2.6

 改めて十年前のレイザーの被害者ジェシーに目を向けると、なるほど、と思う。

 日除けか血除けか、薄手で鳩尾のあたりまでしかないポンチョを纏っている。しかしそれも背中側に回され、両肩を丸出しにした短いチューブトップの下から、かわいいヘソがこちらを見ていた。腹を冷やさなきゃいいんだが。

 それに下は下でローライズのホットパンツだ。健康的かつ肉づきのいい太ももには、山刀の鞘が結び付けられている。足元は古式ゆかしいウェスタンブーツ。


 そして、傷痕。


 記憶を辿れば思いだせる。間違いなくレイザー・ブリッグスがつけた傷痕だ。瞳と交差するように走る二本の傷は、あのサイコ野郎お気に入りのやり口だった。

 やはり、あの日、俺が救ったことにした少女なのだろう。惜しげもなく肌に刻まれた傷痕を晒しているのは、『私は生存者だ』と誇っているからだ。


 でなければ十五、六にして男の腹を掻っ捌きはしないだろうし、全身の切り傷も消したはずだ。その証拠に、光を失った右目こそ機械式の義眼に換装していても、その瞳を跨ぐ二本の切り傷だけは残している。

 レイザー・ブリッグス。あのサイコ野郎は、死してなお俺を追い詰めるらしい。


「私はジェシカ。ジェシーって呼ばれてる。よろしく」


 ジェシーは山刀を左手に持ち替えた。右手に付いた血を拭い、差しだしてくる。

 ……どうやら元妻の名も、俺を追い詰めるのが得意らしい。運命とやらがいよいよ背中を蹴りつけてきたようだ。

 俺は手をあげて握手を拒否し、ジェシーに告げた。


「ともかく、狙われてるのは俺なんだ。君らはさっさと逃げた方がいい」

「そうかもね」


 ジェシーはこれ見よがしに肩を落とした。


「でも、狙われてるのが賞金稼ぎなら、アタシは逃げるわけにはいかないね」

「なぜだ? 俺はもう骨董品で――」

「関係ない。アタシにとって賞金稼ぎは恩人だから。見捨てるなんてできない」


 ジェシーは再び血まみれの山刀を握りしめた。どうやら本気らしいが、走ったところで狙撃手の元までたどり着けるかは怪しいものだ。なによりも、ここでカトーを追うのを諦めれば、俺自身は死なずに済むかもしれない。


「で、あんたはミセス・ホールトンに会わなくていいのかよ?」


 カトーが見透かすかのように――いや、俺を試すかのように笑っている。

 こう言いたいのだろう。

 真相を知らないまま、田舎に逃げ帰るのかよ。


 ガキが。俺はもうそこまで青臭いことを言えるトシではない。もしミセス・ホールトンに名を変えたジェシカを訪ねたのなら、なんのために引退・離婚という形をとってまで彼女を無数の復讐劇から遠ざけようとしたのか、分からなくなる。


「俺はフレンディアナに帰るさ。お前が話を聞いて、手紙で教えてくれ」

「――ハッ」とカトーはつまらなそうに鼻を鳴らした。

「勘違いすんなよ、おっさん。おれは勝負をしに行くんだぜ?」

「殺さずにおいてやったんだ。一個くらい頼みを聞いてくれてもいいだろう」

「それはおっさんの見方だ。おれからすれば、殺し損なっただけだ」

「……今、殺してやろうか?」

「わざわざ殺さずにおいたのに? それをやったら、おっさんの間抜けが証明される。挑発されたら引き金を引く馬鹿野郎です、ってこった。やめとくんだな」


 俺とカトーのやり取りを見ていたジェシーが、ため息交じりに言った。


「ミスタ・ファーマー。あんたがどう思ってるかは知らない。けど、このバカはずっとこんな感じだった。本気でそう思ってるし、そんな脅しにビビる奴じゃないよ」

「バー話して、よく分かったよ。何度負けても、次は勝てると信じてるバカだ」

「いまはこのバカの話はいいよ、あんたがどうしたいかだ。ミセス・ホールトンにはアタシも用がある。あんたも会いに行きたいって言うなら、アタシが命にかけて、例え死体になっていても、必ず連れてくよ」

