胸の内



 リューク・ウィンドリーの剣の腕荒事の腕はというと、場合が場合――兄が一人でも生きて家督を継ぐ事態にならなければ――であれば軍に入るための学校にも行っていたし、おそらく国軍のいいところまで出世できただろう身分だけでなく、実力も折り紙付きなわけであった。

 父の友人の剣豪に剣術を習ったこともある。

 つまりは雑魚が何人いようが瞬殺できるくらいには彼は強い。



 邸を出てから、協力的すぎて一緒に追いかけに行きそうなくらいの領民たちの目撃証言を元に行くべき方向は定められ、あとは追い付くだけ。

 リュークは後からついてくる従者をぶっちぎって、どんどん強くなるばかりの雨の中を愛馬を駆っていた。


「おまえたちが最後だな」

「ひ、ひいいぃぃい、待ってく――」


 山賊は全部で五人。ここにくるまでに三人すでに狩っており、雨でぬかるむ道の先仲間を見捨てて必死で逃げていた二人に難なく追い付く。

 一人がもう一人より遅れていてリュークが横に並ぶと共に止まらず昏倒させる。あれは従者に任せよう。

 そしてそれからほどなくして。


「待てよ! あんたの奥さんどうなってもいいのかこらあ!!」

「ああ俺の妻だと分かっていたんだな」


 馬から降りたリュークは小さなディアナを乱暴に前に突き出し盾にしている大柄な熊みたいな男を見据え、ゆっくり歩み寄る。

 剣は腰にある状態。


「そうだ! 返して欲しかったらなあ――」

「悪いが俺はそこら辺の悪党に脅されるほど弱くはない」


 後ろ向きにずりずりと下がる途中足をとられた隙を逃さず肉薄し、彼女を引き剥がし同時進行で拳を叩き込む。

 一発、二発、三発。最後に蹴り飛ばすと、ばしゃばしゃと音を立てて転がった男はぴくりとも動きを見せなくなった。

 それをしっかり目視で確認し、ディアナを抱き込んだ腕の力を弱める。


「怪我はないか、何もされなかったか、寒いだろう」


 この手に取り戻した彼女はずぶ濡れで、震えている。

 雨は依然としていきおい止まず、それでもリュークとディアナを濡らす。これほどの雨では気休めだが、コートをかける。

 そのために手を離した瞬間、ディアナがゆるゆると座り込む。


「すぐに邸に帰ろう」

「ごめんなさい、すみません、ご迷惑をおかけして……」

「迷惑ではない」


 何を言っているのか、と何だかいつもより小さく見える彼女の濡れそぼった髪を避けて顔色を確かめようと覗き込むと、彼女は泣いていた。

 確かにそれは雨のせいでなく、目が潤み目から雫が落ち雨の水滴に混じってゆく。


「危険な目に合わせてしまいすまない。痛むところはないか?」


 ざっと確認して怪我はないが、あざはあるかもしれない。

 そうなれば、生け捕りにした山賊をどうにかしてやらねばならない。


「あ、ありません。ごめんなさいこんな雨の中、リューク様がお風邪を召されてしまいます」

「俺は十年くらい風邪を引いた覚えはないから平気だが、問題はあなたで――」

「わたしは、これ以上リューク様のお邪魔をしません。だから、だから、」


 ぼろぼろとますます涙を流し、詰まりながら何事かを訴えてくるディアナ。

 様子が変だ。どうしたというのか。


「わたしは、わたしは何も返せません。貰うばかりで、大人しく邪魔にならないようにするしか考えつきません。……何を返せばよろしいのですか。あまつさえ、こんなことになって迷惑をかけて……わたしは何の役にも立てないばかりか……」

「何も返そうとしなくてもいい。役に立とうとしなくてもいい」

「それならば、わたしは、」

「どうして謝る。迷惑なんていくらでもかければいい! あなたがそれを迷惑だと思っても俺は迷惑だなんて思わないだろう」

「でも、」


 彼女は縮こまり目線は合わず、どこまでも首を小さく小さく振る。

 震えは本当に寒さからくるものだけだろうか。


「わたしは、リューク様に相応しい身分の娘ではありません。きっとそれは分かっておいででしょうが、わたしは」

「俺は、」


 声を遮る。言いたいことと言わなければならないことがあった。彼女にこれ以上喋らせる前に。


「俺は以前あなたに二度こう言った。ただ健やかに過ごしてくれればいい、と。そうだな」

「は、はい」

「だが、」


 息継ぎなど必要なかったはずなのに、知らず知らずの内にひとつ息を吸う。


「だが、強いて言うならば、俺はあなたにあなたの心が許す限り俺の隣にいてほしい」

「わたしの心が……?」


 両手を握り合わせ震えながらそろそろと目線を上げて戸惑いに揺れる目を捉え、その手を掬い上げて深く頷く。

 弱気はやめた。

 今、ここで言わなくてどうする。


「そうだ。俺はあなたのことが好きだ。だから、結婚をあのような形で申し込みあなたのことも考えず無理強いをしてしまったことを謝りたい。あなたが嫌だと思えば――全て遅いと言われても、どうにかして俺はその全ての責任を取る」


