第10話

 真耶と別れた後、僕は予定していたとおり退屈な生活を送った。以前はある程度楽しんで読んでいた本も、字を追う間に真耶のことばかり頭をよぎって内容が頭に入らない。僕の世界は着実に色褪せていった。

 転院してから、なっちゃんが頻繁に手紙を送ってくるようになった。僕はただの一度も返事を書かなかったけど、それでも彼女は挫けないようで、月に三回は必ず手紙をよこした。内容は変わり映えのしない近況報告。院内学級での出来事や、看護師の話。そして必ず真耶の様子が書かれていた。幼い字で綴られる手紙の中で、真耶は徐々に衰弱していった。『さい近は元気そう』と表現されたのは一通目の手紙だけで、以降は『カゼぎみらしい』とか『ねつが下がらないんだって』とか、芳しくない言葉ばかり並んだ。

 僕は真耶の死をなっちゃんからの手紙で知った。少し震えた丸い字がなっちゃんの動揺を物語っていた。

『マヤちゃんがなくなりました』と短くあった。三月の終わり。僕はとても冷静だった。転院してから時間が経っていたせいかもしれない。衝撃も悲しみもなかった。どのみち僕が死んだらもう一度会える。僕はただ、頑張って誓いを果たそうと思った。

 同じ手紙の中に、真耶の母親の電話番号が書かれていた。『仲よくしてくれてありがとう、退院したらおはかに来てねって、マヤちゃんのお母さんが言っていました。その時は連らくしてくれたらあんないするって、電話番号を教えてくれました。やまとくんにも伝えてとたのまれたので、伝えます』

 真耶の母親。

 三年間あの病室に入院していて、僕はその人を数える程しか見たことがない。見た目の印象はほとんど残っていない。単純に興味がなかったというのもあるが、その人はすごく地味だった。覚えているのは、真耶と似ていなかったということ。血色のいい肌もふわりと柔らかそうな手も、真耶にはないものだった。とても人間らしい、健やかな要素。にもかかわらず、その人はつらそうな顔をしていた。

 そうよ。あの人は私と一緒にいるのがつらいの。

 母親が珍しく見舞いに来た後、真耶はそう言って笑っていた。娘の不運な人生を思うとつらい。娘がじきに死んでしまうと思うとつらい。その人は娘の運命を受け入れられなかった。だからひたすら目を背けることで、心の安定を保っていたのだろう。

 真耶はそんな母親を軽蔑していた。僕はその時なんとなく真耶の話を聞いていたけど、今なら彼女の気持ちがわかる。

 僕は手紙の内容を不快に思った。仲よくしてくれてありがとうとか、お墓に来てとか、連絡先を教えるだとか、そういうことを幼い女の子に頼んで僕に伝えるという発想が気にくわない。なっちゃんと話したなら、僕の転院先くらいすぐに聞けたはずだ。真耶の母親が僕に直接に会いに来なかったことを、非礼だと言いたいわけじゃない。その後ろに透けて見える考え方が気持ち悪い。その人が僕に直接会いに来なかったのは、忙しいからでも面倒くさいからでもない。僕と会うことで生前の真耶を思い出してつらいから。真耶の死を自分の口から僕に伝えることがつらいから。その悲しみに耐えられないと思ったから、その人は僕を避け、なっちゃんの手を借りた。おそらく自分のことをとてもかわいそうな人間だと思っている。そして恐ろしく自分の感情に素直で、それらのことに無自覚。娘に軽蔑されたって仕方ない。

 僕は連絡先をメモすることもなく手紙をしまった。

 それ以来、なっちゃんの手紙の頻度がだんだん低くなっていった。返事が一度も来ないのだから当然だ。むしろこれまでよく書いたなと思う。気づけば手紙は途切れていた。もう届くことはないだろうと思った頃、僕の退院が決まった。

 医師や看護師は何度もおめでとうと言ってくれた。主治医は僕が大きな病院に移った時、正直もう戻ってくることはないと思っていたと話した。それがここまで持ち直すなんて、ほとんど奇跡に近いと言う。

 また奇跡か。僕は呆れながら聞いていた。

 両親もとても喜んでいた。これなら一年遅れで高校に通えると、母は嬉しそうに言っていた。翌日、母はさっそく高校入試対策の参考書を持って見舞いに来た。僕は勉強することよりも、母のはりきり方にげんなりした。

