ピアノ・レッスン・ウィズタンバリン

 ヤスとコータは、北見家の門の前に立っていた。インターホンで来訪を告げると、門が自動的に開く。


「なにこれ。ミナミちゃん、なんか凄いとこに住んでるんだね」

「ああ。腐ってもご近所一番の土建屋の娘だけあるな。見ろよ、プールまであるぜ」


 ミナミの実家、北野建業は地域では有力な建設会社だった。規模はそれほど大きいわけではない中小企業ではあるが、道路工事から建物施工まで、手広くいろいろな現場へ顔を出している。ミナミはその北野家の三女なのだ。


 2人はしばらく庭を歩き、やっと玄関までたどり着くと呼び鈴を鳴らす。すると、ツナギ姿のミナミが現れて2人を迎えた。


「いらっしゃーい。時間通り。よろしい」

「お前さー、一応お嬢さんなんだろ? どうにかなんねーのかその格好は」

「さっきまで現場だったから。いーじゃんツナギ楽で」


 ミナミは父の経営する会社に一社員として勤めていた。中小とはいえ、社長令嬢だと周りが気を使おうとするのもどこ吹く風で、フォークリフトや重機の免許を取得し、ガンガン資材を運んだり壁を突き崩したりしている。休みの日には、かわいい服を探しに行くよりも、ワークマンに行って最新の防寒・防暑具やヘルメットを見るのが好きという、ちょっとどうかと思う趣味まで持っていた。


「もしかしてミナミちゃん、ツナギのままピアノ弾くの?」

「うん。練習だし。当日はさすがにドレス着るけどねー。あ、この部屋だから」


 ミナミに案内された部屋には、ピアノが一台据え付けられており、ミニシアター風のスクリーンまで設えられていた。


「おーすげー。さすがはお嬢様」

「まーね? これでも小さい頃からレッスン受けてるから」


 ミナミはピアノの前に座ると、ポロロンと奏でてみせた。その横で、ヤスは持ってきたノートパソコンをミニシアター用のプロジェクターに接続し、なにやら操作を確認している。


「よし映った。じゃあ始めよっか。一応ね、『Real Love』で組んできたよ」


 3人が披露宴の余興でやろうとしていたのは、ビートルズの歌の生演奏だった。ミナミがピアノを弾き語りし、ヤスはそれに合わせて新郎新婦の子供の頃からの写真を元に作ったスライド・ショーを表示するVJもどき、そして特に芸の無いコータは、タンバリン兼コーラスだ。


「なんでタンバリンなんだよ」

「ヤッちゃんと2人だけだと心細くて。お守りみたいな? でも手ぶらじゃ寂しいと思って。いいじゃん、適当に鳴らせば。基本立ってるだけでいいから」

「まあまあ、んじゃ1回通しでやってみよっか。スライドも見てもらいたいし」

「OK。スライド先行で良いの?」

「えーっと、適当に前奏ループってできる?」

「りょーかい」


 ミナミが頷いて、前奏部分をピアノで弾き始めると、スクリーンにはヤスが立ち上げたExcelが大写しされた。1枚目のシート上には、「新太郎くん&奈美ちゃんおめでとう」という派手な飾り文字ワードアートが表示されている。


「Excel? それ計算かなんかに使う奴じゃねーのか?」


 コータが指摘すると、ヤスは済ました顔でメガネをクイッと直してとぼける。


「まあまあいいからいいから。コータ君、サラリーマンはね、なんでもExcelを使って文章やプレゼンまで作るんだよ」

「ほー。ミナミ、そういうもんなのか?」


 コータは首をひねってミナミを見たが、デスクワークなどほぼやらないミナミも首を傾げている。2人ともあまりPCには縁がないのだ。


 一方、ヤスは小さなゲーム開発会社に勤めており、主にスマホのゲーム制作の下請けをしている。その関係もあってか、PCや映像関係の扱いに詳しく、今回も映像部分を担当することになったのだ。そのあたりの事はよく知らないコータとミナミにしてみれば、ヤスが言ってるのだから、そういうものだろうと思うほかない。とりあえず続行することにした。


