第18話 芸術

 次の日の朝、私は早くに目を覚ました。疲れているはずなのに、体内時計はしっかりと働いたらしかった。もう仕事は辞めてしまったはずなのに、意味のない早起きをしてしまった。


 寝間着からクローゼットに入っていた服に着替えた。この屋敷には客人用に何から何まで揃っているらしい。私は自分のサイズにぴったりなセーターとジーンズを履いて大広間に向かった。


 大広間の円卓には既に朝食が用意されていた。きらきらと輝く銀食器に様々な洋食が飾られていた。

 美味しそうな匂いを放つベーコンやトーストに釣られるように、私は席についた。

 大広間には理久くん以外の全員が揃っていた。


「あれ理久くんは?」私が聞くと、飲み物を注いで回っていた葛さんが答えた。

「先ほど起こしに行ったのですが、まだ寝ていらっしゃるようで返事がありませんでした」

「昨日の夜とてもお疲れの様でしたので、まだ寝かせて差し上げましょう」箒ちゃんは優しい笑顔でそう言ったが、その疲れの原因はほぼ自分にあるとは微塵も思っていないらしい。

 私たちは美味しい朝食を済ませ、身支度を整えて、各々別行動をとった。

 真理さんは庭で絵を描くと言って、葛さんと一緒に画材道具を取りに行った。史郎さんは屋敷の近くを散歩してくると言った。私や先生を誘ってくれたが、寝起きの私と先生は断ってしまった。

「舞様」大広間を出ようとした私を、箒ちゃんが呼び止めた。

「なに?」

「楽しみにしていますわ」


 私は何のことか分からず、首を傾げた。箒ちゃんの微笑みを尻目に、私は大広間を出た。自室に向かっていると、二階に上がる先生を見かけた。

 先生は私に気づいていない様子だった。私は別に気にも留めず、部屋へと向かった。

 特にやることもないので、暇を持て余していた。そんなときふと、庭で絵を描いているという真理さんのことが気になり、庭に行くことにした。

 私は持ってきたコートを着て庭に向かった。


 庭の芝生は、昨日の夜振っていた雨で少し湿っていた。けれど靴に染みこむほどではなかったので気にならなかった。そして庭の奥で、車いすに乗った真理さんが、キャンバスの上で筆を走らせていた。

「あら、なんのようかしら」真理さんは振り向くことなく私に気づき、落ち着いた声で言った。

「いえ、用ってほどでは」

「そう」

 真理さんは私に一切興味がないようで、私と話している間も手の動きは一切変化していなかった。

 真理さんはキャンバスに、庭の中央に聳え立つ大きな木を描いていた。

「凄いですね」私は本心を言ったが、いかにも芸術センスがない人間の言葉のように感じられ、恥ずかしくなった。

「気に入ったの?完成したら差し上げましょうか?」

 真理さんは涼しい笑顔でそう言った。

「いいんですか?真理さんの絵って相当価値があるんじゃ……」と言っても、私はそっち方面の知識は皆無に近く、その価値についてはよく理解していなかった。

「いいのよ。いつもの絵なら高値で売れるでしょうけれど、この絵は数千円の価値しかないわ」

 つまらなそうに言う真理さんを見て、馬鹿な私はようやく理解した。


 この絵には、彼女のテーマが込められていない。

 神様なんか存在しないという、決して揺るがないテーマが欠けてしまっている。だからどこか弱々しく、そのおかげで柔らかなタッチに仕上がっているのだ。

「まあ一応、部屋に飾れる程度には仕上げるから、貰っておきなさい」

 私はお礼を言って、屋敷に戻った。

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