 僕は長期欠席のために幼稚舎から中等部へ進学できず、書面上は公立の中学校に転校したことになっていた。死ぬつもりでいた僕はなんとも思わなかったが、父と母はそのことをかなり残念に感じていたらしい。

 僕は健康だったなら進学できていたはずの高等部を受験するように言われた。僕はとてもいやだった。僕は今十六歳だから、順調に合格したとしても一年遅れで入学することになる。つまり、幼稚舎にいた頃の友達や同級生が一つ上の先輩になる。僕のことを覚えている奴らもいるだろう。育ちのいい子が多いから、優しげに声をかけてくるかもしれない。そういうのは煩わしい。面倒くさい。すごくいやだ。

 しかし僕は、すごくいやだと思ったからこそ両親の言うとおり高等部を受験することにした。僕は楽な手段を選んではいけない。いやだと思うこと、面倒だと感じることを、むしろ積極的に受け入れていかなければならない。これは真耶と交わした誓いの中には含まれないことだ。だが、僕は少なくとも幸せに生きることはない。だったらなるべく幸せに近づく要素は避けていなかければ。僕は自分の気持ちや要望を無視して、苦痛に甘んじていこう。

 母親の圧力で入院中も勉強を続けていたおかげで、受験に遅れをとる感じはなかった。退院が決まってから、僕の両親は少しずつ昔に戻っていった。身体を気づかう言葉が減り、勉強の進捗を頻繁に聞いてくる。こうするといいとか、この方法を試してみたらとか、助言なのか説教なのか命令なのかよくわからない話も添えて。無理は禁物だと嗜めるのは医師と看護師だけだった。

 十一月。こっちの病院に戻ってからおよそ一年の時間を経て、僕は退院した。誇らしげな医師と、笑顔を浮かべた看護師に見送られて、病院の外に出る。母はとても晴れやかな顔で彼らに礼を言って、僕を車に乗せた。

「やっと外に出られたね」

 僕よりもよほど解放感に満ち溢れた声で母は言った。もう忙しい合間をぬって見舞いに来なくてすむ。そういう意味では、この人は文字どおり解放されたのだろう。

 長く入院生活に慣れていた僕は、自宅での生活になかなか適応できなかった。玄関からリビング、キッチンや食卓や風呂場に至るまで、物が多すぎてくらくらした。毎日ハウスキーパーが来るから掃除は行き届いている。客観的に見たら我が家は充分すぎるくらい綺麗だろう。だけど僕はその空間で落ち着くことが出来なかった。生活の色がありすぎる。ここは生きるための場所だ。

 母は出勤が早く帰宅が遅いから、僕が部屋に籠っていれば顔を合わせる時間は少ない。父に至っては家に帰らない日もしょっちゅうだ。入院中よりも両親と会う機会が減ったような気がした。

 僕は家の中でひたすら勉強する日々を過ごした。知識を詰め込んでは吐き出す作業。単調で、退屈で、面倒だった。だけど、サボりたいとか遊びたいとかいう気は一切起きない。僕の人生は単調で退屈で面倒なのがあるべき形だからだ。そんな僕を見て両親は真面目にやっていると喜んだ。それがなおさら僕を不愉快にさせた。最低な毎日だった。

 時間をかけた分、成果はあった。僕は志望した高等部に合格した。合格が決まった日、母がこんなことを言った。

「実はね、お父さんが学長先生に掛け合ってくれてたのよ。前幼稚舎にいたこととか、病気だったことを考慮してくれるようにって。きっとそのおかげもあるわ。勉強する気を失くすんじゃないかと思って、今まで黙ってたんだけど。今度父さんに会ったら、お礼を言っておくといいわ」

 母が父のことを口にするのはとても機嫌がいい時だ。母は僕の退院が決まった時よりもずっと嬉しそうに笑っていた。

 僕は高校一年生になった。歳の近い男女が同じ制服を着て歩くさまを僕は久しぶりに見た。ほとんどの生徒が中等部からの内部進学組だから、入学したばかりとはいえコミュニティはある程度形成されている。これは僕にとって都合のいいことだった。一人でいることが不安で誰彼かまわず話しかける奴がいないからだ。

