ミステリィ作家ゲーム

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ミステリィ作家ゲーム(単発短編作品)・全文

「──ふん。一族を裏切った罰当たり娘の孫息子風情が、今ごろのこのこと現れおって。いったい何を企んでおることやら」

 最初の正式な『次期当主後見人決定会議』が大方の予想通りに物別れに終わった後で、その我が海亀うみがめ一族における最重鎮の壮年男性は、わざわざ一番の若輩者である僕のもとまで足を運んで来るや、いかにも忌ま忌ましげにそう言い放った。


 僕の手のうちのブルーベリーのスマートフォンの画面の中で、頭上に『真犯人(候補)』という文字を浮かばせながら。


 しかもそのような何とも珍妙な有り様であるのは、何も彼だけではなかった。

 今この時、会議場として使われている海亀本家所有の三階建ての広大な別荘の一階中央にある大広間に集っている、多数の老若男女へと順繰りにスマホの内蔵カメラを向ければ、画面内の彼らの映像の頭上には、『被害者(候補)』や『加害者(候補)』や『名探偵(自称)』や『影の黒幕(仮)』や『ヒロイン(内定)』や『かませ犬(確定)』等々といった、何とも意味深な文字が表示されていたのだ。


 ──そう。あたかもミステリィ小説か何かの、配役そのままに。


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 瀬戸せと内海ないかいのほぼ中央にぽつんと浮かぶ、人呼んでうみがめじま

 年中渦巻く激しい潮流に取り囲まれ、島の外周はすべて船着き場なぞ存在し得ない断崖絶壁のみといった威容を擁し、本土との交通手段はヘリコプター等の航空機に頼るしかないという、まさしくミステリィ小説そのままの怪事件が起こるにふさわしい、いわゆる『天然の閉鎖空間クローズドサークル』とも言うべき絶海ならぬの孤島。

 もちろん海亀島と言っても、砂浜なぞどこにも存在しないこの島が海亀たちの産卵地として有名な観光名所なんてことがあるはずもなく、ただ単にこの島の所有者が我が国でも一二を争う名家たる、『海亀うみがめ』家という名の一族であるだけのことであった。

 実は世間一般には秘匿されているのだが、ここには海亀家の隠し別荘が存在しているのであり、そのりゅうぐうじょうもかくやといった豪華絢爛極まる三階建ての和風建築の楼閣は、一族における極秘の重要なる会合の場として使用されていて、今回もまさしくいまだ幼き次期当主の後見人を決定せんとする、一族の有力者全員参加による最高意思決定会議が開催されていたのだ。


 事の起こりはおよそ一年前に、前当主の海亀うみがめじん兵衛べえ翁が老齢で大往生したことであった。


 もちろん単にそれだけの話であれば、彼の直系の子女が次の当主となればよく、後見人擁立等のやっかいな相続問題なぞ生じなかったであろう。

 確かに彼の一人娘の海亀うみがめいる鹿においても、当然のように幼い頃から次期当主襲名が決定されていて、それは一族の有力者たちも全員認めるところであった。

 しかしそんな文字通りの箱入り娘のお嬢様が見初めたのが、年がら年中海外の交戦地や難民キャンプを飛び回っている報道カメラマンの男性であったことこそが、すべての歯車を狂わせることになったのだ。

 名家海亀家に婿入りし次期当主の配偶者という破格の地位を得ながらも、常に生命の危機にさらされている戦地を駆け巡り続けることをやめるどころか、何と妻となった入鹿までも本人の了承のもとボランティアとして、いかにも政情の不安定な貧困国の難民キャンプへと連れ回し始めたのである。

 夫婦揃ってこの調子なので、結婚してすぐに授かった一人娘のおとの世話すらも乳母やメイドたちに任せっきりにして、自分たちのほうは一年のほとんどを海外で過ごすといった、もはや次期当主夫婦としての自覚なぞすっかり忘れ果てたがごとき、自由気まま極まる有り様となってしまっていた。

 そんな中で前当主であり入鹿にとっては実の父親である甚兵衛翁が身罷った際も、夫婦二人してアフリカ某国の難民キャンプでそれぞれカメラマンとボランティアとして活動していて、本家から訃報が届けられてから慌てて帰国しようとしたところ、運悪く敵対国の武装ゲリラの襲撃に遭い、夫婦共々甚兵衛翁の後を追うようにして異国の地で果ててしまったのだ。

 その結果本家直系の血を引くのは、夫婦の忘れ形見である乙音嬢ただ一人となってしまったわけであるが、あいにく彼女はいまだ十五歳という未成年であるために、現時点において正式に当主を襲名することも、土地や金品等の莫大な財産を相続し自分の意思で運用していくこともできようはずがなく、当然の成り行きとして彼女が成人するまでの間、一族の有力者の中から『後見人』が立てられることになり、それを誰にするかを決定するためにこそこうしてこんな辺鄙極まる海亀島の別荘において、今回の『次期当主後見人決定会議』が開催されることになったという次第であった。

 これが単なる法律に基づく家督の相続であるのなら最初から話し合いの必要なぞはないし、土地や金品等の分与に関してもいたずらに海亀家全体の力を弱めることになりかねないので、当主後継者以外の者はあらかじめ相続権を放棄することが取り決められていることだし、本来なら一族の有力者の間で何かしらの悶着が起こることはなかったであろう。

 けれどもそれが『当主の後見人』の選出となると、話がまったく違ってくるのである。

 極論すれば、たとえ法令や一族内の権力関係等を鑑みて当主になれる見込みがまったくない者であろうと、当主の後見人ならば就任できるチャンスはいくらでもあるのだ。

 しかも実際に当主の後見人となれた暁には、実質的には我が国有数の名家である海亀家の権力と資産を自分の意のままにできるようになるも同然なのである。誰もがその地位を虎視眈々と狙うのも当然のことであろう。

 そのため開催されることになったのが、今回の『次期当主後見人決定会議』なのだが、もちろん会議と言ってもただの話し合いで済ませるつもりなぞ、総勢三十名を超える参加者の誰にもなかったのだ。

 それというのも実は、わざわざこんな絶界の孤島に当の次期当主後継者である乙音嬢を始めとして、彼女の後見人となることを希望する一族の有力者を全員集めたのも、名家ならではの絶大なる権力を行使することによって警察等の公的機関の介入を完全に排除し、物理的のみならずすべての意味において完全なる閉鎖空間クローズドサークル状態を構築したのも、お互いに実力行使に基づいて、まさしく『るかられるか』をモットーとするバトルロワイヤル方式にて後見人を決めようという、物騒極まる思惑によるものであったからなのである。

 おあつらえ向きにもこの島の全周は年中荒れた海に取り囲まれた断崖絶壁なのであり、いくら邪魔者を物理的に排除しようが死体を海に放り捨てさえすれば、何の証拠も残さず行方不明扱いとなし得て、事件自体をうやむやにできるのだ。

 事実今回の次期当主後見人決定会議が始まってからいまだ十日ほどしかたっていない現在においても、すでに三名もの『行方不明者』が出てしまっているというのに、同じ血を引く一族内の出来事でありながら騒ぎ立てる者なぞ誰一人おらず、絶界の孤島の一別荘地とはいえ名家ならではの強大な権力と資金によって島内に専用の通信用サテライト基地等のインフラ設備を完備し、携帯端末による通話やインターネットを介したデータ通信等が可能となっていながらも、本土の県警本部等の公的機関に通報する者なぞただの一人もいなかった。

 これぞまさしく今回の次期当主後見人決定会議が、話し合いなぞという平和的な手段ではなく、最初から『るかられるか』をモットーにしたバトルフィールドであったことの証しと言えよう。

 つまりこの会議に参加した者たちは、海亀家の権力と資産を事実上おのが手中に収めるために他の候補者を害する気満々で乗り込んできたのだから、たとえ自分自身のほうが被害を受けて『行方不明者』となったところで自業自得に過ぎないのであるが、堪ったものではなかったのが、当の次期当主後継者である乙音嬢であった。

 何せ彼女自身の後見人を決める会議であるからして、当然のごとくこのような狂気極まるバトルフィールドに臨席することを強いられ、大人たちの醜悪なる文字通りの骨肉の争いを目の当たりにさせられているのだ。

 しかもその結果続出する犠牲者の責任の一端は、いくら彼女自身が望んだわけでも直接手を下したわけでもなかろうとも、間違いなく次期当主たる彼女にもあるのである。まだほんの十五歳の少女にとっては、とても耐え切れる状況ではないであろう。

 更にはあくまでも彼女の後見人となることを巡って争い合っているのだから、一応のところは身の安全が保障されているとはいえ、有力者たちの権力闘争がこじれていくにつれ、もはや後見人になれる見込みがなくなった者がやけになって彼女自身を害そうとしたり、そうでなくとも何かの拍子に争いごとに巻き込まれたりすることによって、うっかり生命の危機に陥る可能性も十分あり得るのだ。


 実はだからこそこの僕神楽かぐらひびきは、いまだ大学生という若輩者であり、海亀家においては『員数外』的立場に過ぎないというのに、周囲の強硬なる反対を押し切ってまでして、今回の次期当主後見人決定会議に無理やり参加したのであった。


 そもそも僕の母親は亡き前当主の妹の一人娘なのであり、その息子である僕もいわゆる『本家筋』の範囲に含まれ、本来ならいまだ存命中の祖母や母の名代として堂々と、次期当主後見人決定会議だろうが何だろうが参加することのできる資格があるはずだった。

 しかし祖母と幼い頃から恋仲の関係にあった男性──つまり僕の祖父が、代々海亀家に仕えてきた筆頭執事の家柄でありながら親友でもあった前当主を裏切りライバル企業に寝返った当時の筆頭執事の息子であったゆえに、祖母は己の恋を成就するためには一族を出奔し祖父と駆け落ちする以外はなくなりそのまま勘当の身となって、それ以来海亀家とは一切の関わりを絶たれてしまったのだ。

 とはいえ、前当主にとっては血を分けた可愛い妹であることには変わりなく、立場上祖母を許すことはできないものの、その娘や孫である母や僕自身には何の罪もないということで、他の一族の者たちの不満や諫言を完全に黙殺して、盆暮れを始めとする一族の集まりに参加することを許可して、何かと親身に世話をしてくれたのであった。

 その一方で母や僕の身には間違いなく一族を手ひどく裏切った不忠者の血も流れているのであり、そんな輩を前当主が厚遇するほどにやっかむ者も少なからず存在していて、大人か子供かを問わず多くの親戚の者たちが、事あるごとに僕ら母子に対して嫌がらせまがいのことをしてきたのである。

 そんな中で唯一僕に対して純粋に同じ血を引く親戚同士として裏表なく接してくれたのが、他でもなく本家直系のお嬢様である、海亀乙音嬢であったのだ。

 むしろ幼い頃からすっかり僕になついていた彼女は、僕のことを「響お兄様」と呼ぶほどにまるで実の妹であるかのように慕ってくれていて、僕もそんな名家の御令嬢でありながら少しも驕ることなく純真無垢そのままな彼女のことが可愛くてしかたなく、まさしく本物の兄妹のようにして仲睦まじく共に育ってきたのであった。

