。鏡テオの体は五年も生きられないほど弱っていたが、本人だけは気付いていない。


 何度もそのことを教えようとした。家族のこと、両親のこと、体のこと、固有魔法のこと。しかし鏡テオはすぐに癇癪を起こし、聞く耳を持たなかった。

 その度に密告者の名前を呼び、熱を出しては倒れていた。汗が出ないため、かなり強制的な薬を使って処方するしかなく、悪循環となって鏡テオの命を縮ませた。

 家族は諦めて鏡テオの好きにさせることにした。なにせ鏡テオの魔法の正体を知っている医者達は、彼に怯えて近付くことすらしなくなっていたからだ。


 密告者が残した最後の報告書。鏡テオは実験室に監禁され、異常な教育と思想を埋め込まれていた。自分の魔法が世界平和にすると、嘘を教えられていた。

 確かに鏡テオの魔法は薬学を発展させた。しかし基本は毒の魔法であり、管理政府は解毒薬も作れないほどの強力な毒殺兵器の開発を行っていた。

 ドイツ支部の役員には第二次世界大戦での雪辱を晴らそうとする一派が存在し、彼らは違法な手段で強力な固有魔法所有者を集めていたという。


 鏡テオもその一人であり、強力な毒薬を知らないうちに作り上げ、時にはそれを浴びてしまったこともあるという。

 目がオッドアイになったのも、実験による不手際の後遺症であり、生死の境を彷徨ったらしい。密告者はそこから鏡テオやドイツ支部の異常を見つけたという。

 強力な毒薬を作れる鏡テオを少しでも延命させたい政府からの命令のため、密告者が世話役となって様子を見ていた。そして鏡テオの素性を知り、母親の死をきっかけに連絡した。


