【侯爵と夫人と寝室問題】



 食後のお茶を夫婦共に飲んでいたそのとき、その話題は投下された。


「あの、」

「どうした?」


 いつにも増して遠慮がちためらいがちな声をした妻を促したのは当然と言える行為だ。そうだろう。

 それに近頃は遠慮なんてしてほしくないと、まだまだ遠慮がち控えめな彼女に敏感だったリュークは一も二もなくそうしたのだ。

 すると、だ。


「わたしとリューク様の寝室は、ずっと別々なのでしょうか?」


 お茶を吹き出しそうになった。

 無論すんでのところで吐き出すことは堪えたが、どうにも動揺が収まらない。


「リューク様、カップが傾いています」

「お、おおティムすまん」


 発言の瞬間から俯いてしまったディアナは、あわや起きかけた惨事に全く気がついていない。

 その彼女から目を離せないままリュークはくい、とカップの傾きを修正して受け皿に置いてしまう。

 危機を知らせるべく近くに来ていた従者が代わりを注ごうかという素振りを見せるが、手だけで断る。

 動揺をひた隠しにし、落ち着き詳しく聞く。


「いきなりそんなことを、どうしたんだ?」

「ふ、夫婦というものは寝室が同じものだと教わっていましたので……」


 想いが通じ合ったのもつい一ヶ月ほど前。

 しかし半月は妻は風邪で寝込んでいたものだから、うやむやになっていたそれ。


「寝室が別なのには、なにか理由がおありなのでしょうか?」


 ちら、と少しだけ上げられた目はこちらを見上げてくる。その威力というや思わず目をさ迷わせた。


 ――リューク・ウィンドリー侯爵は妻に想いを伝えた今でもちょっと照れて、彼女を直視できないときがある。


「理由、理由か」


 確かに貴族の結婚に跡継ぎ問題はつきものかもしれない。そういう風なことをディアナは教わったのかもしれない。

 だが、リュークとしては跡継ぎ問題云々より、元々はスピード結婚ということあり段階を踏む理由があったわけで……。

 ちなみに邸内の武器問題はすでにディアナに打ち明けてある。「やはりリューク様はお強いのですねっ」きらきらした目で見られて反応に困った。

 その比ではなく、リュークは今すごく悩ましい状況に陥っていた。


「リューク様はわたしと一緒はお嫌でしょうか……」


 彼女からそんな台詞が飛んで来るものだから、思考が吹き飛んで鼓動が跳ねた。

 弾かれたように彼女に目を向けると、再び俯いているではないか。

 そして、その後ろから素通りすること許さぬとばかりの侍女から殺人的な視線が飛んできていることに気がつかされる。

 あれほどの視線を飛ばしてくるとは一体どんな教育をしているのか。

 ディアナに目線を向けるときはうって変わって姉のような目になるので、おそらく彼女のことを言っているのには間違いない。

 しかし、リュークにとて言い分がありこの問題は安直に行きたくなかった。


(ティム!)


 こういうとき従者に助けを求めてしまうことが最近癖になってしまっていて、侍女に落ち着けという目をしてから目だけ動かして従者を見る。

 控えている従者はというと、何度か瞬き、女主人の元に控えている妹と視線を交わして向き直る。

 リュークとディアナを両の手のひらで示し、どうぞというように前に押し出す動作。

 声は出されず、口が動かされる。

 ――「夫婦間の問題、ですので」


(どうしろというんだ!)


 頭を抱えたくなった。けれど主張は正しい、正しいのだ。

 それでどうしようもなくなって急ぎ頭を全力で回転させる。どうすればいいのか。最善なのか。

 まず、何を言えばいいのか。

 言うまでもなくリュークが寝室が一緒は嫌だとか思うはずない。むしろその反対だ。

 しかしながら、はたして寝室が一緒で緊張しないか、隣に彼女がいて眠れるか。その前に、彼女に触れることは――

 考えただけですごく悩ましい。

 思考放棄して想いに任せたくなるほどになっていたが、失敗はまずい。


「少しお茶が温くなってしまったようですので、温め直して参ります」

「もう寒いですから仕方ありませんね兄様。うんと熱くしてきましょう」


 その短い間にどんなアイコンタクトをとったのか、突如大根芝居をうって従者と侍女兄妹は出ていった。


(本気かおまえたち……!)