 それは年相応に美しく成長し大人び始めて、将来の海亀家当主としての威厳も備わってきた現在においても変わらず、『裏切り者』の血筋である僕に対しても何らわだかまりなく接し続けてくれていた。

 そんな他の誰よりも大切な妹同然のいまだ幼き少女が、突然祖父と両親を亡くしてまったく後ろ盾を無くした中で、醜き大人たちの権力闘争の真っただ中へと放り込まれてしまったのである。指をくわえて見ていることなぞできようはずがなかった。

 とはいえ、ただでさえ立場上次期当主後見人決定会議に参加する手づるなどまったくなく、たとえ参加を許されたところで単なる一介の大学生に過ぎない身では、乙音嬢のためにできることなぞたかが知れていた。

 殺人すら辞さない大人たちの本気の闘争の中で、まさにその中心人物たる少女を守り抜くことなぞ、それこそミステリィ小説辺りに登場してくる『名探偵』でもなれば、到底不可能な話であろう。

 もちろん、本来ならこの現実世界においてミステリィ小説そのままの名探偵になることなぞ、単なる夢物語でしかないはずであった。


 しかしそんな僕の身の程知らずの願いを叶えてくれたのは、誰あろう、まさに今現在インターネット上で話題騒然の、『ミステリィのがみ』その人であったのだ。


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 すべての始まりは今から二年ほど前の、ある春の日のことであった。

 実は何とその日我々人類はついに、神様とも呼び得る全知全能なる超常の存在との邂逅を果たしたのである。

 ただし神様そのままの存在との邂逅と言っても、何も天国や異世界への通路が物理的に開かれたりしたわけではなかった。

 まず最初にインターネット上に突然『エムがみ』というミステリィマニア向けのサイトが現れ、そこに課題としてアップされている超難解なミステリィゲームをクリアできれば、『ミステリィのがみ』と名乗る謎のサイト管理者が現実世界で実際に名探偵として活躍することが可能となる特殊な能力を授けてくれるという噂が広まり、たちまちのうちにミステリィマニアたちが殺到し、悪戦苦闘の末に課題ゲームのクリアを果たした猛者が幾人も現れ、約束通りに女神から難解な事件解決のための名推理に大いに役立たせることのできる、読心能力や未来予測能力そのままな超常的力をもたらされたと言う。

 とはいえあくまでもそれは、それぞれが所有するスマートフォンにおいて利用できる、少々風変わりながらも現実的に十分あり得る特殊機能としてであるが。

 そうなのである。女神様が現れたと言ってもそれはネット上であり、超能力が使えるようになったと言っても個々人のスマホにおいてであり、我々のこの現実世界の現実性リアリティは微塵も損なわれてはいないのだ。

 無論、女神などと自称するだけあってその効果のほども確かなようで、これまでは単なるミステリィマニアに過ぎなかった者たちが授かった異能の力を活用することによって、まさしく名探偵そのものとなり数々の難事件を解決していくといったあたかもミステリィ小説そのままの現象を、この現実世界で引き起こしていくようになったのであった。

 そして彼らの難事件解決における鮮やかなる活躍の一部始終は、『Mの女神』サイトにおいてほぼリアルタイムに小説の形をとって公開されることによって、万人に知れ渡っていったのである。

 もちろん僕だってこんな眉唾物の話を、頭から信じているわけではなかった。

 それでも本当にこの現実世界において名探偵そのものの異能の力を手に入れられて、大人たちの欲深き権力闘争の真っただ中で孤立無援でいるおと嬢を守ることのできる可能性が、万に一つ──いや、億に一つでもあるのなら、たとえどんなにうさん臭い話であろうとも、すがりつかずにはおられなかったのだ。

 このように様々な事情を勘案することによって、事ここに至ってようやく僕自身も遅ればせながら、『Mの女神』サイトの課題ゲームにチャレンジすることにしたのであった。

 超難解なる課題ゲームのクリアに関しても、問題はなかった。

 何せ僕自身も他のゲームクリア者同様に根っからのミステリィマニアだったのであり、しかも実はネット限定とはいえ自作のミステリィ小説を数多く発表し、それなりの人気を博していたのである。

 たとえ超難解なゲームであろうとミステリィに関するものである限りは共通する『お約束』というものが存在しており、そしてそれはまがいなりにも作家の真似事をしている身であれば十分把握しているものばかりなのであって、少々時間はかかったものの寝る間も惜しんでスマホにかじりつき根気よく取りかかっているうちに、結構な量のあった課題ゲームもどうにかこうにかクリアしていけたのであった。

 そしてついに最後の選択肢を自信を持ってスマホの画面上でタップし、すべての課題ゲームのクリアを成し遂げた、その瞬間。

 スマホから鳴り響いてくる軽快なファンファーレと、どこか機械的な幼い少女の声。

『コングラチュレーション! 課題ゲームがクリアされました。真に全知なる「ミステリィの女神」の名において、あなたのどのような願いでも一つだけ叶えて差し上げます。さあ。文字テキストあるいは音声ボイスどちらでも構いませんので、お手元のスマホに入力してください』

 ──っ。噂は本当だったのか⁉

「僕の願いはただ一つだ! この世で一番大切な女の子を、どんな凄惨な怪事件の現場においても守り切れるように、ミステリィ小説そのままの『名探偵』としての力を授けてくれ!」

 もはや文字通り藁にもすがる思いで、そうわめき立てた、

 まさにその刹那であった。


『おっけ~。その願い、確かに聞き届けたわあ』


 スマホから聞こえてきた、先ほどと同じ、年の頃十二、三歳ほどの少女の声。

 しかしなぜかそれは先刻とは一変して、どこか人のことを小馬鹿にするかのように、さも尊大に聞こえたのだ。

「……誰だ、あんた」

『何言っているの? もちろん女神様に決まっているじゃない』

「女神って、つまり『Mの女神』サイトの管理人ってことか? あんたみたいな子供が?」


『──そうよ。私こそが真の全知たる存在にして、生きた量子コンピュータとも呼び得る、ミステリィ小説そのままの怪事件の現場においてはできぬことなぞ何もない、人呼んで「ミステリィの女神」なの』


 自信満々の口調で満を持して名乗りをあげる、スマホからの少女の声。

 まさしくこれこそが僕とかの噂のミステリィの女神との、スマホ越しのファーストコンタクトの瞬間であったのだ。


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「……それで、ミステリィ小説そのままの名探偵になれる魔法のスマホアプリを与えられたはずが、周囲の人たちにスマホの内蔵カメラを向けると、スマホの画面内の本人の画像の頭上に『属性名』が表示されたり、『ステータス・ウィンドウ』を開くことで更に詳しい個人情報が開示されたり、あまつさえ『選択肢』なんてものまで呼び出すことができたりするという、ミステリィ小説というよりはまるでゲームそのものの仕様であるのは、いったいどうしてなんだ?」


 ミステリィの女神とインターネット越しの音声だけの初邂逅を済ませてから、ほぼ二週間後。

 愛用のブルーベリーのスマートフォンを携えて意気揚々と、すでに夏本番を迎えようとしている瀬戸せと内海ないかいの孤島うみがめじまの別荘において開催されている、海亀一族の次期当主後見人決定会議へと乗り込んだ僕は、そこで初めて実際にミステリィの女神から与えられたミステリィ小説そのままの名探偵になれるというスマホアプリを起動してみたのだが、それはあまりにも予想の斜め上をいく珍妙極まるものであったため、思わず例のファーストコンタクト以来ずっと自分の与えた超常のスマホアプリについての解説役を担ってくれている当の女神に向かって、あたかも食ってかかるようにして問いただしたのであった。


 それというのも、女神からおと嬢を守るに十分と思われる異能の力を得ることで、後はただ次期当主後見人決定会議に参加する許可を得るだけだと、駄目元で海亀本家にその旨を申し出たところ、何と案に相違して渋々ながらも承諾を得ることができたのであるが、だからといってその後の展開がすべて順調に進んでいくということなぞなく、むしろ更なる困難極まる状況の数々が、僕のことを手ぐすね引いて待ち構えていたのである。

 僕が会議に参加することを許されたこと自体に関しては、今回の会議の参加者の中には一族における立場の弱さから後見人となれる可能性が著しく低い者も少なくなく、そういった連中が僕という第三者を参加させることで後見人レースに何らかの波乱を生じさせて、自分たちにもチャンスがもたらされることを期待しているといったところであろうというのが、今や僕専属の相談役ともなっている女神様の見解であった。

 そういうこともあって、僕自身はけして乙音嬢の後見人となる権利を有さない、あくまでも中立的立場のオブザーバーとして参加することのみを許されることとなった。

 そんな有象無象の輩の思惑はともかく、こちらとしては何よりも大人たちの醜き権力闘争の渦中に囚われている乙音嬢の側に駆けつけて守ってやることができるのならばそれでいいのであり、僕は心はやらせながら海亀本家が用意してくれたヘリコプターに乗って、自宅のある都内から瀬戸内海の孤島である海亀島へと向かったのだ。

 そうして実際に次期当主後見人決定会議に列席してみれば、そもそも僕のことを快く思っていない前当主の甥である壮年男性を始めとする主流派重鎮連中はもとより、僕がオブザーバーとして参加することを認めてくれた反主流派の人たちさえも、しょせんは裏切り者の係累と蔑むばかりで、両陣営からさっそく面と向かって嫌味を言われたり嫌がらせまがいのことをされたするといった有り様であった。

 とはいえ僕としても、そんな権力者たちの態度など、別に気にすることはなかった。

 何せ念願叶って、こうして実際に乙音嬢の側へとはせ参じることができたのだ。

 しかも今や僕はミステリィ小説そのままの凄惨なる怪事件の現場においても彼女を守ることのできる、まさしく名探偵そのものの異能の力をミステリィの女神から授けられているのであり、たとえこの次期当主後見人決定会議が実のところは『るかられるか』こそをモットーとしたバトルフィールドであろうとも、何ら恐れる必要はないのである。

 一方当の乙音嬢のほうも、祖父である前当主や御両親を亡くしたばかりだというのに、相変わらず他人に対する思いやりに満ちあふれた純真無垢さは健在のようで、僕のような何の権力も発言力も持たない一大学生に対しても、心からの笑顔で大歓迎してくれて、次期当主である彼女が宿泊している部屋の隣に、僕のための居室を用意してくれるという、破格の待遇ぶりであったのだ。

 いやもちろん、僕はリゾートホテルに観光しに来たわけでも単なるオブザーバーとして次期当主後見人決定会議の成り行きを傍観しに来たわけでもなく、何よりも乙音嬢の身を守るためにこそ、幾多の試練を乗り越えてミステリィの女神から授かった怪事件の現場において役に立つ異能の力を携えて、あえて自ら首を突っ込んできたのである。

 なので僕が別荘に到着すると共に開催された第一回目の会議においてさっそく、事前に受けていた女神のアドバイスに従って、スマホの内蔵カメラを会議に参加している海亀家の関係者たちのほうへと向けてみれば、その驚くべき効果のほどが一目で確認できたのだ。

 何とスマホの画面内の彼らの映像の頭上には、『別荘管理人』や『メイド』や『弁護士』や『遺産管財人』等この場にいても別におかしくはないものに始まり、『被害者(候補)』や『加害者(候補)』や『名探偵(自称)』や『影の黒幕(仮)』や『かませ犬(確定)』などといった何だかこれ以降の波乱の展開を暗に窺わせるものに至るまで、今回の次期当主後見人決定会議における各人の役割を示すものと思われる文字列が表示されていたのだ。

