ジェシー

3.1

 街外れに隠した陸舟を目指して走るアタシの胸は、盛大に弾んでいた。物理的にじゃなく、精神的に。残念ながらアタシの胸は、弾んでくれるほど大きくないのである。

 同じ教会で育ったアデリーン姉ちゃんは、ストレスを抱えていると胸は育たないと言っていた。だったらアタシの胸は、ある日突然メロンのように膨らんだアデリーン姉ちゃんの胸のように、明日からすくすく育つことだろう。


 だってアタシの恩人にして憧れの人、あの伝説の賞金稼ぎバウンティ・ハンターデスハンドジャック様を、十年越しに見つけ出したのだから!


 どういう事情があるのか偽名を使っていたけど、アタシがデスハンドジャックを見間違えるはずがない。なにせアタシは、アタシを切り刻みやがったレイザー・ブリッグスの死亡記事を、預けられた教会で日に百回は読み直してきたのだ。

 それに二段ベッドの下を使っていたアタシは、切り抜いたジャックの写真を天井に張りつけてもいた。寝る前には腹筋がてらお休みのキスもした。いまの寝床は天井が高いから代わりにパスケースに入れて、お守りとして持ち歩いてもいるのだ。


 言いにくそうに『ファーマー』なんてシブい声で名乗っていたけど、アタシの目が、デスハンド・ジャックを見間違えるはずがない。

 証拠は他にもある。彼が持っていた超絶特徴的な得物――雷管式の、先込め式の、黒色火薬を使う回転式拳銃リボルバーだ。イマドキそんな銃を使っているのはジャックくらいのはずだ。少なくともアタシは他に知らない。


 陸舟乗りの見習いになったばかりの頃、デスハンドジャックの偽物に会ったことももある。けれどそいつは、雷管式拳銃に命を預ける勇気までは真似できていなかった。

 だからきっと、彼はデスハンドジャックで、賞金稼ぎで、アタシの英雄なのである。


 しかも彼は、都合よく、アタシの船に同乗してくれるという。これでもし明日からアタシの胸が膨らみ始めなかったとしたら、それはこの二カ月間続いて、まだしばらく続くであろう、いくつかのストレスのせいだ。


 ひとつ目のストレスは賞金稼ぎ狩りだ。

 アタシ――ジェシカ・フォルトゥーナ・パラッツォにとっての正義の味方にして貴重なお客様である賞金稼ぎたちが、ここ数か月の間、頻繁に死んでいたのだ。

 そのせいで陸舟商売は物品輸送(安いから好きじゃない)が中心になってしまったし、ラジオで賞金稼ぎの訃報を聞く度、灰色の空が真っ黒に見えてしまっていた。


 しかも、ここ数週間ときたら、可哀想な賞金稼ぎたちの死地は、少しずつアタシの縄張りに近づいてきていた。これは相当なストレスだ。

 アタシは、なんとかして賞金稼ぎたちを助けてあげたいと思った。

 そんなときに現れたのがバカ――グッドマンだったのだ。


 ところがこいつが、ふたつ目のストレスになった。アタシの後ろから犬のような息をしながらついてくるバカ――グッドマンは困った奴だ。なぜならグッドマンはバカどころか大バカで、とんでもない蛮勇の持ち主で、スケベだったのである。

 初対面で『小便臭いガキには欲情しない』とか言っていたのに、しょっちゅうアタシの足とお尻を、紹介してきたバブ爺みたいな目で覗き見してくる。


 バブ爺はバブ爺で尻を撫でてくるからムカつくけれど、客の紹介料だと真顔でほざくから心置きなく殴れる。けれどグッドマンときたら、頭にきてふっかけた乗船料の倍をポンと出し、その上でアタシが気づいてるとも知らずに熱視線なのだ。