 それでも言われもしていない聞かれもしていないことまで捲し立ててしまったのは、従者がいたならヘタレだと言われただろうか。

 案の定、ディアナは一気に与えられた情報により戸惑う。


「この結婚、は」

「王太子殿下が俺があなたに惹かれていることを知って、進めてくださったものだ」


 聞かれたことにもはや隠すことせずためらいなく明かす。いずれ、話さなければならなかったことがここで一気に吐き出されている。


「わたしの、ことが? リューク様が……?」

「ああ、あの日あなたにはじめて会った日からあなたの虜になり、誰よりも――愛している」


 あの日から惹かれて止まない、けれど中々近くで直視できなかった翡翠の瞳が見開かれる。


「で、でも、」

「なんだ、なんでも言ってくれ」

「……あの、」

「頼む、あなたの思っていることを知りたい」


 どれほど好きだからといって、相手が考えていることは分からない。全部を知ることなどどんな夫婦にとて無理かもしれない、ましてやリュークになど。けれども、今言ってくれるかもしれないことは聞いておきたかった。ひとつも漏らさず。


「リューク様は、わたしにご興味がなかったはずで……っ」


 胸に突き刺さる言葉である。

 よろめきそうになって、膝をついた。

 明らかに、心当たりがある。自らの行動・態度。


「それは、」


 返答は持っているが、こればかりは情けなすぎて答えに窮する。

 しかし、その様子にどう思ったのか彼女の不安げな恐れさえも過っているような色が増す。

 ――『変なことを聞いてすみません』

 以前、結婚に関して聞かれたときと重なる。あのときは、彼女は無理に笑ってみせた。

 同じ過ちを繰り返してはならない。


「これを言うと、かなり情けないことになるのだが」


 歯切れ悪く前置きして、


「あなたを前にすると上手く身体が動かなかった、というか言葉が出てくれなかったというか、」


 これが回ってきたツケか。

 それでももう目を逸らすことは止めると誓ったばかりなので、何とか目を合わせたまま言い切る。


「つまり、緊張していて」

「……緊張?」


 ぽかんとして問い返されてしまった。首を傾げる様が可愛らしい。そして数秒、リュークは今までになく恥ずかしいやらどう思ったのかやらで相手の反応をじっと待つ。


「まさか、リューク様がわたしを前に緊張なんて……」

「本当だ。今まで冷たい態度だと思われていただろうが、それは俺の本心ではなくて……」


 ディアナが目を丸くする。

 リュークは思い立ち、とった小さな手を包み込み翡翠の瞳を見つめる。


「今、改めて俺から申し込みたい」

「なに、を」

「あなたを誰かのものにするなど耐え難い。あなたを愛している。――俺の妻になって欲しい」


 言って口を閉じてから、どくどくと鼓動がうるさく打っていることを感じ取る。緊張、しているのだと余計に感じさせられる。

 彼女の花弁のごとき可憐な唇が震え、開く様がやけにゆっくりと感じられ、聞きたくないと訴える自分が出てくる。


「リューク様は、おかしいです」


 ゆっくりと、彼女は言った。

 リュークの中はさっと真っ白になる。


「――わたしの心は、もうあの日からあなたのものですのに」


 しかし、二言目に妖精は泣きながら微笑して、信じられないことを言った。


「リューク様がわたしを妻にしてくださり、嬉しかったのです。……もしも、リューク様があの日会ったからと気まぐれにわたしを選んだとしても……」


 ほっそりとした指がリュークの手を握り返してきた。目は、逸らされていない。


「わたしは舞踏会の夜、リューク様に恋をしました」

「……え、」


 リュークは硬直し、泣きの割合の強くなってきたディアナを見つめる。言われていることが上手く理解できなかった。


「あなたのことをお慕いしています、リューク・ウィンドリー様。――どうか、わたしを妻にしてください」


 まさに――まさに、運命の日と呼べる舞踏会の夜のように心が震える。止まらない。手までが微かに震えてしまったことを彼女に気がつかれていないといい。

 歓喜の渦がわき起こることをひしひしと感じる。


「ほん、とうか」

「はい、……っ本当です。わたしは幸運です」


 嘘だ。

 だが、彼女はこちらを見て手を握り返してくれて離れない。

 そうして沈黙――心地のいい沈黙の中歓喜の渦を存分に味わい、共に起こった改めての決意を彼女に誓うべくまた口を開く。


「ディアナ、きっとこれからあなたのことを大切にすると俺は誓う」

「わたしは、わたしは、リューク様のお隣にいることを、誓います」


 雨が降りしきる中、リュークは初めて彼女を抱き締めた。



 ◇◇◇



 抱擁を交わしたとき増えるばかりの歓喜に満たされていた侯爵だが、我に返ったのはやはり雨である。

 雨に身体を打たれた夫婦の内、侯爵閣下はくしゃみひとつしなかったが可憐な侯爵夫人は熱を召されてしまった。

 侯爵邸ではその間中うろたえる侯爵の姿があったとか。

 領主の奥方の熱情報に領民からのお見舞いの品は途切れることはなかったそうだ。






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