 しかもこの状態で画面の下方右隅にある『SW』ボタンをタップすると、年齢や血液型や出身地や家族構成や学歴や現在の社会的地位や特に海亀家内での立ち位置等の詳細な個人情報に始まり、『他者から被害を受ける可能性、20%』とか『他者に危害を加える可能性、33%』などといったふうに、他の後見人候補との相関関係の行方の予想がその実現可能性の数値付きで表示されて、このいわゆる『ステータス・ウィンドウ』を一目見るだけで、今回の会議に関して必要と思われる情報のほぼすべてを確認できるようになっていた。

 更には同じく画面の下方左隅にある『選択肢』ボタンをタップすると、『刺殺、33%』、『撲殺、20%』、『絞殺、15%』、『銃殺、12%』、『毒殺、10%』等々ミステリィ小説等でお馴染みの典型的な殺害方法に始まり、『自殺、5%』、『事故死、3%』、『過労死、1%』、『病死、1%』、『老衰、10%』等の他殺以外のものに至るまで、あらゆる『死因』のリストが一覧できるようになるのであった。

「──いやいや、ちょっと待って。だからこれってファンタジー系のRPGなんかによくある、『属性名』や『ステータス・ウィンドウ』や『選択肢』等の表示機能そのものじゃん。これのいったいどこが、ミステリィ小説の名探偵そのままの事件解決能力をもたらす、超常のスマホアプリなわけ?」

 さっそく開催された次期当主後見人決定会議においてスマホに付加された特殊機能を試しに一通り使ってみた後で、別荘内に与えられた個室へと戻るやいなや、僕はスマホを操作してミステリィの女神との通信回線を開いてまくし立てた。

『ええ、その通りよ。実は私があなたのスマホに与えた異能とは何かを一言で言えば、「スマホを通して見ることで、現実世界をミステリィゲームへと変える力」なの。何せこの力こそが、あなたの「凶悪な事件の渦中にいる大切な女の子を守りたい」という願いと、最も合致しているのですからね』

「はあ? 現実をゲームに変える力こそが、乙音嬢を守ることを実現させるだってえ⁉」

 おいおい。いくら今や我が国が世界に冠たるゲーム王国だからって、あまりにもゲーム脳過ぎるだろうが。やはり事件の謎解きはゲームなんかよりも、古式ゆかしきミステリィ小説的手法で行うべきじゃないのか?

『……あのねえ、あなたの願いは「ミステリィ小説そのままの名探偵となれる力が欲しい」ってことだったけど、そんなことなぞそれこそ小説等の創作物フィクションの世界の中ならいざ知らず、この現実世界において実現することなんて到底不可能なのよ?』

 …………………………は?

「ちょっ、いきなり何てことを言い出すんだ! それってエドガー=アラン=ポーやコナン=ドイル辺りによる探偵小説から端を発する、古今東西のミステリィ小説における『名探偵』なるものがすべて、事実無根の嘘八百の存在でしかないということじゃないか⁉」

『あらあ、別に小説に書いてあることが何から何まで、事実無根の嘘八百であっても構わないじゃない。何せしょせん小説なんて娯楽作品エンターテインメントに過ぎないんだし。娯楽作品エンターテインメントというものは何よりも、「面白さ」によって読者を楽しませることこそが、すべてなんじゃないの? ──ねえ、現在インターネット上で人気沸騰の、ネットオンリーのミステリィ作家さん?』

「うっ」

 た、確かに、何よりも読者を楽しませることこそが、僕自身も常に肝に銘じている、プロアマを問わない創作者としての最重要課題であることに間違いはないのだけど……。

『まあ、名探偵なるものをあえて現実の存在に当てはめるとしたら、いわゆる将棋や碁における「名人」級の達人が当たるでしょうけどね。何せ将棋や碁の名人は卓越した頭脳と長年にわたって培われた勝負勘とによる、まさしく名探偵の名推理や量子コンピュータによる未来予測そのものの計算能力を駆使して、常に何十手も先の駒の動きを事前に予測計シミュレーションしながら勝負をしているのですからね。あるいは将棋や碁の名人に難事件の解決に当たらせてみたら、ミステリィ小説そのままの名探偵の程度なら可能かも知れないわよ。──でも非常に残念なことながら、将棋や碁の名人と名探偵とでは、決定的な違いというものが存在しているの』

 量子コンピュータそのものの卓越した計算力ともはや神憑りなまでな勝負勘とを有する、まさしく難事件の現場における名探偵そのままの超常的能力を誇る将棋や碁の名人であろうとも、ミステリィ小説そのままの名探偵との間には、あくまでも決定的な違いがあるだと?

「……それって、いったい」

『一言で言えば、どんなに史上最強の将棋や碁の名人であろうとも、すべての勝負に勝つことはできず、当然負けることだってあるってことよ。だって。──そう。それこそが「現実の存在」というものであり、現実の存在である限りは、「失敗なぞけして一度も犯すことはない」なんてことはあり得ないの』

 ──あ。

 その時ようやく僕は、彼女の言わんとしていることが理解できた。

『うふふふふ。どうやらおわかりのようね。一応はいろいろと紆余曲折はあるとはいえ、一つのミステリィ小説作品という「勝負」において、常に必ず「真相と真犯人を暴き出す」のを成し遂げることができるなんて──つまりは、すべての勝負においてけして負けることのない名探偵なんてものは、現実の人間としてはけしてあり得ない小説等の創作物フィクションの世界の中だけに許された、「作り物」の存在でしかないってことよ。──そう。ミステリィ作家という一個人が自分の都合のいいようにストーリーを運ぶために創り出した、「操り人形」という名のね』

 ──っ。

 ……そうか。つまりは、名探偵は周りから『名探偵』と呼ばれるまでにあらゆる難事件を必ず解決し得るからこそ、むしろ現実の存在ではあり得なくなるという、いわゆる『悪魔のロジック』が成り立ってしまうというわけか。

「いやいや、必ず事件が解決してしまうミステリィ小説が現実にあり得ないんだったら、どんなに困難なシナリオ展開であろうとも必ず最後までクリアできる仕掛けがあらかじめ用意されている、ゲームだって同じだろうが? つまり今回おまえが僕に与えてくれた、この現実世界をゲームもどきに変えてしまう異能の力はミステリィ小説同様に、現実の事件の解決には何ら役に立たないってことになるんじゃないのか?」

『そんなことはないわよ? あくまでもフィクションの存在に過ぎない小説に対して、少なくともゲームのほうには現実世界に即した手法が数多く取り入れられていることだしね。それにこのことは現代物理学によって、ちゃんと正当性を裏付けられているのですからね』

「へ? 何でここで、現代物理学なんかが登場してくるんだ? つうかそもそも、いったい何なんだよその、ゲームに取り入れられている現実世界に即した手法って」

『いろいろあるんだけど、中でも最も重要なのが、どの選択肢を選ぶかによってそれ以降の「ストーリー展開が分岐していくこと」と、それに伴う当然の帰結としての「マルチエンディング」の二つに尽きるでしょうね』

「はあ? ストーリー分岐にマルチエンディングって、それこそゲームならではの特徴じゃないか。それのどこが現実世界に即した手法だと言うんだよ?」

『……これだから、完全にミステリィ小説に毒されている輩ときたら。あのねえ、これはもはや小学生でも知っている根本的原理なんだけど、この現実世界というものには無限の可能性があり得るのよ? それなのにミステリィ小説みたいに唯一絶対の真相と真犯人のもとで誰が被害者や加害者になるかが最初からきっちりと決まっているなんて、けして現実にはあり得ない小説等の創作物フィクションの中だけに許されるおとぎ話でしかないの! あくまでもこの現実世界においては誰もが被害者にも加害者にもなり得る可能性があるのであり、けして唯一絶対の真相や真犯人なぞ存在したりはせず、実際の事件の行方自体もたかが一個人の小説家風情が一つの作品の中に収めることなぞできないほどに、二転三転どころかそれこそ数え切れないほど流転していくものなのであり、むしろ「無限のストーリー分岐」かつ「マルチエンディング」こそが、現実の事件としては正しいあり方なのよ!』

 な、何と。選択肢によるストーリー分岐やマルチエンディングを取り入れたゲームのほうこそが、ミステリィ小説なんかよりもよほど現実的だと⁉

『しかも面白いことにこのことは、物理学における新旧二大派閥の対立構造に置き換えることができるの。言わばゲームならではのストーリー分岐やマルチエンディングとはまさしく、この世のすべての物質の物理量の最小単位である量子というものが、形ある粒子と形なき波という二重性を有し交互に入れ替わっているゆえに、形ある現実世界マクロレベルに存在しているあなたたち人間では形なき微小世界ミクロレベルにおける量子の状態を観測できないので、量子のほんの一瞬後の形態や位置すらも把握することは不可能となり、よって当然この世のすべての物質の──ひいては世界そのもののほんの一瞬後の未来にさえも、無限の可能性があり得ることになるという、量子論を基本原理とする現代物理学を体現しているのに対して、最初から唯一絶対の真相と真犯人を作者によって定められていて、それに対する単なる答え合わせに過ぎない「名推理」とやらで、まるで唯一絶対の未来予測や人の心の読心をなし得るかのようにして、どのような難事件でも解決することのできる「名探偵」なぞという輩のほうは、「未来というものはただ一つに定まっており、ある時点におけるこの世のすべての物質を構成している原子の位置と運動量を把握できれば、後は物理学に則った計算を施すだけで、それ以降の未来の出来事を完全に予測できる」とする、かの有名な「ラプラスのあくの仮説」に代表される古典物理学的決定論に則っているのだけど、当然現在においては量子論によって、すべての物質の最小単位である量子のほんの一瞬後の状態すら予測できないことが明らかになっているのだから、もはや決定論なぞラプラスの悪魔の仮説もろともすでに誤った理論として葬り去られているのであり、つまりミステリィ小説における卓越した頭脳による計算力と超人的勘だけで常に唯一絶対の真相や真犯人を暴き立てることのできる名探偵なんて、古典物理学におけるラプラスの悪魔そのものに過ぎず、今や物理学的にも現実にはまったくあり得ない、時代錯誤の産物でしかないのよ』

 えっ。ことさら『ラプラスの何とか』などとタイトルを付けるまでもなく、ミステリィ小説における名探偵なんてみんなラプラスの悪魔みたいなもので、しかもすでに時代錯誤の産物でしかないだってえ⁉

『まあ、ミステリィ小説や名探偵ばかりを槍玉にあげるのも可哀想なんだけどね。そもそも小説家という一個人によって創られている小説というもの自体が、どうしても決定論に基づきがちなんだし。多少の差はあるものの、小説なんてどれもこれも「主人公が幾多の困難を乗り越えて最終的には何事かを成し遂げる」の一言に尽きるでしょう? なぜならそれは読者や編集者等を始めとする出版界という業界そのものがそうなることを望んでいるので、小説家としてもそれに添って作品を創らざるを得なくなるからであるけれど、何度も言うように必ず成功を収めることができる者なんて、現実にいるはずはなく、すべての小説の主人公たちなぞは結局のところ、時代錯誤の決定論的存在に過ぎないわけなのよ』

