【侯爵と夫人と王都デート】


【本編後】



 春爛漫、太陽の光は強すぎず柔らかな光でもって人々を温かい陽気で包み込む。

 ウィンドリー領、領主邸の庭の花壇には咲くべき季節を迎えた花々が色鮮やかに花開いている頃。

 城で催されたパーティーから二日、ウィンドリー夫妻の姿は揃って王都の街中まちなかにあった。



 王都に所有する屋敷から乗ってきた馬車を道の端につけ、降り店が並ぶ道を歩きはじめると、王都自体が二度目だというディアナは大きな白い帽子を手で少し上げながら店だけでなく物珍しそうに周りを見渡している。

 従者と侍女はおらず、馬車も降りた今御者もおらずリュークとディアナの二人だけ。

 横に並んで歩きながら妻のきらきらした翡翠の輝きを見ていると、リュークの表情はほころんでしまう。言うまでもなく外で緩ませることができる限界まで、である。

 そんなこんなでリューク自身にとっては周りは珍しいものではないし、それよりも彼女を見ている方がいいのでディアナにばかり眼差しを注いでいた。

 と、きょろきょろと小動物のように辺りに視線をさ迷わせていたディアナと、目が合った。

 自分の方を見ているとは思っていなかったのかぱちぱちと大きな瞳が瞬かれ、次いでその顔にふわりと微笑みが生まれる。

 歩みを止めてしまいそうになった。


「リューク様、連れてきてくださってありがとうございます」

「いやこれくらいたいしたことじゃない」


 むしろ察することができなくて帰ってしまう前で良かった。


「それより何か気になるものはあるか? あれば言ってくれ」

「い、いえっ、そんな…………あの、わたしはこうしてリューク様と歩いていられるだけで楽しいです」


 天使か。


(可愛いすぎる……)


 頬を紅潮させた妻の今度は恥じらいちらつく微笑みに、瞬間リュークは照れよりも動揺が隠せない。

 つばの広い、彼女には大きすぎて周りが見えにくいのではないかと思っていた帽子だったが、用意した侍女の最良の選択に感謝する。

 屋敷ならまだしも人の行き交う道でなので隠してしまいたい。

 帽子の下からゆえに、ちょっと顔が隠れていることが恥じらっている様子をさらに掻き立てているので、どうか。ますます自分以外の誰にも見せたくなくなる。

 とにかく、ちょうどすれ違った男が妻の可憐すぎる笑顔を見ていたかと思うと許しがたい。

 視線を向けると、男性はびくっと肩をおおいに跳ねさせ、顔色を悪くして走り出した。何だ。


「そうか」


 リュークはというと、周りに視線を配りつつ頷く。

 しかし、無欲すぎる。

 透明で、反射によりこちらの姿を写すほど曇りないガラスの向こうを目にして思う。


 ディアナは無欲だ。

 今まで、今も隣を歩く彼女を飾っているドレスにしろ胸や手首を飾るアクセサリーにしろリュークが用意させたものであってディアナから「望まれた」、というものではない。

 彼女は花を育てたい、とか出かけたい、とかねだるというより律儀に些細なことに許可をもらいにくるくらいで「もの」をねだることは全くないのだ。

 遠慮がちであるのは、どうやら打ち解けていないとかではなく性格であるようなので仕方がないこと。……しかし夫である身としては、彼女が欲しいと思うものをあげたい。


 ディアナと結婚してから王都へ訪れるのは今回が初。約一年前に、彼女に会い結婚した。どうなることかと思ったこともあったが、想いも通じた。

 この機会に……。

 王都の細工師の腕は国一良い。

 いいかもしれない。ひとまず彼女に聞いてみようか。彼女に遠慮させず、それだけで終わらず欲しいものを引き出せるかはリューク次第。

 リュークは行き先を伺おうと隣を見る。


「ディアナ今から…………ディアナ?」


 いない。

 見た先に、妻の姿は、なかった。目を見張りすぐさま確認した前後左右、どこにも。

 幾度か確かめる。

 歩みを早くした覚えはなく、それだけは気を使っていた。ディアナを置いていく、疲れさせるなど言語道断。しかしながら、いない。ということは、彼女は小柄だから人の影に隠れてしまって見えないのだろうか。

 いつ。どこに。


 ――『リューク様がいらっしゃるのであれば、どうぞお二人きりで』

 ――『ディアナ様と離れませんようお願いいたします』


 甦るのは、前夜に屋敷で今日のことについて話し合ったときの従者と侍女の声。言葉。

 リュークならば供がいなくても大丈夫だろう。だから気を使って二人でどうぞ、と。

 言われなくとも気をつけていた、はずだった。

 直後何か思うより先に踵を返し来た道を戻り始める。

 人にぶつからぬよう、しかしもちろんただ一人愛しい存在を見つけるために周りに隙なく視線を向ける。

 すれ違う女性。女性。

 彼女と似たような色のドレスを着ていれども違う。彼女ではない。


(ディアナ、どこにいる)


