獅子 -1-

 武人としては比較的小柄な悠玄よりも身長が低く、華奢で、外出することも極端に少ないため、肌は白く透き通るようだった。 細い首筋に、形のいい顎。目は切れ長で、鼻筋が通っている。中性的というよりも、女性的と言った方が正しいだろう。これが廉家当主名代であり、悠玄の叔父である、廉泉介だ。

 泉介は、ほとんど瞬きもせずに、悠玄を睨みつけていた。

 太刀を振り回すには細すぎる腕を持ち上げたかと思えば、先ほど受けってきたばかりの扇で、悠玄の頭を押さえつける。


「……泉介叔父上」

「以前会った時とさほど変わらんな。ちっとも成長していない」


 至極つまらなそうな顔と声で、そう言い捨てられる。


「幸い叔父上よりは大きくなりましたよ」

「私の場合は、兄上が母上の胎内から、何もかもを持っていってしまった結果だ。お前は長子のくせに、まるで失敗作だな。昔から逃げ足だけは秀でていたが。少しは武人らしくやっているのだろうな」


 泉介の口から発せられた兄上という言葉に、悠玄が表情を消すと、今度は扇で頬を打たれる。それから、ふっと魅力的に微笑んで見せたかと思うと、踵を返して室の中に戻っていった。


「部屋が冷える、早く入れ」

「……瑤俊様もどうぞ、お入りください」


 自分よりも先に、瑤俊を室に通すと、悠玄は扉を閉めた。

 低い卓子を囲い込むように、長椅子が置かれている他は、がらんどうとしている室だった。壁には、腕を広げたほどの大きさがある水墨画が掛けられ、色のない花瓶には、咲いたばかりの椿の花が生けられていた。火鉢の中では、火の粉が待っている。


「ちゃんと話せたか」


 背筋を正して座っている志恒の顔は、火鉢のすぐ傍にいるというのに、酷く青白かった。遠くを見つめるような眼差しが悠玄に向けられると、その目がゆっくりと色を取り戻していく。

 志恒は首を縦に振ったのか、横に振ったのか分からないほど、小さく頭を震わせた。泉介が、志恒に対して何と言ったのかは、想像することしかできないが、相当堪えるような言葉を浴びせかけられたようだった。

 泉介は、自分が思ったことを寸分も隠さず話し、言葉を選ばない。皮肉などは決して口にしなかった。その口から語られるすべてが、廉泉介の本心なのだ。


「過去は過去だ。私の言葉はすべて伝えた。もう何も言うことはない」


 鋭利な刃物のように、鋭い眼差しが志恒を射止めた。萎縮したように言葉を失っている志恒を哀れに思い、悠玄は二人の視線の間に割って入る。不満そうな目で見上げられると、椅子に腰を下ろしている泉介の脇に膝をついた。


「――ご挨拶が遅れましたが、ただいま戻りました」

「見れば分かる。面を上げろ」

「はい」


 自分の叔父だというのに、悠玄には、泉介が璃衒と同じ腹から生まれてきた者とは未だに思えなかった。同じ両親から生まれたことを、根本から疑いたくなるほどであったが、微笑んだ時に下がる目尻が、璃衒の面影を滲ませる。

 泉介は、よく戻った、とだけ短く応えると、悠玄の背後にある扉から入ってきた汪巽に目を向ける。どうやら、お目当ての月餅が待ち遠しくて堪らないようだ。


「甥と茶菓子と、どちらが大切なんです?」

「月餅、時々甥だな。瑤俊殿、月餅はお好きか?」

「中秋節に食べる程度ですが、嫌いではありませんな」

「帰りにはいくつかお包みしよう。奥方と姫君に」

「それはそれは、ありがとうございます」


 何とも複雑そうな顔で曖昧に微笑んだ瑤俊は、汪巽が差し出した茶器を受け取ってから、泉介に押しつけられた月餅を指先で半分に割ってみせた。

 それに対して、泉介は大好物の月餅を鷲掴みにしたかと思うと、まるで獣が肉でも食らうかのような様子で、豪快に頬張っている。

 汪巽の目は、もはや諦めているかのように伏せられていた。


「ご用がございましたら、お呼びつけください。私は隣室に控えております」


 小さく頷く泉介を見て、首を横に振り、汪巽はこめかみを押さえながら退室した。

 身内から見れば、泉介が上機嫌だということがすぐに分かる。だがしかし、関係の浅い者たちが見ても、無表情で月餅を咀嚼しているだけの泉介の感情を読み取ることは、至極難しいだろう。