 2枚目のシートに移動すると、「お二人の24年間の軌跡」というド派手な飾り文字がスライドインすると同時に、新郎新婦の2ショットの画像が現われた。


「お、動くんだ」

「うん。マクロって奴があってね、動かせるんだよ。で、ここから歌に入ってみて」


 ミナミが頷いて、ゆっくりと歌い出す。普段のミナミの声は、高くて威勢の良い声だが、歌う時は、低く、囁きかける様なゆったりとした声になる。ピアノの演奏に良く合うボサノヴァのシンガーのような優しい声なのだ。


「相変わらずミナミは、こ洒落たカフェの店内BGMみたいな歌い方するな」

「それ褒めてるの?」

「いや、ただそんな感じがするってだけだ」


 コータとミナミがそんなやり取りをしていると、スクリーン上のExcel画面からはグリッド線が消え、スクロールバーが消え、リボンやメニューも消えてほとんど真っ白な状態になった。そして、先ほどとは違う、柔らかい雰囲気のあるフォントや写真が、ミナミの演奏に合わせて表示されていく。


「おー、それっぽい。さすがヤス」

「ヤッちゃんこれ歌詞まで表示してくれるの?」


 スクリーンの下端には、Real Loveの英語歌詞が表示されていた。


「うん。作る時にタイミング合わせる為に歌詞を置いておいたんだけどさ、これ、残しといてもいいかなあ、って。ミナミちゃんやコータ君が歌う時も歌詞あった方がいいでしょ?」

「うーん、なんかカラオケっぽくなるけど、わかりやすくていいかもね。歌詞知らない人でも内容分かるようになるし」


 ミナミがそう言うと、コータがポンと手を打つ。


「ヤス、どうせ歌詞表示するならさ、その上にカタカナでフリガナ振っといて貰えねーかな。俺、英語読むの苦手で。読めねーことは無いけど、歌うとなると譜割りとかわかんなくなって詰まっちまうんだよ」

「フリガナ? できるけど。でも、なんかカラオケ感増すけどいい?」


 ヤスがミナミに確認を取ると、ミナミは少し考えて頷いた。


「いいんじゃない。あまり綺麗な感じでやるよりも、そっちの方がウケそうだし」

「了解。じゃあ付けちゃうか」


 ヤスはスライド・プログラムを一旦止め、歌詞の上にフリガナを振る。その後、3人は何回か通しでリハーサルを行った。


「それにしても、なんでビートルズでこの曲なんだ?」

「私が弾けるから! ……というのもあるけど、シンちゃん無駄に顔が広いじゃん? だから、みんな知ってる歌手の曲がいいかなーと思って」

「それでビートルズなんだね。でも、ビートルズでラブソングだったら、他にもいっぱいあるんじゃないの? それこそ、『All You Need Is Love』とかCMでもよく流れてるようなのが」


 ミナミはヤスの疑問に人差し指を立てて答える。


「それね。シンちゃんに確認してみたら、その曲、新婦さん側の同級生がるんだって。みんな曲選ぶときに同じ事考えてるみたい」

「そうなのか。そういやトビちゃんは高校の時、吹部すいぶだったとか言ってたな」

「そうみたいよ。あとは、『Hey Jude』とかも考えたんだけどね」


 ミナミは、たん、たん、と冒頭のコードを繰り返し弾いてから、ワンフレーズだけ歌ってみせた。


「あー、それ俺でも聞いたことあるわ。そっちでも良かったかもな」

「うん。でもReal Loveの方がストレートに結婚式っぽいかなって思って」

「そうだね。でも、そうなると同じ披露宴でビートルズ2曲なんだ。なんか比べられるみたいで緊張してきた」

「余興対決! このミナミさんの演奏に任せといて。あ、コーラス&タンバリンも期待してるから」

「おまけ扱いじゃねーか。まあ邪魔しないように歌っとくわ」


 3人がそんな事を話していると、コンコンとドアがノックされ、ミナミの姉がお茶を持って入って来た。


「いらっしゃい。コータ君に、……こちらは初めましてかしら。ミナミの姉です。”安倍川餅あべかわもち”と、”こっこ”をいただいたので、お裾分けにどうぞ。皆さんご一緒に余興の練習かしらん? 頑張ってね」


