16.金春色の、お日柄に

 その人が選んでくれた『花』は、その人が大事に育てた花にそっくりでした。

 その花はわたしも大好きで、わたしが造ったガラスの瓶によく生けます。

 いつのまにかその花が咲くのを待っていました。

 その花は、わたしの家の匂い、形、色――。そして『彼』でした。


 


 長く伸ばしてきた髪を、和装に合うよう綺麗にアップにしてもらう。

「副社長、できましたよ」

「ありがとう。藤井さん」

 婚礼部のスタイリストをしてくれている女性社員に、義兄が礼を言う。

「奥様が嫁がれた時に着られたとか。それを今度はお嬢様が着られるだなんて、本当に素敵。この黒引き振袖も、素晴らしいものですよね」

 スタイリストの彼女の言葉に、着ているカナではなく、義兄の方が頬をほころばせる。

「そうなのですよ。義母が見せてくれた時に、これだと思ったほどです。本当に花嫁のために造られたものですからね」

「あら。では、花南お嬢様ではなくて、副社長が気に入られてしまったというわけですか」

「あ、いやあ……。まあ、そうなのですけれどね……」

 仕事では厳つい顔をしている義兄は、従業員には口当たりが優しい婿の顔になるのを、花南は黙って眺めていた。

 そんな淡泊な様子でいる花南と、どこか落ち着きのない耀平兄と、鏡の中で目が合う。

 照れている姿をじっと観察されていることを知ったのか、そこで義兄が黙り込んでしまった。

 結婚式だというのに、はしゃぐこともない花嫁のお嬢様と、どことなく落ち着きがない婿殿兄様の奇妙な空気に、スタイリストの彼女も気がついてしまう。

「副社長。髪飾りをご用意されていたのですよね。いまから付けましょう」

「そうだね。よろしく頼みます」

 そうして義兄がドレッサーに置いていた大きな箱を開ける。

 そこから大輪の芍薬(シャクヤク)が出てきた。

 それにはカナも身を乗り出してしまう。

「すごい。とても綺麗」

 カナが反応したので、義兄もスタイリストの彼女もほっとした顔をした。

「ひとつひとつ、手作りをしてくれてるアーティフィシャルフラワー(造花)の作家をみつけて、作ってもらった」

 カナはその髪飾りを手に取った。山口の家の庭に咲く芍薬にそっくりだった。白い花びらだけれど、ほんのり牡丹色がふちどる。丸みがある花びらの八重咲き、大輪。それだけで華やかだった。

「それと、帯に挿す『花簪(はなかんざし)』と、和装の婚礼では『ボールブーケ』も流行っているとかで一緒に作ってもらった」

 すべて造花だったが、アーティフィシャルフラワーは如何に生花のように見えるかが特徴なので、本当に花を束ねたかのようなお品に、カナはついに手に取ってしまう。

「これ、小さい時に折り紙で作った『くす玉』みたい」

 着物の柄に合わせて義兄が注文してくれたのか、紅緋や桜色のラナンキュラスに、淡い百緑色(びゃくろくいろ)の小さなマム、京紫の小花に、純白の牡丹。大小の花が丸くまとめられ、和の組紐で持てるようになっている。

「素敵」

 天の邪鬼。これほど素直に呟いたことはない。もう義兄は嬉しそうにそこで微笑んでいる。

「ありがとう、お義兄さん。やっぱり耀平お兄さんは、綺麗なものをきちんと作ってくれる人を見つけられるのね」

「人が作ったものは、見ているだけで楽しいもんだから、探すのも、男の俺が夢中になってしまった」

「ありがとう、嬉しい」

 しかも作家の手作りという、物づくりに携わる社長さんらしい選び方。そして、人が作ったものが好きな、そして作るのが好きなカナも手に持って嬉しいものだった。

 大輪の白花が、カナの黒髪に咲いた。スタイリストの彼女が、恭しい手つきでバランスを整えてくれる。

 鏡に映る義兄が満足そうに頷いている。その顔ったら……。カナは笑いたくなるのを必死にで堪える。

「本当に素敵なアーティフィシャルフラワーですね。これなら記念に取っておけますね」

 藤井さんが、惚れ惚れとした様子で出来上がった花嫁を見つめている。

「これ、うちの婚礼部にも欲しいくらいですね。副社長」

「だろう。そう思って、うちのブライダル用にと、もう発注をかけてしまったんだ」

 自分の結婚の為に探していたのに、探した当てた先で惚れ込んだお品を、もうビジネスとして話をまとめてしまっている。そういう、義兄の手腕というかビジネスマンとしての機敏さに、さすがにカナも唖然としてしまった。

