姫騎士の心中

栄養素

姫騎士の心中

その知らせは砦を震撼させた。

 悪い知らせではない。むしろ慶事だ。

 辺境の雄。モンフォール家にお世継ぎの男子がお生まれになったというもだ。

 モンフォール家はこの辺境の地において英雄だ。魔獣の脅威が身近なこの大地で、モンフォール家は代々剣でもって民衆に安寧を与えてきた。

 今のモンフォール家のご当主様と奥方様の間には長らくお子様がおられなかった。お二人とも40過ぎ、もはやお子は無理かと思われていた中でのこの知らせである。めでたくないはずは無い。

 そう、めでたい知らせだ。だが素直に喝采を上げられない理由がこの砦にはあった。


 砦の人間たちの視線の先に一人の騎士がいた。小柄で、華奢な体躯の騎士だ。一見すると騎士の様には見えないかもしれない。その騎士の名は、エナリー・モンフォール。モンフォール家の養子で、この知らせがもたらされるまでモンフォール家の跡取りと目されていた女性だった。


 ◇ ◇ 


 エナリーがこの砦に配属されたのは彼女が15の時だった。

 当時のエナリーは今に輪をかけて小柄だったから、とても剣を取って戦えるとは思えなかった。

 この砦は北の山脈から押し寄せてくる魔獣達との戦いの最前線だった。日夜激しい戦いが行われ、大男でも泣きだす厳しい戦場だ。

 英雄モンフォール家の関係者で跡取りとはいえ、養子でしかないエナリーに対する評価は著しく低かった。非力な少女が拍をつける為だけに此処へ来たのではないか、そう侮るも人間も多かった。


 エナリーは自力でその評価を覆した。

 エナリーは非力などではなかった。洗練された剣技と魔法で数多くの魔獣を打ち取った。

 戦いの無い時も男の騎士たちに交じり男達と同じ訓練を行った。いやむしろ、エナリーのそれの方が男たちより厳しかったかもしれない。

 侮っていた砦の騎士たちも遂にはエナリーのことを認めた。むしろ、真っ先に強敵に向かっていく度胸、厳しく己を律し鍛錬を行う様をみて、彼女のならば英雄モンフォール家の跡取りとしてふさわしいとさえ思っていたのだった。


 ◇ ◇ 


 知らせが届いてから一晩たった。

 エナリーはいつもと同じように男の騎士たちに交じって訓練をこなし、いつもと同じように食事をし、いつもと同じように周辺のパトロールを行っていた。

 騎士たちはチラチラとエナリーの様子をうかがっていた。

 騎士たちはエナリーがモンフォール家の跡取りたらんと気を張り、努力を怠らなかったことを知っている。だからあの知らせを受けてエナリーがどうなってしまうか、皆密かに憂慮していたのだ。

 だがそんな周りの心配をよそに、エメリーは表面上何も変わっていない様に振る舞いっていた。

 エメリーの身分を知っていて、けれども騎士たちの微妙な配慮を知らない出入りの商人が、エメリーに直接「この度は、おめでとうございます」と伝えた時、周りにいた騎士たちがわずかに身を強張らせる中、言われた本人は「ありがとうございます」と返事をしていた。

 そんな日が数日続いたがエナリーの様子が変わることはなかった。砦の騎士たちもエナリーの様子を密かにうかがうことを止め、砦に漂っていたよそよそしい雰囲気はなくなった。


 しかし、エナリーの変化に気が付いた人間が一人だけいた。それはエナリーの指揮する隊に属する騎士で、エナリーの副官を務める男だった。

 彼がまず気が付いたことは、エナリーの纏う空気についてだった。

 エナリーは山の背が白み始める早朝のような、凛として張りつめた気高い空気を身に纏っていた。魔物と戦っている時も、砦で事務作業をしている時もそれは変わることはなかった。

 それがあの知らせの後、変わったように感じた。

 凛と気高いのは変わらずだが、日の出の直後のような温かみを帯びたものになった気がしたのだ。

 そして、そう思とだんだんと他の変化も気が付くようになった。

 口数が増えたような気がした。

 感情が豊かになった気がした。

 食事の量が減った気がした。

 ……女性らしい仕草を見かけることが多くなった気がした。

 彼は気が付いたエナリーの変化を誰にも話さなかった。

 この変化が、エナリーにとってどのような意味を持つものなのか、測りかねていたのだ。

 英雄の家に生まれた訳ではないのに、その使命を背負い戦っていた少女。彼女の心中を彼は想像することすらできなかった。


 ◇ ◇ 


 ある時の戦闘でエナリーが倒れた。百戦錬磨のエナリーとて、戦いで傷を負った事は幾度もあったが、意識を失う程の負傷をすることはなかったから、砦の騎士たちはみな一様に驚き、心配した。幸い命に別状はなく、翌日には意識を取り戻した。

 副官の男はエナリーが目覚めたとの知らせが届くと真っ先に医務室に駆け付けた。

 医務室では、頭に包帯を巻き腕に添え木をしたエメリーが、寝台の上で医者と話をしていた。己の副官が入室してきたことに気が付くと、話を切り上げ医者を下がらせた。副官は先ほどまで医者の座っていた椅子に腰かけた。着ている病衣の下に隠された包帯が、ちらりと目に入った。

