シ⇄ン

こなしー(仮)

序幕

"シ"






『あり得ない』






という言葉で片付けられるモノはこの世に一つたりとも存在しない。






これは我々人間という存在に限った話では無いのだが、

逆に言えばその人間ですらも。


その目、耳、鼻、手足、舌…


…あらゆる器官で感じ、脳で処理されるそれらの情報には明らかに”限界”がある。







超音波は聞こえない。



赤外線や紫外線は見えない。



匂いで一酸化炭素の判別はできない。




ふと思い付くだけでも五感で認知出来ないモノの例はいくらでも出てくる。

この時点ですでに、限界があるのは分かりきっている。


では、そんな限界があるにも拘らず何故それらが存在すると断言できるのか。






『カガク』で証明されているからか。


果たしてそれは根本から事細かに、何から何まで完璧に理解された上でそう断言されているだろうか?


否、例え仮にあなたが完璧に理解できていたところで、それが






ひょっとすると、単純に嘗ての偉人達が何らかの形で何らかの情報を間違え、そして我々が何らかの原因によってその間違いに気づけずにいるのかもしれない。



あるいは 例えば経済的な面など、何らかの形で世界中にダメージを与えることが懸念され、何らかの国際的機関により各国へ本来の情報の隠蔽が指示されていたりするのかもしれない。



もしくは、実はその存在は全く別の第三の存在によって発生するただの錯覚であり、蓋を開けてみればそんなものは厳密には存在しなかった、なんて話だったとしたらどうだろうか。







…馬鹿げている、などと一蹴してしまえばそれまでだが―――

―――しかし こういった事は、肯定はまだしも否定する事など到底不可能なのである。








『宇宙人が居るかどうか』といったような疑問も全くの同様だ。




はてさて、学生時代にでも習わなかっただろうか?


我々が住む世界とも言える、星…その数についてを。



無論、説は一つではなく、断言はできないが大体はこう言われている―――





『我々の住むこの星がある銀河にある星の数が数千億個。

そしてその数千億個の星を抱える一つの塊、銀河がさらに数千億個。』




―――と。


これが例えその規模の広さを例えるため、わざと多めに見積もった数であろうとも。

あるいは少なめの、現時点で何らかの形で確認できる分だけの見積もりであろうとも。


そんな事は一切関係ない。




…いくら現代のカガクというもので証明されていないらしき事だからといって、

一体何をもってしてその存在を否定できるというのか。


これだけの膨大な数、その宇宙人が存在できる“確率”があるというのなら、

むしろ否定する方こそ馬鹿げているとも言える程であることだろう。





こういったような考え方をしてくると、もはやカガクなどそこらの宗教のようなモノとそれ程大差は無いようにすら思えてくる。


ただ、単純にそれが、というだけで。







そうだ。


我々がこの世のイキモノである限りは何事も肯定できず、否定できない。




断定は不可能。


もはや何であろうともあり得る。


ただできることと言えば、『信じたいモノを信じる』事のみ。






それを無意識、意識的に関わらず常に行い、

我々はこの『「現実」との、何とも心許ないナニカ』の元で生きているのだ。












では…私個人は、と言えば。








『せめて目で見るなどして感じたものはとりあえず信じたい』



という何方かと言えば一般的とされそうな考えの一つを、信条としている。






つまり例え目の前にどんな非現実がいきなり投げつけられようとも、

それをただ受け入れる。











そう、例えそれが―――


















―――あまりにも唐突過ぎた、己の死ハジマリであろうとも。

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シ⇄ン こなしー(仮) @konashie

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