 僕はあからさまに話しかけにくい態度をとっていた。それでも他愛のない話題を振ってくる親切なクラスメイトもいる。そういう生徒にはこれ以上ないくらい無愛想に対応した。挫けずになお近づいてくる優しい奴は無視した。僕は入学後一週間で簡単に孤立できた。

 登下校や教室移動の最中、一学年先輩にあたるかつての友人と出くわすこともあった。目が合っても何も言わない奴が大半だったが、特に親しくしていた友人は声をかけてきた。面影があるとはいえ五年以上会っていないから、当然話のはじめは名前の確認になる。

「種坂やまと、だよな?」

 僕はとりあえずうなずく。

「うわぁ、久しぶり! 元気になったんだな」

 彼らは大げさに僕の回復を祝ってくれた。僕はかつて健やかで優しい友人に恵まれていたんだなと自覚する。

 相手の顔については、見覚えがある時と、もう誰だか思い出せない時があった。いずれにせよ真耶に出会う前のことだから、僕の記憶はかなりぼんやりしている。だから僕は素直にこう言えばいいだけだった。

「ごめん、誰?」

 はしゃいでいた元友人の顔がぴたりと静止するのは、少しだけ面白かった。

 直後、元友人は慌てて自分の名前を言う。ほら、あの時一緒のクラスだった。あの時一緒に遊んだ。僕の心臓がおかしくなった夏休みの日に一緒だった友人もいた。いくら僕でも、そいつのことはさすがに覚えていた。ここに至って僕はようやく嘘をつかなければいけなくなる。

「ごめん、覚えてない」

 元友人は他にも色んなエピソードを並べたが、僕はその都度覚えていないという返事を繰り返した。元友人はうろたえ、戸惑った。そんなわけないだろ、という言葉が喉元まで出かかっているのがよくわかった。彼らは大概、何かを察したような顔をして立ち去った。病気のせいで僕の記憶が曖昧になってしまったとか、一年遅れて入学したことをとても気にしているとか、そんな事情を想像してくれたに違いない。僕の元友人は本当に健やかで優しかった。

 そんなやりとりの様子を見ていたクラスメイトがいる。僕が病気のせいで一年遅れて入学したという話はすぐに広まった。それまで嫌悪と侮蔑しかなかった視線に、憐みの色が加わった。僕はクラスの中で腫物になった。誰も近づいてこないし、誰も話題にしない。陰湿な嫌がらせや嘲笑を予想していた僕は拍子抜けした。彼らは僕が思うよりも大人で、育ちが良かった。

 当たり前だけど、僕は運動がからきし出来なかった。制限付きの軽いストレッチならしてもいいが、激しい運動は駄目だという医師の忠告もあるから、体育の授業にはまともに参加できなかった。ただ、その他の成績はそれなりによかった。両親が教育熱心であることと、僕がサボるとか遊ぶとかいう行動を決してしないことが強く影響していた。

 模試の結果が出ると、毎回クラス内の順位が張り出される。科目によってムラがあるものの、総合して僕は必ず一位か二位になった。その結果のせいで、僕の立ち位置はさらによくわからないものになった。嫌われてしかるべき行動しかしていない僕が、いつの間にか気難しくて一風変わった奴として見られていた。他人との関わりを極端に拒絶する態度も、長い間入院していたからという理由で仕方がないことにされた。健やかに育った人間にとって、その事実はよほど特殊な要素になるようだ。いつしかクラス内には僕を受け入れるような空気が漂い始めた。同情と憧れが入り混じった視線を投げかけてくる女子生徒もいる。どうやら僕は運悪く、とてつもなく良いクラスメイトに恵まれてしまったらしい。僕の学校生活はとても生ぬるくなった。

 退屈でたまらない時は真耶のことを考えた。もしも真耶が今ここにいたら。そんな想像をしたこともある。だけど、想像する真耶は教室の中に上手く馴染まなかった。頑張って制服姿を思い浮かべても、どうしても背景に溶け込まない。真耶だけが白く浮きあがってしまう。