 ミナミの姉は、邪魔をするのも悪いと思ったのか、お盆を置くとすぐに出て行った。せっかくなのでお茶が冷める前にいただこうと、3人は休憩することにした。


「やった! 安倍川餅! 私はあんこ派」


 ミナミが早速餡にくるまれた方の餅をひょいぱくと口に運ぶ。

 安倍川餅は、静岡名産のきな粉のたっぷりまぶされたきなこ餅だ。こしあんに包まれたあんころ餅とセットになっている事が多く、時には静岡茶を練り込んだ抹茶餡で包まれているいるものもある。

 もう一方の「こっこ」は、ミルククリームを口どけの良いふんわりとした蒸しケーキで包んだ、静岡県ではおなじみの銘菓である。


 きな粉餅をひとつ摘まんだヤスが、鼻を膨らませて蘊蓄うんちくを語り始める。


「安倍川餅の名付け親は、かの徳川家康なんだよ。静岡の金山の検分に来た家康公に、きな粉を『金の粉きなこ』に見たてて『金粉きなこ餅でございます』と言って出したら、凄く喜ばれて『この地にちなんで安倍川もちと名付けるがよい』って言われたんだ」


 コータとミナミは、ヤスの熱弁を、ふーん、とか、ほー、とか言って適当に聞き流して安倍川餅とこっこをパクつく。


「他にも餅に関わる戦国武将と言ったら、『信玄餅』の武田信玄、『ずんだ餅』の伊達政宗、『こねつけ餅』の真田信繁、ああ、幸村ね。それに上杉家の笹団子に、明智光秀のちまきに、本願寺の松風に……」


 ヤスがメガネを光らせて語っているのを無視して、ミナミがコータに尋ねる。すでに皿の上のあんころ餅はミナミによって全滅している。


「ところで安倍川ってどこにあるの? 富士宮じゃないよね」

「安倍川は静岡市だな。こっからは結構西だな。富士宮の川ってなると、潤井川うるいがわ神田川かんだがわあたりになるんじゃねーのか」

「潤井川はわかるけど、神田川ってどこだっけ?」

「は? ほら、浅間せんげんさんの湧玉池わくたまいけの横の。こないだ御神火ごじんかで神輿担いで中入った川あるだろ。あれだよ」

「あー! そっか。あそこが神田川なんだ」


 富士山のある富士宮市では、富士山信仰の神社として知られる浅間神社の総本宮である富士山本宮浅間大社ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ、通称「浅間さん」が、駅前市街地の中心に据えられている。大社本宮の本殿は徳川家康による造営であり、国の重要文化財に指定されている。


 浅間大社内には、富士の雪解け水由来の霊水が湧出する「湧玉池」があり、この湧玉池を源とする河川が神田川である。ちなみに、湧玉池は国の特別天然記念物に指定されている。


 浅間大社で行われる祭りとしては、5月に行われる「流鏑馬やぶさめ祭り」が有名だ。水干すいかん鎧直垂よろいひたたれといった当時の装いを着用し、疾走する馬に騎乗ししながら和弓で的を射るこの神事は、源頼朝が富士の巻狩りを行った事に端を発するという。


 また、流鏑馬ほど有名ではないが、8月には「御神火ごじんかまつり」が行われる。浅間大社内に設置された「御神火」から採った火を灯した8基の御神火神輿ごじんかみこしが用意され、それを担いで練り歩くという神輿祭りだ。


 流鏑馬祭りでは限られた人間しか馬には乗れず、矢も射れない。しかし、神輿であれば担げる人間は激増する。そのうえ、「宮おどり」というダンス・パレードも行われるため、神輿を担げない子供やお年寄りも皆が直接参加できる。地元の人間にとっては、ある意味、流鏑馬よりも参加意識の強い「ウチのお祭り」感のある祭りが、御神火まつりなのだ。


