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 麓路の町は、高い城壁に囲われ、二つの城に挟み込まれるようにしてある。

 片一方が麓路城であり、もう片一方が、廉本家の城だ。その城は、建国以前からこの土地に腰を据えていたと言われ、廉家初代当主の名を借り、城下の民たちには美玉城と呼ばれ、親しまれていた。

 既に伝達が到着していたらしく、二人は手続きなく門を潜ることができた。城へ向かうより先に、文に書かれていた通り仕立屋と扇屋に向かうと、酷く慌てた様子の店主たちが、注文の品を上等な桐の箱に入れて差し出す。

 手土産とも呼べる箱を三つ積み重ね、崩れないよう紐で固定させると、それを馬の鞍に乗せて、悠玄は手綱を引きながら歩いた。四方から向けられる視線を痛く思っていると、一人の老人が二人の行く手を阻むように、前へ進み出る。

 何事かと足を止めれば、老人は悠玄に向かって拱手して見せた。


「不躾なことを申し上げますが、もしやと思いまして──失礼かとは存じますが、廉悠玄様でいらっしゃいますか」

「いかにも、その通りだが」


 まさか、何年も帰っていなかった故郷でそう言い当てられるとは思わず、悠玄は多少なりとも驚きの表情を顕わにした。すると、老人は途端に表情を和ませ、更に深々と頭を下げた。


「王都での武功の数々、この麓路でも、そのお噂は轟いております。先代の璃衒様にますます似ておいでで、私には一目でそうと分かりました」

「……乱後の復興も滞りないようだな」

「はい。泉介様のお力添えがあってのことです」

「叔父にもそのように伝えておこう」


 これ以上人集りが大きくなるより先に、悠玄は地面を見つめるようにして立っている男の隣を通り抜けた。その肩に触れようとするが、一瞬の躊躇の後、ゆっくりと手を引く。

 城の奥に巣食っている祖父は、民との馴れ合いを好まない男だった。自分だけが被害を受けるのなら構いはしないが、この老人に罪はない。


「あのようにないがしろにされて、よろしかったのですか」

「今は仕方がない。人の目がありすぎる」


 今は、という言葉に引っかかりを覚えたように眉根を寄せた志恒だったが、分かっているとでも言いたげな悠玄の横顔に、後は何も言わず黙り込む。

 門前に立つと、故郷を懐かしむことなどまずないと思っていた悠玄にも、まだ僅かにでも郷愁の情が残っていたのだと、そう自覚しないわけにはいかなかった。

 重苦しいばかりの扉を前にしただけだというのに、幼い頃の断片的な記憶が甦ってくる。ずっと父親の傍にいたと記憶していたが、思い出してみれば、妹が生まれた頃にも、母親が病に臥した時にも、この扉を目にしていたのだ。

 その時、悠玄の隣には、当たり前のように父親の姿はなかった。いい父親であったかと問われれば、首を横に振るしかない。

 立ち止まって幾ばくも経たずして、重々しい門が、ゆっくりと内側に開いた。

 途端に、開けた視界に映り込むのは、広大な庭院と城の全容だ。それを見て、悠玄の隣に立っていた志恒が、僅かに目を見張るのが気配として伝わってくる。

 まるで、この城は箱庭のように、建国以前からの姿を保ったままだった。

 乱の最中は時に民を迎え入れ、高い城壁は多くのものを守ってきた。だだっ広い庭院の向こう側には、五十段ばかりの階段があり、その上に構えた城は町を見下ろすように建てられている。


「お帰りを今か今かとお待ちしてございましたよ、悠玄様」


 そう言って門の内側から一人の男が現れる。懐かしいその声に、悠玄は思わず表情を和ませていた。


「汪巽」

「しばらく見ぬ間にご立派におなりになって」

「もうそのように言われるほど子供ではない」

「さようでございましたね」


 齢六十を迎えた頃だろうか。穏やかそうに微笑する汪巽と呼ばれた男は、紺色の衣裳の袖を胸の前で合わせ、まずは悠玄に向かって頭を下げた。


「無事のご帰還をお喜び申し上げます。よくぞお戻りくださいました」

「汪巽も息災か?」

「ご覧の通り、最近はめっきり老け込んでしまいました」

「叔父上は恙なくお暮らしか」

「相変わらずにございます」


 伏せていた顔を上げた汪巽は、悠玄から志恒に視線を逸らす。

 遅れて両手を合わせ、軽く拱手をした志恒に対し、汪巽は厳かに目礼をして見せた。穏やかな様子は見たところ変わらないが、空気が微かに硬直したように感じられる。


「お初にお目にかかります。私は廉家にて家令を務めております、汪巽と申します」

「悠玄様のお側に仕えております、劉志恒です」

「……このような場所で立ち話も新鮮でよろしいのですが、母屋へ参りましょう。泉介様がお待ちです。お荷物はお預かりいたします。馬は家人にお任せください」


 鞍から外した桐の箱が何なのかを知ると、汪巽は何とも言い難い表情になった。仕方のない方だと呆れるように息を吐くと同時に、首を左右に振った。


「このような雑用を悠玄様がなさる必要などないのです」

「だが、叔父上が文で」

「そのようなものは無視なさい。私どもの仕事をお取り上げくださいますな」

「……すまない」


 子供を叱るような物言いに悠玄が思わず詫びれば、心なしか満足そうな顔をした汪巽は、分かればよろしいのです。と言って頷いた。

 それからすぐに、何事かを家人に申しつけると、こちらです。と母屋に向かって歩きはじめる。

 悠玄は間を置いて後ろを追いかけながら、隣を行く志恒に小さく耳打ちをした。


「ここにいる間は、汪巽が俺の教育係だったんだ」

「さすがの悠玄様も師には頭が上がらないようですね。朝廷では丞相がお相手でも真っ向から対立しますのに」

「言っておくが、汪巽は浪玉様よりも恐ろしいぞ」

「温厚な方とお見受けしますが」

「しいて言うなら、嵐稀様と浪玉様を足したような人物だ」


 その言葉を聞いて、志恒は素直に嵐稀と浪玉を足したような人物を想像したのか、すぐに苦虫を噛み潰したような顔をして、眉根を顰めた。浪玉が嵐稀のような微笑を浮かべ、毒を吐く姿など、誰も想像したくはないだろう。