「……ジェシカとか言ったか。お前もミセス・ホールトンに会いたいのか?」


 ジェシーの機械式の右目が、青く、強く、発光した。ように見えた。


「そうだよ。ミセス・ホールトンって女は――」ジェシーは、カトーを示すように顎をしゃくった。「このバカを誘蛾灯にして、賞金稼ぎ狩りをしてる。許せない」

「会ってどうする」

「どうするって……例えば……説得する? とか……殺す、とか?」


 絶句だ。俺が救ったジェシカが、元女房のジェシカを殺すのか。それを許せば、十年前の苦悩も、下した決断も、全てが水泡に帰す。

 自分の送ってきた人生を悔いるなんて誰でもやるし、死ぬまで無限に繰り返すに違いない。過ごした時間が誰かの手で台無しにされるのも日常だ。しかし――、

 どうせ否定されるなら、過去の後始末(ケリ)は自分の手でつけたくなる。


「俺もついていくと言ったら、どうする?」

「アタシの船に、そこのバカと一緒に乗せて、連れていく。料金は後払いでいい」

「……狙撃手は正面から狙ってきた。他の道も見張られてる。賞金稼ぎ狩りが来るかもしれない。それに俺は、そこのバカを他の賞金稼ぎに渡したくない。それでもか?」


 ジェシーは「さっきからバカバカうるせぇよ」と抗議するカトーを、ちらと見た。


「アタシがグッドマンと陸舟まで行って、そこの道に通すよ。あんたは飛び乗って」


 大したものだ。どうやら、もう方法まで決めているらしい。

 俺は鼻を鳴らして、幅一〇ヤードほどの、白茶けた道を指さした。


「そこの通りだって?」

「そう。北側から走らせる。双胴船カタマランだけど速度が出るから、一発勝負になるかも」

「……その間に俺は店の正面にいたスナイパーを撃ち殺しておくよ」

「バカ言えよ。一五〇メートルはあるぜ? あんたの銃は精々が三〇メートルだろ」


 カトーは茶化すように言って、俺に散弾銃を投げてきた。


「そいつなら一五〇メートルあっても届くだろ? 貸してやるよ」

「お前の銃じゃないだろう。それに、俺は他人の銃を信用していないと言ったろ?」


 俺は散弾銃のポンプを操作した。薬室から飛び出した赤い被膜の弾を、逃さず掴む。紙薬莢。つまり崩壊後に個人が制作した弾だ。信用できない。

 しかし、背に腹を変えられないのも事実だ。

 俺は弾丸を給弾口に突っ込みつつ、二人に言った。


「なにをボサっとしてるんだ。さっさと陸舟を回してくれ。じゃないと追手が増える」

「了解。やる気になってきたみたいだね。それじゃ、しばらく頑張って」


 ジェシーはカトーを手招きし、手っ取り早く隣の建物の窓をぶち割った。中から幽かな悲鳴があった。たしか仕立て屋か、床屋だったはずだ。どちらでもいいが。

 俺はバーの壁に背中を張りつけ、通りに向かって歩いた。被っていた帽子を散弾銃の銃口にひっかけ突きだしつつ、下から通りを覗き込む。帽子を狙ってくれれば銃身が邪魔して俺の躰は見えないはず――


 ぞっとした。

 反射的に俺はしゃがんだ。瞬間、頭のすぐ上を飛翔体が抜けていった。数舜回避が遅れていれば、この地で永眠していただろう。


 しかし恐怖の代償に、遠く離れた貯水塔の端に、青白い電光を捉えた。レールガンだかガウスガンだか知らないが、いずれにせよ火薬式の銃ではない。どうやら銃声だと思い込んでいた音は、飛翔体が空気の壁をぶち抜く音か、放電音だったらしい。


 貯水塔まで、およそ二五〇ヤードはある。

 カトー、いい加減な奴め。なにが一五〇メートルだ。

 口のなかで毒づき前進する。これだからメートル法を使う奴は信用できない。

 散弾銃を貯水塔に向け、引き金を引く。

 パチン、と短い音がした。それで終わりだ。火薬は燃えず、弾も出ない。


 ――不発か。


 再度ポンピング。不発弾が用済みとばかりに吐き出される。引き金を引く。今度は弾が飛び出した。ダブルオーバックの粒弾は、放射状に広がりながら飛翔する。

 が、それより早く向こうの弾丸がこちらに着いた。


 弾はこめかみを掠めて地面に着弾した。至近距離で聞こえた風切り音が視界を濁らせる。滅多に見れない霞がかった光景が居心地悪い。

 とにかく足を回転させて、店の横に置かれた樽の陰に身を隠した。

 振り向けば、そこに土煙があった。


 ――大失敗だ。


 気づいたときにはもう遅い。俺は樽の後ろに釘付けとなり、頭の上をさらに追加で一発の飛翔体が通り抜けていく。全身の筋肉が、本能的恐怖に強張った。


「カッコ悪いったらないな」


 思わずついた悪態も状況を好転させるわけではない。俺は役立たずとしか思えなくなった散弾銃を樽の向こうに投げ捨てた。願わくば降伏の証だと勘違いしてくれればいいのだが――そうはならなかった。


 再び雷の遠鳴りのような音がした。着弾と同時に散弾銃が木っ端みじんに砕け散る。つまり相手は次弾の装填中か、あるいは荷電中だ。二秒か、三秒ほどは。

 俺は樽から頭を出し、貯水塔に相棒の銃口を向けた。


 バカバカしいが、狙わずに撃つのは性に合わない。仰角をさらに二十度ほどつけてやる。銃を構える腕に貯水塔が隠れる。風は東から西へおよそ四ノット。上下角は変えずに腕を右に滑らせる。スコープを使っているなら、高角砲よろしく銃を構える俺が見えるはず。瞬間的に、バカな奴だと思うだろう。


 大正解だ。


 俺は引き金を引いた。ズン、と腹に響くような銃声がした。風で白煙が流れ、視界を奪う。着弾の確認はいらない。老眼が入った目では、どのみち確信に至らない。

 再び引き金を引く。色濃くなった煙に紛れて、弾倉を交換する。


 滞留する灰色のガンスモークの下で身を小さくして待つ。飛翔体は飛んでこない。向こうの再装填リロードは終わっているはずだ。

 まさか、俺の弾が頭にでも当たったか?


 ――ありえん。


「なにを馬鹿なことを」


 一人寂しく呟くと、ライフル相手に樽に隠れているのが、無性に可笑しくなった。

 俺は笑った。貯水塔のキャットウォークで昼寝する射手を想像して、笑った。

 クマのぬいぐるみのようにライフルを抱え、安らかな笑みを浮かべている。夢を見ているのだ。直前に見ていたウェスタンショーのカウボーイが、夢に出てきたのかもしれない。風に吹かれて寝返りを打つ。真っ赤な涎が一筋、額から流れる。

 俺は爆笑した。久々に緊張状態が連続し、オカしくなってしまったのかもしれない。


「滑稽だ」


 俺は後頭部を樽に打ちつけた。どぼん、と鈍い音がした。中身は液体らしい。

 それで奴は撃ってこなかったのか。

 弾丸ってやつは、水の壁に、すこぶる弱いからな。

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