好きなだけじゃ駄目かな

「なにこれ! おいしー! こんなの作れたの?」


 MAKA-MAKAのカウンターでは、ミナミが焼きリンゴのシナモントースト・ソフトクリーム添えを頬張り、幸せそうに頬に両手を当てている。


 そのラム酒と砂糖でじっくりと煮たりんごのコンポートが並べられた厚切りのパンは、かりふわにトーストされており、さらにその上には、朝霧牛乳から作ったもっちりとした手作りのソフトクリームが鎮座し、シナモンパウダーが振りかけられている。シナモンの香りに誘われて口に運べば、熱々のトースト上のバターにりんご、そして溶けだしたクリームが渾然一体となって口に広がる。ミナミの舌の上では、塩気に酸味に甘み、そして温かさと冷たさが絶妙なハーモニーを奏でていた。


「こっちも本当おいしいよ。見ただけだとわからなかったけど、このジェラート、チーズが練り込んであるんだね。レアチーズケーキ食べてるみたいで最高。ベリーとも良く合ってるよ」


 ミナミの隣では、ヤスが朝霧クリームチーズのジェラートを幸せそうに口に運んでいる。


 半円形の陶器の器のなかには、ラズベリー、ブルーベリー、そしてストロベリーの3つのベリーが添えられたジェラートが小山を作っている。その頂上からは紅く煌めくラズベリーソースがかけられており、涼やかで、華やかだ。その乳白色のジェラートには、朝霧高原で作られたクリームチーズが練り込まれており、気づかずに口に含めば、見た目に反した濃厚な舌触りと、と広がるチーズの香りが口から鼻へと抜けていく。冷たさと甘酸っぱさが提供する驚きと喜びは、喉から耳の奥の方にかけ、ぞわぞわっとした痺れにも似た感覚までもを呼び起こす程であった。


 さらに、ジェラートに添えられたエスプレッソを口に含めば、冷たさと甘さと酸味を、温かさと苦さが心地よく洗い流す。その心地いい苦さが過ぎ去れば、再びジェラートへとスプーンを伸ばす事になるのだ。


「ああっ! ヤッちゃん全部食べないでよ? 私にも少し頂戴。こっちのりんごトースト少しあげるから」


 ミナミはいつにない必死さでヤスへとシェアを持ちかける。ヤスはヤスでジェラートを口に含んだまま、親指を立てている。


「それにしても本当においしー。ムギさんて、お酒だけじゃなくてスイーツも作れたんだね」


 ミナミが目をキラキラさせながら言うと、ツムギはグラスを磨きながら照れ臭そうに答える。


「専門学校に行ってた時には、実技で製菓コースをとってたんです。ですから、パンやお菓子ならちょっとは作れるんですよ」

「そうなんだ。いや本当においしいよ。フェスでこれ売っちゃえばいいじゃん。僕だったら絶対買うよ」


 ヤスの言葉に、隣のミナミもうんうんと頷いている。


「いえ、これはあくまでもお試しというか気晴らしというか。保存を考えなくてもいい作りたての物を出せたので、たまたま美味しくなってるんだと思いますよ。フェスで提供するには、そのあたりの設備も機材も足りませんから、うちではちょっと無理です」


 ツムギはにっこりと笑って首を振った。


「ふうん。そういうものなんだ。でもでも! ムギさんさえいれば、いつでも手作りでこれを作ってもらえるって事だよね。よし! ムギさん! 結婚してくれ!」


 ミナミは大袈裟に両手を広げた。が、いつもは直ぐに突っかかってくるはずのコータは黙ったままだ。ちらりと3人がキッチン奥の方に目をやると、コータはひとり、目を血走らせて親子丼を作っている。


 ミナミはため息をついてカウンターへと肘を突いた。


「コーちゃん、苦戦してるみたいだね」

「はい……」


 ツムギも心配そうに頷いた。


 コータが店舗を仕切ると宣言してから既に4日が経過していた。最初のうちこそは、あれやこれやと騒がしく新メニューを考え、威勢よく親子や角煮の練習をしていたコータであったが、主力の2つのメニューが思うように作れずに、だんだんと口数が少なくなっていった。


 大将が退院してからは、直接作り方を聞いたり見たりしてもらったのだが、大将は相変わらずうまく説明する事ができず、コータはコータで思っていたように作ることができず、お互いに苛立って喧嘩ばかりしていた。軽口をたたき合う程度ならいつもの事であったが、今回は少し様相が違う。


 ここ2、3日は、毎晩シンタやミナミにヤスがMAKA-MAKAへやってくると、すぐにコータは親子か角煮を出し、味見をして貰ってはその結果に眉を曇らせる日々が続いていた。作る方のコータも大変だが、食べる方も大変だ。飲み屋のお通しのように毎日丼が出てきて、しかも、あまりおいしいとは言えないその丼の味を、分析してレポートするような事を求められるのだ。