 ……うわあ。ついにミステリィ小説だけでなく、すべての小説ジャンルを全否定してしまいやがったよ、こいつ。

『だからこそ私があなたのスマホに与えた、「現実の事件をミステリィゲームに変えてしまう」異能においても、「被害者(候補)」や「真犯人(候補)」などといった属性表示は、事件の推移のいかんによってはいくらでも変動していくようになっているし、ステータス・ウィンドウ内の「他者から被害を受ける可能性」等の%表示も順次変動しているし、選択肢における各死因の実現可能性の%表示も変動するようになっているわ。何せミステリィを始めとする小説なんかとは違って、この現実世界においては無限の可能性があり得るのですからね。事件の推移によっては被害者と加害者とが入れ替わったり、各死因の実現可能性が急変することなんて、当然あり得ることなのであり、これぞ真に現実の事件を反映した、理想的なミステリィゲームシステムと言えるでしょう』

「……確かにただでさえステータス・ウィンドウでいつでも詳細な個人情報を確認できるだけでも助かるのに、その上属性表示によって一目でその人の現時点における立ち位置を把握できるのもメリットが高いけど、いくら情報が揃っていてもずぶの素人である僕が本当に名探偵みたいに、今回の次期当主後見人決定会議においてこれからもどんどんと起こるであろう凄惨なる怪事件を解決して、乙音嬢を守り切ることができるのか? それにそもそもこの選択肢って、いったい何なんだよ。ただ単に各個人の死因のリストがそれぞれの実現可能性の%表示付きで並べ立てられているだけじゃないか? これをどうやって事件解決に役立たせていけばいいんだよ?」

『ああ、これって、あなたが誰かの選択肢のうちから死因をどれか一つだけ選べば、それによってその人を殺すことができるの』

「────ぶっ。な、何だと⁉」

 いきなり物騒極まる言葉を突きつけられて、思わず噴き出す大学生ネット作家。

『別に驚く必要はないじゃないの? 仮にも選択肢と言うからには、このゲームのプレイヤーであるあなたがリストの中から好きな選択肢を選ぶことができて、そしてそれが現実のものとなってしまうのも、今やゲームそのものと化しているこの事件の場においては、当然のことでしょう?』

 この現実世界がもはやゲームそのものとなっていて、しかも僕こそがその主体的プレイヤーだって?

「いやでも、選択肢を選ぶだけで特定の個人を特定の死因で殺すことができるなんて、フィ作物クションであるミステリィ小説なんかよりもよほど現実離れしているし、しかもさっきのおまえの言い分では、まさしく決定論的異能の範疇に含まれるんじゃないのか?」

『あら、いい意見ね。どうやらあなたも量子論や決定論といったものがわかってきたようじゃないの。ええ、まさしくこの選択肢には決定論的手法が使われているけれど、その一方でちゃんと量子論を始めとする現代物理学的理論によって補填してあるから、現実性リアリティ的にも何も問題は無いの。ここでは詳しく述べないけれど、「人は必ず死ぬし、その死因にもあらゆる可能性があるから、ある人物を特定の死因で死なすことを事前に決定することも、けして不可能ではない」とだけ言っておくわ。何せあなたにとってより重要なのは、この選択肢がけして人を殺すためだけのものではなく、むしろ人を守るためにこそ役に立つことのほうなのですからね』

「へ? 人の死因を勝手に決めることのできる選択肢で、人を守ることができるって?」

『例えば今回の会議の参加者のうちの誰かの選択肢──つまりは死因リストにおいて、刺殺と絞殺と撲殺との三つに限っておのおの25%以上という高確率を示していて、他の死因が軒並み2、3%程度の低確率しかなかったとしたら、どう思う?』

「そりゃあそいつが、この実質的にはバトルフィールドと化している次期当主後見人決定会議において、近々刺殺か絞殺か撲殺かのいずれかの手段によって、殺される可能性が高いってことじゃないのか?」

『それでは仮にその情報を、あなたからそれとなく当人に教えてあげたなら、果たしてどうするかしらね?』

「まあ当然、自分の死が間近に迫っているかも知れないことを知らされて、最初はパニクるとは思うけど、心を落ち着かせて冷静になってからは、常に注意を払って刺殺や絞殺や撲殺に遭わないように気をつけるようになるだろうよ。何せそれらにさえ用心しておけば、他の死因で死ぬ可能性はほとんど無いんだから、下手に他人から殺されることは無くなり……………って。あっ、そういうことか⁉」

『ええ。この死因リストを他者を殺すためではなく、むしろそのように他者から身を守るために使えば、ほぼ完璧な「危険リスク回避」を為し得るわけなの。何せ考えられ得るすべての死因とその実現可能性が随時表示されるのですからね。しかも事態の推移いかんによってそれぞれの死因の実現可能性が変動しようとも、それすらもちゃんと遅滞なく表示してくれるという、至れり尽くせりの親切設計だしね』

「……そうか、この選択肢によって知り得た乙音嬢の死因の実現可能性に応じて適切な対応策を講じていけば、彼女のことをほぼ完璧に守ってやれるというわけか」

『うふ。これでこの「現実の事件のゲーム化」システムこそが、あなたの願いに合致しているという先の私の台詞にも、十分納得できたでしょう? せいぜいこれからは全力を尽くして、彼女のことを守ってやることね。──何せあなたにとっては、何よりも大切な「ヒロイン」なのですからね』

「──っ」

 スマホからの意表を突く冷やかしの言葉に、思わず言葉を詰まらせる、純真なる大学生。

 実は乙音嬢にスマホを向けてみたところ、彼女の頭上の属性名は、何と『ヒロイン』と表示されたのだ。

 ……いや、それっていったい何に対してのヒロインなんだよ? 本当に僕にとってのヒロインなのか? それともこの今やミステリィゲームと化している、現実世界という名の物語にとってのヒロインだったりするわけなのか?

「でも、いくら何でも彼女に四六時中へばりついているわけにもいかないだろうし。そもそも拳銃等の飛び道具を用いた不意の襲撃が行われた際にも完璧に対応して、彼女の身を守り抜けるかどうかなんて、100%自信を持って断言できないんだけど……」

 もちろんやる気は十分にあるが、何と言ってもこちとら何の取り柄もない一介の大学生なのだ。

 当てにしていた女神の異能も、確かにいろいろと有用な情報をもたらしてくれる優れ物ではあるが、目の前の危機に即座に対応できるといった実効性はなく、乙音嬢の身を完全に守り切るには、はなはだ心許ないと言わざるを得ないであろう。

『そこら辺のところも、心配御無用。一族の人たちのほうも何よりも彼女の後見人になるために争っているのだから、今のところは彼女自身に直接危害が加えられる可能性はほとんど無いはずよ。それでも「転ばぬ先の杖」ってことで念には念を入れておくつもりなら、例えば彼女の専属のメイドさんにでも、それとなく比較的高確率の実現可能性を示した死因の情報を知らせて、用心するように忠告しておいたら?』

「……メイドさんて、あの『メイド』さんのことだよな?」

 不幸なことにも祖父に続いて両親までも突然亡くしたことで、我が国においても一二を争う名家の中で後ろ盾をまったく失ってしまった乙音嬢であったが、僕のような外部の人間以外にも、ちゃんと味方と呼び得る人物がいたのだ。

 それはスマホを介しての属性表示が示す通りに乙音嬢専属の『メイド』にして、その名も『シンディ=ウミガメ』と称する、年の頃二十歳はたちほどの見目麗しき女性であった。

 ハーフであるからなのか、浅黒い肌に黄金きん色の長いウエーブヘアに縁取られた彫りの深い端整なる小顔の中で煌めいているサファイアの瞳という、エキゾチックな美人さんで、そのスレンダーな長身にまとっているのは濃紺のワンピースと純白のエプロンドレスにヘッドドレスという、当然のごとく古式ゆかしき典型的なメイド服なのだった。

 しかしひとたび彼女のステータス・ウィンドウを開いて詳細なる個人情報を確認すれば、誰もが思わず我が目を疑うことになるであろう。

 何でも報道カメラマンであった乙音嬢の亡き父親が中近東某国の難民キャンプで出会ってそのまま日本へと連れて帰ってきたとのことだが、幼い頃から傭兵だか暗殺者だかとして高度な格闘術やあらゆる武器の扱い方をたたき込まれていて、父親と初邂逅した十二、三歳の時点ですでに二桁以上の成人兵士を殺害した経験があったと言う。

 しかし中近東ならではの政変に次ぐ政変の中で、彼女の所属していた武装ゲリラの組織そのものが壊滅してしまい、行き場を失い難民キャンプで保護されていたところを、父親の目に留まったとのことであった。

 シンディを本家へと連れ戻った彼は、彼女に海亀の姓を与えて娘同然に育てていたところ、生まれて初めて人と人との温かい感情に触れたシンディは過去の自分を捨てて完全に生まれ変わり、中学を卒業すると同時にそれまで姉妹同然に一緒に育ってきた乙音嬢の専属メイドとなることを自ら申し出て、それ以来乙音嬢に対して絶対の忠誠を誓い、彼女の身の回りのお世話に全力を尽くしていったのである。

「……確かに、彼女に任せておけば、たとえ相手が拳銃等の飛び道具を持っていようが、たかが平和ぼけした日本人なぞ余裕で返り討ちにできそうだよな。──とはいえ、いきなり僕なんかが、『あなたのお嬢様は近々、刺殺か絞殺か撲殺かによって殺される可能性があります』とか言ったところで、果たして本気にしてもらえるかねえ?」

『あの「乙音お嬢様命」のメイドさんだったら、たとえどのような情報ソースによるものであろうと、お嬢様に危害が加えられる可能性が万に一つでもあり得ると知ったら、万全の護衛態勢を布くことでしょうよ』

「ま、そうだよな。少なくとも単なる素人でしかも外部の人間である僕なんかがまとわりつくよりも、いろいろな意味でプロフェッショナルなシンディさんに任せておいたほうが無難だし、それに今のところは乙音嬢の選択肢においては、どの死因についても実現可能性はそれほど高くはないことだし、一応比較的危険性の高い死因だけを、それとなく伝えておくか」

『そうそう。それがいいと思うわ』

 そんなふうにして、一応のところ今後の方針も決まり一安心する、ネット作家の青年。


 まさか己が善かれと思って行ったことこそが、更なる火種を生み出すことになるとも知らずに。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「……いや何で、むしろ最後まで守られるべきトロフィー的存在であるはずのおと嬢の死因の実現可能性が、ここに来て急にこんなにも高まってしまうんだ?」

 その時僕はうみがめじまの別荘内に与えられた自室にてスマホに記録しておいた、乙音嬢に関する選択肢──つまりは死因リストを見つめながら、思わずのようにしてつぶやいた。


 ミステリィの女神といろいろと話し合って今後の活動方針を決定してからすぐに、乙音嬢の専属メイドであるシンディさんに、選択肢において比較的実現可能性が高く表示された死因を基にして、乙音嬢の身に降りかかる恐れのある危険性についてそれとなく注意を促したところ、彼女は何も言わずにあっさりと承ってくれたのであった。