 そして藤井さんも呆気にとられている。でも、彼女がすぐに笑い声をたてた。

「もう、副社長ったら! なんでもお仕事にしてしまうのですね!」

「いやあ、もう。こんないい品なら、うちの婚礼部にも置いて、うちのホテルで式を挙げてくださる花嫁さんに喜んで欲しいではないですか。あ、藤井チーフの確認も取らず、勝手でしたか」

「いいえ、私もこちらのお品にひと目ぼれでした。副社長のお眼鏡なら、間違いないでしょうし、副社長も確信して発注したのでしょう」

「あはは。そうなんだ。藤井さんなら絶対に気に入ってくれると思って」

 同じホテルで働いている気易さなのか、義兄と従業員の彼女が気心しれたように笑っている。

 そんな二人が映る鏡をカナはじっと静かに見つめていた。すると、二人がハッと我に返った顔を見合わせる。

「し、失礼いたしました。お嬢様」

 カナはそっと首を振った。

「姉の結婚式の時に、わたしをスタイリングしてくださったのも藤井さんでしたよね」

 彼女が驚いて、そして当惑した表情に固まっている。きっと新郎の亡妻を口にするのは、憚る日であるからなのだろう。しかもカナが問うたのは、その亡妻と新郎の在りし日の結婚式。

 その戸惑う眼差しを、副社長であり、その時も新郎であった義兄へと助けを求めるように向けている。

 それでも義兄さんは毅然としている。

「良く覚えていたな。おまえのことだから忘れていると思っていたけれどな」

「どういうこと?」

 鏡に映る義兄が、そっと藤井さんを見る。そして彼女はちょっと気後れした様子で、カナから目線を外してしまう。

「藤井さんも覚えいていたからだ。カナがこのホテルで花嫁姿になるなら、自分がやりたいと申し出てくれたんだよ」

 そうだったの! 今度はカナが彼女へと、鏡ではなく、本当の姿へと振り向いた。

 彼女が気恥ずかしそうにして、カナに告げる。

「お姉様のお式の時、私はまだ駆け出し三年目だったんです。花嫁のスタイリストにはまだ入れてもらえなくて。でも妹様のドレスアップを任されたんです。初めて担当として任された仕事でした」

「そうでしたか。初めてのお仕事だったのですか……。あの、わたし、あの頃からその、あんなの着たいとか、あんなスタイルになりたいとかなくて……。でも藤井さんが可愛くしてくれたら、本当に嬉しくなったこと良く覚えています」

「覚えていてくださったんですね、お嬢様……。ですから、ここで仕事の経験を積ませて頂いたので、今度は花嫁になられる花南さんのスタイリング、絶対にさせてほしかったのです」

 義兄も嬉しそうに頬を緩めている。義兄にとっても良き仕事仲間というとこらしい。

「俺も覚えている。ガラスを吹いている子供だと思っていたんだけれど、『カナちゃん、可愛いじゃないか』とあの時だけはそう思ったなあ」

「なんか、言い方がすごく意地悪なんだけど。どうせ子供でしたよ。ガラスに夢中でお洒落なんてしていなかったし。馬子にも衣装とか、古くさい冗談を言いたそうな顔」

「わかったか。『あんなカナちゃんでも可愛くなれるんだ』と驚いたことは、よーく覚えているなあ」

「もう、義兄さんなんか、あっちに行ってよ。だから今日もお式なんていらないっていったのにっ」

「あー、わかったわかった。兄さんが悪かった。まあ、そんなカナも、ちゃんと大人になれたんだなあと思っているから安心しろ」

 もう~、やっぱり意地悪な言い方! ついにカナはぷんとそっぽを向く。それでも義兄さんは楽しそうにクスクス笑っていた。

「ほんと、副社長たら。妹さんが可愛くて好きすぎて意地悪するだなんて――。本当に愛していらっしゃるんですね」

 そんな藤井さんの一言が効いたのか、義兄が黙りこくった。それがおかしかったので、ついカナは笑みをこぼしてしまう。

「きっと、ずっとご兄妹なのでしょうね。失礼かもしれませんが、私はそれでよろしいことだと思っております」

 このホテルに新人の頃からいたならば、副社長である義兄と花南の噂はよく耳にしただろうし、義兄の姿も見守ってきた人なのだろうなと思った。

 一瞬、この女性は義兄のことが好きだったのかなと思ったりしたが、聞けば、二十代の頃にここの料理人と結婚しているらしく、もう小学生が二人いる立派なお母さんだとのこと。

