命を繋ぐ意味

三倉えりか

第1話


命ってなんで大事なの?


命を生み出すことが

最大のお役目だとしたら


それができない人

には価値がないの?


それは違うと人は言う。


その人にはその人の

その人が出来ることをすればいいのだと。


例えば、誰かの命を救ったとする。

誰かの生きる希望になったとする。


するとそれは、

命を生み出すことと同等の価値が

きっとある。



あなたは命の恩人です。

生きていくことが楽しくなりました。



でも、それは

命が大事っていう前提があって

何の意味も理由もなくても

生きていく、ただそれだけのことに

価値がある。


生まれた以上、その与えられた命を

大事にする使命がある。

とでも言おうか。


っていう…

それってなんなんだろう。




命は神から与えられている。



ということは、命は神様のものなのか?


つまり、

神よりこの姿と命を与えられ

生かせていただいてるから

大事にしないといけないのか?



ただ生きていることは

命を大事にしていることになるのか?



うーん。


話を変えよう。




命の誕生は奇跡だ。


それは確かにその通りだと思う。


今の自分があるのも

先祖や目に見えないような生物があってこそ。

それが繋がって繋がって

その末尾にいるのがこの私。


これをまだ繋げるのか、

派生させるのか、はたまた途絶えさせるのか。



わからない。





命を繋ぐ意味。


この先になにがあるの?



何のために

命を大事にするの?


それに一体なんの意味があるの?



わからない。



産んでくれてありがとう。

産まれてくれてありがとう。


よく、子どもは親を幸せにするために

生まれてくるということを聞く。


子どもにとって親は唯一無二であり

絶対的存在。


我が子は可愛い、

そりゃそうだ。


それ故に、

子どもが欲しいと呟く声に

自分を必要としてくれる存在が欲しい。

というような聞こえ方がしてならない、ことがある。


そして、

虐待や毒親のような話を聞くたびに

また疑問が生まれる。


子どもは親の都合で生まれる。


神様は決して優しくはない。


生きていると、なぜか

平気で辛いことや苦しいことが

必ず起こる。

それは何度も。


なんでそんな思いまでして

生きていかないといけないのか?


なんでそうゆうことがあるとわかっているのに、

命を生み出さなくてはいけないのか?


社会は甘くないし、

不幸は

ある日突然訪れる。


記憶がなくなってしまおうと

身体の自由が奪われようと

住む処も食べる物もなかろうと

大切な人を失おうと

余命僅かだろうと


どんなに生きていくことが

辛い状況が訪れようとも、

しかもそれが幾重にも重なることがあろうとも

生きていかなくてはならない。


もちろん、

その訪れる辛さのレベル

とでもいおうか。


それは人それぞれだ。


生涯穏やかに

これといった不幸を迎えずに

過ごしていく人もいるかもしれない。


もはや、大半の人は

そうなんじゃないかとさえ思う。


その考えは、不幸を抱えた瞬間に

湧き溢れ出てくる。


みんな幸せそうなのに

なぜ私だけこんな目に…


そうすると

嫉妬心という闇の中から

抜け出せなくなる。



それでも生きていくために

人はその真っ暗闇の中に

光を見つけるようになる。



そうして

人はなんとしてでも

生きていこうとする。



では、

なんでそこまでするのか?



今日無駄に過ごした1日は

誰かが生きたかった1日だ。



子どもの成長をずっと見守っていたかった。

まだ何もしていないのに。



今や未来に希望や目標がある人は

確かに未練も後悔もたくさんあるだろう。



だが、今や未来が絶望的で

夢も希望もないような状態だとしても


なぜそんなにまでして生きている必要があるのか?



命が果ててしまったら

一体なにがいけないのか?


命の存在が尽きたその時

一体なにが起こるのか?


終わりは始まり。


だとしたら

また新しいなにかが生まれるのか?


わからない。


でも、ただ言えることは


なんだかんだ言っても

命って大事なんだろうな、

ってこと。


だから、みんな

大事に大事に繋いで繋いできたんだ。


人間以外の動物なんか、

趣味も娯楽もないのに

(もしかしたら、それなりにいろいろあるのかもしれないけど)

毎日ただ生きて命懸けで子孫を残して死んでいく。


植物だって、

芽が出たら蕾ができて

花を咲かせて枯れていく。


そうやって自分の分身を

みんな残してきたんだ。



そうすると、

わざわざ残すのは

自分の分身じゃなくてもいい気がしてくる。


より優秀で、強いものが残っていけばいいのではないかと。


でもそれはきっと、

生物学的には少し違うのだろう。


どんなに弱くて価値がないと感じるようなものだとしても、

自分の遺伝子を残そうとするのが

きっと生き物なんだろう。


だとすると、

子孫を残さないという選択は


生物学的に

かなり劣等生のような気がしてくる。



自分の命を大事にし、

なおかつ人の命を大事にし、

新しい命をも生み出し、

その命を更に大事にする。


それは、

生きとし生けるものすべてのものにとって

ごくごく普通であたりまえのこと。



ただ、そのことに

一体なんの意味があるのだろう。



わからない。



でも、

きっと大事なんだろうな。


ってことしか、


わからない。



つまり、

命は大事。


とりあえず私はただ毎日必死に生きる。


それが大事。


なんだろうな。


でもそれが、

なんでなのかは

きっと誰にもわからない。


んだけど、

だけどよ?


だらだらと答えの出ない脳内会議を

続けてきたけど


なんと、

ただそこにいるだけで、

あなたは素晴らしい!


んだってさ。



そこにいるだけで、

誰かの心の支えになっていて


誰かが安心するんだって。


誰かの力になってるんだって。



そんなの信じられる?


でもそうなんだって。



…そうか。


命は存在するだけで

素晴らしいのか。


うん。

じゃあ、まあ、いっか。






午前2:35にて自問自答おわり



寝よ。


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