 この状態で?  とリュークは目と耳を疑った。

 温くなっていないだろうとか言いたかったが、やめた。気を使ってくれたのは確かである。しかも声をかける隙を与えないようにか素早く出ていった。

 音も立てられずドアは閉められた気配を他所にますますリュークは考える。

 で、あるひとつの考えに行きつく。


 いや待て。別に彼女は単に共に寝るということだけを言っているのかもしれない。

 リュークはちょっと冷静に慎重に考えてみた。彼女に関することは慎重になりすぎることはない。ぎりぎり弱気ヘタレとの境目を探らなければならないことが難点ではあるが、大丈夫だ。

 意を決し、リュークは立ち上がった。

 少なくとも彼女の思いが分からなかったときよりはいい状況であり、寝室が同じであることはいいようだ。

 俯いているディアナの元へ行き、顔を上げさせるのではなく膝をついて彼女を覗き込む。


「りゅ、リューク様……」

「ディアナ、聞いておきたいことがある」

「なんでしょうか……?」

「あなたは俺と同じ寝室でもいいということか?」

「は、はいっ、リューク様と一緒に寝たいです」


 ぽっ、とその時点で照れたように頬をおさえていた (同じくこの時点でリュークは顔を覆いたくなった) のであるが、リュークはあと一押し、一確認する。

 女性にこれを聞くのはあれだと分かってはいるので、なるべく直接的にならないように。なるべく……。


「あなたはそれが夫婦間でどういうことを表すか分かっているのか?」

「えっ」


 慎重にリュークが尋ねたあとディアナは声を洩らし、それから顔を真っ赤に染め上げていく。

 どうも理解はしているようだ。それにしても……。


(ちょっと待てこれ何だ、これでお預けくらったら俺はどうすればいいんだ)


 今すぐどこかに連れ去ってしまいたい衝動に駆られるまでに至る。話の内容にも原因はあるだろう。

 そんなこんなリュークが人知れず我慢することそれほど経たず、ディアナが小さな唇を開く。


「はぃ……」

「……え」


 今度は、リュークが意味のない声を洩らす番だった。

 恥じらいに頬を染めつつも、彼女はそんなリュークに目を合わせてこうも言う。


「わたしは、リューク様になら……」

「――ディアナ、無理はしなくていい」

「無理ではありませんっ。……あの、リューク様がそう思ってくださっているのなら」


 ――わたしはリューク様をあ、あのあ、ぁぃしていますから……

 潤んだ翡翠の瞳は、ここまでくると凶器である。リュークは胸を貫かれたように、動けなくなる。

 否、貫かれた。


(…………これは、)

「妻にしてくださると、リューク様は言いました……」

(駄目だ…………)


 どこまでこちらをぐらつかせることを言ってくるのか。これでは本当に選択肢はひとつしか見えない。彼女に触れたいという欲求がむき出しになってくる。


「――ディアナ、」

「はい、リューク様」

「俺はあなたを愛している」

「は、はい。わ、わたしも、リューク様を愛しております」


 二度目、「愛している」に照れる。たぶんもう隠せていない。ディアナも顔を赤くさせているから、おあいこだろうか。


「だから実はあなたのことは一部の隙なく俺のものにしたい」

「は、はい」

「今夜、俺のものになってくれるだろうか?」


 最後には素直に。


「はぃ」


 真っ直ぐに見つめた彼女は、小さく、恥じらい残しながらもそう言い頷いた。

 実はもう途中から我慢ならない感じだったリュークは、返事をもらうやすぐにディアナをそっと抱き上げる。


「――きゃ、りゅ、リューク様。あの、わたし歩けます」

「俺が連れていきたい」


 言って唇に触れるだけのキスをすると、彼女はしがみついて小さくなってしまった。

 そうしてリュークは部屋を後にした。







 この日からウィンドリー夫妻の寝室は一緒になった。

 従者は主人の歩みにヘタレとうとう完全脱却かとしみじみ頷き、侍女はにこにこと女主人の悩みを知っていただけに嬉しがり、乳母は喜びの余りに泣いたそうだ。





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