 それでも、副社長である義兄が、慕われていることは知っていたつもりでも、このように目に出来るのはなかなかないことだから、カナには新鮮だった。

「素敵な花嫁さんになりましたよ。副社長」

 藤井さんに言われ、義兄がじっと鏡に映るカナを見つめている。

 耀平兄さんも、今日は新郎としてばっちり決めていた。濃紺のフロックコートに、ライトグレーのベスト、そして綺麗なブルーのアスコットタイにダイヤのピンを付けている。

 もう髭も生やさなくなった爽やかな顔立ちに、長めに伸びていた前髪をバックにセットして。今日はいつも以上に、大人の男の色香を漂わせてカナの側にいる。

 その義兄が、ふっと鏡に映るカナに微笑みかけた。

 ――忘れかけていたような、つきんと胸をつつく『ときめき』。

 鏡の中で、彼とずっと見つめ合う。彼もそんなカナの眼差しに気がついたようだった。

「藤井さん、ありがとう。カナと二人にしてくれますか」

「はい。お嬢様、お疲れ様でした。では、また後ほど」

「今日も素敵にしてくださって、有り難うございます。藤井さん」

 スタイリストの彼女が微笑み、プライベートルームを出て行く。

 アクアマリン色のプライベートルームに、かすかに聞こえてくる波の音。

 フリルの白いカーテン。童話でお姫様が使うような猫足の白い大きなドレッサー。ところどころに淡いピンク色のバラが飾られている。幸せいっぱいの花嫁の部屋。

「カナ、どうした」

 鏡の中でまだ見つめるだけの義妹に、義兄が話しかけてくる。

 綺麗に着付けてもらった振袖姿になったカナは、ゆっくりとドレッサーのスツールから立ち上がる。

「綺麗な控え室だね。うちのホテルの婚礼スペースがこんなお洒落だなんて知らなかった」

「そりゃあ、時代に合わせて改装してきたからな」

 それも義兄の提案で、彼がホテルの婚礼部門と協力して立ち上げた仕事だったと聞かされている。

 義兄があちこちのブライダル会社と親しくして、そして見て回って、ホテルの婚礼部門が廃らないように気を配った仕事をしてくれたことがわかるものだった。

「プライベートビーチにある教会はお義父さんが建てたままだが、ホテルの部屋も少しずつ改装してきた。婚礼部門も何十年前のままとはいかないだろう。だいぶ様変わりしている」

「でも、うちのホテルの海辺のチャペルは昔から人気なのでしょう」

「それに甘えてばかりもいられないだろう。どんなに海辺の教会でと思ってくれても、会場が古くさいままだと最新の式場に勝てないことも多くなる」

 そうして、義兄が従業員と創り上げた『倉重リゾートブライダル』は、いまでも衰えない人気で予約がいっぱいになっているとのことだった。

 カナは花嫁プライベートルームの窓辺へと歩く。大きな窓と、ヨーロピアン風の白いテラス。その向こうにまるで外国のようなアクアマリンの海。

「ほんとうに素敵なお部屋を花嫁さんの為につくってくれたのね。きっとお客様も素敵な想い出になると思う。この海のこと、ずっと覚えていてくれるよね」

 そんなカナの側に、正装姿の義兄が寄り添ってきた。

「まさかな。カナとここを使うとは思っていなかったけれどな」

 義兄がそっと着物姿のカナを抱き寄せる。カナも素直に、彼の胸に頬を寄せた。

「ん? おかしいな。なんか、カナが素直だな」

 カナは黙った。そのとおりで、今日はやっぱり嬉しい。そして、大好きな金春の海があるここで彼と一緒になれるのが嬉しい。

「義兄さんの笑った顔。あの日と一緒だね」

 彼の胸元に抱きついたまま、カナも微笑む。でも耀平兄は不思議そうにして、カナの顔を覗き込む。

「あの日?」

「そう。あの日。義兄さんと姉さんが結婚する日と同じ」

 流石に義兄が、息引くようにして硬直したのがわかる。

「カナ、違う。あの時と、いまの俺は――」

「違うよ。あの日の耀平兄さんは若かった。いまのお兄さんは大人の男になって、立派な父親になっている」

 姉と一緒だった日と、妹と一緒にいる今はまったく違う。故に、いまはおまえを愛していると彼が言おうとしているのはカナもわかっている。

 でもカナが嬉しいのは、そんなことじゃない。

「なにもかも信じていたでしょう。あの日。義兄さんはあの日、本当に幸せそうだった。私もだよ。新しいお兄さんが来て、綺麗なお姉さんと、可愛い甥っ子。ずうっとその仲間でいられると思っていたんだもの。あの時の義兄さんの笑顔が好きだったんだもの」

