第2話

 自宅のアパートから駅までは、歩いて20分ほど。


 駅前のロータリーを跨ぐ歩道橋を歩きながら、改札口付近に目をやる。

 探すまでもなく、すぐに友人の姿を捉えた。特徴がある訳でもないのに、何故かあいつの顔はすぐに解る。

 軽く手を振って合図をし、歩道橋を駆け下りて友人に近付く。


 集合時間10分前に来たが、既に長時間待っていた雰囲気を醸し出す友人に声を掛けた。

「早いな来るの」

「今着いたばかりだけどな」

「ほんと久しぶりだよな。1年ぶりくらい?」

「いや、そんなに経ってないぞ」

「そうだっけ。で、なになに、話って。結構、深刻?」

「多分な。とりあえず、店入ろう」

 ぶっきらぼうにそう言って歩き出した友人の後を追う。その仕草と表情から、彼の抱えている問題の深刻さがうかがい知れた。


 佐奈さなが行きたがっていた駅前の喫茶店。結局まだ一度も入った事はない。先に自分だけ行ったと佐奈が知ったら、怒るだろうか。そんな事を考えながら店に入り、テーブル席に座る。

 エスプレッソだけを注文した友人を見て、僕も同じ物を頼んだ。

「何か食べなくていいのか? どうせ朝飯食ってないだろまだ」

 気を利かせた友人が言う。ただ、僕は僕で気を遣っているのだ。

「いや、ガツガツ食いながら聞く話でもないだろうと思ってさ」

「いいの?」

「うん。コーヒーだけでいいよ」

 そう答えてから店員に声を掛ける。

「すみません。以上で大丈夫です」

 テーブルから離れていく店員を目で追った後、店内を見渡した。

 かなり人気がある店だと佐奈から聞いていたが、客の入りはまばらで、誰もいないテーブル席が並んでいる。


「休みは、いつまでだ?」

 友人が話し始める。

「7日まで。ガッツリ休みだ」

「そうか。どっか行くのか?」

「いや、まだ決めてないんだ。佐奈は旅行に行きたがってたけど」

「実家に帰った方がいい」

「実家? いやいや、親に紹介するとかそんな話、まだ全然してないしさ」

 僕がそう言うと、友人は会話を中断した。だが、目線は逸らさない。

「この店来た事ある? 俺、初めて来たけど」

 友人が話を切り出しやすくなる空気に変えたくて、そう話した。問題がかなり深刻であると察した以上、さっきのような軽いノリで聞き出すべきではない。

「先月に…… 来たな」

 顔をしかめて俯いた友人が、呟くように話す。

「そうなのか。なんか人気あるって聞いてたけど、あんまり客、いないよな」

 僕がそう答えると、友人が顔を上げた。表情は強張ったままだ。

「人気? ここが人気ってか。それ、誰が言ってたんだ」

「あぁ、佐奈だよ。やけにここに来たがっててさ」

 友人は一度目を閉じた後、真っ直ぐな視線で僕を凝視した。

「なぁ、今日は冗談はなしだ。解ってるよな? だから、真面目に答えてくれ。それ、いつの事だ? いつ、そう聞いた?」

 両手の平をテーブルにつけ、少し身を乗り出した友人に虚をつかれた。

「いつ…… いつ? あー、先週? くらいだったかな」


「ふざけてんのか!?」


 友人の怒号が飛んだ後、店内が静まり返る。


「お…… お待たせしました。エスプレッソでございます」

 かろうじて聞き取れた萎縮する店員の小さな声が耳に入り、無言で軽く頭を下げる。

 テーブルにコーヒーを置き、早々と去っていく店員を目で追った。

 友人は再び目を閉じて、眉間に皺を寄せている。その表情は、まるで悪夢にうなされているような顔だ。


「どうしちゃったの? 大丈夫かよ」

 元凶の見えない興奮に苛まれる友人を刺激しないよう、ゆっくりと声に出した。

「いや、すまない。わかったよ。もう」

「わかったって、何が?」

 僕がそう言うと、友人は額に手を当てて一度だけ溜息をついた後、エスプレッソの入ったコーヒーカップを掴み、一気に飲み干した。

「出よう」

 友人の有無を言わさずと言った力強い言葉と、カップが雑に置かれたソーサーの発する音が重なる。

「え?」

「ここで話す事じゃない。という事はわかった」

 財布を取り出しながら立ち上がる友人の後を追う。

「ちょ、ちょっと待てよ。どこ行くの?」