 かくいうコータ達も今年の夏、神輿を担いで富士宮の市街地を練り歩いていた。


「あれすげー冷たいんだよ。火祭りとかいってるけど、実質水祭りだよな」

「そう? 私は乗る方だったから」

「あー、お前乗る方かー。一番いい席じゃねーか」


 御神火神輿は、基本的には地元の人間が担ぐ。神輿の上の御神火の回りには、揃いの法被はっぴを着た数名の女衆が乗って気勢を上げ、男衆はその下で神輿を担ぎ、市内を練り歩く。その道中、特に宮町みやちょう商店街周辺のあたりに来ると、沿道の観客がスペインのトマト祭りのようなノリで、担ぎ手に水をかける事がお約束になっている。


 水鉄砲やボウル、バケツに溜めた水をかけるのはまだ可愛い方で、中には水道に直結したホースで放水する者までいる。コータなどは悪乗りした同級生に、氷入りのバケツをダイレクトに頭から被せられた事もある。


 そして神輿担ぎのクライマックスとして、神輿を担いだまま神田川へ突入する最終関門が待っている。そのまま川の中を遡り大社前まで行進するのだ。夏場とはいえ、神田川の清流はとても冷たい。担ぎ手達は、腰ほどまでを川に浸かりながら、半分悲鳴のような掛け声を上げて神輿を大社まで運ぶことになるのだ。


「あれ楽しいけどすげー冷てーんだぞ。上だとわかんねーだろうけど」

「うん。あの川のとこ、みんなバランス崩しがちで超揺れるの。結構スリルあるよ」


 コータとミナミが御神火まつりの事を話していると、ヤスがポツリと言った。


「祭りと言えばフェスのご飯、大丈夫なの?」


 言った本人であるヤスが、しまった、という顔になり、微妙な空気が流れた。その空気を振り払うかのように、コータが明るい声を出す。


「まあまあ、それは俺に任せといてくれ。あらためて昨日は悪かった。なんとかするからさ」


 ミナミも話を逸らすように話題を変える。


「ご飯はコーちゃんに任せるとして、ムギさんのスイーツ! おいしかったー」


 自分の言葉で味を思い出したのか、ミナミはうっとりと反すうするように頬に両手を当てる。


「ああ、ツムギは高校卒業して、すぐに調理師専門学校入ったからな。そこで2年間パンとか菓子の実習に、経営周りの勉強やって、それからは親父の店の従業員だ。今じゃ食材の仕入れや在庫管理は、ほぼツムギがやってるぞ」

「そうなんだ。じゃあ、お店関係じゃコータ君より先輩って訳だね」


 ヤスの言葉にコータは頷く。


「そうだな。俺がちゃんと飯に向き合ったのは大学卒業してからだからな。ツムギの方が先輩も先輩、大先輩さ。あーあ、小さい頃は、虫が出たくらいでも『コーちゃん助けて!』って泣きついてきてたのになあ。今じゃ、キッチンで虫が出ても、俺がビビっている間にツムギが冷静に片付けちまうくらいだもんなあ。まったく、しっかりしやがって……」


 コータがタンバリンをシャリシャリ言わせながら愚痴を言っていると、ミナミがそれ以上言うなとばかりに手の平を広げて前に突き出した。


「待って!」

「ん?」

「……出るの? 虫。ひょっとしてGがMAKA-MAKAに?」


 ミナミの顔はいつになく真剣だ。コータは面白い玩具を見つけたかのような顔になると、ミナミにわざと詳しく説明しだした。


「ごくたまにな。たまにだって。でもいいかミナミ、安心しろ。Gは熱湯に弱い。そしてキッチンの床はタイル張りだ。すぐに熱湯を作ってかけちまえば、Gも退治できる上に殺菌効果もバッチリ……」

「いやっ! そんなノウハウ知りたくない!」


 一部の虫が大の苦手なミナミは両手で耳を塞いでぶんぶんと首を振る。


「あー! もう! はい! 練習しよっ! 虫の話はおしまい!」

「なんだよ終わりかー。よし、やるか」


 そして3人は、余興の練習を再開した。


 フェスまでは、あと9日――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る