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 出ていけ、と室を追い出されて、半刻ほどが過ぎただろうか。

 廉泉介と志恒が話をしている室を背にし、悠玄は回廊の手すりに寄りかかりながら、白い息を吐き出していた。小高い丘の上に建っている城からは、向かい合っている麓路城と、城下を見渡すことができる。

 悠玄はそこで、宮城の執務室から見渡すことのできた王都城下を思い出していた。

 修復すら一向に進まない町並みは酷く寂れ、人の姿も目立たない。民の声も宮城まで届くことなく、こちらを見上げる目も、ありはしなかった。

 ここからは、人の姿が小さく見える。誰かがこちらを見上げ、深々と頭を下げる姿があった。子供たちが城に向かって大きく手を振り、母親に叱られている様子が微笑ましい。

 思わず手を振り返そうとしていた悠玄は、右側から近づいてくる影を見て、その腕を押しとどめた。


「お久しぶりですな、廉太尉」

「やめてください。私はもう太尉の任にありません、斉廷尉」

「私が廷尉であったのも、今はもう昔の話です」

「まさか、このような場所でお会いすることになるとは、思っておりませんでした」

「そうですかな。私は近々お会いすることになるだろうと確信していましたが」


 飄々とした足取りで、斉瑤俊は悠玄の隣にやってきた。顎に細く髭を蓄え、白髪交じりの髪を結い上げて、冠を被るという正装で現れ、目の前で目礼をする。

 悠玄は寄りかかっていた姿勢を正し、向かい合うようにして立つと、両手を合わせた。


「そのご様子では、泉介殿に叩き出されましたか」

「お察しの通りです」


 話し声も聞こえない、静まりかえった室を振り返り、悠玄は苦笑を見せた。

 汪巽が取り次ぎに向かい、間もなくして現れた泉介は、甥との久しぶりの再会を喜ぶ言葉もなかった。それどころか、悠玄がいることに対して不満すら感じているような顔で一言、出ていけ、とだけ言ったのだ。

 包容で迎えられるほど歓迎されることはないと思っていたが、数年ぶりに聞いた声がその一言とは、実に叔父らしい態度に、呆れを越えて懐かしさすら覚える。

 泉介は、はじめから悠玄の帰郷など待ってはいなかったのだ。月餅と劉志恒さえ現れれば、それだけでご満悦なのだろう。


「お話し中のところ、大変失礼いたしました」

「ただの雑談をしていただけです。お気に召されるな」

「汪巽から聞きましたが、私のためにご滞在くださっていたとか」

「ええ。あの烟丞相のことです、そろそろかと思いましてね。私に言わせれば、少々遅すぎたくらいだと思いますが」

「……何のお話しです?」

「殿下のことです。そのことでここにいらっしゃったのだお見受けしたが、違いましたかな?」

「い、いえ、その通りですが」

「お捜しするよう再三申し上げていた甲斐がありました。後一日でも遅ければ、見切りをつけていたところでしたよ」


 見えてこない話の展開に悠玄が眉を顰めると、瑤俊は少し話しすぎたようだと、口元にそっと指を添える。汪巽とさほど変わらない年齢のはずだが、その仕草がいやに様になっていた。


「泉介殿と志恒殿のお話しが済みましたら、すべてお話しいたしましょう、廉太尉。烟丞相も、あなたをいつまでも解任されたままではおられないはずだ」

「私は、誰か別の、もっと相応しい人物が現れるまでの代理太尉にすぎません。実際のところ、三公なんて柄ではありませんから」

「だが、あなたのお父上は――璃衒殿は、それをお望みになった」

「あの時は、時間も人材も少なく、仕方がなかったのです。他に相応しい者もおらず、浪玉様も渋々のご様子でした」

「自分はまだまだ未熟とお考えですか?」

「はい。配下が私に従ってくれていたのは、私が廉璃衒の息子であるからという理由に他なりません。間違っても、私の人望ではないでしょう」

「そうとお考えのうちは、確かに未熟なのかもしれませんね」


 そう言って微笑した瑤俊は、未だ物音もしない背後の室を振り返った。

 しばらくそうしていたかと思えば、遠くを見つめるように目を細め、息を吐く。


「本当に、惜しい方を亡くしました。立派にお育ちになったあなたを見て、璃衒殿はなんとおっしゃったか」

「期待するようなことは何も言わなかったと思います。そういう男でしたから」

「……父になりたかった」


 囁くように紡がれた言葉を、聞き返すように小首を傾げると、瑤俊はそんな悠玄を見て、目元を和ませた。


「生前に、璃衒殿が口にしていた言葉です。廉家にとって、父と長子は親子ではなく、師弟関係に近い。自分は、あなたに背中ばかりを向け、父親らしいことをしてやることができなかった。一度でも向かい合って、あなたの父になりたかったと、私に話してくれたことがあります」


 その言葉に、悠玄は酷く居心地の悪さを感じた。自分がどのような顔をしているのかも分からず、瑤俊を見ることもできない。今更聞かされる父の言葉に、どのような反応を見せればいいのか、瞬時に判断することができなかった。

 突き抜けるような青空を見上げると、目の奥が刺すように痛む。目を閉じ、沸き上がってくる感情のすべてを押しとどめようと、深く息を吸い込んだ。


「……時々、本当に時々ですが、私は、私の下した判断が正しかったのかどうかを、今でも疑いたくなります」


 ぐっ、と喉が詰まったことには気づいていないふりをし、震えた声は聞こえないふりをして、悠玄は何でもないことを告げるように、少しだけ笑った。

 二羽の小鳥が交差して飛び去っていく様子を眺めながら、寒さにかじかむ手を、強く握りしめた。


「志恒殿のことをおっしゃっているのですか?」

「私は卑劣な男です。あれにしてみれば、生き地獄以外の何ものでもない。結果的には、死して一瞬の苦しみを与えるよりも、生きて一生の苦痛を与えてしまった」

「ですが、彼を生かすことは、あなた以外にはできなかったことです。気高く、慈悲深い判断だったと、私は今でもそう思います」

「浪玉様も、嵐稀様は特に、強く反対されました。今も、その事に関しては私を許してはくださらないのです。己の父を殺した男を、自分の配下に置くなど、常軌を逸していると言って──」


 あの日のことを、悠玄は今も夢に見る。

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