 逃げた鏡テオを引き渡すようにドイツ支部は何度も家族に脅迫した。しかし密告者の報告書で実態を知った家族は、頑なに要請を断った。

 あと少しの命もない状態で、兵器の材料として渡すことなどできない。断り続けることができたのは、世界的な貿易会社を担う家だったということが取り上げられる。

 しかし奪われないように家に匿っていることが鏡テオには不満であった。駄々をこねて外に出たいという鏡テオ、それを見計らったようにドイツ支部は条件を提示した。


 もしも鏡テオの魔法が万が一にも暴走したら、その時は無条件でドイツ支部へと引き渡すこと。


 暴走しない限りはドイツ支部も手を出さない。好きに生きればいい。政府との対決に疲れていた家族は条件を受け入れた。

 そして鏡テオは何一つ理解しないまま旅に出た。椚と梢は鏡テオの監視役であり護衛として彼を守り続け、魔法を極力使わせないように尽力してきた。

 しかし旅の途中で何度も政府の手先らしき人物が鏡テオを狙い、それを遠ざけるたびに鏡テオは不満そうにしていた。


 世界を綺麗な物になるはずだと信じている鏡テオにとって、今の世界は想像以下の物であり、満足できるものではなかった。

 なにより自分の体が他人とは違うことにストレスを感じており、それが体調となって現れては、倒れてしまう。

 そこで母親の故郷である日本に移動し、温暖な気候による体調の安定とストレス軽減を試みた。


 鏡テオは予想以上に日本を気に入り、また安全神話が残るが外国への門が狭い日本ではドイツ支部も手が出しにくいようだった。

 長期の滞在を考えた椚と梢は腰を落ち着ける準備をして、鏡テオの好きにさせた。この頃には寿命も指折り数えるほど少なくなっていた。

 しかし日本支部が政府の横流しを告発したことにより、状況は急転した。ドイツ支部が慌てて動き出し、強硬策に出てきた。


 鏡テオの魔法を暴走させてしまえばいい。日本の出立を手配する梢の不在を狙い、椚の邪魔だけを排除して鏡テオを甘言に乗せる。

 既に殺した密告者に会わせるという嘘を使い、魔法を無理矢理暴走させた。このままでは鏡テオはドイツ支部に回収されてしまう。

 しかし予想以上に鏡テオの魔法が暴れ回り、回収しようとした役員も肌による毒吸入で倒れてしまった。そして俺達が来たという。




「まじか。ガスマスクしてても毒浴びたら終わりかよ」


 ガスマスクつけて倒れてるおっさん大丈夫かよ。あー、でも体痙攣しているみたいに動いているから、多分まだ生きているな。そう思っておこう。

 それにしても予想以上に厄介な案件だったな、鏡テオ。道理で多彩な違和感が奴の周囲にあるわけだ。まず普通の育ち方をしてなかったわけか。

 小説だとそういう育ち方した人物は疑問を持って組織から逃げ出すのが定石だけど、鏡テオの幼児性を鑑みると疑問を感じないように程よく満足させる育て方したわけだ。


 限定された書物や異常な価値観を植え付けて、不満がないように報酬を与える。不満がなければ逃げ出すなんてしないからな。

 赤ん坊の頃に政府管轄になったのなら、そういう風に仕立て上げられるってことだもんな。だから家族のこととかに疑問形が付くわけだ。

 十八年間、家族を知らなかった奴に家族を教え込もうにも難儀な話だろう。俺だって今更隠し子いますとか親に言われても信じないぞ、きっと。


「メンドーな話だな。今の状況だと俺やララは手出しできないぞ」

「あん?お前の空間移動ならあいつを無傷で無力化できるだろうが。ほらほら御得意の【神の家ザ・タワー】やってくれよ」

「……頭大丈夫か?」


 猫耳野郎が明らかに馬鹿にする目を俺に向けている。しかも腹立つ一言付きだった。だから俺はお前の魔法を一度しか味わってないし、全貌なんて知らないんだよ。

 枢クルリの魔法は簡単に言えば、自分の世界に他人を引き込む空間魔法、だ。かなり強力な魔法で、枢クルリの世界では魔法を使うかどうかすら奴の采配一つだ。

 まさに枢クルリという神が管理する家だ。すっごいゲーマーな神であることに、誰かツッコミを入れてくれる奴はいないだろうか。


「この魔法は最初に俺へと意識を向けている相手にしか効かない。で、鏡テオの様子だけど、無理だろうあれは」


 いまだに喉を押さえたまま蹲って動かない鏡テオ。確かにあの様子だと枢クルリに意識を向けるのは無理だな。つまり魔法発動の条件が厳しいわけだ。

 多々良ララの場合も筋力増強のため、肌から毒が侵入するという話を聞くと近づくのは不可能だろう。木乃伊取りが木乃伊になるだけだ。

 となると俺か。確かに不可能ではないが、かなり厳しいだろうな。特に嫌なのはどうしても使用するべき道具が、他人使用済みという点だ。


「……いいです。別にアンタ達の助けは借りようとは思ってないですから」


 随分冷たい声が椚さんの口から零れ出た。思わず背筋が冷えたが、それ以上に肝を冷やしたのが銃口を鏡テオに向けている姿だ。

 護身用の銃だと思っていたが、もしかして鏡テオを殺すために常備していただけか。でもその理由や、心境が俺にはわからない。

