作戦会議




 次の日、王都に留まるウィンドリー侯爵は領地にある本邸ほどではないが、大きな屋敷の一室に従者と籠もっていた。


「王都にいる内に――いやそれが叶わなくとも出来る限り早く彼女を射止めるぞ」

「……はあ」


 ウィンドリー領の本邸とは趣異なる執務室で、リュークは机に肘をつき、手を組み合わせる。

 重要会議の声音で言われたことに気の抜けた相槌を打ったのは、机の前に立っている従者だ。

 舞踏会から戻ってきて夜が明け、朝日が昇り部屋に一筋うっすらと光が射し込むまでリュークはほぼ一睡も出来ずに起床することになったが、舞踏会での疲れも感じなかった。

 そのまま睡魔が襲ってくるのを待つような性格ではないし、待っていても眠れないような気がした。

 一重に自らの心に言いようのない衝撃を与えた「彼女」の存在がとにかく頭から離れない。

 そういうわけで、昨夜と言ってはいるが日付を回っていたので厳密には今日帰ってきたはずのリュークは早朝も早朝に起き、従者を緊急招集していた。

 開口一番放ったのは、「作戦会議だ」などと、いう戦でも起こるのかという雰囲気での言葉だった。

 それだけにぽかんとしている従者を放って、リュークは話を進めていく。


「昨夜の舞踏会で、衝撃的な出会いをした」


 言わずもがな、脳裏に浮かぶは庭園で襲われかけていた令嬢。


「はあ」


 これにも従者は気の抜けた相槌を打った。

 普段ならば一喝するところだが、本日のリュークは普段ではなかったので気にならない。他のことで頭が占拠されている。


「出会いとは、どこぞの――失礼致しました――どこかのご令嬢でしょうか? 舞踏会で、ですよね」

「無論だ」

「失礼ながら、お名前は」

「ディアナ・フレイア」


 ちゃっかり昨夜、人のいい笑顔のままで聞くことに成功していた名前をリュークはゆっくりと発音する。

 何度反芻したか分からない名前。覚える努力などしなくても顔と名前は離れない。


「それに同行者も分かった。結局彼女が共に帰ったのはイズリー男爵とだったな。あの男爵に彼女のような娘がいたか? いやそんなことまで把握していないが」

「リューク様、昨夜珍しく遅くていらっしゃったのは、まさか……それを確認するために……?」

「そうだ」


 余計な言葉を付け加えることなく、頷く。


「あとで私にでも調べさせた方が良かったでしょうに」

「俺が、昨夜、俺の目で確かめたかった」

「そうでいらっしゃいますか……」


 従者が息をひとつ吐いた。

 どうしたんだこいつ、とリュークは首を傾げる。眠いのか、と目が冴えている彼が見当違いな気遣いを口にする前に、


「リューク様、ひとつよろしいでしょうか」

「なんだ」

「ディアナ様を――えーとですね、その、射止めてどうなされたいのですか?」


 先の展望に関する問いがためらう様子でされた。


(どう、したい?)