 数少ない幸せを味わっている泉介のことを、悠玄は放っておくことにした。月餅を上品に食している瑤俊に目を向けると、口を開く。


「先ほどお話ししていた件について、伺ってもよろしいでしょうか。その、殿下のことについて」

「ああ、そういうお約束でしたね」


 独特な甘みの広る口内を、茶で口直ししてから、瑤俊は佇まいを正した。室内に揃っている面々を見回し、言葉を吟味するように目を伏せる。

 泉介は、そうした瑤俊の様子には目もくれず、一つ目の月餅を食べ終えると、二つ目の月餅に手を伸ばしていた。恐ろしいことに、それを咎められる者は、この室内に誰一人としていなかった。


「先ほどもそう申し上げましたが、私は太子をお捜しするよう、丞相には再三進言しておりました」

「今までその話題が朝議に上らなかったのは、浪玉様がそれをお聞き入れにならなかったからですか?」

「ええ。どういうわけか、まだその時ではないとおっしゃって。確かに、内乱が終結したばかりの頃でした。国は荒廃したまま、主上をお迎えするには、あまりに条件が悪かったことは否めませんが」

「では、瑤俊様は内乱終結以前から、太子の存在をご存知だったと?」

「いかにも。殿下が秘密裏にお生まれになり、その事実が伏せられる中で、唯一真実として知り得ていた者が、この世には三人おりました。一人は先の今上陛下、一人は主上の寵愛を最も受けていたといわれる葵狼碧、そして最後の一人は──」

「双、龍彰……前廉州軍将軍ですか?」

「その通りです」


 多少聞きかじっていた話と憶測を交えてそう口にすれば、瑤俊はいともあっさりとそれを認めた。予想はしていたが、こうも都合がよく合致することに、一種の気味の悪さを感じる。最初から誰かの手の平の上で踊らされていただけのような、気持ち悪さがあった。


「龍彰と私は友人関係にありました。そして、葵狼碧とも懇意にさせていただいております。後者の命で、官吏たちの間に太子の存在を仄めかすような噂も流しました。それで、烟丞相の決断を促すことができるだろうと、そう信じていたわけですが」

「烟浪玉は思ったほど従順ではなかった」

「はい」


 突然会話に割って入った泉介にも驚かず、瑤俊は静かに頷いた。顎髭を撫でるように触れながら、次の言葉を探していた。


「そこで私は、御史大夫にも同じ話を持ちかけてみることにしました。しかし、耳を傾けてはいただけるものの、王がいない今は、国のすべてが丞相に委ねられていると言って、首を縦に振ってはくださらなかった」

「あの二人は特に融通が利きませんから」

「三公にまで上りつめるような方々は、自我が強く、多少強情である方がよろしいのですよ」

「強情にもほどがあるがな」

「叔父上」


 暗に黙っていろと悠玄が忠告をすると、泉介は退屈そうに肩を竦める。

 普段は人の話もろくに聞かず、惚けているというのに、なまじ上機嫌であることがあだとなっているのは確かだった。酒に酔った者のように、相手に絡みたがる癖をどうにかしてくれと思いながら、悠玄は頭を掻いた。


「内乱が終結した時、既に真実を知る者の内の二人が、命を落としていました。生き残った者は、葵狼碧ただひとりです。当時、三人の戦友たちは、二十年に及ぶ誓約を交わされたそうです。主上は民に殿下を託す代わりに、必ずやその二十年で、民に平和をもたらして見せよう、乱を終結させてみせると、そう誓われた。そして、選ばれた民――当時は廉州軍将軍だった双龍彰は、その誓いと引き替えに、二十年間は殿下を預かり、守ることを約束したのです。龍彰を主上に推挙した葵狼碧はすべてを知り、見守る者として、口を噤み続けていました。時が来るその日までは、決して口を開かず、本来ならば影ながら殿下をお守りするはずだったのですが、約束の二十年を迎える前に、ご存知の通り、双龍彰は命を失ってしまったのです」


 それはまるで、伽噺でも語って聞かせているかのような口ぶりだった。穏やかな口調で語られるそれらの話が、この国のことではなく、遠い異国の地で起こっていた出来事のように感じられる。


「ですが、龍彰は生前からそうなるかもしれないことを想定していました。お二人ならお分かりになるでしょうが、龍彰の身体は、将軍を辞した時にはもう、酷く病んでおりました。身体の内側からも、外側からも、死が刻一刻と彼を蝕んでいたのです。約束を交わした頃から、龍彰は二十年後の自分を想像することができなかった。おそらく、その頃にはもう生きてはいないだろう、という気持ちの方が強かった」


