第8話 Nishi-Azabu → 3:40

午前3時を過ぎても、六本木通りを通り過る車の数は多い。

そして頭上には首都高の巨大ガードがそびえたち、その上を車が途切れなく通り抜ける。

六車線の道の歩道を、四人は車道用の街灯に照らされながら歩いた。

自然と前を歩くユウとミキちゃんの後ろ姿を見ながら、アラタはトモコに話しかけた。

アラタ「ニュースって何?」

トモコ「あ、気になるっしょ」

アラタ「そりゃ気になるわ」

トモコ「マイね、別れたって」

アラタ「へー、そうかそうか。そうですか」

マイはアラタとトモコの大学時代の同級生で、アラタの元カノだった。

アラタ「なんで? 婚約してなかったっけ?」

トモコ「してたけど、なんかいざ結婚の段取り進めてみて、いろいろ合わなかったみたいよ」

アラタ「ふーん」

トモコ「詳しくは知らないけど、なんか隠し事もあったとか。同じ会社だから別れて気まずいって。アラタくん、また救ってあげれば?」

アラタ「いやー、どうだろね。卒業以来会ってない」


アラタは、ニヤニヤするトモコを適当にいなした。

アラタはマイと別れた後、立ち直るまでに半年ほどを費やした。

その間のことはほとんど全部トモコに知られている。

トモコには、アラタはどこか安心して自分の恥ずかしいところや情けないところも見せてしまう。


マイは就職してすぐに職場の先輩と付き合い始め、それからさらに1年も経たないうちに婚約した。

その頃のアラタには、結婚に何の価値があるのかあまり理解できなかった。

しかし最近になって、アラタには少しわかり始めてきている気がする。


ユウ「アラタ、ミキちゃんが飲み足りないってさ!」

ユウが信号で立ち止まり、アラタに向かって手を挙げながら振り返った。

ミキ「あー! そういう言い方するー!」

ユウの挙げた手にすがりつきながら、ミキちゃんがバカ笑いしている。

アラタ「ユウ、その交差点右に曲ろうぜ」

ユウ「なんで?」

アラタ「その先の通りが好きなの。歩きたい」

ユウ「へー、いいじゃん」

ユウはさっさとその方向に歩き出した。


トモコが言い忘れていたのを思い出したように声を上げた。

トモコ「ね、みんなで飲もうよ!」

アラタ「おう、そりゃこうなったら飲もう。どこ行く?」

ユウ「俺ん家くる? 音楽かけながら飲もう」

ユウが振り返りながら言った。

トモコ「え、何それ!いいの? 行くー!」

ミキ「行きたいー!」

ユウ「ホントはアラタん家のほうがキレイなんだけど、でもこのメンバーで飲むならウチのほうがいいっしょ?」

ユウが後ろ歩きでアラタのほう見ながら聞いた。

アラタ「うん、ユウん家のほうが広いし、設備もある。そしたら根津美術館のところで左に曲がって、青山通りでタクシー捕まえればいいよ」

ユウ「あ、この先、根津美術館なんだ。いいね」

トモコ「天才ー!それで行こうー。こういう時のアラタくんマジ最高」

ユウ「よっしゃ行こ! 根津美術館ー!」


ユウは唐突に走り出した。

暗闇の中に青く光るブルーノート東京の前を駆け抜け、白いファッションビルの無人のショーウィンドーの光を浴びる。

この時間に、この裏通りを車が通る気配はまるで無い。

ミキ「あー、私も!」

ミキちゃんもユウのあとを追って走り出した。

アラタ「あの二人、飲み始めたらソッコー寝落ちするな」

トモコ「たしかに。あ、その前にスーパー寄らないとね。ある?」

アラタ「ユウの家のそばに24時間のやつがある」

トモコ「完璧」


学生のころ、女の結婚意識について初めてアラタに教えてくれたのはトモコだった。

曰く、出産適齢期である二十代のうちに子供を産むには、25歳のころにはめぼしい相手を見つけておかなければならないのだと。

そういう逆算をしながら女は生きているのだと。

それまでのアラタはそんな考え方に触れたこともなかったから、それを聞かされたときにはずいぶん驚いた。

そしてそれを語った当人であるトモコは、そんな逆算的な生き方をさっさと忘れてしまったかのように生きている。


アラタ「なんとなく、久しぶりにマイと話したいな」

トモコ「うん、マイも喜ぶと思う。変な意味じゃなくて」

アラタ「うん、変な意味じゃなくて。ただ、話したい」

結婚だとか付き合うだとか、好きだとか気になるだとか、そういうことはアラタにはまだ難しすぎるような気がした。

そんなことを考えずに、ただマイと話したいと思った。


アスファルトを照らす街灯や、歩道の脇に並ぶガードレールの細い鉄棒は、ただそこに行儀よくたたずんでいる。

少し右にカーブするこの歩きやすい道を歩けば、その先にユウとミキちゃんが待っている。

難しいことは、要らなかった。

まだ金曜の夜は続いている。

ただこの都市に包まれながら、今夜はこのメンバーと過ごす時間を楽しむだけでいい。

その先も、来週も、来月も。

きっと同じだ。

そのどこかでもしもマイと会える日があるのなら、それを楽しめばいい。


トモコ「もう一個、ビッグニュースあるんだけど」

アラタ「え、何。マジで? 怖いんだけど」

トモコ「あ、大丈夫。全然怖くない。ウルトラ、あるじゃん。ヘッドライナー決まったよ」

”ウルトラ”は、有明でおこなわれる世界最大級の音楽フェスだ。

アラタ「お、誰?」

トモコ「ヤバいよ。ア。ア?」

トモコはそこまで言うと、アラタの顔色をうかがうかのように目を覗き込んできた。

アラタ「え、嘘でしょ。ヴィ?」

トモコはだまってうなずいた。

アラタ「チーー?!! うぉーー!!!」

見えなくなったユウを追いかけるかのように、アラタは駆け出した。

そして急に立ち止まり、トモコのところまで戻ってきた。

アラタ「マジで?! マジで?!」

トモコ「間違いない! オフィシャルに上がってたもん」

アラタ「あれ、チケット、もう買ってたんだっけ? 結局買ってないんだっけ?」

トモコ「買ってない!」

アラタ「マジか、マジか! このあとユウの家のPC借りて買おう。行こう!」

トモコ「うん、行こう。絶対」


根津美術館の前で、ユウとミキちゃんが笑いながら待っていた。

ユウ「何叫んでんだよ」

アラタ「あとで言う。行こうぜ」

アラタはお気に入りの交差点の横断歩道を渡ると、青山通りに向けて歩き出した。

金曜日の夜は深い。

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金曜日のエルフたち -the age of marriage- kc_kc_ @ndounganye

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