「報告をお願い致します」

 エメリーが言った。副官は持ってきた報告書の内容をつらつらと読み上げる。魔獣の討伐数は多数。出撃した隊の負傷者は隊長含め週目。民間人への被害はなかった。

「そうですか。報告ありがとうございます」

 エメリーが短く言った。彼もエナリーも口数は多い方ではない。お互いの立場上、仕事のことではよく話をするが、雑談をすることは少なかった。だから普段であれば、副官は報告を終えれば退出し、ここで会話が終わっていたはずだった。

「なにか、ありましたか」

 彼は言葉を続けた。エナリーが彼を見た。彼に質問されたことを驚いているようだった。彼もエナリーを見返した。彼にはどうしても聞いておかなければならないことがあった。

「昨日の戦闘ですが、どうして随員を置いて先行なさったのですか」

 彼は昨日のエナリーの戦い方に違和感を覚えていた。

「それは、急がないと村に被害が出てしまうと思ったからです」

 エメリーはなんでもないという風に答えた。確かに魔獣の群れは村まであと一歩のところまで迫っていた。しかし村には粗末ながら防衛施設があった。隊全体で駆けつけても間に合った可能性は高かった。

 にも関わらずエナリーは一人魔獣の群れに一人突入した。いくらエナリーが実力のある騎士でも非常に危険な行為だった。実際、一人で戦っている時に負った傷が元で戦闘後に気を失ったのだ。

「焦っておいでですか」

 エナリーは正義感の強い人物であったが、しかし無謀な人間ではなかったはずだ。彼女らしからぬ行動は、彼の眼にはそう映っていた。

「焦る?確かに焦っていたかもしれません。私の勝手な行動で、隊を乱してしまい、申し訳ありません」

 エナリーは副官からの問いを、独断専行についての叱咤だと捕らえたらしい。しかし彼が本当に聞きたかったことはそれではない。だから彼は今まで聞けなかったことを、此処で問う決心をした。

「弟君の事をどう思われているのですか」

 エナリーは何を聞かれているのかわからないようであった。

「弟君がモンフォールの跡取りとなられた事について、隊長はどの様にお考えのなのでしょうか」

 副官はあえて直な言葉を使ってエナリーを問いただした。そうでなければ彼女に伝わらないと思った。

 エナリーも彼の本気を視線から悟ったのだろう。姿勢を正して彼の目をしっかり見返した。

「私は弟の誕生を心から喜んでいます。お父様とお母様の願いを聞き入れて下さった神に感謝しています」

「お家の後継については。あなたは次期後当主の座を追われてしまった」

「この間まではそうであった。今は違う。それだけの事です」

「あなたが英雄の名を継ぐために、血の滲むような努力をなさっていた事を、この砦の全員が知っています」

「些細な事です。私よりふさわしいものが現れた。むしろ喜ばしい事だと、私は思っています」

「なぜそこまで割り切れるのですか」

 副官は頭を抱えた。エナリーの言っている事が全く理解出来なかった。

「私にとってモンフォールの跡取りかどうかは重要な事ではないんです。何もなかった私にモンフォールのお父様とお母様は役割をくれた。頂いた役割がたまたま跡取りだっただけの事。頂いた大切な役割だから私の全部をかけてこなそうと思ったのです」

 エナリーは透明な声でそう言った。そこには悔しさや妬ましさなどの負の感情は一切含まれていなかった。

 正直納得出来なかった。あの努力、あの流した血を無かった事に出来るなんて。

 しかし、分かった事もまたあった。

 エナリーは、あまりにも簡単に自分を形作っていた輪郭を脱ぎ去ってしまったのだ。モンフォールの跡取りたろうと自身で積み上げてきたものを捨てたのだ。

 彼女の変化はそのせいだ。彼女の変わってしまった部分は、脱ぎ去られた輪郭の方に属するものだったという事だ。跡取りであるエナリーには必要で、そうでないエナリーには必要のないものと切り捨てられた故の変化だったのだ。

 これはエナリー自身きっと気がついていないのだろう。彼女は自身のことを軽く考え過ぎている。彼女は自身のことを、ただ役割を纏う人形の様に捉えているのだ。

 だから脱ぎ去ったモノに未練を感じていない。積み上げてきたモノを捨てられる。

 危険な事だと副官は思った。彼女が捨て去ったしまった方に、彼女自身の安全が含まれている事を確信してしまったからだ。跡取りでないなら、生き残る必要はない、己の命より民を守る、民を守ってモンフォールの家名を守る。きっと彼女は無意識にそう思っている。

「分かりました。もはや私から何も言いません。ただ今はご養生下さい」

 副官はそう言って席を立った。

 医務室を背に廊下を進む彼の目には光が宿っていた。彼は決意した。己がエナリーを守ろうと。

 しかしながら、エナリーはあの様子で、自らを持とうとしていない。言葉で言っても彼女には伝わらないだろう。ならば着せてしまえばいい。彼女にまた全身全霊をかけて全うしなけれならない役を押し付けるのだ。それが彼女を守る事につながる。

 彼には力があった。今までは厭い遠ざけてきたものであったが今はこれが有難い。

 さあ、まず手紙を書かなくては。宛先は王都で踏ん反りかえっているであろう父親と、エナリーの父モンフォール家のご当主だ。

 彼女に飛び切りの役割を用意しよう。逃げられないように、決して己を捨てないように。


 そして、その後――― 


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