 武人、特に王に仕える軍人ともなれば、その身体は酷いものだった。

 身体の至る場所に太刀で斬りつけられた傷跡や、骨を潰された跡が残っている。悪くすれば、戦う腕や、逃げる足を失う者もいた。

 それは、悠玄も志恒も同じだ。身体に負った深手は、死んでもなお刻み込まれたまま、消えることはない。それが、戦の中で生き延びてきた軍人の勲章だと思うしかなかった。季節やその日の気候によっては、昔の古傷が未だに痛む。

 武人ならば、誰しもが感じる恐怖を常に抱きながら、それでも己の死を悟り、約束を引き受けざるを得なかった者の気持ちは、計り知れない。


「彼が己の死を想定していたからこそ、私はこの事実を知り得ることが可能だった。龍彰は、信頼の置ける仲間を集め、自分の知り得るすべてを話しました。そして、もし約束の二十年に満たず自分が死んだ場合は、代わりに殿下をお守りし、当初の主上との約束通り、たとえどんなことがあろうと、二十年後には必ず、国へお返しするようにと聞かされました」

「……もしや、その者たちの中に、層登尊という男はいませんでしたか?」

「ええ、登尊は葵狼碧の知己です」


 面白そうに笑いながら、またもや瑤俊は容易く肯定した。

 やはり、誰かの回し者であったことは確かだったのだと、悠玄は志恒と顔を見合わせた。滅王一派かもしれないと、見当違いなことを口にしていた志恒は、誤魔化すように茶器を取り上げる。


「狼碧は好んで表舞台には立ちたがりません。ですが、彼を慕う者は多くいる。あの主上のお心をも掴んで放さなかった男です、他の者にはない魅力が備わっています。不思議なもので、そういった人物の周りには、自然と人集りができるのですよ。泉介殿も、それはお認めと思います」

「あの他人の迷惑も顧みない自由奔放な様は、見ていて気に入らないが」


 自分自身を見直してから言うようにしてくれと、口を挟みたくなるのを、悠玄は堪えた。せっかくの機嫌を損ねる必要もないだろう。そもそも、このような長時間に渡って、客人の相手をすることすら希なのだ。


「私を訪ねて朝廷の者が現れたら、渡すよう言われていたものがある」


 汪巽と、話し声と変わらない声で泉介が呼び掛けると、呼ばれた当人はすぐに姿を現した。


「例のものをここへ」

「承知いたしました」


 汪巽はそう応じると、目礼をしてからその場を後にした。悠玄がその背中を見送っていると、泉介はその隙をついて、甥の前に置かれていた月餅をくすねていく。

 仕方のない人だと思いながら泉介の様子を眺めていると、瑤俊が再び口を開いた。


「登尊がご無礼を働きませんでしたか?」


 それは尋ねるというよりも、そうに違いないと確信している者の言い方だった。


「いいえ。久しぶりに実のある話をさせていただきました。耳の痛い話もありましたが、登尊殿のお話には、考えさせられることばかりで」

「あれは、誰が相手も容赦がない。私や狼碧が相手でもそうです。だが、とても親しみやすい人物だ。それが登尊の徳です。相手がどんな人物であっても、すぐに心を開かせてしまう」

「盛大に騙されました」

「登尊と話していると、嘘と真実の境界が見えにくくなります。すべてを信じてはくださいますな」


 確かに、ここへ来て知った事実と、層登尊が話していた内容のいくつかは、食い違っている。葵家三兄弟と面識を得たことはないと言っておきながら、実際には葵狼碧の知己だという事実に、悠玄は苦笑いを見せた。


「本物の層登尊は、どのような男ですか?」

「狼碧からは有能な刀鍛冶と聞いています」

「登尊殿本人からは、元林家一門で葵家お抱え刀鍛冶の弟子だったが、破門を受けたと聞いていますが」

「おや、そこに一切の嘘はありませんね」


 瑤俊は僅かに驚いて、それから少し嬉しそうに微笑んだ。


「登尊は他人の嘘を容易く見破ります。ですが、あなたはどうやら、彼の前で一つの嘘も吐かなかったらしい。出会ったばかりで登尊から本当の話を引き出せる者は、そう多くありません」