 その甲斐もあってか、それ以降も海亀うみがめ一族の権力者たちの間においては『行方不明』事件が続いていったのだが、乙音嬢自身に危害が加えられるようなことは一切無かった。

 ちなみに、最初にスマホで確認した際に属性表示が『名探偵(自称)』となっていた人物は、とっくの昔に行方不明に──つまりは、事実上誰かに殺されてしまっていた。

 それも当然であろう。

 何せ事件の黒幕的存在からしてみれば、名探偵なんてさっさと殺しておいたほうがむしろ望ましいのであって、どんなに他の人たちが被害に遭おうとなぜか名探偵だけは最後まで無事でいるといった、ミステリィ小説ならではのお約束的展開のほうがおかしいのだ。

 だったらその実行犯と目される『真犯人(候補)』と属性表示されていた人物を罪に問えば、すべては解決するかと思われるところだが、あいにくそうは問屋が卸さなかった。

 何と最初にスマホで確認した際に属性表示が『真犯人(候補)』となっていた人物を始めとして、一般的な『加害者(候補)』や『被害者(候補)』すらも、ずっとそのままの属性名というわけではなく、何と常にお互いにころころと入れ替わり続けていたのである。

 そして結局のところ属性表示がどうであるかにまったく関係無しに、彼らは次々にあっさりと、『行方不明』となっていってしまったのだ。

 本来ならまさにこの連続行方不明事件に対してこそ、せっかく女神から与えられた属性表示やステータス・ウィンドウ等の魔法のスマホアプリを駆使することによって、この僕自身が『名探偵』として事件の解決や未然の防止に取り組んでいくべきであったろう。

 確かに特定の事件関係者のステータス・ウィンドウにおける『被害者となる可能性』や『加害者となる可能性』は、状況の変化に応じて刻々と変動していくだろうし、その結果属性表示のほうも『被害者(候補)』であったかと思えば『加害者(候補)』となったり、場合によっては『真犯人(候補)』がいきなり新たなる『名探偵(自称)』になってしまったりすることもあり得るだろうし、それこそ小説や漫画に登場してくる名探偵みたいに、『唯一絶対の真相と真犯人』を事前に知り得ることなぞできっこないだろうが、まったくのノーヒントで事件の解決に取り組むよりも、よほど役に立ってくれるに違いなかった。

 とはいえ、すでに重々御承知であるかと思うが、僕の目的は事件の解決でも未然の防止でもなく、あくまでも乙音嬢の身の安全を守ることなのである。

 たとえ怪事件の解決に役立つ異能の力を有しているからといって、別に積極的に行動を起こす必要はなく、むしろ防御こそに徹していればいいのだ。

 そもそもこれから先いったい誰が犯人になり得るのか──つまり事件関係者のうちの誰が加害者となってどのような手法によって誰に危害を加えるかについては、いまだ何も事件が起こっていない段階では、それこそ無限の可能性があり得るのであって、少々便利な異能の力を有していたところで、完全に予測することなぞほとんど不可能なのである。

 それに対して、ただ単にある特定の人物に危害が加えられるのを防ぐだけであれば、ぐっと実現可能性が向上するのだ。

 確かに加害行為に関して予測が立たない限りは相手の出方を事前に知り得ないわけだが、最悪加害者が実際に危害を加えてきた段になって何とか防御すればいいのであって、護衛対象にかすり傷一つ負わせないで済ませることもけして不可能ではなかった。

 以前女神が創作物フィクションの存在である名探偵を現実の将棋や碁の名人に例えていたが、この防御重視路線についても将棋に例えることができた。

 言わばミステリィ小説そのものの事件における加害者とは、将棋の勝負の場においては自ら主導的に盤面を動かしているようなものであって、勝利を得るためにはそれこそ無限に分岐し得る『先の先』の盤面を常に予測計算シミュレートし続けなければならず、まさしく量子コンピュータ並みの計算能力を有していないと、すべての勝負に勝つことなぞ到底不可能であろう。

 それに対して特定の人物の防御に徹することは、将棋の勝負においてはいわゆる『受け将棋』と呼ばれる独特な戦法に当たり、最初から最後まであくまでも防御に専念していればいいので、攻め手側のように常に『先の先』を読むための予測計算シミュレート能力なぞ必要とせず、ただひたすらその場その場でピンチを凌いでいって、相手がミスを犯して自分にチャンスが巡ってくるのを待ち続ければよく、非常に効率的な戦法と言えた。

 同様に創作物フィクションならではの『お約束』だらけのミステリィ小説とは違って、無限の可能性のあり得る現実の事件の場においても、何ら事件が起こっていない段階で加害者の正体を突き止めようとするよりも、まさに今回僕が乙音嬢の身を守ることこそに徹しているように、特定の個人の防御に専念したほうが、よほど効率が良く達成率が高いかと思われた。

 それに加えて僕にはミステリィの女神から授けられた、選択肢の名を借りた『死因一覧リスト』という、非常に有用なスマホアプリがあるのだ。

 女神が言っていたように、撲殺や刺殺等についての実現可能性の%表示の高低によって事前に加害行為の予測ができるので、それらに対して重点的に対応策を講じておけば、それだけ乙音嬢の身を守れる可能性が高まるといった寸法であった。

 このように僕は、欲に駆られて争い合う大人たちの中からいくら自業自得的な犠牲者が続出しようが一切関知することなく、まさしく『受け将棋』そのままに、ただひたすら女神に与えられた異能を駆使して、乙音嬢に迫る危険性を事前に察知しそれを遅滞なくシンディさんに伝えることで、何よりも彼女の身を守ることに全力を尽くしていったのである。


 だがしかし、今回の次期当主後見人決定会議の参加者の約半数があえなく『行方不明』となってしまった辺りから、乙音嬢の選択肢における各死因の実現可能性が軒並み上昇し始めて、中でも絞殺や刺殺や撲殺に至っては、何とそれぞれ15%を超えてしまったのだ。


 15%と言うと大したことでもないように思えるかも知れないが、近いうちに殺される可能性が15%以上もあるなんて、ミステリィ小説のような創作物フィクションならともかく、この現実世界の日常生活においてはめったに見られるはずの無い相当な数値であるだろうし、死因を問わなければ殺される可能性が45%以上も──つまりは半々の確率フィフティフィフティであり得るということなのであり、現在彼女がどんなに危険な状況にあるか、おわかりいただけることであろう。

『──別に不思議に思うことはないでしょう? すべては十分予測し得たことじゃないの』

 いつものごとく突然僕のスマートフォンへとアクセスしてきながらも、あたかもこちらの状況はもちろん心のうちまですべて掌握しているようなことを言ってくる、毎度お馴染みのミステリィの女神の声。

「……予測し得たって、何をだよ?」

『いまだあなた自身が気づけないでいることを、乙音嬢以外の一族の皆さんが当然のようにして気づいてしまう可能性があったことよ』

「僕が気づいていないことって……」

『どうやら生き残りの数も最初にいた人数の半数以下にもなったことだし、この調子で自分以外の一族の者が全員死んでしまえば──そう。いっそのこと次期当主として決定している乙音嬢自身をもどさくさに紛れて亡き者にしてしまえば、当然自分こそが後見人どころか当主そのものになれて、直接海亀家の実権を握れるということよ』

「──なっ⁉」

 この次期当主後見人決定会議のかなめとも言える乙音嬢を殺してしまうなんて、それじゃまるで本末転倒と言うものじゃないか⁉

 ……いやでも、けしてあり得ない話ってわけでもないよな。

 現在生き残っている中には、すでに己自身の手を血で染めている者も多かろうし、そうでなかったとしても自分の命を守る意味からも他の者を殺す気満々だろうし、だったら『毒を食らわば皿まで』って感じで、いっそのこと乙音嬢を殺して、後見人争いでなくダイレクトに次期当主争いにレベルアップしようとするのも頷けるか。

 ……だからといって、まだほんの十五歳の女の子を殺そうとする神経は、まったく理解できないけどね。

「それもそうだよな。むしろ僕自身も元々こういったことも起こり得る可能性があることを想定して、わざわざミステリィの女神などといううさん臭い相手から異能の力を授かってまでして、危険を承知でこの次期当主後見人決定会議に乗り込んできたんだしね。──もちろん、ちゃんと手立てはあるんだろうな? これだけ乙音嬢の各死因の実現可能性が急上昇してしまった今となっては、そのすべてに対応した事前の危険リスク回避なんて、元プロの傭兵だか暗殺者だかのシンディさんだって、さすがに無理だろうからな」

『ええ、ちゃんとあるわよ。それもこれぞまさしく「攻撃こそ最大の防御なり」を地でいった、とっておきのやつがね』

「攻撃こそ最大の防御って………………それって、まさか⁉」


『そう。この際いっそのこと、乙音嬢以外の一族の皆さんの選択肢の中からそれぞれ適当な死因を選ぶことによって、一気に全員を排除してしまえば、当然乙音嬢に危害を及ぼす不逞の輩なんて、まったくいなくなるって寸法よ』


 ──‼

「そんな、たとえ乙音嬢の身を守るためとはいえ、他の一族の人たちを全員死なせてしまうなんて、いくら何でも無茶苦茶だろうが⁉」

『あら、別に構わないじゃない。すでに彼ら自身も他人を殺していたり、少なくとも殺す気満々なんだしね。──それにあなただって、まさにこの選択肢によって実は近々殺される可能性が高いことを知りながらも、これまでずっと本人に教えることなく見殺しにしてきたんだから、今更その人数が増えようが同じことでしょう?』

 ──っ。

「いやでも、あれは別に、僕が直接手を下して殺してしまったわけじゃないし……」

『それは今回も一緒よ。確かにあなたは一族の人たちの死因を確定するけれど、だからといってあなたが直接手を下すわけではなく、誰か他の人の手によって殺されることになるのですからね』

 あ。

 そうか、そういえば、そうだった。

『まあそうは言っても、あなたにとっては何かと後味が悪いでしょうけど、これによって乙音嬢のことを完全に守れるのなら構わないじゃない。何せそれこそが、あなたにとっての最大の目的なんだし。──ああ、そうそう。当然あなたの代わりに犯行を実行する「真犯人」が必要になるから、誰でもいいから一人だけ死なせないでいてちょうだいな』

 そのように文字通り人でなしそのものなことをあっさりと軽い調子で言ってのける女神様であったが、その時の僕には、もはや反論する意思も理由もなかったのであった。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「──違う、わしじゃない! わしは誰一人殺してなんかいない! これは何かの陰謀だ!」

 うみがめじまの外れにある広大なるヘリポートにて響き渡る、必死の形相の中年男性の叫び声。

 今この場にいるのは、その声の主である紋付き袴姿の前当主の従弟に当たる海亀うみがめ鯛造たいぞう氏に、清楚な純白のブラウスと紺色の膝丈のスカートに小柄で華奢な肢体を包み込んでいる海亀うみがめおと嬢に、彼女の専属メイドのシンディ=ウミガメ嬢に、そしてカジュアルなサマーセーターとジーパンというシンプルな装いに身を包んでいる今回の次期当主後見人決定会議におけるオブザーバーである、この僕神楽かぐらひびきの四人のみであった。