 義兄がまだ戸惑って、そしてカナの言葉を否定し、あの日をなかったように忘れたいのか、拒否するように首を振っている。

「嬉しいの……。義兄さんがまた、なにもかもを信じていたあの日と同じように。いまもなにもかもを信じて、笑っているの。耀平兄さん……。お兄さん、元に戻れたんだね。わたしが大好きだった笑顔に戻ってくれたんだね。わたし、これからもずうっとその笑顔にきっとドキドキしていけるから」

 彼がなんとも言えない顔で、カナを上から凝視している。心なしか、黒い目が潤んでいるように見えてしまう。

「カナ……!」

 フロックコート姿の彼に、着物姿のカナは抱きしめられる。

「花南。おまえが戻してくれたんだろう。おまえが、俺なんかをずっと想ってくれたから」

 そう言われると……。カナも泣きたくなってくる。好きすぎて、彼から離れたり。彼を想いすぎて、嘘をいっぱいついて、結局最後に傷つけてしまったり……。ひとりでいることで、彼を愛してきた時もあったから。

「花南。もうおまえをひとりにするようなことは絶対にしない。だからおまえも、俺のためにひとりになろうとか二度としないでくれ」

 強く抱いてくれている彼の息が熱く、カナの耳元をくすぐる。そんな彼を、カナも重い袖の腕でいっぱいに抱きしめる。

「うん。ずっと耀平さんといるから……。ずっとずっと前から、愛しているのはお兄さん一人だったて、これで信じてくれる?」

 やだ。涙……、出てきちゃった。

「そんな前から俺のことを想っていてくれたなんて……、知らなかったんだ。もう俺は、そんなカナには絶対に勝てない」

 そんなことないよ。だって、わたし。

 抱きしめて耳元で囁いていた彼が、そっと離れ、またカナを上から見下ろしてくれる。でも、彼がそこでカナの顔を見て驚いた顔。

「なんだ。カナ……。おまえ、」

 彼がジャケットのポケットから、白いハンカチを取りだす。そしてカナの頬と目元にそっと当ててくれた。涙を拭くために。

「わたしだって、義兄さんに勝てないよ。天の邪鬼が、結婚式で素直に涙を流すなんて……。ダメでしょ。やっぱり結婚式なんてするんじゃなかった」

 天の邪鬼。お兄さんの妻になれたなら、他にはなにもいらない。指輪もお式もいらない。そう思っていたのに、やっぱり今日はきちんと改めるお披露目をして良かった。

 お式をすることで、彼の笑顔がみられたから。

 自分をいつまでも抱きしめてくれる耀平の頬にそっと触れる。

「わたしが山口に帰ってきてから、髭はやめちゃったね」

 一緒に暮らしてきた五年の間、義兄はずっと無精髭のスタイルをやめなかった。だから、彼がカナの肌を愛撫する時は、いつもぞりぞりとした感触はあたりまえだったのに、それがなくなってしまった。どちらでもいいけれど、やはり少し寂しい……。

「おまえが、髭に慣らさせておいて、今更つるつるの顎なんて――と言ったことがあるから、休みの日はそのままにしているだろう」

 でもカナも気がついてしまったのだ……。

「耀平兄さん、もしかして……。笑えなくなったから、髭をはやしたりしたの?」

 小樽にカナを迎えに来た時。大人の清々しい男だった義兄が、しかめ面の険しい男に変貌していた。目つきもそうだし、髭もそうだし、頬も身体も痩せていた。カナが山口に帰ってきてから、彼は髭をはやさない。そこにいるお兄さんは、昔、カナが一発で惚れ込んでしまったあのお兄さんに戻ろうとしていた。

 どうして髭だったのか。耀平が、髭のない顎をなぞって静かに微笑む。

「そうだ。航が俺の子供ではなかったと知って、美月がどこの男と関係を持ったのか見当もつかなくて。夫であった俺のすべてを拒否して飛び出して、突然いなくなって。話し合うことさえも二度とできなくしてしまった。信じていたなにもかもが崩れきった。怒りと憎悪が毎日まとわりついて、俺は恐ろしい顔つきになっていた。航にそんな顔だと知られたくなくて、それなら怖い顔風にしてしまえば、言い訳も出来ると思ってあの顔にしていた」