 僕はたくさんの課題をこなすのと同じ感覚で、学校生活を消化していった。真耶と過ごした三年半は毎日が夢のようで、思い返せばあっという間だった。それに対して、高校での時間の流れは、側溝の水のようにどろりと滞っていた。一時間が、一日が、一週間が、なかなか終わらない。同じことを繰り返す毎日が苦痛で仕方ない。これじゃまるで懲役刑だ。 

 それでもなんとか年を越えて、僕は高校三年生になった。内部進学できるとはいえ、誰もが何もしないで勝手に大学に行けるわけじゃない。一、二年の成績がよくない生徒たちが、にやつきながら「どうしよう」と言うのが日常風景になった。しかしながら、二年間文字どおり勉強しかしてこなかった僕には縁のない話だった。

 翌年、僕は無事に進学した。大学のキャンパスは自宅から一時間もあれば通える距離にあったが、父も母も僕に一人暮らしを勧めた。生活力をつけて自立する準備をしろというのが彼らの主張だった。父は通学に便利な場所にあるマンションの一室を僕に与えた。僕は一人暮らしを始めた。

 とはいえ、実家に居る間も僕はほとんど一人で生活していた。違うのは、家事をしてくれるハウスキーパーがいないという点だけ。一人暮らしをする上での家事はすぐに覚えた。洗濯も炊事も、一人分ならあっという間だった。掃除は毎日徹底してやった。真耶を想いながら過ごすには、清潔な空間が必要だ。両親の目がないのをいいことに、僕は自分の部屋を極端にシンプルにした。家具も家電も必要最低限、雑多なものは一切置かない。目立つのはベッドくらいで、あとはガランとした部屋。この方が掃除もしやすい。

 新しい生活がスタートした。僕には趣味もやりたいこともひとつもなかった。サークルだバイトだと華やく学生を横目に、僕はただ講義に出て帰るという日々を繰り返した。大学という環境は、高校に比べて孤立するのが楽だった。自分から積極的に人に関わろうとしなければ、めったなことでは他人が近寄ってこない。不愛想な顔をしていればもう完璧だ。

 大学に入ってから、僕には自由な時間ができた。授業も毎日朝から夜までというわけではないし、両親も以前のようにしきりに勉強しろと言わない。父は僕を自分と同じ会社に入れたがっていて、大学院に進学させる気はないらしい。

 自由な時間というのは、意外と厄介だった。やりたいことや、やってみようと思うことで溢れている人たちにとっては嬉しいことこの上ないことなのだろうけど、僕にはそのどちらもなかった。やらなければいけないこと以外、何もやりたくない。僕がやらなければいけないことは、真耶との誓いを果たすことと、他人に要求されたことだけ。あとは本当にどうでもよかった。

 大学から帰って、洗濯や掃除をすませて、決めた分の勉強をこなしたら、もう何もすることがない。僕は不規則な時間に眠ることが多くなった。ぼうっとしているといつの間にか眠ってしまうというのもあるが、真耶を夢に見られるというのが大きな理由だった。僕は断続的に眠った。眠ってばかりいたら食欲がなくなって、身体を動かさないから筋力も落ちて、少し痩せた。

 眠ることもすぐにいやになった。どんなに幸せな夢を見たって、必ず目が覚めてしまう。その度に僕は打ちのめされた。もう目が覚めなければいい。早く心臓が止まってしまえばいい。何度も願った。だけど病は再発の兆しさえ見せない。

 持て余した時間で、今度は過去のことを思い出すようになった。真耶のことだけじゃない。両親や他の大人や、なっちゃんのことも含めて。

 思えば不自然な点があった。僕が真耶のいる病院に移った理由だ。あの時、母と主治医は延命措置が目的だと言っていたが、どうも違う気がしてきた。あの時母は院内学級の話をして、僕の将来に希望を持っている様子だった。当時の僕はそれをそう思い込みたいからだと解釈していたが、母は何の根拠もないのに希望を抱くほど夢みがちな人間ではない。希望を抱くなりの理由があったはずだ。もしかしたらあの時から既に、僕の病気は治る可能性があったんじゃないか。僕の転院の目的は、手術を受けるためだったんじゃないか。

 確か、なっちゃんがそうだった。なっちゃんは、手術を受けるために転院してきたと言っていた。ただ、彼女はまだ幼く手術に耐えられる体力もなかった。だから、手術に耐えられる身体に成長するまで入院して待つことになったと、いつか話してくれた。