「それが喜ばしいことかどうかは判断しがたい」

「私と狼碧は、あなた方をある意味で騙すために登尊をそちらへやったのですから、彼にしてみれば当然の仕事をしたまででしょう」

「これは以前から気にかかっていたのですが──登尊殿は、いつ現れるかも分からない私たちを、何日もあの関所で待ち構えていたのですか?」

「いいえ、登尊が関所に詰めていたのは、その一日だけです」

「本当に?」

「私たちと心を供にしている者はなにも、すべてがこの廉州に集結しているわけではないということです。もちろん、浄州、王都清朗にもおりますよ。もしかしたらそれは、あなたのすぐ側にいたかもしれませんね」


 その言葉に眉を顰めた悠玄は、思わず、隣に座っている志恒を見た。まさか、それが志恒のはずはないだろう。

 そう思われていることに気づいたのか、志恒はゆっくりと首を左右に振る。

 もう幾月も前に出てきたように感じられる宮城を思い出し、悠玄は黙り込んだ。自分が宵黎宮を留守にすることを知っている者は、ごく限られている。内乱時からの配下である、特に信頼の置ける数人と、浪玉と嵐稀のみのはずだと思った時、悠玄は甦ってきた記憶に、勢いよく顔を上げた。


「――まさか、聡中書令が」

「彼を拾ったのは私です」


 それが、答えだった。

 朝廷の関係者が、戦渦の最中に倒れていた聡幻伯を救ったという話は知っていたが、誰が拾ったかなどは気にしたこともない。

 しかし、自分の命を救ってくれた恩人のためなら、幻伯がどのようなことでも厭わずに実行する人物であることは、容易に想像することができた。それほどまでに、幻伯は義理堅い性格をしているのだ。


「幻伯は、あなた方が出発するのとほぼ同時に、私に早文を書いて送りました。後に、私から狼碧へ、狼碧から登尊へと伝達が進み、登尊はあなた方と出会いました」


 そう言って微笑する瑤俊の顔を見て、悠玄は、踊らされていた自らの滑稽さを嘲笑いたくなった。斉瑤俊の手の平の上ではななく、葵狼碧という男の手の平の上で、悠玄は転がされていたのだ。

 宵黎宮を旅立ったその時から、己の進むべき道は、ただ一つと決まっていた。


「それと、朱翔様――殿下のことについては、どうかご安心ください。現在はとある隠処にお連れしておりますので、御身はご無事でいらっしゃいます」


 文句の一つも言いたくなって、口を開こうとした悠玄を、泉介が意地悪く笑いながら眺めている。この叔父もまた、すべてを知っていた上で、何も話さずにいたのだろう。

 判断材料ならば、いくらでも転がっていたのだ。しかし、それがあまりに些細すぎて、悠玄には気づくことができなかった。文句など、言えるわけがないのだ。それは間違いなく、悠玄自身の落ち度なのだから。

 悠玄が打ちのめされたような思いを抱いていると、泉介に用件を言いつけられた汪巽が室に戻ってくる。その両手には、細工の美しい箱が恭しく乗せられていた。


「お持ちいたしました」

「悠玄に渡してやれ。それを運ぶのは、お前の役目だ」


 前者の言葉は汪巽に向かって、後者の言葉を、悠玄に向かって言う。

 足音もたてずに傍までやってきた汪巽は、蓋部分が紅玉で装飾されている豪奢な箱を、悠玄の前に差し出した。訳も分からないままそれを受け取ると、周りの様子を窺いながら、ゆっくりと蓋を開ける。すると、その中には更に、肌触りのいい絹の小さな巾着が入れられていた。


「これは?」


 いいから早く出してみろと言う泉介に促されるまま、悠玄は巾着の口を緩めると、それをひっくり返して中身を取り出した。

 手の平の上に転がり出たのは、歪な形をした、手の平に包み込めるほどの小さな石だった。石とはいっても、丁寧に加工が施され、断面は光沢を放つほど艶やかだ。

 それを手の上で転がしていると、悠玄はあることに気づいた。隣から覗き込んでいた志恒も、驚いたように小さく声を漏らす。


「叔父上、これをどうして……」

「もう何年も前に、葵狼碧から預かっておいてくれと渡されていたものだ。お前の手で、本来の持ち主の元に返してこい」


 これで厄介ごとから身を退けるとでも思っているような、嬉々とした様子を窺わせながら、泉介はひらひらと手を払った。畏れ多いことをしてくれるなと思いながら、悠玄は小刻みに震える手で、その石を摘み上げる。

 下を向いていた断面には、たった一文字だけ、璽、という文字が彫り込まれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る