 そんなこと決まっている。


「俺のものにしたい」


 あのとき感じた震えは、歓喜。

 ――彼女だ、と。

 瞬間、心から渇望した。自分が欲しいのは彼女だ。


「それは、娶られたいと」


 確かめるようにしっかり区切られて問われたことに、リュークは突如真顔になった。


「な、なぜ無表情になられるのですか」

「考えただけで顔が緩みそうだから自粛している」


 厳かにリュークは答えた。

 娶る。彼女が自分の傍にいてくれるということだ。そうなったならば、いかな歓喜の渦に巻き込まれるだろうか。

 しかしそれは、現状を考えると途方もないことに思えた。


「顔が、緩むですか」


 今日は従者の聞き返しが多い。けれども、聞き取れていないわけではないようだ。


「ティム、俺は分からない」


 バンッ、と感情に乗せて机を叩いた音で従者が少し目を見開く。


「どうすれば彼女に俺という存在に気づかせ、射止められる」

「……昨夜は、絶好の機会だったのでは」

「初対面だぞ!? それにそれどころじゃなかった!」

「何かあったのですか」

「少しの間とはいえエスコートして、手を取れたんだぞ? あの、可憐な存在を……あんな場所じゃなかったらどうしていたか分からん!」

「あんな場所って王城でしょう」

「ああ良かった王城で。そんなことしていたら嫌われて俺は不幸のどん底に落ちていた」

「何するつもりだったんですか、あんた」

「男だろ! 分かれ!」

「申し訳ありません……そうですか……」


 従者は神妙な顔になる。その前には、昨夜衝動に身を任せなかった自らを褒めたいとのたまう主人。


「というか、婚約者はいないのか。昨夜はそれらしき奴はいなかったな。だが、あんなに可憐なのに?」


 リュークは止まらない。止められない。

 あの美しさと可憐さを持ち合わせる令嬢に婚約者がいないはずはない。

 そう考えを至らせると、焦りが出てきた。


「それも含め、調べておきます」

「今日中だ」

「承知いたしました」


 従者は恭しく頭を下げ二つ返事で主人の命を請け負い、対するリュークは頷く。


「というわけで、効率よく確実にディアナ嬢を落とす計画を建てる」 


 再びその話題に戻り、リュークが口にしたのは短期間・効果的。


「どこかの小城でも落とすような言い方やめてくださいリューク様」

「一緒にするな! どこぞのそこそこの城を落とすなんて簡単だ! 時間と金と兵があれば出来る!」

「私が言っておいてあれですが、あまり大きな声でおっしゃらないでくださいね。誤解されかねないので。それにしてもさようですか……しかし似たようなものだと思われますが」

「……つまり?」

「口説き落とす時間、金は即物的であれですがそのための贈り物と考えると同じでしょう」


 兵はリューク様でしょうか? という従者の言に当のリュークは黙り込む。


「時間と言ってもな……理想は王都にいる内に成すことだな」

「いや、時間かけてくださいよ」


 直後、従者にだめ出しを受けた。


「それは保留だ。まず効果的な一手をうたなければならない」

「最も効果的に出来たのはまさに昨日でしたでしょうね」

「時は戻らない。過ぎたことは必要以上に引きずっても仕方がない」

「開き直ってらっしゃると……はいすみません、そんな射殺しそうな目をしないでください」


 そこまでの目はしていない、とリュークは思う。まあ睨みはした。

 謝った従者が逸らしかけた話を元に戻す。


「効果的な一手。贈り物ですか」

「そうだ。だが俺には世の女性が喜ぶ贈り物に心当たりがまるでない」

「そうでしょうね」

「いったい何だ。……宝石か? 装飾品か? あとは……ドレスか?」


 頭を振り絞って出てきたのはそれくらい。参考にしたのは、一番手近な記憶の昨夜の舞踏会の光景である。

 昨夜の当の彼女はあまり装飾品の類はみられなかったものの、あの大きな瞳の色に合わせてエメラルドならば――大粒のものを首飾りにでもすると、似合うだろうなと思い出しながら思い描く。


「花を贈ればいいのではないでしょうか。無難ですよ、最初から宝石とかガツガツいかれると怖いでしょう」

「そんなものか」


 昨夜見た「妖精」は状況が状況だったゆえに震えていた。ああいう風に自分が怖がられるのはごめんだ。

 首飾りはまたの機会にする方が良いようだ。と、すでに段取りをつけようとしていたリュークはひとまず案を頭に留め置く。


「そんなものですよ。あとは忘れずに存在を主張しすぎないカードをつければ完成です」

「カードって何を書くんだ」

「贈り主――つまりリューク様のお名前ですよ。贈り主の名前が分からない贈り物をロマンチックと取られる方であるのならいりませんが」

「それ、俺が書くべきか」

「可能ならば。一言添えるといいかもしれません」

「……無理だ」

「無理?」


 手間などとは全く思わない。問題はそこではなかった。


「まともに書けそうない、たぶん」

「は?」 


 カードに名前を書く。彼女に贈り、彼女の目に触れるそれを。

 想像したが、そう思うと手が動きそうにない。別に字が汚いから見せるに耐えないとかではない。

 リュークが神妙に真面目に言えば、従者が呆気にとられた風な声を出し瞬き、目を斜め上に向けてから、拳を口の前に咳払いでもしそうなしぐさをして言う。


「あー、では花束と共に用意致しますので気落ちしないでください」

「頼む。気落ちはしていない」

「本日中に着くように手配致します」


 こうして第一回「ディアナ・フレイア嬢を効率よく確実に落とす」作戦会議は無事に閉会へと向かった。

 スタートは切れて一心地ついたところで、リュークは持ち込んでおいた書類を一掴み取り出し、領主の顔へとなり目を通し始める。

 例の賊討伐要請の件は、明日行く予定を取り付けてある。今日はこのまま書類減らしに専念するのだ。


「失礼ながらリューク様、もうひとつだけ」


 伺いを立てながらの従者の声に短く促す。


「……いえ、やはり何でもございません」

「なんだ言っていけ」

「……夜会のお誘いがいくつかございますが、いかがなされますか」

「行かない」

「承知いたしました」


 おそらく答えは分かっていて聞くか聞くまいか迷ったのだろう、とリュークは流して紙を捲る。

 室内では従者が一礼して退出しようとしていた。





「今まで興味を示さなかった人に限って反動がすごいのだろうか」と、主人の執務室を退出する際、従者が呟いたとか呟かなかったとか。

 彼が侯爵が贈るにふさわしい、それは見事な花束を用意したことは言うまでもない。




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