「連れて行きたい場所がある。何も聞かずに、着いて来てくれ」

 様子がおかしいどころではない。明らかに、激しく動揺している友人へ向ける心配が、胸の中で音を立てながら肥大していくようだった。






 もう5月だと言うのに、肌寒く感じる風が吹き抜いていく。

 柵を掴み、屋上から街の景色を見渡しながら、友人が何故ここに僕を連れて来たのかを考えた。

 オープンセール3日目に突入する、大型チェーンストアの屋上駐車場。連休初日である事も相まって、隙間なく駐車スペースを埋めた車が忙しなく出入りし、食品や日用品がたんまり積まれたショッピングカートを押す人々が見える。

 僕の隣で、同じく景色を眺めている友人は、ここへ来るまで一言も言葉を発する事はなかった。

 彼の意図は一体、何なのか。

 最早、彼のほうから話し出してくれるのを待つ他、なかった。


「どうだ?」

 やっと言葉を発した友人の声は、隣にいるのに、やけに遠くから聞こえた。

「どうだって、何が?」

「相変わらず、客の数がすごいなここ」

 まだ本題に入ろうとしない友人だが、その表情からは、さっきまでの動揺は感じられなかった。

「まぁ…… オープンしたばっかりだからな」

 とにかく無難に、返事をする。


 景色を見るのを止めた友人が、僕の目を見た。

「あんな、事件が、あったのに、人の記憶って、そんなにすぐ薄れるものなのか」

 妙にはっきりと、言葉を区切りながら友人が言う。

「事件? なんか事件あったの?」

「あぁ。オープンしてすぐの頃だ」

「すぐの頃って、まだオープンして3日目だろここ。いつよ?」


 友人の答えを待っている間、不意に耳に入った小鳥の囀りが気になった。

 空を舐めるように見渡す。鳥の姿は、見えない。


「おまえはどう思ってるが知らないが、俺はおまえの事を親友だと思ってる。だから、言わせてもらう。おまえが、心配だからだ」

 友人はさっきよりも声を張って喋っている。だが、相変わらず、遠くから聞こえてくるようだ。


「先月あの店に入った時も、俺はエスプレッソを注文し、おまえは同じものを頼んだ。その時もおまえは、佐奈がここに来たがっていたと、そう話していた」

「は?」


 近くで悲鳴が上がった気がした。


 エレベーターのある入口を見る。何事もなくカートを押す家族が見える。やはり気のせいか。


「先月の事だ。4月1日、エイプリルフールだったからな。俺はおまえがでかいホラをかましているのだと、そう思っていた。それにしては様子がおかしいとは思ったが、立ち直る為に必死になっているんだと、俺はそう思っていたんだ。だが、どうやらそうじゃないみたいだな」


 友人の声は聞こえている。だが、入口から目を離す事が出来ない。


「その前に会ったのは、半年くらい前だ。おまえのアパートに行った時、浴びるように缶ビールを飲みながら話すおまえから聞いて、知ったんだ。事件の噂は耳にしていたが、まさかおまえが巻き込まれていたなんて…… 知らなかったんだ」

「ちょっと待てよ。一体、何を……」


 また悲鳴が聞こえた。


 駐車された車の列から、グレーのパーカーを着た男が出てくるのが見えた。フードを被っていて、顔は見えない。


「半年前に会った時、おまえはもう仕事を辞めていた。再就職した訳じゃないだろう。物騒な薬を飲んでいたな。自殺なんか考えやがって…… バカ野郎」


 入口の自動ドアが開く。


 トイレットペーパー、その他の日用品が載せられたカートを押して出てくる、佐奈が見えた。


「勇吾、しっかりしろ。戻ってきてくれ。頼む」


 友人の声が、小鳥の声に掻き消される。まるで耳の中で囀っているかのようだ。

 眩暈がする。視界がぼやけ、並んでいる車の隙間から木々が伸びてくる。


 パーカーの男が、佐奈に近付いて行く。


「ダメだ! 佐奈!」


 僕がそう叫んだと同時に、友人が僕の肩を掴んだ。だが、顔が良く見えない。

 もう、何も見えない。



「おまえの恋人はもういない。1年前、この場所で通り魔に殺された」



 意識を失う直前、僕は森にいた。

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