「……もう、しなくて良くなったんだよね」

「ああ、カナが帰ってきたから。俺のものになって、航の母親になってくれる。俺と一緒に倉重の家を守ってくれると言ってくれた。そして、美月のことも……。いったいなにが起きていて、俺はなにが出来なかったのか、それも良くわかった」

 今度は耀平が、男の大きな手でカナの頬をつつんでくれる。

「もう、終わったんだ。俺と美月は。俺はもう、おまえの姉を憎んでいない。この倉重で、花南と生きていく」

 そう言って、義兄は両手の中にいるカナへとそっと顔を付けづけてきて、赤く染まったくちびるへと柔らかにキスを落としてくれる。

 カナからもそっと、彼の唇へとキスを返す。

「わたしも、この海があるホテルを守っていく。お兄さんが守るもの、一緒に守っていくね。倉重も、ホテルも、ガラス工房も。そして、航も」

 この海が好き。金春色の海は、わたしの生の根底に鮮やかに湛えて、さざ波が絶えない。

 今日も目の前には、金春色の海。艶やかな京友禅の黒引き振袖を着付けたカナは、夫になる彼の腕に抱かれながら、その海を見つめる。

 黒髪には、彼が選んでくれた大好きな花が咲いている。その花にも、彼がそっとキスをしたのが伝わってくる。


 


 七つのマグノリアに火をつけて。

 わたしの心に、たくさんの花が咲く。

 夫が贈ってくれた大輪の芍薬。

 わたしが夫に贈った白いマグノリア。

 どれもわたし。


「義理の兄と妹でしたが、遺された航と二人、どうして良いか戸惑った時も、花南がそばにいてくれました。花南と航と共に生きてきます。改めて、倉重の人間として花南と支えていこうと思っております」

 挨拶をする新郎である義兄の隣に並び、黒引き振袖姿の花南も、彼に合わせてそっとお辞儀をする。

 食事会のテーブルに並ぶ親族から『おめでとう』の声がいくつも届いた。

 父と母、そして航。宮本の義母に義兄。そして倉重の叔母に、従姉妹達、その家族。ごく僅かの近しい親族だけのテーブルには、ここの料理長がこの度のお披露目式のためにつくってくれた婚礼コース料理が運ばれてくる。

 父もご機嫌で、母は宮本の義母と手と手を取り合ってなにを話しているのか……、母親二人で涙をこぼしているのを花南は見てしまう。

 航は若い従兄妹同士で、楽しそうにしている。

 テーブルの中心には、カナが先日仕上げたばかりの『白いマグノリア』。白いキャンドルの炎が優しく揺れて咲いている。

 白いパーティールームには、潮騒。青い光がこぼれている。

 久しぶりに集まった親族で賑わう小さなパーティールーム。カナはそっとテラスに出てみる。この部屋は、気心知れた知り合い同士がささやかに会食をするためにある部屋で、テラスからは砂浜に降りていく階段もある。その階段をカナは振袖姿でゆっくりと降りた。

 白い砂、この部屋のための渚。今日は振袖姿で波打ち際まで行くことは出来ない。それでもカナはそこでひとり、アクアマリンの海を見つめる。遠浅で穏やかなプライベートビーチ。いつか造った金春の大杯を思い出す。

 彼との愛欲にまみれた身体から、その全てを削ぎ落とし、カナはただ生物として生きることだけに純粋な生き物になって、この海を見据えていたあの日。

「カナ」

 フロックコート姿の彼が、潮風にジャケットの裾を翻しながら階段を下りてくる。

「どうした」

 夫になった彼がカナと並んで、一緒に遠浅の海の向こうを見つめてくれる。

「春だね」

「うん。海は春の色になっている」

 この海を毎日見ているから、わかる色合い。

 彼の手が、指輪をはめてくれたカナの手を優しく握ってくれる。


 本日は、金春色のお日柄で。


 わたし達の春は、金春色。

 義兄とわたしは、夫と妻になる。


 わたしはこれからも、義兄と一緒。

 花はあなたといきてゆく。


 

◆ 黒蝶はひとりでさがしてる  完 ◆

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黒蝶はひとりでさがしてる 市來 茉莉 @marikadrug

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