 なぜ気がつかなかったのか、と自分自身に怒りを覚える。

 王都の治安はいいとされるが、どこもかしこも隅々までという街などない。王都で国一大きな街だからこそ、色々な者が集まり隅々にまで行き届かない。

 実際の時間は五分と経っていないかもしれないのに、とても長い時間経っていると感じるのは、彼女がいないこと、目に映らないことに動揺しているからだ。

 まさか誘拐――悪い考えが顔を覗かせる。いいや誘拐しようとして近づく気配を逃すはずない。

 けれども本当に、一体いつの間に……頭の中が幸せボケしていたことは間違いない。

 このまま彼女が中々見つからないのであれば巡回している警ら隊を取っ捕まえて――


 そのとき目が素通りすることなど不可能とばかりに惹きつけられた場所。

 可憐な姿は壁際にあった。

 その姿を少し捉えただけで息を少し吐いた。

 それでいち早くその元へと足を向けるリュークは妻の全身を確認するより前に、彼女の目の前にある男の姿を見る。

 明らかに偶然同じ壁際に身を寄せている、とかではなくディアナの前にいて話しかけている。距離が近い。

 その時点でリュークの頭は沸騰しかけたが、我慢して足早に近づくと男が妻に何か話しかけている内容が聞こえてきた。


「――お嬢さん可愛らしいからおまけしておきますよ、ほら、その身なりじゃどこかのお嬢様でしょう? 頼みますよ」


 押し売り。この行為自体認められたものではないが、それ以上にやっと垣間見えたディアナの顔は不安そうを通り越して怯えている。俯き気味で、手は握り合わせられている。

 彼女の笑顔を見られるより――僅差だが――許しがたい行為だ。

 一秒で結局沸騰した頭は、一秒で冷える。

 真っ直ぐに斜め後ろから最短距離で男に忍び寄ると同時にその腕を掴み、一思いに捻りあげる。


「うっ、あ、あんたいきなり何するんだ!」

「それはこっちの台詞セリフだ」


 ぎりぎりぎり、と捻り上げた腕を千切らんばかりにますます捻ってやる。何おまえが彼女と向き合ってる、だ。


「いたたたたたっ」

「俺の妻が怯えているだろう」

「う、腕が折れる!?」

「だからどうした」

「す、すみませんでした! もうしない! だから離してくれ、腕が折れる!」


 領内であればどうしてしまったか不明だ。まあ、領にはそんな輩はいないのだが。

 それはさておき、必死の形相で謝る男の腕を未だ掴みディアナから離し彼女を背後に隠した上でリュークは考える。

 警ら隊に引き渡すという当然のように浮かんできた考えがあるが……。


「……いいだろう」

「ああありがとうございます! 本当にすみませんでした!」

「今度同じ真似してみろ、腕一本折れるだけでは済まさないからな」

「は、はいいいい! すみませんでしたっ!」


 手を離すと勢いよくそう言い残し転ぶほどにさっと男は去っていった。

 どうせあの男が同じようなことを働いていれば警ら隊の目に止まる。それより今は。

 男の姿が完全に消えるまで見てから、後ろに隠した彼女の方を向く。


「も、申し訳ありませんリューク様」

「あなたが謝ることではない」


 大丈夫かと聞く前に謝られてリュークは首を横に振る。


「それより何もされなかったか?」

「はい」

「それと謝るのは俺の方だ。俺が目を離したばかりにすまない」

「そ、そんなわたしが離れてしまって、」


 少し強ばった表情に一番の後悔をし、また謝りそうなディアナの帽子の位置をすっと直してから、すべて結いきらずに垂らされている月光の色彩を映したがごとき髪にするりと手を滑らせる。

 青白くなっていた顔色が赤くなる。


「誘拐されたかと考えてしまった」

「えっ、ほ、本当にごめんなさい……」

「そういう意味で言ったんじゃない。あなたの姿がなくて焦った――だから」

「……?」

「今度は離れないように」

「――は、はいっ」


 右手を差し出し言うと、ディアナはそろそろと左手を手に重ねてくる。その感触を確かめるようにリュークは小さな手を包む。

 ディアナがこちらを見上げ、その表情に微笑みが戻る。リュークは手の中にある温かな手と微笑み、全てによってようやく心から安心し、それから再び二人で歩きはじめる。

 今度は絶対に彼女と離れないように。




 その日の夕方まで、手を繋ぎ仲睦まじい様子で歩くウィンドリー夫妻の姿が街中にあった。





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