 多分複雑な事情があるのだろうが、心臓に悪いので止めてほしい。今度は改造モデルガンじゃないため、俺の魔法で銃弾を止められるかどうか。


「もし坊ちゃんが再度政府の手に渡る事態になったら、殺してでも止めると旦那様と約束してるんです」

「それはアンタ達の我儘だ!!鏡テオのためにはならない!!」

「安心してください。一人ではないです。天国へ一緒に向かうことはできませんが、死ぬことはできますから」


 明らかに椚さんの目が危ない光を宿している。多分覚悟を決めた瞳なんだろうが、狂気が溢れている。

 引き金に指をひっかけて、椚さんは苦しそうにしている鏡テオに狙いを定める。ああもう、だから、こういうのとは無関係でいたいって言ってんだろうが。

 俺は体から剥がれた鱗を集めて、銃口に張りつけさせる。椚さんによく見えるように、撃ったら暴発するとわかるように。


「それもアンタの我儘だ!ふざけんなよ、サングラスホスト!もっとあいつみたいに強欲になれよ!」


 俺は鏡テオを指差す。無邪気で空気を読まない奴で、なんでもかんでも欲しがる犬みたいな男だ。俺より年上なのに、子供みたいな純真さが眩しすぎる。

 寿命があと少しだから、政府に渡せば兵器の材料となるから、これ以上苦しめたくないから、それだから死なせるって、ふざけるなよ。

 もっと欲しがれよ。妥協するな。仕方ないからって諦めて、死んで全てを終わりにしようとが馬鹿なことを考える暇があるなら、幸せになりたいとか思えよ。


「アンタになにがわかるんですか!?坊ちゃんが強欲?そんな俗物と一緒にしないでください!」

「いーや!あいつは強欲だ!なんでもかんでも食べてみたい、聞いてみたい、遊びたい、帰りたくない、好き勝手言い放題の子供だ!」

「それは普通の人間だって同じでしょう!?どこに強欲なんて……」

「ソフィアに会いたい、助けてほしい、生きてみたい、誰か止めてほしい、友達がほしい、死にたくない。あんな無邪気な奴でも、これくらい欲しがるんだよ」


 そうだ。どんな育ち方しても、鏡テオは生きた人間だ。子供のように純真な心を持っていても、欲しがる気持ちは宿る。

 生きたい、死にたくない、これだって欲望だろう。でもこれがあるから人間は前を向けるんだ、強欲だって悪いことばかりじゃない。

 だからあいつみたいに欲しがってくれよ。本当はもっと長生きさせて幸せにしてやりたいって。殺さなくてはと思うくらい大切なら、無理矢理でも生かしてやれよ。


「だから殺すな。我儘で殺すくらいなら、強欲に生かしたいと思えよ。その方が人間らしい」

「そんなの……傲慢じゃないか」

「悪いが、あだ名が傲慢野郎なんでな。言われ慣れてるぜ、そんな罵倒」


 悪役っぽい笑みを浮かべ、銃を地面に落とした椚さんを眺める。落ちた銃は即座に多々良ララが硝子の靴で銃口辺りを粉砕し、撃てないようにした。

 銃の仕組みを知らない俺は少し驚いたが、爆発することはなかった。火薬部分とかに火花とか発生しなくて良かったし、これで椚さんは鏡テオを殺せない。

 枢クルリが黒スーツから剥ぎ取ったガスマスクを俺に投げてくる。他人使用済みマスクというのが嫌だったが、これ以上魔法を暴走させたままにしとくのは危ない。


 俺の固有魔法【小さな支配者リトルマスター】は体表面積ほどの鱗を生やして操ることができる。絶対に割れない、砕けない、という青い鱗。

 ただし一度剥がれた鱗は肌に密着させることができないので、一度解除する。あと目とか耳の穴は保護できないのでガスマスクで隠すしかない。

 もう一度魔法を発動させて、今回は髪まで隠すほど全身に鱗を生やして密着させたまま動かさない。一瞬で全身保護スーツ、最強の盾鎧になる。


「坊ちゃんの魔法は自在なんですよ……粉にも液体にもなり、肌から侵入することも、空気中から吸い込ませることもできる。それで防御できたとは思えない」

「俺もそう思う。けどよ、一発殴れたなら、俺の勝ちだ」


 諦めた目をしている椚さんを多々良ララが押さえつけ、枢クルリが周囲を観察している間に走り出す。目指すは魔法を発動の本体である鏡テオ。

 二回、鏡テオの魔法を見ている。どちらも叫び声のような驚愕や、平手打ちの衝撃で解除されている。また魔法は本人の意識がない状態で発動したままであることはあり得ない。

 つまり気絶させるつもりで鏡テオを殴る。泣き面に蜂をする気分だが、四の五の言ってられない。寿命があと少しだからって、殴ってすぐに死ぬような類じゃないだろう。




 鮮やかな青緑色の液体が迫ってくる。夜会のドレスを着たような女の姿だが、俺を抱きしめようとしてくる。通ったコンクリートが腐敗しているのを見て、触られたら危険だと判断する。

 というか毒薬と一言で表現していたが、俺は鏡テオがどんな毒を操れるのか知らなかったことを今更ながら思い出すが、足を止めるわけにはいかなかった。

 青緑の女の横を走り抜けて、その腕から逃れる。今度は茶紫の液体淑女が近寄ってくる。しかし茶紫って、自分で表現してときながら変な色だよなとも思う。そうとしか例えられないからそうなんだが。