 僕も同じだったんじゃないだろうか。

 母も医師も手術の話を知っていたが、僕に安易な期待をさせまいとそのことを黙って転院させた。そう考えた方が上手くいく。だって、手の施しようがなくて転院した先の病院で、ある日突然手術ができますなんて、今思えばおかしな話だ。あの時から僕の運命は曲がりはじめていた。運命は変わらないと思っていたから転院することにしたのに。死ぬことを確信していたのは僕だけだった。他の大人はみんな、母さんも父さんもお医者さんも、可能性があることを知っていたクセに、それを黙っていた。確信していた僕が馬鹿みたいだ。みたい、じゃない。実際に僕は間違いなく馬鹿だった。何の根拠もなく近い将来死ぬと思い込んでいたのは僕じゃないか。両親や看護師の態度なんて曖昧なものに惑わされて、都合のいいように解釈してしまった。僕は僕の運命を、見誤っていた。つまり勘違い。そしてその勘違いに基づいて、僕は真耶と話していた。

『僕、たぶんもうすぐ死んじゃうし』

『へぇ、私と一緒だね』

 急激な吐き気に襲われた。口元を押さえて、トイレに駆け込む。まともに食事を摂っていないから、えずくばかりで嘔吐はしなかった。

 僕はずっと真耶に嘘をついていた。僕はずっと真耶を騙していた。可能性を知らなかったなんて言い訳にもならない。そもそもが僕の勘違いだったんだから。

「ごめん」

 情けない声が口から零れる。ごめん。ごめんなさい。真耶。ごめん。便器の前に跪いて、僕は何度も言った。

 真耶に会いたい。死んでからじゃなくて、今すぐに。今すぐ会って、謝りたい。僕ははじめて真耶が死んだことを悲しいと思った。僕が生きている限り、もう二度と会えない。その事実が重くのしかかる。今まで心のどこかで、どうせ僕もすぐに死ねるだろうと思っていた。だけど、もうわからない。僕はあとどれだけ真耶のいない世界に繋がれていなければいけないんだろう。

 僕は呆然と部屋に戻り、収納の扉を開いた。考えるより先に体が動く。段ボール箱をひとつ引っ張り出してきた。引っ越しの時にまとめてから、開封していないただ一つの荷物。ガムテープをはがす。

 中身は、他愛のないおもちゃのような物の寄せ集めだ。真耶が作ってくれた折り紙。僕が描いた絵。院内学級で作った押し花の栞。あの頃の小さな思い出。こんな物を取っておいてもどうにもならないのに、どうしても捨てられなかった。

 箱を探る。乾いた紙の束が見つかった。なっちゃんがくれた手紙。消印の日付順にまとめてある。僕は迷わず三月の消印を探した。真耶が死んだことを知らせてくれた手紙だ。必要なのはその中の情報だった。当時、写す気にもならなかった女の電話番号。

 僕は携帯にその番号を一つ一つ入力して、発信した。コールが鳴る。

 一回。

 二回。

 三回。

 規則的に刻まれるコール音は、勢いだけで行動した僕の頭を少しずつ冷静にした。話す内容も時間も考えずに電話してしまった。枕元に置いた時計を見る。時刻は午前八時。眠ったのか眠らないのかよくわからないままいつの間にか夜が明けていたことに気づく。

 四回。

 五回。

 コール音がただ繰り返される。平日の午前八時、多くの人は朝の支度や通勤に忙しくしている時間だ。こんな時間にいきなり電話なんて非常識だ。切ろう。

 携帯電話を耳から話しかけた時、プツリと音がして、コールが途切れた。慌てて携帯を耳に当て直す。僕が言葉を発する前に、女性の声が聞こえた。

「もしもし、ウラワです」

 ウラワ?

 ウラワって誰だ。

「すいません。間違えました」

 僕は取り乱した声で言って、慌てて通話を切った。そのまま携帯をベッドに放って、ため息をつく。寝不足と混乱でおかしなテンションになっていた。電話番号の入力を間違えてしまったらしい。

 体がとてもだるい。大学に行きたくない。面倒でしかたない。だったら、やらなくちゃ。僕は苦痛をじっくり味わいながら、出かける支度をはじめた。

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