 そんな日が続いていたので、見かねたツムギが気晴らしに、朝霧高原の乳製品を使ったスイーツを作ってふるまっていたというわけだ。


「コータ君の丼、前よりは食べられるようにはなって来てはいるんだけどねえ」


 ヤスがポツリと言うと、ミナミとツムギも頷く。と、そこに、ドアベルを鳴らしてシンタが入って来た。


「おー、悪い悪い。式の打ち合わせで高校の時の同級生と会って来たわ。いやー、なんだかんだで疲れた。ムギちゃん、スクリュードライバー頼める?」


 ツムギが返事をして棚へと向かうのと入れ違いに、コータが待ってましたとばかりに親子丼を手にやってきた。


「おうシンタお疲れ。早速ですまねえけど食ってみてくれ!」

「おーおー、了解。やってんなー」


 シンタは早速コータの親子丼に箸をつける。その様子をコータは固唾をのんで見守っていた。


「うーん。まずくはないけどなあ。まあ行けなくはないんじゃないか?」


 シンタの答えに、コータは悔しそうに天井を見上げる。


「そうか。じゃあまだ駄目か。シンタ、何が原因かわかんねーか? 何か足りないとか、余分だとか」


 詰め寄るようにコータが訪ねると、ミナミが冗談めかして横やりを入れてきた。


「足りないって言うと、やっぱ美味しさ?」

「おいおい、それをいっちゃあお終いだろ。なあコータ?」


 いつものようにシンタが笑って突っ込んだが、コータは返事をしない。それどころか、無言でテーブルをバンとひとつ叩くと、吐き捨てるように声を荒げた。


「わかってんだよそんな事は! そういんじゃなくてよ、もっと具体的によ。あー、もう、お前らも真剣に考えてくれよ!」


 コータの言葉に、店内が静まり返る。カクテルを淀みなく作っていたツムギの手までもが止まり、否な雰囲気のまま静寂が流れた。


 その静寂を破ったのは、ミナミだった。


「意味わかんない。ちょっと無理。コーちゃん、手伝うって言ったけど、私たち別に、MAKA-MAKAの店員じゃないんだよ? 元々はタダでフェスに行けるって話だったのに、真剣に考えてないとか言われるの違くない? 私帰るから。バイバイおやすみ」


 そういうと、カウンターにお金を置き、ドアの方へとずんずんと歩いていく。誰も声をかけられずに見ていると、ミナミはドアに手をかけて振り返った。


「あ、そーだ。明日の18:00にウチの本家でシンちゃんの式のやつの練習だからね? ご飯とかどうでもいいからちゃんと来てよ」


 そう言い残すと、バタンと乱暴に扉を閉めて出て行ってしまった。コータが何も言えずにいると、ヤスもスッと立った。


「コータ君、悪いけど僕も帰るね。ちょっとやりたいこともあるし。やっぱり、味付けとかに関しては、僕も何もわかんないよ。力になれなくて悪いけど、そういうことだから」

「ああ、ありがとうヤス。悪かった」


 コータがやっとそれだけ言うと、ヤスは軽く首を振って、そのまま店から出て行った。残った3人は、しばらく無言だったが、シンタが立ち上がってコータのすぐ前のスツールへと移動してきた。


「コータ」

「おう」

「焦る気持ちはわかるけど、今のはお前が悪いからな」

「……ああ。そうだな」


 コータはシンタの顔を見ないまま頷いてトニック・ウォーターを煽る。


「言わなくても分ってると思うけど、言うぞ。こういうのはキッチリ口に出しとかねーと後でめんどくせーってトビセに教わったからな」


 シンタの軽口に、コータはかすかに口の端を上げる。


「ミナミもヤスも、もちろん俺も、なんとか力になりたいとは思ってんだ。でもな、味付けとか調理方法とかになるとやっぱお手上げなんだわ。力になれなくて悪い」

「いや、当たり前の話だ。イラついた俺がどうかしてた」

「ああ。それにな、お前は気が付いてねーかもしれねーけど、最近のお前は、いつものコータらしくねーんだ。正直、今のお前が作る親子丼や角煮丼は、いつものメニューと比べたらな、まだマシなんだよ。食えなくはねーんだ。冗談抜きで」


 コータはよしてくれというように手を振るが、シンタはそのまま続ける。


「でもな、それ以上にお前がテンパりすぎてて、んだ。飯を食うのに面白いだのつまんねーだのはおかしな話だけどよ、つまんねーんだよ。いつものお前は、マズい飯作る時も楽しそうで、謎に自信満々でよ。だから、こっちも”よっしゃ試してやるか”、って気になってたんだ。でも、今はそれが全然ねーんだ」


