第34話 Acronym lady

 エルデが沈黙した。それはもう完全に。


 そして一年が経った。ジキルもハイドも、いまだに帰ってきていない。


 僕の日常は大きく変わった。


 一つ目に国家情報管制室の正式な、依頼によって動くエージェントではなく職員となった。まあ、そうはいっても別に普段とは変わらないんだけれど。


「何をいうか! 今まで以上にこき使ってやるからな!」


 とは近藤室長の言葉。正直に言う、やりたくない。


 しかしやらねばならないのは事実でそうでもしなければ僕はフリーター。自分から仕事を探さねばならない。だげどその気力は僕にない。



 二つ目、捕まっていた天海零、僕の育ての親が釈放された。といっても自由の身になったというわけではなくその技術を生かせるところで行いかせということらしい。


 もともとレイさんの犯行理由が水城真希奈を名乗るハイドからのメールが原因らしく僕にちょっかいを出し、一方でリーシャと引き合わせてみる、というのが目的だったらしい。



 そして三つ目だが……


「美洋! 五分も遅れているぞ」

「アリス。どうして君はこの炎天下に外に出たがるんだ」


 これが一番大きいかもしれない。僕はアリスと行動する機会が多くなった。別に好きだとかそういう感情はお互いないだろう。だけど真希奈姉さんやハイドを除けば一番接しやすい人物なのは間違いない。

 振り回されてばかりだが。


 彼女も彼女でエルデやジキルといったプログラムに操られていたという方便と国の危機を防いだ功績で美洋の監視下のもと自由に暮らすことが許可された。


「なぜって簡単だろう! 今日はジキルとハイドの命日! 勝手にいなくなったあいつらに私たちが楽しんでいるさまを見せつけるんだよ!」


 どうやら彼女の知っている命日と僕の知っている命日は違うらしい。


 だが、それも悪くないな、と僕は思う。



 ジキルとハイドがいなくなったその次の日、アリスは朝から泣いていた。なにやらパソコンにジキルからの贈り物があったらしい。怒ったような、悲しいような、嬉しいような、そんな感情がごちゃごちゃになった顔で泣いていた。



〇〇〇


「つか……れた……」

「これで疲れるのか? これだから温室育ちのおぼっちゃまは」

「いや、これでもある程度動けるようにトレーニングはしてるんだけど……というかアリスこそどれだけ動けるのさ」


 壱日が終わる。今向かっているのは僕の家だ。なんでも、彼女は家を持っていないらしく(というか戸籍すら持っていないらしい)いつもホテルか漫画喫茶で過ごしているようで「楽しんでいるのを見せつけるんだぞ? 壱日中パジャマパ-ティーでもしようぜ」とのこと……


「ああ? これくらい動けないとあっちじゃ生きていけなかったぞ」

「ほんとに君はどこから来たんだい……」

「忘れたよ」


 いつ来ても返ってくるのはそんな返事ばかり。外見で判断しようにも外国人のようにも日本人のようにも見えるアリスの外見では全く判断がつかない。


「まあいいじゃないか。私の出身なんてさ。私たちは生きている。プログラムされたわけでも誰かに操られているわけでもない」

「うん、それもそうだ」

「うんうん、よし! 特別だ。今夜は特別価格で夜の相手もしてあげよう」

「ジキルにやめるよう言われたんじゃなかったか?」

「売るのはもう君だけだよ。それに安心したまえ。年齢はもう二十歳。だれにとダメられることもない」

「こんなに小さいのにね」

「まて、それは美洋が高すぎるだけだ、これでも百六十はあるし出るとこはでて引っ込むところは引っ込んでいるぞ」



 そんなたわいのない話をしながら、刻刻と僕のsんでいる、一人暮らしには大きすぎるマンションが見えてくる。


 先に気づいたのはアリスだった。


「ん? おい、だれかいるぞ? あのマンションお前だけしか住んでないんだよな?」

「そうだよ、だからここに住めばいいって何回もいっているだろ……本当だ、誰かいる」


 夕暮れで、陰になって相手の顔はわからない。だが僕は何かを感じる。本当にわからない。一と零のようにはっきりした違いではなく、本当に何かぼんやりとしたもの。


 そしてそれはアリスも同じだったらしい。むむ、とうなりながら前方にたたずむ影、おそらく女性だろう、を見つめている。


 そしてそうこうするうちに影の方も僕たちに気が付いたらしい。なにか喋りながら近づいてくる。



「おやおや、そんな関係になったのかい? もちろんそれも予測の一つ、アリスの物語の行く末の一つの可能性として考えていなかったわけじゃない。もっともそれはかなり低い可能性でもあったんだけどね。どうやらそれを引き当てたか」


 しっかりとした足取りで近づいてくる。どうやら性別は女性らしい。だが、やはり、帽子を深々とかぶっているせいもあって顔は見えない。


「なあ、アリス……どっちだと思う?」

「ど、どっちって聞かれても……だな……。そういやジキルが【真希奈がタダで死ぬわけがない、必ず自身のバックアップを作ってる、私たちとは別にね】とか言ってたぞ」

「おいまて、それは初耳だぞ」

「だって、聞かれてないもん」


 その会話が聞こえていたのだろう。相手の女性はにやりと笑う。


「一年ぶりか……はたまた数年ぶりか……ま、どっちでもいいだろう?」


「お姉ちゃん!」


 先に駆け出したのはアリスの方だった。


「おいアリス! ……姉さん!」


 そして僕も駆け出した。



 人でもプログラムでもロボットでもなんでもいい。目の前の人物は僕たちの【姉】だということだけは確信できた。

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アクロニムの淑女 ~ハイドサイド~ @ono_haruka

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