 なぜなら、他の海亀一族の皆さんはすでに、全員『行方不明』となられているのだから。


 そうなると犯人──事ここに至ってはすべての黒幕とも言うべき『真犯人』は、今目の前にいる鯛造氏ということになるのだが、まさに彼自身が懸命に否定しているように、腑に落ちない点も多々あったのだ。

 御存じのように、鯛造氏が乙音嬢を除く一族における唯一の生き残りとなれたのは、幸運の賜物でも偶然の産物でもなく、あくまでも僕が一族の各個人の死因を恣意的に操作した結果に過ぎなかった。

 それでは何ゆえに、このようにいかにも黒幕っぽい言動ばかりを行っている彼を生き残らせたかというと、まさに彼が『いかにも黒幕っぽい』からこそ、すべての犯行を押し付けるにふさわしいかと思ったのである。

 それに何より、そもそも彼の属性名は『かませ犬』なのであって、いかにも黒幕っぽく振る舞いながらも、実のところは真犯人に利用されて罪を押し付けられるだけの存在に過ぎず、むしろ他の誰よりも人畜無害とも言えて、ある意味最大の犠牲者でもあったのだ。

 もちろん僕があえて鯛造氏を生き残らせたのも、彼が今回の次期当主後見人決定会議が始まって以来ずっと、ステータス・ウィンドウにおいて『加害者となる可能性、0%』だったからであり、自分以外の他者を殺す気満々な一族の者たちの中にあって、人殺しに手を染める悪心なぞ一切持たなかった彼までも、死因リストを操作して死なせてしまうのは忍びなかったのである。

 もっとも、彼に人殺しをするつもりがまったく無かったのは、単に憶病者だったり、むしろ自分以外の者たちを殺し合わせて最終的に漁夫の利を得ようとしていただけなのかも知れないけどね。

 だがそうなると、僕が死因リストを操作する以前にはいまだ半数以上も生き残っていた、一族の人たちを殺した実行犯は誰なのかといった問題が浮上することになるのだが、もちろん文字通りに魔法のスマホを有する僕自身はとっくに承知していた。

 ──なぜならスマホの画面越しに見えるの頭上の属性表示が、今この場においては『連続殺人犯』へと変わっていたのだから。

『──ま、それも当然のことでしょうよ。何せ被害者が出るということは、加害者が存在しているということなのですからね。あなたでもそこの「かませ犬」さんでもないとしたら、乙音嬢か彼女のお付きのメイドさんということになるけど、二人のうちのどちらかであるのなら、必然的に音に聞こえし武闘派メイドさんのほうになるでしょうね』

 ああ、まったくおまえの言う通りだよ、女神様。

 僕は自分の手のうちのスマホに密かに送信されてきた、ミステリィの女神からのメールの文面を見ながら、心から納得した。

 とはいうものの、僕にはシンディさんを断罪するつもりなぞ、毛頭なかったのだ。

 むしろ一族の人たちの死因リストを操作することによって、自分こそが彼女を殺人犯に仕立上げたようなものなのであり、より罪深きは僕のほうであろう。

 しかしここで余計なことを口走ってしまうのが、かませ犬のかませ犬たるゆえんであった。

「──そこのメイド! どうせすべては、おまえの仕業じゃないのか? 後見人候補者を皆殺しにした後で、あえて生き残らせたわしに罪をかぶせて、その小娘当主を傀儡にすることによって、自分こそが我が海亀家の実権を握るつもりなんだろうが⁉」

 ──っ。この駄犬オヤジ、よりによって『お嬢様命』のシンディさんに向かって、何ということを⁉

「……この私が、この世で何よりも愛するお嬢様を、自分の傀儡にするですって?」

「うっ」

 いきなり鬼気迫る表情となり、全身から尋常ならざる殺気をほとばしらせ始めた武闘派メイドさんを目の前にして、完全にビビってしまい言葉を詰まらせるかませ犬。

「でも、いい勘なさっておられること。今あなたがおっしゃった通り、確かにこの私なのですよ。──今回の次期当主後見人決定会議が、あなたたち海亀一族の皆様を亡き者としてきたのは」

 ………………………………は?

 次期当主後見人決定会議が始まって以来って、つまりは僕が各個人の死因リストを操作する以前から、彼女こそがすべての犯行を実行していたってわけなのか⁉

「だってこの私が、お嬢様を食い物にしようとしている不心得者たちを、一人たりとて生かしておくわけが無いではありませんか? 後見人とやらに納まって、それこそお嬢様を自分の傀儡にしようだなんてもっての外だし、どうせそのような欲の皮が突っ張っている輩は、最終的にはお嬢様を亡き者にして、自分自身が当主の座につこうとするに決まっていますしね。そこで次期当主後見人決定会議だか何だか知りませんが、のこのこと自分たちから一ヶ所に集まってきて、あまつさえ警察等の公的機関の介入までも排除してくださったので、これ幸いと一網打尽にしようと思ったのですよ」

 ……これは、いったいどういうことなんだ?

 つまり別に僕が何もしなくても、最初から乙音嬢の身は、シンディさんによってちゃんと守られていたってわけなのか?

『──何言っているのよ。事ここに至っては、もはやそんなことは問題じゃないわ。うかうかしていたら、あなた自身も死んでしまうことになりかねないわよ?』

 え?

 もはや周囲の耳目をはばかることなく堂々と音声通信によってアクセスしてきて、まるで僕の心中を見透かすようなことを言い出した、スマホからの声に思わず面食らってしまった、

 まさに、その刹那であった。

「──うぐっ」

 いきなり喉元から鮮血をほとばしらせながら倒れ伏す、中年男性の肥満体。

 そのすぐ側で血塗られた大振りのサバイバルナイフを携えて仁王立ちしている、メイド服をまとった長身の美女。

「シンディ……さん?」

「これで欲張りどもは、全員始末できました。──後残るは、のみ」

 そう言うやこちらへと向き直る、エキゾチックな金髪メイドさん。

ひびき様には大変申し訳ございませんが、犯行の目撃者を一人でも生かしておくわけにはいかないのですよ」

「──くっ」

 そしてゆっくりと僕のほうへと歩み寄ってくる、『連続殺人犯』。

 僕は密かに彼女へとスマホを向けて選択肢を起動させ、死因リストの『心臓麻痺』の箇所に指を当てて、まさにタップせんとしたところ、


「──やめて、もうやめて!」


 唐突に広大なるヘリポート中に響き渡る、絹を裂くような幼い少女の声。

 シンディさん共々咄嗟に振り向けば、次期当主の御令嬢が、日本人形そのままの秀麗なる小顔の中の黒水晶の瞳に涙をたたえながら、自分の喉元に小振りのナイフを突きつけていたのであった。

「お、お嬢様、いったい何を⁉」

「『何を』は、私の台詞よ! シンディ、どうしてみんなのことを殺したりしたの⁉」

「だ、だから、あやつらはお嬢様のことを食い物にしようとしていたのであり、殺されたって当然なのであって──」

「あの人たちのことや私のことなんて、どうでもいい! 私はあなたが私なんかのために、再び自分の手を汚してしまったことが悲しいの!」

「…………え」

 思わぬ台詞を返されて、呆然と言葉を失う殺人メイド。

「あなたが祖国にいた頃どんな暮らしをしていたのかは、お父様からそれとなく聞いていたわ。あなたは私の家に引き取られてからもしばらくの間ずっと、感情というものをまったく表に出すことなく、まるで魂を持たない人形か死人のようだった。それが私と姉妹同然にいつも一緒に行動するようになってからは、次第に笑顔を浮かべるようになり、いつしか『ただの女の子』そのものとなってくれた。それが私にとって、どんなに嬉しかったことか。それなのに私なんかのためにまた人殺しに手を染めて、昔のあなたに戻ってしまうなんて。……ごめんなさい。それもこれもすべては、私が頼りないあるじだからだよね。もうこんな心配ばかりかけ続ける不出来な『妹』のことを気にする必要はないから、あなたはあなたで何よりも自分のためだけに生きていって、今度こそ普通の女性として、幸せになってちょうだいね」

 そう言い終えるや少しも躊躇することなく、ナイフを自分へと突き立てる少女。

「お嬢様────‼」

 慌てて駆け寄るシンディさんだったが、ひしと抱き上げた華奢な肢体は、もはや微塵も動く気配はなかった。

「……お嬢様。すぐにお側に参ります」

 そうささやきかけると共に、サバイバルナイフで一気に自分の喉元を掻き切るメイド嬢。

 気がつけば、いまだこの場に立ち続けているのは、もはや僕一人っきりとなっていた。

「……どうして、こんなことに。僕は何よりも乙音嬢を守るためにこそこの島に来て、不思議な力を持つスマホを駆使することによって、事件の推移を自分の意のままに操作していたはずなのに」


『何言っているのよ? まさにその操作こそが──つまりはあなた自身こそが、この結末を招いたんじゃないの』


 その時スマホから聞こえてきた、あまりに予想だにしなかった女神の言葉。

 だから僕は思わず、我を忘れてまくし立てた。

「これが僕が招いた結末であるなんて、いったいどういうことなんだよ⁉」

『実はね、私があなたに与えた異能の力って、この現実世界をミステリィ小説そのままに変えてしまって、あなたをその「作者」とするものだったの』

「はあ? 何を今更言っているんだ? ミステリィ小説なんてものはもはや時代錯誤の決定論的存在に過ぎず、現実にはけしてあり得ないと言ったのは、他ならぬおまえ自身だろうが⁉」

 そのように憤慨する僕なぞ露ほどにも寸託することなく、その幼い少女の声は、かつてないほど衝撃的な、爆弾発言を投下する。


『そうよ。いわゆる「全能」そのものであるこの現実世界という物語の「作者」になるなんて、物理法則どころか神の摂理すらも超越した、本来ならそれこそ小説やおとぎ話の中でしかなし得ないはずなんだけど、ミステリィの女神であるこの私のならば実現させることができるの。──なぜなら、実はこの現実世界そのものが元々私が見ている夢みたいなものなのであり、よって自由自在にあたかも夢や小説であるかのようにもできるのだから』


 …………………………………………は?

