舐めあいジャーニー

だくねす佐倉

1章 世界と、逃避の話

第1話

 今でも時々、この日々が夢に思えてしまうことがある。

 もう自分はとっくに死んでいて、無念によって最期に穏やかな光景を見ているに過ぎないのだと。


 眠りから目を覚ます。気怠い身体をなんとか起こして、手鏡で自分の顔を映す。

 鎖骨下まで伸びる深茶色の髪。まだ十分に若い肌と、されど生気の薄い瞳。そこまで見て、生まれ変わったでもなく記憶の通りの自分が生きている、ということをようやく認識する。

 隣のベッドには、私のことをレナと呼ぶ女がまだ眠っている。

 顎先まで届く細い銀糸の髪に、何処かあどけなさを感じる顔つき。静かな寝息は、「余計なものを見ていない」証である。


 ・・・・・・夢ではない。だが、思いもよらない相手と、いつまで続くとも知れない旅を続けているこの時間は。

 ふわふわしたお伽話のようだと、思った。


 ******


「号外、号外ー!」

 新聞屋の声が石畳の広場に響く。

 煉瓦造りの家々も、人々が話す言葉も、私が生まれ育った国とあまり変わらない。そんなことに気が付くのに、随分長い時間がかかってしまった気がする。


 魔人国辺境、アルボス。

 私とゼルの二人は、都市部から南下してこの街にやってきていた。

「時代が変わるよー!」

 半ば撒き散らされるようにして配られた記事を一つ拾い、私は見出しに目を通してそれを読み上げた。

「中枢議会で新魔王の選考開始、だって」

「ふーん」

 隣を歩く彼女は、興味なさげに帽子のつばを触っていた。

 その表情はよく見えない。

「思う所ないの?」

「ないと思うのか?」

 ゼルはそう答えながら嫌そうにこちらを見上げてくる。ただ、声色に怒気は感じられなかった。

「言いたくないなら別にいいよ。でも、貴女のことあんまり聞く機会なかったからさ」

「知りたいなら幾らでも教えるのに」

 今度は一転して、こちらをからかうようにクスクスと笑う。

 彼女の銀髪と紅い眼は、黙っていれば近寄りがたい風貌にもなるのだが、こうも表情が豊かだと微塵もそんな雰囲気がない。

 取り合わずに沈黙で返すと、すぐに苦笑と謝罪が返ってきた。

「ごめんって。単に複雑なだけだよ」

「・・・・・・まあ、それもそうか」

 ゼルは、「あー」とか「んー」とか言いながら続く言葉を探している。


 少し途切れた会話の間に、近くで私と同じように号外を読んだ通行人の声が聞こえてきた。

「次代を選ぶのは良いけどよ、前の魔王って結局どうなったんだろうな」

「一応行方不明なんだっけ? 死んだってことで良いだろ、というか戻ってこないでくれ」

「まあなぁ。暴走勇者と相打ちで退場、ってことでみんなハッピーだし」

「二代続けて暗君なんてことにはならないと願おうぜー」

 隣の彼女もその声が聞こえたようだったが、足を止めることはなかった。

「ゼル」

 彼女の名前を呼ぶ。

「予定通り、デイリーボードを見に行きましょう」

「うん。そうしようか」

 こちらを振り向いた彼女は、なんだか妙に嬉しそうだった。



 デイリーボード。

 つまるところ、短期の求人募集である。

 特に専門性を求めず、人選を拘らず「兎に角人手がほしい」という時の募集に使われている掲示板で、求人を出す側の手続きも非常に簡素なものだそうだ。

 しかし、幾ら簡素な仕組みにしても応募者がすぐ集まるものだろうか? という以前私が投げた疑問に、ゼルは事もなげにこう答えていた。

「生来の気質の違いじゃないかなぁ。霊人族に比べて、魔人族は色んな意味で刹那的なんだよ。定職に就かずにデイリーボードで食ってる奴が珍しくない程度にはね」

 と、そんなものらしい。


 何はともあれ、今の私達は旅する根無し草。デイリーボードで路銀を稼ぐというのは素直な選択だった。

「モンスター狩るだけでお金を貰いたい」

「・・・・・・今どき狩り依頼なんざ早々ないからね」

 私の吐露に、呆れたような声が返ってくる。そうはいってもまだるっこしいのはあまり得意ではないのだ。困ったら取り敢えず、切った張ったで解決してきた人生であったが故に。

