第42話 結末

 人は変わらない。変えられないし、変われない。

 どこからなのか、いつからなのか、どうしてなのかは分からないけれど、人はある地点を超えてしまうとそこからはもうどうにもできなくなってしまう。


 生まれ持った性質と、与えられた材料で人は決まる。


 私の場合、なるようにしてこうなった。卑屈で性格が歪んでいて、自殺願望があった。けれど先生がいて、言ってくれた。生きろ――と。


 だから生きた。でも真理さんには先生がいなかった。


 自分の才能を磨き、信念を突き通して生きた。私にない強さを持っていた。だから、彼女は考えを変えず、言葉通り死を選んだ。


「真理さんは言っていました。あと一枚描きたい絵があって、それを描いたら死んでもいい、と」


 そして、死ぬ前の晩に言っていた言葉、それらを組み合わせれば私の憶測は成り立つ。


「ではその絵を描き終えたと言うのですか?天才画家の江木階真理が、人生を捨てても構わないと思えるほどの――傑作が!」

 再び興奮する箒ちゃん。今回は円卓をばんと叩くほどだ。


 だから、私はまた心の中で溜息をついた。これから話す推理が、やはり箒ちゃんの期待には応えられないものだからだ。


「絵なら私の部屋にあります。彼女が最後に描いた、あの庭の絵、あれがそうです」


 箒ちゃんは首を傾げた。そんな仕草も可愛らしい人形のようだった。


「そんなはずないですわ。彼女の絵のテーマとはかけ離れていますもの」


彼女の描く絵のテーマ、神の不在証明。その為に彼女は死骸の絵を描いていた。けれど――。


「神様がいると、彼女自身が認めてしまったんです。だから別の絵を描くしかなくなった。そして描き終わった。だから自殺した」


 自分の生き方を出来なくなったから。自分は変えられず、なのに変えなければ生きられなくなった。


「真理さんは私に部屋を交換して欲しいと頼んでいました。今思えば、交換することでそれを知る私を犯人に仕立て、自殺するつもりだったんでしょう。でもそれは、先生の提案で駄目になってしまいましたが」


「ですが、足が不自由な史郎さんの犯行は否定したのに、歩けない真理さんが二階から飛び降りられるのですか?」

「そこも、一つ目の勘違いと一緒ですよ。連続殺人が起こったんです。三度目も殺人だと考える。だから彼女には二階に行けないと決めつけた。でも行けないはずはないんです。這いつくばっていけば、時間はかかりますが可能です」

 ベートーベンは難聴でありながら、偉大な音楽家になった。耳が聞こえなくても曲は作れる。足が動かなくたって二階には行ける。

彼女は這いつくばって、悶えながら、死への道を進んだんだ。


 私は心の中ではなく、現実で溜息をついた。鬱憤を晴らすように深く息を吸い、現実から目を離したくて息を吐いた。


「多分彼女は自殺だと思われたくなかったんです。だから、皆の気が反れている時に自殺した」

「どうして認めたのでしょうか?神様がいると」

「きっとあの夜会の時ですよ。あの時の史郎さんの魂の話を聞いて、考えてしまったんです。神様がいると」


 多分、きっと、そんな言葉で紡がれた私の言葉は、やはり推理とは言えなかった。だけど、そう考えると史郎さんの殺人を立証できる。少なくとも三件目は違う犯人だと考えたとき、彼女自身しかいない。


「ふふ、素晴らしい推理ですわ。なるほど、あなたがいて良かった」


 箒ちゃんは嬉しそうに笑い、楽しそうにはしゃいだ。


「理久様が死んでしまったとき、本当に残念だったんですのよ。でもあなたがいてよかったですわ。それで、これからどうします?」

「史郎さんを探し、拘束します。その後で私たちは帰る」

「その必要はない」


 大広間に、低い声が響いた。女性では出せない、男性の声だった。



「この足だ。ロープウェイでしか降りられないし、君たちを殺しきれない。降参するしかないと判断したよ」

 史郎さんは足を引きずりながら大広間に入室してきた。ふうっと息を吐いてソファに座り込んだ。


「どうした?抵抗する気はないから体を縛るなりなんなりしろよ」


 私はただ彼を見ていた。人を殺し、その死を利用して、私も殺そうとしていた人間を。


「どうして理久くんを殺したんですか?」

「黙秘する」

「どうして理久くんを殺したんですか?」

「黙秘」

「どうして理久くんを殺したんですか?」

「黙秘だ」

「どうして!」


 私は叫んだ。目には涙が溜まっていた。拳を握りしめ、下唇を噛み締めていた。


 体はわなわなと震え始めた。その時、先生の手が、私の頬に触れた。


「もういいんだ。君はよくやった」

「よくないです。だって私は、ついさっきまで彼の死を見ようともしなかった。また逃げようとした」


 今までの全部が溢れ出てきた。消えたと思っていた。逃げて、受け流して、自分の中には何もないのだとニヒルに笑っていた。でも、ちゃんと残っていた。


 それを吐き出してしまうことが、こんなにも辛いなんて。苦しいなんて、思ってなかった。私は逃げてきたものに追い詰められた。自業自得だ……。


「でも君はちゃんと見た。逃げなかった。君を――誇りに思うよ」

 先生がそう言うと、私の震えは止まった。涙は止まらなかったけれど、少しだけ、ほんの少しだけ温かくなった。


「感動的だね。それを評価して、一つだけ教えよう」

 史郎さんは不敵に微笑んだ。私は殴りたい衝動を抑えて耳を傾けた。


「殺したのには理由がある。ちゃんとした理に適った理由だ。でも君は知るべきじゃない。生きていたいならね」


 史郎さんはその後、葛さんが持ってきたロープで拘束され、ロープウェイ乗り場へと連行された。

 彼は大広間を出る直前、私に向かって言った。 


「なんだその顔は?結末が呆気なくて気に食わないかな?でも、人生なんてこんなもんだ。殺人のトリックは全て勘違い。犯人は捕まえてもろくに自供せず、殺した理由も分からない。そういう不条理が人生だ。小説とは違う」


 私の心には結局死という悲しみだけが残った。死と向き合って戦っても、残るものは変わらなかった。予想通りの結末に、私は自身の無力さを思い知った。

「本当かい?本当に何も残らなかった?」


 先生は聞いた。生徒に質問し、返答を待った。私はその期待に応えたいと思った。


「君が流した涙に、君が解き明かした真実に、意味がないと本当に思うか?」


 私は考えてみた。涙を袖で拭って、瞼をちゃんと開けて、力強く言った。


「思いません」


 せっかく拭いたのに、また涙が出てきた。これまで流さなかった分が今日一気に出てきたみたいだ。

 先生は、今までに見せたこともない太陽のような笑顔で、「そうか」と言った。

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