ユウカがここに来て知ったこと

「ヘルミさん、早く元気になれたらいいのにな…」


ユウカのその呟きは、彼女の本心だった。


『私はもう、ここに来たことを受け入れられてる……


私がいなくなったことを両親がどう感じてるかって考えても、あの人達はきっと心配したり悲しんだりはしないと思う。アニメみたいに『失くしてから大切なものに気付く』なんていうのは実はそんなにないんじゃないかな……』


ユウカが考えていたそれは、事実だった。厳密にはユウカがデータに書き換えられた時に彼女についての記憶もすべて失われたというのもあったが、それが無くても、あの両親は娘がいなくなったことを悲しんだりはしない。


普段は冷たいように見えても実は子供のことを心配している親というのも確かにいるのかも知れないが、現実には悲しむどころか喜びさえする親も存在するのだ。


<親子の情>というものを過信するのは事実を把握にはむしろ邪魔になることがある。


フィクションでそういう演出がされるのは、実際にはそうじゃない場合が少なくないからこそその演出が活きると言えた。我が子の存在を本気で疎ましく感じている親というものは、決して少なくない。


もちろん、<書庫ここ>でもそういうことはある。


しかし、親に疎まれても他に受け入れてくれる存在が必ずいるのでそれほど問題にならないのだ。


育児に向かない親からは子供は早々に引き離され、里子や養子として養育される。そしてそれを奇異に思う者はむしろ少数派だ。周囲が支えてくれるから幼い頃から一人で暮らす者も少なくない。


ガゼもその一人だった。元々の惑星せかいが子供にもサバイバル術を叩き込むような環境だったからというのもあるが、八歳の頃にここに来た時からずっと一人暮らしである。


しかしそんなガゼも、同じアパートの住人達が家族のように支えてくれたから、今、こうしていられるということだ。


アパート自体が家であり、それぞれ個室が与えられているようなものとも言えた。


一人暮らしと言いながらも、実質的には家族と一緒に暮らしているのとさほど変わらないとも言えるだろう。ここに暮らす者は皆、そうして生きているのだから。


もちろん、集合住宅ではなく戸建て住宅を買って住む者もいる。とは言え、ここに来たばかりでそれが出来る者はまずいない。


だからごく一部の例外を除けば誰もが疑似家族の中で育ち、その中で敢えて自分だけの家を持つ者が現れることもあるというだけであった。


豪華な暮らしさえ望まなければ実質的な不自由はほとんどない。とにかく暮らしやすいのだ。


それなのに、ヘルミはあんなに荒んだままだ。


『ヘルミさん……』


それなのに、ヘルミはあんなに荒んだままだ。ユウカはそれをすごく悲しいことだと感じていたのだった。




トイレは共同と言っても他の住人が家族のようなものであるならそれも気にならない。


湯船に浸かりたいならそういう物件もあるし、そこでもやっぱり家族のように迎えてもらえる。


銭湯だって料金はものすごく安い(現在の日本の感覚で言えば一般的な銭湯の十分の一以下)なので、仕事帰りに立ち寄ったりするなら、自分で風呂掃除をする手間を考えればむしろ安上がりかもしれない。しかも銭湯自体が多く近所にいくつもあるので、好みのところを選んだり気分によって変えたりするということもできる。


『は~、お風呂屋さんにもすっかり慣れたな~』


来たばかりの頃は銭湯に抵抗感があったユウカも、今ではすっかり馴染んでしまっていた。しかも今日は、ガゼ、メジェレナ、レルゼーも伴って四人での銀河湯である。


『うう…ユウカぁ……』


生まれたままの姿になるユウカをドキドキしながら見ているガゼに対して、メジェレナとレルゼーは冷静だった。が、特に意識してる様子も見られないメジェレナに比べると、レルゼーはじっとユウカを見ていたりするのだが。


「やだ、レルゼーさん。そんなに見ないでください。恥ずかしいから…」


そう言って顔を赤らめながら体をタオルで隠してもじもじするユウカの姿に、


『むひ~~~っ!』


などと鼻息を荒くしてガゼの顔はますます真っ赤になっていく。鼻血でも出すんじゃないかというほどに。


一方のレルゼーはやはり表情を変えることはなかった。実に対照的な二人と言えた。


浴室に入ると、ガゼはユウカに頭を洗ってもらっていた。


と言うのも、ガゼは来た時にはまだ幼かったからか、頭の洗い方が非常に適当で雑だったのである。


そのためか出会った当時は髪の痛みがひどく、まるでライオンのたてがみのようだったのだ。それをユウカが一緒にお風呂に入るようにして頭を洗って手入れもするようになったから、リボンが似合うサラサラの髪になったという経緯がある。


ガゼがユウカを好きになった理由の一つが、そういう気遣いに惹かれてということでもあった。


ガゼも、本人に悪気はないのだがどうにもその生い立ち故か、大雑把で粗暴ですぐにカッとなる部分がある。


そういう部分ではヘルミに近いのかも知れないものの、一方でヘルミとは違って人懐っこく愛想はいいので接客にも向いているとして、リーノ書房の店頭に出るようになったのだが、以前の見た目はそんな感じですごくワイルドだった。見たままの野生児とでも言うべきか。


しかし、ユウカという御者を得て、ガゼもかなり変わったと言えた。接客も丁寧になり、客からの評判も上々だ。ユウカの存在がそういう形でも良い影響を与えているということで、店長のハルマもユウカを評価していた。


『ヘルミさん……』


湯船にゆっくりとつかりながら、ユウカはヘルミのことを考える。


『ヘルミさんはどうしてあんなに他人を嫌うんだろ…?