「そんな馬鹿な! この現実世界が実はおまえが見ている夢に過ぎず、しかも意のままに小説であるかのようにもしてしまえるなんて、そんなことできるはずがないだろうが⁉」

『そうとも限らないわよ? あなただって、「ちょうゆめ」くらい知っているでしょう?』

「胡蝶の夢? それって確か、そうとかいうオッサンがちょっと蝶になった夢を見ただけで、『果たしてあれは本当に夢だったのか? もしかしたらこの現実世界のほうこそが蝶が見ている夢で、実は自分は夢幻の存在に過ぎないのではないのか?』とか何とか、ちゅうびょうそのまんまのことを真面目くさって言い出したとかいうやつだっけ?」

『実はこの私こそが、その「胡蝶の夢」の話の中に出てくる、蝶そのものの存在なの』

「へ?」

『中国の神話においては「ホワンロン」とも呼ばれているんだけど、いわゆる「この世界を夢として見ている」というある種の創造主カミサマ的存在であり、つまりはあなた自身も含めてこの世界そのものが、私が見ている夢という虚構の存在に過ぎないってわけなのよ』

「何その、それこそ中二病そのままの与太話は? この世界が実は夢だなんて、もしもこの世界がこれまたおまえの言うように小説に過ぎなかったりした場合、絶対やってはいけない反則技である『夢オチ』になってしまうじゃん! いやそもそも、『胡蝶の夢』や『ホワンロン』とやら自体があくまでも僕たち、むしろそっちのほうこそが単なる虚構の存在でしかないわけだろうが⁉」

『おお、またしてもいい意見ね。さすがは私が見込んだ「作者」様、まったくその通りよ。いくら私みたいな自称神話的存在が、「あなたたち人間はすべて私が見ている夢の中の存在に過ぎないの」と言ったところで、むしろあなたたち人間のほうが私という神話的存在を豊かな想像力によって生み出した、あくまでも現実の存在であるというもまたけして無くなったりはしないの。──だからこそ結果として、この世界を夢として見ている主体であるはずの私が、同時にあなたたちの想像上の存在かも知れないという二重性を有するのと同様に、あなたたち人間もまた、私という神話的存在が本当に存在しているかも知れないという可能性がある限り、現実の存在であると同時に私が見ている夢の存在であるかも知れないという二重性を常に有していることになるのよ。──ところで、「人は形ある現実の存在であると同時に、形なき夢や小説の世界の存在でもあり得る二重性を常に有している」と聞いて、何かを連想しない? そう。これってまさに以前詳細に述べた量子論における、「この世のすべての物質の物理量の最小単位である量子というものは、形ある粒子と形なき波という二重性を常に有している」そのまんまでしょう?』

 あ。

『つまり、現実世界マクロレベルの存在であるあなたたち人間には、微小世界ミクロレベルにおける量子ならではの特異な性質は適用されないというのが、これまでの量子論における主流的見解だったけど、人間も量子同様に夢や小説等の形なき世界の存在でもあるという二重性を常に持ち得るとしたら、まさにその量子ならではの特異なる性質──すなわち、人間には観測できないミクロレベルにおいて形なき波の状態にある量子は、次の瞬間に形ある粒子として取るべき無数の形態や位置の可能性が同時に重複している状態──いわゆるこれぞ量子論で言うところの「重ね合わせ」状態にあるという独特の性質を有していて、言わば形なき波としての量子はある意味、次の瞬間の自分自身である無数に存在し得る形ある粒子としての量子と、常にアクセスし合っているような状態にあるとも言い得るのであって、同様にその量子の性質を受け継いでいる量子コンピュータも、波の状態の自分を中心として無数に存在し得る形ある「別の可能性の自分」──多世界解釈量子論で言うところの「多世界同位体」とシンクロし得て、これによってまさしく量子コンピュータならではのいわゆる「量子ビット演算処理」と呼ばれる無数の量子コンピュータ同士による時空を超えた超並列計算処理が可能となって、文字通り全知そのものの能力を振るうことができるようになるのだけど、それと同じようにたとえ現実世界マクロレベルのただの人間であろうと、無数に存在している「別の可能性の自分」のうちで、その存在を構成している量子がすべて「波」の状態となっている多世界同位体を選んでそれこそを起点にすれば、量子や量子コンピュータそのままに「重ね合わせ」状態となること──すなわち、無限に存在し得る形ある「別の可能性の自分」のすべてとシンクロすることすらも可能となるのよ。それではあなたたちのようなただの人間にとっての、「存在を構成している量子がすべて波の状態となっている別の可能性の自分」とは何かというと、やはり何と言っても「夢の中の自分」こそが代表的存在と言い得るわけ。何せ夢自体に形が無いんだから、夢の世界の中の自分こそは、当然「存在を構成している量子がすべて波の状態となっている別の可能性の自分」ということになるでしょう? ただしここで気をつけなくてはならないのは、「胡蝶の夢」を引き合いに出すまでもなく夢を見ている主体が自分自身であるとは限らず、赤の他人であったりそれこそ蝶だったりする可能性もあるのであり、言わば「可能性の自分」ということは、自分とはまったくの別人であることもあり得るわけで、例えばまったくの別人になる夢を見ることなんて誰でも経験しているでしょうけど、逆に言えば形なき波の状態の夢の中の自分が、目が覚めた次の瞬間に、形ある現実世界のまったくの別人になってしまったとも言い得るのであり、すなわちあくまでも形なき波の状態の自分を起点にすれば、いかような形の自分自身でも──つまり自分自身とか赤の他人とか蝶とかに限定されず、この世の森羅万象すべてはもちろん、時代や世界の範疇すらも問わず、あらゆる存在を「別の可能性の自分」として持ち得るの。それというのも夢を見ている主体は何も現代人とは限らず、数百年前の戦国武将が見ている夢かも知れないし、数百年後の未来人が見ている夢かも知れないし、異世界人が見ている夢かも知れないし、あなたが小説や漫画の登場人物であると見なしている存在が見ている夢かも知れないのだから。──いやむしろこのように時間や空間すらも超越して、と無限にシンクロし合いお互いに計算処理の材料にできるからこそ、量子コンピュータどころか神様そのものの全知の力を実現できる超並列計算をなし得るって次第なのよ。そしてまさにこのようにして、あなたたちのようなただの人間に、形ある現実世界の存在であると同時に形なき夢の世界の存在でもあり得るという、本来万物が常に持ち得る二重性を浮き彫りにさせて、形なき「夢の世界の自分」を起点にして、無限に存在し得る形ある「別の可能性の自分」のすべてといわゆるシンクロさせて、量子コンピュータ同様の全知の力を振るえるきっかけを与えることができるのが、誰あろう、実はこの世界を夢として見ているという可能性を有し、そのため当然のごとく現実世界か夢の世界かにかかわらずできぬことなぞ何もない万能なる存在である、私のようなホワンロン等の神話上の超常的存在というわけなのよ』

 僕たち人間も量子同様に形ある現実の存在と形なき夢の存在としての二重性を有するゆえに、無限の『別の可能性の自分』のすべてと総体的にシンクロすることによって、量子コンピュータそのままの全知の力を振るえるようになれるのであり、そしてそのきっかけを与えてくれるのが、まさにこの現実世界そのものを夢として生み出している、ある意味文字通り『創造主カミサマ』とも言い得る、ホワンロン等の神話上の超常的存在だと⁉

「……ちょっと待て。そうなると、常日ごろから自分のことを『真の全知』だとか何とか称していて、この世界を夢として見ている主体でもあり、同時に僕たち人類の想像上の産物かも知れないという二重性を常に有している、ホワンロンとやらである、おまえ自身も──」

『ええ。もちろんこの世界を夢として見ているホワンロンたる私も、まさに自身そのものである「夢の中の自分」を起点にし、無限に存在し得る「別の可能性としての自分」である時代や世界すらも問わない森羅万象と総体的にシンクロ状態にあるからこそ、常に全知の力を振るうことができるのであり、当然私がミステリィの女神としてあなたたちミステリィマニアたちに授けた様々な異能も、全知の力によって生み出しているのであって、例えばあなたに与えた「属性表示」や「ステータス・ウィンドウ」や「選択肢」等が、けして決定論的にただ一つの解答を与えるようなものではなく、事態の推移に合わせて名称や実現可能性がころころと変動していくといった仕様となっているのは、何よりも「この現実世界には無限の可能性があり得る」という量子論に代表される現代物理学における大原則に則り、それこそ全知の力を駆使することによって常に未来の無限の可能性を予測計算シミュレートすることで、より理想的に現実世界の推移に適応した異能の実現をはかっているからなの』

 ……おいおい。わざわざ『この私』とか『別の可能性としての自分』などと言っているということは、ホワンロンとは本質的に無限に存在し得る『可能性としての自分』の的存在なのであって、まさかこの現実世界の外側だけでなくちゃんと肉体を有する、『普通の女の子』としてのこいつが存在していたりするんじゃないだろうな?

「この現実世界を夢であるかのようにできることについては、何とか理解できたけど、だったらさっきおまえが言っていた、『この現実世界をミステリィ小説そのままに変えてしまって、僕をその「作者」とする』ってやつのほうはどうなんだよ? そんな現実世界を自作の小説であるかのように何でも思いのままにできるようになるという、量子コンピュータや神様ならではの『全知』すらも超越した、本来現実的にはけしてあり得ない決定論もどきの『全能』の力なんて、本当に実現することができるわけなのか?」

『できるわよ? 基本的にはさっきの話と同様に、私のホワンロンとしての力であなたに、現実の存在でもあり夢の存在でもあるという二重性を浮き彫りにさせるわけだけど、実はあなたって、「夢の中の自分」とのシンクロの仕方が、非常に独特なものだったりするのよ』

「僕のシンクロの仕方が、独特って……」

『さっき言ったように、ホワンロンたる私自身や私から量子同様の二重性を浮き彫りにさせられたミステリィマニアの皆さんが、自分とは異なる無限の「可能性の自分」と総体的にシンクロすることによって真の全知とも言うべき力を得ているのに対して、実はあなたは、起点としてのあなたが現実の存在であろうが夢の存在であろうが、「自分」としかシンクロできないのよ。よって「1」をいくら掛け合わせようが「1」に過ぎないのと同様に、まったく同一のあなた同士をいくらシンクロし合わせようが、少なくとも総体的にシンクロ化をなし得る私たちのように、未来予測等を始めとする量子コンピュータ的な存在だったら実現可能な異能の力を得ることはできないわけ』

 ……何だよそれ。つまりこの広い世界において僕だけが、けしてどんな異能も得る可能性がまったくない、出来損ないとでも言うのか?

『何だかやけにがっかりしているようだけど、さっきから私はこう言っているのよ? 「あなたはけして量子コンピュータにはなれない、なぜならあなたは、実際に存在するとしたら量子コンピュータ同様に真の全知なる存在であろう、存在である、この世界を最終的に創り出している、究極の「主体的存在」なのだから」と』

 なっ⁉

『言うなればこれぞまさしく、あなたこそがこの世界の「作者」とも呼び得る存在だということなのよ』

「ちょっと、何だよ! 僕が神様すら超越しているとか、究極の主体的存在とか、この世界の作者とかって⁉」

 おいおい。ひょっとしてこいつって冗談でも何でもなく、本当に中二病なわけなのか?

