運命の舞踏会




 紅葉美しき秋の吉日。日が沈んでから王都の城でひらかれているのは舞踏会だった。

 大広間にはやわらかな灯りを届けるシャンデリアが輝き、夜とは正反対の明るさに満ちた会場は華やかの限りを尽くされていた。

 優雅な音楽を身に受けながらリュークがその場に足を踏み入れたときには、もう舞踏会は始まっていた。彼があえて遅れて来たのだから当然とも言える。

 会場を彩る役目も果たすほど着飾った貴族の声かけをほどほどにかわして奥へと進み、リュークは現在挨拶を述べているところだった。


「――それにしても久しぶりに顔を見せてくれたな、リューク・ウィンドリー」


 王太子の声は貴族の令嬢を残らず魅了してしまうだろう美声であるが、リュークにしてみれば関係なくただの挨拶が長引くことを予感させるばかりだった。

 王太子の席に座る、確か三歳年下であるはずの若い男は完璧で非の打ち所が見当たらない笑顔をしている。


「うむ、王太子の言うとおりそなたは少々領地に籠もりきりである節があるからな。顔を見せたと思うてもすぐに帰ってしまっておる」

「陛下から賜った領地を先代のように未だ豊かに出来ておりませぬゆえ。申し訳もございません」


 王太子の隣に座する王までもが温和な笑みをたたえて恐縮なほど軽く声をかけてくる。

 どうしても参加しなければならない類の催し――それも長居せず最短期間で王都を去る――以外は領地にいるリュークはもっともらしい返答をする。

 顔にはいつもではあり得ない笑顔が貼り付けられており、貼り付けられている、と言えども端から見ると自然極まりなく、麗しい貴公子然となっているはずだ。


「そなたは父に年々似てきているな」

(それ、今年の春にも聞いた)


 などと、自国の王に言えるはずもない。

 先代ウィンドリー侯爵は王とは「ご学友」の関係にあったこともあり、加えて遠い親戚筋にもあたるらしく普通の貴族よりも親交があった、らしい。


「私などまだまだでございます」


 恭しく頭を下げ、最後までリュークはそつなき態度を貫いた。





 御前を離れると、大袈裟に言うと途端に他の貴族に囲まれる。

 多くは世間話であると見せかけて、それとなく子女をちらつかせてその手の話を持ちかけてくる。爵位持ちで独身ゆえの運命か。

 だからといってそんなくだらない運命にウィンドリー侯爵が身をゆだねるはずなく、にこりと隙なく浮かべた笑みを駆使しながらダンスの相手に令嬢をおしつけられない内にするりとかわす。

 ……と言いたいところだが、さっきかわしてみせた相手がいたようでしつこく捕まるはめになった。


「ウィンドリー侯爵はお若いときから大変でいらっしゃいましたでしょう」

「そういえばまだご結婚はなされていないようで――」

「私に一人娘がおりまして――」


 白々しい物言いから、直接的になってきさえしている。


(おいおい俺より若い未来の跡継ぎ息子でも狙えよ)


 歳がもれなく親世代の親父貴族たちは当の娘を伴っている者もいて、明らかに十五、六の少女が彼らの近くにいる。

 会場には地位はそれぞれにしろ青年貴族や跡取り息子がいるはずだが、なぜあえて自分を選ぶのか。位のためだろうが、リュークには鬱陶しいばかりだ。

 うっかり着飾った令嬢の一人と目が合って、頬を染められたかと思うと下から見上げられる形で見つめられる。

 蠱惑的な雰囲気は男からすると魅力的なものだろうが、あいにく計算されたと分かる貴族の女のそれはリュークは苦手の一言に尽きる。

 そうでなければ、とっとと結婚しているというものだ。


「そうですね。私もいずれは結婚する身となるでしょうが、今は領地を栄えさせることで手一杯ですので。せっかく伴侶となるレディを悲しませたくはありません」

「いえいえちょっとした留守中に家のことを仕切る妻がおれば時間に余裕もでき、さらには気苦労も減るでしょう」

「ははははは」


 思ってもいないことを並べ、次は渇いた笑い声をリュークが洩らすと、周りも意味もなく笑う。

 それから嘘八百を並びたてたリュークはその場は逃れることができ、次新たに声をかけられる前にとさっと広間の光が少しだけ及ぶ外に出る。

 まばゆい空間から出ると、一気に薄暗さが身を包んだようだった。しかし今のリュークにはこれくらいがちょうどいい。

 辟易した表情を徐々に隠そうはしなくなり、会場に隣接する庭園を光が満ちた方に背を向け、奥に向かっていくらか進んだ頃には不機嫌な雰囲気さえ出ていたことは自覚しているところだ。


(最低限顔は出した。あとは根回しだけだ。明日か……明後日に行ってこよう) 


 頭の中には今も自領にのさばっている賊のことがある。

 本当ならばなるべく早く、舞踏会の前に行っておきたかったところだが、そうもいかない。舞踏会の前ではいくらかバタバタしている。それに乗じてやってきてもよかったが、雑にされるのはごめんだ。