私も地球にいた頃はそうだったな……<自分以外の人>っていうだけで怯えて勝手に不安になって……


でもここに来てからはそれもすっごくマシになった気がする。みんなが優しいから……


なのにヘルミさんにはそういうのないのかなあ……』


だが同時に、ユウカはこう考えるようになっていた。


『私はヘルミさんじゃないから、ヘルミさんの本当の気持ちって分かるはずないよね……』


と。


残念なことではあるが、ユウカのその認識は正しいだろう。他人の気持ちを完全に理解できるなどということは有り得ない。


勝手に想像したそれを本人に無断で当てはめて分かったような気になっているだけだ。


他人の内心を客観的に観測できる機器も手段もないのだから。


ユウカは、ここに来て気持ちに余裕が持てるようになったことで逆にそれを認めることができるようになった。


以前は分からないと思っていることを他人に知られるとそれを責められるんじゃないかと恐れていて、本当は分かっていないのにそう言えなかったというのもあったのだ。


だがここでは、生物として根本的に違う者が当たり前のように一緒に暮らしている。同じアパートにいる、不定形生物のヌラッカや機械生命体のシェルミがそうだ。


不定形生物のヌラッカには、形状や形質が固定された人間の感覚が理解できない。


不都合があればそれに合わせて自分の形質そのものを変えてしまえるのだから、<状況に応じて自分の形を変えることができない不便さ>というものが理解できないのである。


そして、ヌラッカがそれを理解できないことが、形状が固定された人間には理解できない。彼女のことを愛しているキリオでさえも理解はできていないだろう。キリオはただ、ヌラッカのありのままを愛しているだけだ。


機械生命体のシェルミもそうだ。有機生命体であるが故の非効率さや不便さが彼女には理解できない。


知識としては持っていても、感覚的には分かっていない。そして、生活のための空間をほとんど必要としないからといって部屋の半分をランジェリーショップにしてしまうような感覚は、ユウカたちには理解できない。


だが、それでいい。それでいいのだ。互いに違い、相手の全てが理解できるわけではないということを理解することから、本当の相互理解が始まる。自分の考えを一方的に相手に押し付けるのは逆に非合理的であるということを知る。自分の存在を認めてもらうためには、他者の存在を認める必要があるのだということを知る。


ここはそういう風に成り立っているのだから。


ユウカがヘルミのためにできることなどは、恐らくない。


生まれた時から殺し合うことを定められ、しかしそれでもと信じた相手に裏切られて殺された者の気持ちなど、現代の日本で育ったユウカには想像すらままならない。だから何かをしてあげたいと思うことがまず思い上がりなのだろう。


しかしそれでもと思ってしまうのもまた人間である。ヘルミが、自分の生まれ育った環境を承知しつつも『それでも』と信じてしまったように。


この日からユウカは、ヘルミを見かける度に、


『おはようございます』


『こんにちは』


『こんばんは』


と、声を掛けるようになった。他に何をすればいいのか分からなくて、とにかく挨拶をした。


無論、あのヘルミがそんなことを受け入れる訳もない。ユウカがいくら愛想良く声を掛けても一切、視線を向けることさえなかった。だが、


『大丈夫。大丈夫、メゲないメゲない』


ユウカは諦めなかった。そしていつしか、十年が過ぎていたのだった。


地球の一年とは誤差があるので厳密には正しくないかも知れないが、ユウカは二十五歳になっていた。ただし、見た目は相変わらず十四歳の頃のままである。


実は外見上の年齢は、本人が望むなら任意の姿に変えることは可能だった。


実際、幼い頃にここに来た人間の多くはきちんと外見上も大人になっていたりする。逆に、老いてからここに来た者の多くは自分にとって最も理想的だった頃の姿に戻っていたりもする。


が、それはあくまで本人が本心からそれを願っていた場合であり、たとえ無意識であっても変わることを望んでいなければ変われなかった。


アーシェスやガゼがその例だ。


大人になることに少なくない憧れを抱きつつ、しかし心のどこかでは自分が変わってしまうことを恐れてもいた。


ガゼの場合は特に、自分が大人になってしまったら両親が自分を見ても分からなくなってしまうかも知れないという不安が、成長することを拒ませていた。


アーシェスの場合は、子供の自分でさえ奴隷としてあのような扱いを受けたのだから、大人になってしまったらそれこそどんな扱いを受けるのか考えただけでも恐ろしいという恐怖も原因の一つではあった。


もっとも、さすがにそれも百万歳を過ぎたあたりの頃には解消されており、今では単に夫と出会った時の姿のままでいたいという願望がそうさせているだけだが。


そういう諸々も、ある意味ではここで暮らす醍醐味とも言える。


変わりたいと思う気持ち、変わりたくないと思う気持ち、そのどちらもここでは許される。


『ヘルミさんが過去を割り切れずに今のままでいたいんなら、それも許されるよね、ここなら』


ユウカもその辺りはもう分かってはいた。


自分の外見上の年齢も任意で決められるにも拘わらずユウカがそのままなのは、自分が大人になるということが具体的に想像できないためである。


故に、ガゼやアーシェスを身近で見ていてあまり大人になる必要性も感じられないことも相まってそのままなのだった。


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