英雄の悲劇


 かつて英雄がいた。

 二千年ほど昔、ウーレン族らしい燃える髪と瞳を持ち、炎のような馬を駆り、すべてを支配するために疾走した男。

 ウーレンの中のウーレン。すなわち、ウーレンド・ウーレンと呼ばれ、その名は魔の島を越え、人の島にまで及び、彼の地で赤い悪魔と叫ばれた英雄だった。

 砂漠の中の小国を、大帝国にまでにのしあげた男。

 ウーレンの民は、常に『ウーレンド・ウーレン』の再来を願っていた。



 ジェスカヤの王宮。

 窓辺に座って月を眺めているウーレン王は、この二千年で最も英雄と言われるにふさわしい男であろう。

 ギルトラント・モア・ウーレン。ウーレン・レッドと呼ばれる燃える髪と瞳を持ち、容姿までウーレンド・ウーレンに似ていた。

 ほぼ、魔の島を勢力下に置きながら、いまだ戦いを続ける彼の思惑は、誰も知らない。

 かつてウーレンド・ウーレンが手中に収めた人の島までも支配しようというのか、それとも、辺境の地の自治を完全に剥奪するつもりなのか。

 満たされることのない野心――征服欲が、彼を戦いに駆り立てているのだろうか? 過去の英雄同様に。

 いずれにしろ、彼が英雄らしくあればあるほど、ウーレンの民は歓喜した。


 月を睨みつけたまま、いまだ髪もほどかない王のもとに、銀色の巻き毛の美しい女性が歩み寄った。

「ギルティったら、苦虫をかみ締めたような顔をしているんですもの。そんなにお世辞を聞くのが嫌だったの?」

 エーデムの姫にしてウーレンの王妃・フロル。セルディとアルヴィの母である。

 彼女は、日中ここぞとばかり近寄ってくるウーレン貴族たちや商人たちにうんざりしていた夫の姿を思い出して、笑った。

「ウーレンド・ウーレンのごとき……。俺には、ほめ言葉に思えないな」

 ギルトラントは、昼間しっぽを振っていた愚かな取り巻きたちを、あざ笑うかのようにつぶやいた。


 ウーレンド・ウーレンのごとき……は、歴代ウーレン王にとっては、最大の賛辞である。

 ギルトラントの母・ジェスカ皇女も、自らを「ウーレンド・ウーレンの生まれ変わり」と名乗ったし、ギルトラントの兄皇子には、ウーレンド・ウーレンの本名、すなわち「シーアラント」という名前をつけている。

 王をたたえるのに、これほどふさわしい言葉はないのだ。


「だが、俺はそんな英雄にはなりたくない」

「あら? どのような英雄になりたいのかしら?」

 ギルトラントの赤い瞳が一瞬光った。

 エーデム出身のフロルが戦争嫌いなのは、誰でもよく知っていることだ。最近、戦いで遠征ばかりの夫に不満を持ち、それが言葉に嫌味な雰囲気を醸し出す。

 フロルは、つい、余計なことを言ってしまったことに後悔し、慌てておどおどと付け足した。

「…;だって……ギルティは何も教えてくれないから……」

 物事をはっきり言ってしまう性分のフロルだが、さすがに語尾が弱々しくなり、うつむいてしまった。

 争い嫌いの彼女にとって、戦いに明け暮れる夫の姿は、実に堪え難いものである。戦いの意味がわかれば、まだ心は休まるだろう。だが、何を言っても、夫は考えを変えもしなければ、打ち明けもしないのだから。