 ひとまず今夜のところはどこぞで待っている従者と合流して馬車に乗り、王都に所有している屋敷に帰りたい。


(待てよ……帰るのは早いか。早すぎると悪目立ちする)


 後ろに撫でつける感じで整えられた髪をぐしゃりとやりたいのをこらえて、記憶と宵闇で昼間とは全く異なる場所に見える場所をすり合わせ歩く。

 どこで時間を潰すのが得策か。もっと奥にでも行くか――


「――きゃ」


 子猫のようにか細い声が聞こえたのは、おそらく楽師たちが奏でる音楽が遠ざかっていたせいか。

 それとも進行方向のすぐ脇でそれが繰り広げられていたからか。どちらもが合わさった結果か。

 薄暗い中、さらに木の影でこちらに向けられ見えるのは男の背。しかし、さっきの声は明らかに女だった。考えられることはひとつ。


(奥は駄目だな……それにしてもよくこんなところでちょっかいを出す)


 進行方向で機嫌がよくないときに遭遇してしまったがために、ちょっとした悪い心が芽生える。

 リュークは足元の枝をわざと、足を高めからおろして、音を高らかにならした。いい音がしたと個人的に思った。

 びくりと小心者にも男の肩が反応した。

 振り向いた顔によって、有力貴族でないことが確認できる。リュークとて貴族だ。あらかたの他の貴族の名前と顔は一致させ頭の中に入れてある。外見から推測できる歳からして、どこぞの子息でもない。

 邪魔な音が鳴っても無視できるくらいの気概がもてないならここでやるなと呆れながら、


「逢い引きなら他でやれ」

「う、ウィンドリー侯爵……!」


 通常より一段声を低くして言えば、こちらの顔を知っていた男はうろたえる。

 予想通りその向こうには女性がいるようだが、姿は窺えない。


「これは、失礼いたしました。行くぞ」


 さすが貴族という早さで男は体勢を立て直し、詫びてから後ろに声をかけた。


「早くしろ」


 抑えたような声音にリュークは訝しげになる。互いの了解の上ではないのか。

 リュークがいるからか焦り始める男の向こうを身体の位置を変えて、どんな場所でも発揮する正義心なんて持ち合わせていないので好奇心からリュークは覗く。


 妖精がいた。


 正確には妖精と見紛うほどの可憐な少女。身につけているつややかな絹のドレスは大人しめのクリーム色。

 あしらわれているフリルは子供っぽさを際立てることなくむしろ可憐さに最大限に引き出している。

 髪は今宵の満月の光を写し取ったがごとき淡い色、涙で潤み煌めく瞳は翡翠。

 宝石のように美しい双眸は顔を覗かせたリュークに助けを求めるように見つめている。

 そのまま輝き秘める魅力で、リュークを惹きつけて離さない。

 それらを一気に目にしたリュークの頭の中に一級の楽師たちが奏でる音楽が鳴り響く。否、離れた会場で実際に奏でられているのではある。

 足が一歩、気がつけば動いていた。


「失礼だが、」

「はい?」

「そちら、貴殿の妻君か?」


 この明らかに互いの了解の上でないという状況上答えは分かっていて、それでよ尋ねる形式をとったが嘘十割の答えを待つつもりはなかった。


「違うだろうな」


 確信と自信しかなく、言う。


「何しろそちらのレディは私がまさに今探していた連れだ」


 嘘八百を。





「あ、ありがとうございます……」


 聖なるものではないというくらいに神秘的な空気をまとう少女は、男が完全に去り足音が聞こえなくなってから、か細く礼を口にした。

 しかしながら、無体を強いられようと――リューク観点、真相は不明――していたからか、長手袋に包まれたほっそりとした小さな手は胸の前で小さく握られ小刻みに震えている。

 気丈にしていようと努力していることが分かるが、視線が下に向いていることといい、成功はしていない。

 庇護欲をそそられる姿にリュークは異なる意味で一瞬身を震わせる。これまで渇き知らずで無関心だった部分にどうしようもない渇きを覚えていた。

 その衝動をぐっとこらえ、同時に自身が彼女の言葉に何も返さず黙りこくって見とれていることに気がつき、我に返る。

 こちらに翡翠の瞳が向けられていないことは不運なのか幸運なのか、何度か瞬き夢見心地のような感覚を振り払う。


「怪我は?」

「あ、ありません」

「それは何よりだ。……私などで申し訳ないが、よろしければ明るい場所までお送りいたしましょう。お手をどうぞ、レディ?」


 大広間で浮かべていた笑顔を再び顔に、努めて優しい声を、為し得る限り怯えさせないようにそっと手を差し出すことに成功はした。


 ――それを目撃していた者がいることに察しよく気がつけないばかりか、それによりどのようなことになろうか考える暇なかったことはまだ彼の知らぬところ。



   ◇◇◇



「ウィンドリー侯爵閣下の従者、ティム・バーレン殿ですね」

「はい」

「王太子殿下がお呼びです」

「……私を?」


 主人を待っている従者は失礼にならない程度に、予想外のお呼び立ての主の名に心底心当たりなく眉を寄せて考え込むことになった。




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