「だが、汪巽以外に廉家の家令を任せられる男はいない。叔父ですら叱れる男は他にいない上に、頭も切れるからな。元々は官吏になるつもりでいたらしいが、祖父がその能力を買って、家令として雇い入れたと聞いている」

「璃衒様と泉介様のお勉強も、私が見て差し上げておりました」


 話が聞こえているとは思っていなかった悠玄は、その声に条件反射で肩を震わせた。その様子を見るだけで、幼い頃は頻繁に叱られていたのだろうと想像することができる。


「お二人とも勤勉でいらっしゃったというのに、悠玄様に至っては、よく室を抜け出しては庭院で馬とお戯れになって」

「汪巽の声は聞いていると眠くなるんだ」

「そういえば、ご本を読んで差し上げれば、いつも気持ちよさそうに眠っておいででしたね」

「子守歌にはちょうどよかった」

「そんなことですから、悠玄様は私に叱られてばかりいたのです。春凛様もそのようなことはございませんでしたよ」

「あれは好きで勉強していたからだろう」

「ええ、とても優秀でいらっしゃいました」


 皮肉とも取れるその言葉に悠玄は顔を顰めたが、何も言わずに庭院を見回し、どうにか気を紛らわせようとした。自分が幼い頃の話を聞かれるというのは、何ともばつが悪いものだと、内心で恥じるように思う。

 剣を振るうしか能のなかった悠玄は、天性の廉家体質と言われていた。

 頭が悪いわけではなかったが、頭を使うことがあまり得手ではなかったのだ。そうと分かっていて、卓子へ繋ぎ止めておこうとした汪巽の執念も、今思えば相当なものだったに違いない。

 階段を上る後ろ姿には、老いをまったく感じさせなかった。多少の息切れくらいはしてもよさそうだが、隠遁生活はまだまだ先の話になりそうだと、悠玄は安堵する。汪巽本人は、次に家令として相応しい逸材が現れるまでは、死んでも止められないと考えていることだろう。

 悠玄もそう言ったように、汪巽以外に、廉家の家令を任せられる男はいない。すべてを泉介に任せてしまえば、廉家はすぐさま没落してしまう。それは、大袈裟な話でもないはずだ。


「祖父上はどうされている?」

「離れで休んでおいでです。最近は泉介様ともお会いになりませんので、ご滞在の間に母屋へいらっしゃることはないと思います。悠玄様がお戻りになることはお伝えしてございますが」

「いや、構わないんだ。元気でお過ごしなら、それでいい」


 大戦で足を負傷して以来、戦場に立つことのなくなった祖父にとっては、璃衒がすべてだったのだ。あらゆる望みを託し、生きていくための糧としていた。その武功を己の自慢とし、英雄と呼ばれる息子を愛して止まなかった。すぐ傍にいるもう一人の息子には見向きもしないほど、深く愛しすぎたのだ。未だ、その死を受け入れられずにいると聞く度に、悠玄はそれを哀れに思った。


「悠玄様にお会いすれば、酷く驚かれるでしょう。今のあなたは、璃衒様のお若い頃によく似ていらっしゃる」

「いや、俺は父ではない。祖父上の心を、これ以上痛ませる必要もないだろう」


 人の死をこの目に見る度に、心が麻痺してしまえば、どんなにか楽だろうと思う。人の死に慣れてしまうことはあっても、感情を捨て切ることはできないからだ。

 心が崩壊し、精神から崩れ、壊れてしまった者を、悠玄は何人も知っていた。

 誰もいなくなってしまったこの世界に生きる価値を見いだせず、自害した者も覚えている。


「ああ、そうです。ご報告が遅れてしまいましたが、今回はもうお一方、泉介様にお客人がお見えになっております」

「客人? 誰だ?」


 階段を上りきり、一息吐いたところで悠玄は首を傾げた。

 叔父を訪ねてくる客がいるなど、珍しいこともあるものだと答えを待っていると、汪巽は池の側にまで伸びている回廊の方向を眺めながら言った。


「斉瑤俊様が昨日からご滞在です」


 そこには、並んで立つ二つの人影があった。

 一人は遠目からでも見紛うはずがない、叔父の廉泉介だ。そしてもう一人、名前を聞く限りでは、面識ある相手だった。


「悠玄様が近々お戻りになるとお話ししましたら、是非お会いしたいと」


 以前、朝廷にて官吏をしていた斉瑤俊は今でも、宮城を尋ねてくることが度々ある。今はどこかで隠居生活を送っているという話だったが、どのような理由で泉介を尋ねてきたのかは、見当もつかなかった。知人、友人という話も、悠玄は聞いたことがない。

 母屋に上げられた二人は、一度広間に通された。


「ただいま泉介様に取り次いで参ります。少々お待ちください」

「そちらのお話しが済んでからで構わないとお伝えしてくれ」

「承知いたしました」


 遠くの回廊にその姿を捉えてから、志恒の眉根は寄ったままだ。

 悠玄は小さく苦笑し、座るように促す。しかし、志恒は長椅子の脇に立ったまま、終始腰を下ろそうとはしなかった。

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