 シンタの指摘を聞いて、初めてコータがシンタの顔を見た。シンタの顔はいつになく真剣だった。そして、その目がふっと緩んだ。


「ま、疲れてんだろ。今日くらいは頭冷やせ。そんで、また明日から頑張れ。俺たちも力になってやりてーが、今お前が戦ってる場所じゃあ力になれねえ。そこは、お前がやるしかない場所だ」


 シンタは立ち上がると、バンバンと力強くコータの肩を叩いた。


「それで、気晴らしっていうのも変だが、俺の結婚式でパーッとやって、そっからまた頑張ってくれ」


 いつもの三日月形の目で笑うシンタにつられて、コータもふふ、と軽く笑う。


「ああ、そうさせてもらう。シケた面でお前とトビちゃん祝うわけにもいかねーもんな。シンタ、ありがとな」

「おう、んじゃ今日は俺も帰るわ。ムギちゃん、せっかく作って貰ったけど、それ、残すね。ごめんね。お金だけおいて帰るね」


 そう言うと、シンタも店から出て行った。コータはカウンターに両手を突き、深いため息をついた。


「はー。何やってんだ俺は。フェス飯店舗を仕切るオーナーだとか浮かれてて、皆をアゴで使うような真似しちまうなんてな。何様だよって話だぜ」


 ツムギは黙って聞いている。


「ツムギ、今日はもう閉めるか。お前にも昼から練習に付き合って貰ってすまなかった。お疲れさん。〆のマティーニを……」


 そこまで言ってコータは首を振った。


「いや、手間がかかるもんな。ターキーをロックで……いや、それも手間か。ショットで1杯だけ頼むわ」


 コータはそう言うと、カウンター側のスツールへとどっかりと腰を落として頬をカウンターテーブルへと着けた。ツムギが目の前に琥珀色のバーボン・ウィスキーの入ったショットグラスを置くと、しばらくそれを弄んでいたが、やがて、ちびりと1口流し込む。


「はー、うめえ。うまいし、好きなんだけどなあ。飲むとすぐ寝ちまうからな」


 コータはお酒も飲めるカフェバーのオーナーではあるが、酒にはめっぽう弱かった。決して飲めないわけでは無く、いろいろな酒を飲むのはむしろ好きだ。しかし、めっぽう弱いのだ。少し飲んだだけで頬は赤くなり目はとろんとし、そのままぱったりと寝てしまう。


「いつもトニック・ウォーターですもんね」


 珍しく隣にツムギが腰かけた。手には、シンタがオーダーだけしたスクリュードライバーのロンググラスを持っていた。シンタさんにご馳走になります、と呟いて、両手を添えたグラスを軽くコータのショットグラスに合わせると飲み始める。


「ああ。おっかしーなー。酒を飲みながらオーダーを捌くワイルドなオーナーになるはずだったんだけどなあ?」


 自らも一杯ひっかけながら料理を提供するのがと思っていたコータであったが、実際にやってみると、生来のお酒の弱さのためかすぐに赤くなり、ガスレンジの焼き場の熱に煽られてさらに周った酔いの為に、しまいには足にまで来る始末。早々に諦めて、ノン・アルコールのトニック・ウォーターを片手にオーダーを捌く日々を送っていた。


「同じ兄妹でもツムギは飲んでも顔色ひとつ変えねーでケロっとしてんのになあ。飯にしても、パーっと地元食材で、いい感じのスイーツ作れるし。俺の方が絶対、酒を飲むのも、飯を作るのも好きなはずなんだけどなあ」


 コータは自嘲気味にふふ、と笑う。ツムギはどう答えていいのかわからないのか、困ったようにコータを見つめている。


「はー、でもやるしかねえか。せちがらいぜ。なあツムギ、好きってよ、ただ好きなだけじゃ、うまく行かないもんなのかもなあ」

「コータ君……」


 ツムギが何か言おうとして、口を開きかけた時、コータは、がばっと立ち上がって両手で頬をパンパンと叩いた。


「あーやめだやめだ。すまねえな。愚痴になっちまった。今日はもう掃除して寝るとするか。閉店作業は俺がやるから、ツムギは先に上がって風呂にでも入ってくれ」


 コータは看板を降ろしにドアの外へと出て行った。その姿を見送っていたツムギは、ロンググラスに残っていたカクテルをぐいっと飲み干すと、ふうっ、と小さくため息をついて肩を落とす。そしてぽつりと呟いた。


「確かにただ好きなだけじゃ、うまく行かないのかもしれませんね」


と。


 フェスまでは、あと10日――。

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