 バカは振り向くといつでもそっぽを向いてる。ついでに口を開けば『お前みたいな――』ときたもんだ。それでも乗船料をもらった以上はお客様。殴るわけにはいかないし、目を抉るわけにもいかない。困ったもんでストレスなのである。


「お、おい! もうちょい、ゆっくり、走って、くれ!」


 バカグッドマンがぜーはー息をしながら言った。こんなバカでもお金はきっちり払ってくれたし、だからお客様には違いないし、結果としてジャックに引き合わせてくれたのだから、アタシは文句を言えないのだった。

 足の回転数を落として、棺桶屋の窓を山刀の柄尻で叩き割る。


「ちょ――嬢ちゃん! やめてくれ! 店を壊さないでくれ! というか早く出てってくれ!」


 棺桶屋の店主らしい白いカイゼル髭の爺ちゃんが、真っ青な顔して叫んだ。言われなくてもそうする。というか、アタシとバカが撃たれないように、家の中を通らせてもらうだけだ。だいたい街中に銃声が響いていたのに、聞かなかったのかな?


「爺ちゃん、通りに出たらダメだよ? 誤射されちゃうかも」

「分かった! 分かったから、はよう出てってくれ! お前さんらが家におったらもっと誤射されやすいだろうが!」


 失礼な。

 アタシが眉間に力を入れた瞬間、バカが爆笑した。


「だはははっ! 爺さん、よく分かってんじゃん! それ大正解だぜ!」

「ちょっと。グッドマン。笑う元気があるなら、もっと早く走ってよ」

「分かっちゃいるが、さっきの店で飲み過ぎたっぽくてな。足元がフラフラなんだ」

「それを言うなら頭がクラクラでしょ?」

「いいからさっさと出てけぇぇぇぇ!」


 白カイゼル髭の爺ちゃんが再び叫んだ瞬間、アタシは店の扉に殺気を感じた。


「伏せて!」


 アタシは窓を破って飛び出した。響く銃声。背後から聞こえたくぐもった音は、店の木扉を撃ち抜いたものだろう。走りつつ、耳を澄ませる。人の倒れる音はなかった。きっとカイゼル髭の爺ちゃんは無事だ。良かった。そしてバカグッドマンも生きている。こっちは少しだけ残念かもしれない。たまには痛い目を見ればいいのに。


 なんだかムシャクシャしながら店の正面に回り込む。二人。一人が扉に散弾銃をぶっ放してる。もう一人は小さな短機関銃サブマシンガンを片手に壁にへばりついていた。

 アタシは山刀を握りなおして、左目を瞑った。

 右眼窩内にあるバイオニック・アイが思考を読み取り、戦闘モードに切り替わる。

 そう。アタシの機械化された右目は軍用品なのである。


 かつてレイザー・ブリッグスの手により抉り出された右目は、謎の足長おじさん――きっとジャックだ――の寄付により脳神経に直接接続する義眼へと換装され、光を取り戻した。灰色の空をもう一度見れたときの感動を、アタシは一生忘れはしない。


 ましてや埋め込まれたバイオニック・アイが、最高級の軍用品だったなんて!


 おかげでアタシは、片目を瞑れば真っ暗闇の中でも昼間のように見えるし、砂埃に目をつぶらなくてもいいし、煙幕をたかれようが強烈な閃光を浴びようが問題とならず、いつだって前を向いていられる躰になったのだった。


 ありがとう、多分ジャックな足長おじさん。


 そう口の中で呟きながら、アタシは滑るように短機関銃男の背後についた。まだ気付いてくれない。これでは賞金稼ぎか賞金稼ぎ狩りなのか分からない。

 扉をぶち破った男がニヤリと笑って、店の中に叫んだ。


「おいクソガキ! 一緒にいたカウボーイはどこ行ったんだ!」


 なんだ、こいつらも賞金稼ぎ狩りだったのか。死ね。

 アタシはとりあえずバイオニック・アイを使って背中を向けてる男の腎臓の位置を把握し、山刀を突き刺してみた。脂肪は厚く、筋肉の方は薄っぺらい。まるで溶けかけたバターを切るように、刃は腹をあっさり貫通した。手首を捻って横薙ぎに。