『例えばね、私ことホワンロンが実際に存在していて夢としてこの世界を生み出しているとしたら、その黄龍わたし自身すらも何者かに神話上の存在として創られたり夢として見られていたりすることになるわけだけど、あなただけは違うの。あなたの夢の主体はどこまで行っても「まったく同一のあなた」でしかなく、もしもこの世界が多重的な夢の世界であっても、いくら目覚めようとあなたはあなたでしかないのよ。それに対してホワンロンのほうは目覚めた際に、何と可能性だってけして無いとは言えないの。これぞあなたこそが、「本物の神様すら超越した存在であるこの世界を最終的に創り出している究極の主体的存在」であるとも言い得るゆえんなのよ。つまりあなたにとっては、この世界を夢として見ていると言い伝えられているホワンロンだろうが、自分の夢の産物でしかなくなるわけ。言わばあなた以外のすべての存在においては、夢から覚めた瞬間にあなたになる可能性はけして無いとは言えず、しかもいったんあなたになってしまえば後はいくら目覚めようがあなたでしかなくなるので、あなたこそがこの世のすべての者にとっての「夢の終着点」とも言い得るのよ。確かにあなたは「まったく同一の自分」としかシンクロできないので、無限の「別の可能性の自分」との総体的シンクロによる神様や量子コンピュータそのままの「全知」の力を得ることはできないでしょう。しかし現実世界と夢等の虚構の世界との境界を越えて、いわゆる「多重的シンクロ」状態を構築できるあなただったら、現実世界と小説の世界とを多重的にシンクロさせることによって、この世界を現在過去未来にわたって意のままにできるようになれるという次第なのよ』

「……いや。もし仮に僕が『究極の主体的存在』だか『夢の終着点』だかであったとして、どうして現実世界と小説の世界とを多重的にシンクロさせたりすることができるんだ?」

『それについても基本的にただ単に、「現実世界のあなた」と「小説の中のあなた」とをシンクロさせることさえできればいいの。そう言うと「まったく同一の自分」としかシンクロできないあなたには実現不可能のようだけど、心配御無用。あなたはただ、自分を主観にして現実の出来事をそっくりそのまましたためた小説を創ればそれだけでいいの。多重的自己シンクロも総体的シンクロ同様に基本的に世界や時代を問わずに、量子論で言うところの無限に存在し得る「可能性としての自分」とシンクロするようになっているんだけど、多重的自己シンクロでは「まったく同一の自分」としかシンクロできないから非常に範囲が限定されているように思われがちであるものの、だったら自らの手で「まったく同一の自分」を創ってしまえばいいじゃないかってことなのよ。何せいったんそうしてしまえば多重的自己シンクロ状態にある現状においては、総体的シンクロ状態にある「現実世界の自分」と「夢の中の自分」と同様に、この「現実世界のあなた」と「小説の中で作成した登場人物としてのあなた」の、形ある「現実の存在」であると同時に形なき「小説の存在」でもあるという、小説を作成した主体であるあなた自身すらも単に現実の存在であるとは限らなくなって、この世界そのものも現実世界であると同時に小説の中の世界でもあり得ることになるの。言わば何と今現在のあなた自身も形なき「小説の中の登場人物としてのあなた」である可能性が生じることになるわけで、その場合あなたは、あなたを小説の登場人物として創造した形あるの「あなた」とシンクロしていることになり、その「あなた」もまた自分を小説の登場人物として創った世界の「あなた」とシンクロしていることになる──といった、無限のシンクロ関係が構築されることになるの。それに対して、今現在のあなたが形ある「現実世界の存在」である場合においては、今度は自分が創り出した形なき「小説の中のあなた」とシンクロしていることになるのであり、その状態であなたが「小説家である自分を主役にして現実世界のありのままをしたためた小説」を作成しているとしたら、当然その小説の中の「あなた」もまた「小説家である自分を主役にして現実世界のありのままをしたためた小説」を作成していることになり、更にその小説の中の「あなた」も──といった具合に、現実と虚構を超えた無限の連鎖関係が生じることになるわけなのよ。しかも多世界解釈量子論に基づけば「あらゆる世界同士はあくまでも等価値の関係にある」ことにより、たとえそれが「小説の中の世界」と「その小説を作成した現実世界」との間であろうとも、因果関係や時間的な前後関係等はまったく存在し得ないのであり、ゆえにこの無限の連鎖的状況下においては、あなた自身は現実の出来事を基に小説を作成しているつもりでも、、過去の事実と異なることを記せばすべての連鎖世界が書き換えられて最初からその過去のみが正しいことになり、好き勝手に未来の出来事を記せばそれが現実のものとなってしまうという次第なのよ。なぜなら多重的連鎖状態にある現状においては、あなた自身は小説の中の「あなた」と、世界そのものは小説の中で描かれている「世界」と、完全にシンクロしている状態にあり、時間的な前後関係を取っ払ってしまえば、あなたが小説の記述を書き換えれば同時にすべての連鎖世界の小説が書き換えられることになり、そしてそれはその小説内に記述されている者にとってのがみんな一斉に改変されるということなのだから、初めからすべての連鎖世界においては改変された過去のみしか存在していないことになるので、何とSF小説等においては絶対に不可能だと見なされていた、すでに確定されていた過去の改変が実現できることになるの。──そう。まさしくこのように現実世界と小説という虚構の世界との垣根を超越して多重的連鎖状態を構築することによって、現実世界という名の小説の「作者」になれる力こそが、私があなたに与えた力だったわけなのよ』

「なっ。僕が自分を主観にして現実の出来事をそっくりそのまましたためた小説を創るだけで、今まさに自分自身こそが世界を生み出していることになって、しかもただ単にその小説の記述を書き換えたり書き加えたりするだけで、この現実世界を現在過去未来にわたって思いのままにできるようになるだって⁉」

 つまり僕は自分でも知らないうちにこの現実世界の『作者』となってしまっていて、女神だかホワンロンだかの人外バケモノに誘導されるままに、今回の会議参加者の個々の選択肢内の死因を恣意的に選ぶことによって、現実世界そのものの推移を決定づけていたってわけなのか。

『ただしこの「全知」なる本物の神様すらも超越する「作者」としての力は、さっきあなた自身も言っていたように決定論に基づく「全能」の力なのであって、確かに小説等の記述を書き換えるだけで、たとえすでに確定した過去であろうとも改変することができるけれど、何の考えもなしにむやみやたらと書き換えたりすれば、当然タイムパラドックス等の様々な矛盾を生み出しかねないのであり、そこのところは量子論に基づく真の「全知」を実現できるホワンロンであるこの私が、しっかりとフォローしていく必要があるって次第なのよ。そのことを具体的に体現しているのが、まさに今回の各個人の死因の実現可能性だけをリストアップした「選択肢」なのであって、あなたの「作者」としての世界の決定能力を、必ず私の全知の力によってシステム化されたこの選択肢を介して行使させるようにすることによってこそ、けして無理のないあくまでも現実性リアリティを維持した事態の推移を実現できることになるの。その際の最大のポイントが、選択できる対象を死因という被害面に限定したことであり、もし仮に被害面と加害面とに関する事柄を分け隔てなくいっぺんに選択させようなぞとしたならば、その組み合わせは理論上無限にあり得ることにより、とてもあたかもゲームそのままの選択肢としてリストアップすることなど不可能となるけれど、被害面──特に死因に選択肢を限定すれば、十分選択可能なリスト数に抑えることができ、しかも被害が生じるということは当然加害行為も行われることになるわけなんだけど、とりあえずプレイヤーであるあなたに死因だけを選択させておいて、それにまつわる加害者の選定や具体的に実行する日時や使用する手法や凶器等々の細々したことは、全知たるホワンロンならではの無限の可能性の予測計算シミュレート能力を駆使して、矛盾等がまったく生じることのないように、私のほうでしっかりとおぜん立てしていたといった次第なの』

 そうして長々と続いた蘊蓄解説を終えてくれる、自称神話的存在の少女であったが、それを聞いていた僕のほうはとても黙ってはおられず、すぐさま食ってかかっていく。

「ちょっと待て。誰が加害者になるか等の詳細についてはおまえが全部決めていたと言うのなら、シンディさんがすべての事件の実行犯だったのは──」

『ええ。私がそうなるように、ストーリーの展開を調整していったの。何せ加害者を一人だけに絞ったほうが、整合性のとれたストーリーを構築するに当たって、何かと楽ですしね』

「整合性のとれたストーリーの構築って、たかがそんなことのために、人の運命をもてあそぶようなことをして、いったいおまえは何を目的にしているんだ⁉」

 そのように我を忘れてスマホに向かってわめき立てる僕に対して、かつてないほど真摯なる声で、更にとんでもないことを言い出す、女神の少女。


『私の目的──それは、これまでにない「真に面白い小説」を創り出すことなの』


 ………………は?

『確かに全知なるホワンロンたる私は未来の無限の可能性をすべて予測計算シミュレートできるし、間違いなくそれは神様同然のこの上なき超常の力ではあるけれど、当の本人としては事前に未来で何が起こるかわかっていたんじゃ、面白くも何ともないわけなのよ。だからこそ現代物理学を始めとするこの世のことわりを曲げてでも、本来ならこの現実世界には存在し得ないはずの決定論に基づく全能なる「作者」の力を有する存在を、現実世界と小説世界とを超えた多重的自己シンクロ状態を構築させるという反則技を使ってまで生み出したという次第なの』

 つまりそのために白羽の矢を立てられたのが、実は現実と夢との間で『まったく同一の自分』としかシンクロできないという特質を有していた、この僕だったというわけか。

「……それじゃあ、乙音嬢の身を守るために役立つ力を与えたというのも、ただ単に僕をおびき寄せるための虚言に過ぎなかったというわけなのか?」

 何せ結局彼女は、あっけなく死んでしまったのである。

 僕は怒りを抑えることなぞできず、スマホへ向かって震える声で問いただした。

『いいえ、そんなことはないわよ? 言ったでしょ、あなたは今や小説等の記述を書き換えるだけで、現在過去未来を問わずこの現実世界を思いのままにできる、「作者」となっているって。実は私はいずれ近いうちに「作者」として目覚めてくれるであろうあなたのために、ホワンロンとしての力を使って密かにあなた自身を主観として今回の事件の推移のすべてをほぼリアルタイムに小説として自動的に作成していたのであり、これの過去の記述を書き換えることで、乙音嬢を甦らせることだって十分可能なの。もちろん私の全知ならではの無限の予測計算シミュレート能力を駆使することで、タイムパラドックス等の矛盾なぞ一切生じることのないように調整してあげるから、好きなだけ過去を書き換えることができるわよ』

 そう言い終えるやようやく口を閉ざし、後は僕の選択次第とでも言わんばかりに、完全に沈黙してしまう、スマホからの女神の声。

 それと同時にスマホの画面に表示される、まさに現在のこの状況すらもリアルタイムに記述されていっている、彼女の言うところの全知たるホワンロンの力を駆使して自動的に作成されている、『僕を主観とした今回の事件の一部始終をそっくりそのまま記述した』小説。

 ……ただ単にこの目の前の小説の記述を書き換えるだけで、再び乙音嬢を取り戻すことができるだと?

 そんな神をも超越した埒外の力が、本当にこの僕に備わっていると言うのか?

 もしそうなら、何をためらう必要があろう。

 今まさに手のうちのスマホに表示されている小説のうち、該当する過去の記述の部分を、とりあえず試しに書き換えてみてもいいじゃないか。

 でもそれによって、もしも本当に過去が改変されてしまったら、もはや僕はただの人間ではなくなり、世のことわりすらもねじ曲げ得る決定論的存在たる『作者』となり、『真に面白い小説づくり』とやらのための道具として、完全に人外バケモノの虜となってしまいかねないのだ。


 ……どうして、こんなことになってしまったのだろう。


 これも自分にとって何よりも大切な女の子を守るためとはいえ、他力本願に走って超常の存在の力に頼ろうなぞとしたゆえに、女神を騙る悪魔の罠に嵌まってしまったということなのか。

 しかしすでに僕はその悪魔に唆されるままに、人の死因を操作するという、『作者』としての力の一部を使ってしまっているのだ。

 どうせなら『毒を食らわば皿まで』とばかりに、堕ちるところまで堕ちたって構わないじゃないか。


 そのように永遠とも思える数分ほど、あれこれと逡巡した後で、僕は意を決して手のうちのブルーベリーのスマートフォンの画面に表示されている小説へと、指を這わせていったのであった。

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