 茶紫はドレスの裾を翻して風を起こす。その風がわずかに濁っていたと思った矢先、体を保護している鱗が火になったように熱くなった。

 このまま肌に密着させていたら火傷すると判断して、熱を持った鱗を剥がしながら進むが、背後から青緑の液体が背中に付着した。シャツが腐敗して崩れ落ちていく。

 腐敗と溶解による加熱か。毒薬というより既に危険薬品じゃないか。露出した肌を気にしながらも、鏡テオに近付く。


 しかし奴の一番近くにいる灰の液体人形。童話の白雪姫でもイメージしたのか、他の二つよりも精巧で表情すら持っている。

 蝋人形という単語が頭に浮かんだ俺の眼前で、鏡テオの服や露出した肌の異常に気付く。舞い散る毒薬の雪に触れた部分から、白く硬化している。

 まるで人間を塗り固めているような印象で、実際に俺の体も鱗が白く濁って固まりつつある。なんとか操って剥がしていくが、今度は露出した肌も白く固まる。


 鏡テオは俯いたまま、喉元を押さえつけて動かない。俺は地面に落ちていた気持ち悪い果肉の林檎を踏み潰して近付く。

 雪に似た毒の粉が肌にくっついて固まっていく。このままだとガスマスクも俺の体にくっついて剥がせなくなる可能性が高い上に、灰色の液体人形が近づいてくる。

 まるで鏡テオを渡さないと言わんばかりに、鬼の形相で迫ってくる。魔法如きが、ただの毒薬が、俺達を苦しめてんじゃねぇよ。


 ガスマスクを外して、灰色の液体人形の顔に勢い良くぶつけた。弾け散る液体が、粉雪となってさっきよりも路上に降り積もっていく。

 俺の体の鱗もほとんど剥がれてしまい、鱗怪人ではなく粘土怪人みたいになりつつある。そして鏡テオも同じように人形のように動かない。

 躊躇している暇はなかった。鏡テオの首元を掴み、無理矢理立ち上がらせてから腹に拳を抉り込む。少し遠めの背後で椚さんの短い悲鳴が聞こえたが、気にしない。


 衝撃で鏡テオの口から宝石の欠片のような物が零れ出る。真っ赤に輝く、しかし地面に落ちた途端に水音がしたので、厳密には石ではなさそうだ。

 鏡テオがやっと呼吸できるようになったのか、咽るように息を吸い込んでは吐き出している。舞い散る毒の粉雪も入り込むが、今は仕方ない。

 青白い、まるで死人のような顔で俺を見る鏡テオ。しかし両目は血走っているだけでなく、瞳は赤い虹彩のまま元の青と緑に戻る様子はない。


「さ、いた……?」

「言え、テオ。お前が一番望むことはなんだ?」


 降り積もった毒の雪山から灰の液体人形が復活する。青緑と茶紫も再度近づいてくる気配がする。俺と鏡テオ、どちらも毒に耐性はない。

 しかし俺の固有魔法は鱗で身を守るだけじゃない。空中に散らばった鱗を集めて、矛にすることだってできる。絶対に砕けない鱗で作る最強の矛と盾。

 最初に人間の体表面一人分の鱗で作り上げた三叉槍を、細長い三本の弓矢にする。背後から抱きつこうとした液体人形三体の頭に、三本の弓を当てる。


 散らばる茶紫、青緑、灰色の液体。全てが毒であり、俺と鏡テオを殺すことができる。でも鱗は殺せないだろう。

 即座に弓矢に変化させていた鱗を瞬時に散開し、今度は薄い壁のような盾に作り上げる。散らばった液体から、俺と鏡テオを守る。

 毒薬で腐敗することもない、加熱したところで溶けることはない、固まっても俺の意思一つで散らばることが可能。それが【小さな支配者リトルマスター】だ。


「僕の、望み……?」

「そうだ。お前はなにが強く欲しいと願うか、聞かせてくれ」


 白く固まっていく体。唇も白くなり始め、単語一つ出すのも億劫なほど粉雪によって動きを封じられていく。

 鏡テオは虚ろな目をしていた。理解を放棄して、流れに身を任せようとしているような雰囲気だ。足元にある汚れた紙に目を向ける。

 死体の写真と、何語で書かれたかわからない報告書らしき内容。でもなんとなく、この死体が鏡テオが言っていたソフィアという女性の気がした。


 死体とはいえ体の一部が写っている。綺麗な金髪に、ふくよかな曲線が女性らしい。外国人女性らしい体格で、確かに細いとは言い難い。

 あんなに名前を呼んだ人物なのに、別れってのは呆気ないもんだ。でも今はそれを気にしている場合じゃない。鏡テオ、早く答えろ。

 またもや液体人形達が復活する気配がある。鏡テオの魔法を止めるためには一発殴ればいいと思うが、さっきの一撃では止まらないとなると気絶させるほどの力じゃないと意味がない。