「がっあああああぁぁぁぁぁぁ!」


 大絶叫だ。分かる。腎臓を刺されると、頼むから殺してくれと言いたくなるほど痛いのだ。アタシもかつてレイザー・ブリッグスにやられたから、よく知っている。

 扉の前の男が弾かれたように振り向いた。でも躰は扉の方を向いている。銃を扱うのなら、ジャックがそうしていたように、顔と銃口の向きを揃えるべきだと思う。それができれば、バカグッドマンの言い分じゃないけど、死ぬ確率はぐっと減るのだ。


 アタシは右わき腹から臓物を溢れさせた男のベルトをつかみ、立たせるようにして投げつけた。投げるというより、強引に走らせたに近いかもしれない。

 とにかくアタシはその背中に隠れて接近した。男の躰が通り側へと弾かれた。左手側から突きでる散弾銃の銃口。アタシはそこに山刀を振った。


 ぱぁん、と金属の切断音がした。

 残弾がチューブからこぼれて落ちる。

 アタシはさらに一歩踏み込んで、今度は散弾銃を握る右手を狙って振り下ろす。靴が床板を踏みしめる音と重なるように、ちょうど肘から先が落ちてゴトンと鳴った。


 男は目を丸くして短くなった腕を見つめた。浅く息を吸い込んだ。痛そうな叫び声は聞きたくないから、アタシは男の喉笛に山刀を突き刺した。

 山刀の切っ先が、男の喉ぼとけに沈み込み、


「――ぷっぁかっ」


 けた。

 斜めに切り下げ、肉の万力から刃を解放してやる。

 断ち切った喉笛から血の泡が湧き出し、鮮血が弧を描いて迸る。白茶けた大地が、びたびたと、血で染め上げられていく。腐敗臭が酷かった。

 何を食べたら、こんな匂いが出るんだろう。


「うぇぇ……吐きそうだぜ。よくやるよ、お前」


 棺桶屋の崩れかけた扉を靴先で押し開き、グッドマンが出てきた。


「ジェシー、お前、おれに隠れて、こんなことしてたのか?」

「別に隠れてやってたわけじゃないし。賞金稼ぎ狩りを狩ってるだけ」

賞金稼ぎ狩り狩りバウンティハンター・ハンティング・ハントってか? どっちにしてもよくやるよ」

「ギャンブルで負けて賞金かけられる方が、よっぽど、どうかしてると思う」

「賭けて、負けた、だけだ。どうかしてんのは負けた客に賞金をかける方――」


 グッドマンは口の端を引き上げ、空に向かって話しだした。


「だった、だな。理由がはっきりした。ミセス・ホールトンの狙いは最初からあのおっさんだったわけだ。だからこれまでも似たように賞金を懸けられた奴がいて、追われて、賞金稼ぎが死んだり、賞金首が死んだりした。とばっちりだぜ、こっちは」


 そうだった。それが一番大事だ。

 バカでスケベでカッコつけなグッドマンはどうでもいいとして、ジャックを狙うミセス・ホールトンとかいう女はムカつく。巻き添えで殺された正義の味方の賞金稼ぎたちが、可哀そうだ。

 アタシは山刀の血振りをして、布鞘クロス・シースに収めた。


「とばっちりに同情はしないけど、早く助けに行ってあげないと。もう走れるよね?」

「おれはここで待ってて、ジェシーがこの通りを陸舟で抜けてくるってのは?」

「ナシ。あんたのことを任せるって言われたし、重量物は浮上前に欲しい」


 運動不足のグッドマンのため息を無視して、アタシは再び陸舟目指して走った。

 街の外れどころか、ちょっと外まで。それなりに疲れた。

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