 いつも同じ、たった一言。

「俺を信じろ」

 それだけだ。

 でも、信じることができるから、フロルはこの地に身を置いておくことができた。

 ウーレンの血に誇りを持つ彼が、自身の中に宿る野心や征服欲だけで、血を流すはずはないと。 


 エーデム族とウーレン族の確執の歴史は長い。

 ウーレン王・ギルトラントは、エーデム王の妹・フロルとの婚姻をもって、エーデム王国との和平を図った。

 お互いに深い憎しみを抱きながらも、努力によってエーデムとウーレンは平和を保った。そしてギルトラントは、対立する隣国を次々と撃破し、魔の島をほぼ手中に収めた。

 婚姻によって、エーデムの力を利用したのもウーレンド・ウーレンの手法。多くの民人たちが、現王をこの英雄と重ねて賛辞することも不思議はない。


 だが、ウーレンド・ウーレンの生涯には、常に闇もつきまとっていた。

 彼はエーデムの姫を略奪して妻とした。そして、自らエーデム王を名乗り、かつて神の子孫とまでいわれたエーデム族を貶めたのである。

 エーデム王族のみが解放できる大いなる力・エーデムリングを利用するために、彼は人質として姫を利用した。そして、エーデムリングの力ゆえに、大いなる偉業を成し遂げた。

 エーデムとウーレンの争いと憎しみの歴史は、ウーレンド・ウーレンによってもたらされたともいえる。それは、いまだに根強く残り、魔族たちの統一を難しくしている。

 ミライの大学に眠る秘蔵の歴史書には、華やかなウーレンド・ウーレンの表の顔のみではなく、生涯孤独だった彼の悲劇も語られている。

 若い日々を大学で過ごしたギルトラントは、ウーレンド・ウーレンと呼ばれた英雄の裏の顔も知っていた。

 ウーレンド・ウーレンは、野望のために愛を得ることができなかった。

 エーデムの姫を略奪して手にいれておきながら、心を手にいれることはできなかったのである。

 エーデムの姫に子供が出来た時、銀髪ゆえに彼は自ら赤子に手をかけた。

 ウーレンの血が、混血によって汚されることを嫌い、その後は側室を置いた。

 このことが、姫の心を大きく引き裂き、最終的にはウーレンド・ウーレンの運命をも左右することとなった。

 彼の死は、その輝かしい生とは対象的に、何ともあっけない些細な原因だった。それは、ほとんど一般的に知られていない。


「俺は嫌だ。人に恥じない生き方をして、初めて万人の王となれる。ウーレンド・ウーレンのような生き方はしたくはない」

 王は王妃の頬に触れる。

 赤い瞳に残酷な血の色はなく、温かなな炎が揺らめくようだ。

 王妃も緑の瞳を潤ませる。

 この二人の間には、政略以上のものがある。

 その事実を知っている者は、両国の民人に意外と少ない。

 そっと交わされる口づけに、どれだけの想いが込められているのか、知っているのは二人だけだ。


「ギルティ……。セルディのことだけど。あの子はあなたの優しい言葉を待っているみたい」

 フロルの言葉に、ギルティはちょっと困った顔をした。

「今日の事件は知っている。リナが目くじら立ててきたからな。セルディを侮辱したとかで、アルヴィが大暴れしたらしい。アルヴィは、性格がおまえに似ているから、思ったことはすぐに行動する」

「ンも! 私はちゃんと考えて行動しています!」

 プンプン怒るフロルを、ギルティはぎゅっと抱きしめて動けなくしてしまう。

「……セルディは、俺に似ている。だから、時々困る」

 腕の中でじたばたしていたフロルの動きが止まった。


 セルディが生まれた時、ギルティは一瞬、顔色を変えた。

 母親と同じ銀色の巻毛の皇子が、どんな運命に翻弄されるのかと思うと、胸が痛んだからである。

 ウーレンド・ウーレンも、同じ気持ちでわが子の行く末を案じ、手に掛けたのであろうか?

 バカなことだ……。俺が守ればいいことなのだ。

 素直に子供が生まれたことを喜べなかった自分に、ギルティは腹が立った。

 成長するにつれ、セルディは自分の置かれている立場を痛感していくようだった。

 緑の瞳は、自分の赤い瞳とは正反対の色だ。しかし、中で揺れる思いは、まさに自分が幼い頃に感じたものと同じだった。

 ギルティは、母に疎まれて異国で育った。ウーレンの血を証明し、ウーレン族として認められたかった。

 セルディは容姿こそまったく似ていないが、幼い頃の自分に生き写しではないだろうか。

 気持ちがわかるから余計に、ギルティはセルディに接することを苦手とした。

 より、心を砕いているにもかかわらず、何の屈託もなく甘えてくるアルヴィのように、気軽に触れることができなかった。


「……何でもいいのよ。あの子は、父に話かけてもらうだけで、きっと楽になれる」

 フロルはそっと提案する。

「……そうだな。そうしよう……。今度、帰ってきた時には……」

 ギルティはつぶやいた。

 明日、また人間の島が見える遠い地まで出かけなければならない。

 紛争を収めたら、今度帰ってきたら……。

 照れくさいことだが、セルディと遠乗りでも行こうか?

 愛していることを、どのように伝えようか?

 しかし、ウーレン王に今度はなかった。

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