 しかし魔法を止めた後、こいつが生き続けるかどうか、鏡テオ自身の口から聞かなくてはいけない。強欲の白雪姫に選ばれたんだ、あるだろう、強い望みが。

 お前が死にたいと呟くなら、俺はもう止めねぇよ。でも一言でもいい。生きたいと願うなら、本当は面倒だが助けてやるよ。俺の料理を美味しいと言ってくれた礼だ。

 体内部からせり上がってくる熱い液体を吐き出さないように努めながら、俺は目の前にいる鏡テオの言葉を待つ。液体人形達が復活した。






「た、す、けて……」






 鏡テオの両目から赤い涙が零れた。しかし瞳の虹彩が青と緑に戻る。綺麗なオッドアイが俺の姿を映す。

 もう少しわかりやすく言って欲しかったが、今はそれだけで充分だ。迫りくる液体人形達を止めることはしない。

 俺は粘土人形のように固まりつつある右腕を無理矢理動かして、思いっきり振りかぶる。強く握りしめた拳が鏡テオの顎下に当たり、脳を揺らした。


 同時に液体人形達が消え去る。まるで霞になったように、綺麗さっぱりと。降り積もっていた毒の粉雪は消えたが、俺と鏡テオの体に付着した毒薬は違うようだ。

 俺は気を失った鏡テオの体を地面の上に落とし、両手で口元を押さえる。やばい、喉元を苦みと酸味が走り抜けて、真っ赤な血が塊のように手の平に吐き出され、指の隙間から地面へと零れていく。

 真っ赤になった片手で倒れそうになる体を支えて、鼓動が変な脈を打つ心臓の上あたりを押さえつつ、もう一回吐血する。まだ倒れるわけにはいかない。


 椚さんが鏡テオに駆け寄り、多々良ララが白い服が汚れるのも気にせずに俺の体に手を触れようとする。だが俺の体は毒塗れだ、気遣ってくれるのは嬉しいがそのまま触れるな。

 慌てて椚さんが多々良ララにゴム手袋を渡している。椚さんは既に装着しているあたり、予備なのだろう。やっぱガスマスクを投げ飛ばしたのは失敗だったか。

 目の前も半分くらい黒い靄がでてきた上に、方向感覚も怪しくなってきたぞ。指先は冷たいし、腹の辺りから力が失われていく感覚もする。


「く、ぬぎ、さん」

「は、はい!?」


 椚さんの声が裏返っている。俺はまだ死んでないので、そんなゾンビを見た時のような反応は止めてくれないか。枢クルリが携帯電話で救急車を呼んでいる声が遠い。

 多々良ララもなにか言っている気がするが、よく聞き取れない。部活の時に熱中症で倒れたことを思い出す。あれと似た感じの、どうしようもない闇が迫っている。

 とにかく伝えなくては。返事は聞いてられないが、これだけは口の中に血が溜まっていたとしても椚さんに教えなきゃいけない。


「て、おは……たすけて、と言ったからな。」


 死にたいでも、生きたいでもない。誰かを呼ぶに近い言葉。わかってくれよ、鏡テオは寂しいんだということに。

 寂しいままのそいつを殺さないでくれ。もうソフィアの名前は呼べないから、代わりに他の単語で誰かを呼ぶしかないんだ。

 七人の小人も、眠りを覚ましてくれる王子もいらない。意地悪な継母も、優しい狩人だって鏡テオには必要ない。


 強欲な白雪姫。そいつが一番欲しいのは、孤独から助けてくれる誰かの名前なんだよ。


 俺は伝え終わったことに安堵して、意識を手放した。暗い海の底に沈むような、冷たくて静かな虚無に身を任せた。

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