 ボードの前で彷徨いていると、丁度一つ依頼が増えて私達のすぐ側に掲示された。ゼルがそれをスッと剥がして確認する。

「ふむ。そこそこ割はいいけど、これどうかな」

 手渡してきた依頼書に目を通す。要約すると、ペットの捜索だった。

「え、高くない? ただの捜索でしょ?」

「お金のある老夫婦のご家族ってことじゃないの。察するに」

 私から否定の意がないと見たか、ゼルは依頼書をさっさと受付に持っていってしまう。

「レナー。依頼人、あっちの角曲がったとこだってー」

「・・・・・・・・・・・・」

 私は、生まれも育ちも霊人国である。

 ゼルと旅を初めた直後は、道行く人に感じる呪力量とか格好とか、ちょっとした自国との違いに目がいっていた。慣れてくると、今度は霊人国と同じところも沢山あることに気付くようになった。

 だが今何より身に沁みるのは、この場所が平和である、ということだった。


 ******


 デイリーボードで仕事を請け負う場合、まずはボードから選んだ仕事を受付に提示する。規約と説明に同意して簡単な記名を終えたら、依頼主の元に案内されてそこで直接仕事の指示を受ける、という流れだ。身分証明も特に必要ないのが今はありがたい。

 早々に手続きを終えた私達は、今回の依頼主である老人の元にやってきていた。

 丁度彼が自宅に入ろうとしていた所に家の門の前辺りから声をかけると、彼は鋭い目付きで振り返った。

 年の頃は60を過ぎたくらいと言ったところだろうか。背こそ少し丸まっているが、体格はしっかりしていて頑強そうな印象を受ける。

 彼はこちらの姿を認識すると、確かな足取りで数歩近づいてきてから声をかけてきた。

「早いな」

「依頼を探しているところで丁度追加されて目についたものですから。ゼルと言います」

「レナと言います」

 ゼルに倣い挨拶をするも、愛想までは真似できない。すっかり鈍くなった表情筋が憎らしくなるが、意識してどうなるものでもなかった。

「グラウだ。二人とも霊人族かね、この辺りじゃ珍しいな」

 グラウさんの反応に、ゼルは笑顔だけで答える。珍しいとは言っても、不審がられるとまではいかないようだった。

 霊人族と魔人族に見た目の差はあまりない。魔人族の方がやや浅黒い肌の人が多い傾向にあるとはいうが、それも個人差で逆転する程度のものだ。どちらかというと特徴的なのは訛りの方で、魔人族が話す言語の方がアクセントの高低に癖がある。まあそれは私から見た話なので、魔人族からすれば私達の方が癖があるのかもしれない。

 ただ、同じ魔人族でも中枢議会に席があるような地位の者は霊人族寄りのアクセントだったりする。

「一日で見つけてくれとは言わん。が、何週間もかけられたところで報酬は増やせんからそのつもりでいてくれ」

「分かりました。ええと・・・・・・捜すのはミルヒさん、でよろしかったですかね。特徴とか手がかりになりそうなことを教えてください」

 捜索対象であるミルヒくんは小型犬だそうだ。


 グラウさんの「玄関口で話すのもなんだから入りなさい」という厚意により居間に上がらせてもらう。ソファーに座る前に帽子を外したゼルを見て彼は少し驚いたようだったが、特に何を言うでもなくミルヒくんに関する話が続く。あまり私が口を出すタイミングもなかったので、すぐ手持ち無沙汰になってしまった。

 ゼルとグラウさんの会話を聞き流しながら視線を彷徨わせていると、キッチンの方から出てきた奥方と目が合った。軽く会釈した私に対し、柔らかい笑顔が返ってくる。あまり無表情で居るのも失礼な気がして、頑張って口角を上げてみるも、やはりぎこちない笑顔にしかならない。老婦人にそれを小さく笑われてしまったが、上品で嫌な感じは受けず、ただ純粋に恥ずかしかった。

 その一部始終はゼルにしっかり見られていたらしい。しかし結局、目線は感じるのに何も言われなかったので、どうにもむず痒かった。


「居なくなったのは恐らく2日前の深夜。白い子犬であまり吠えるタイプじゃない。黒い皮製の首輪をしているはず、か」

 話を終えた私達は、グラウ邸を出て住宅通りを歩く。グラウさんから聞いたミルヒくんの情報はひとまずそんなものだった。

「ちなみにメスだそうだよ」

 ミルヒちゃんの情報はひとまずそんなものだった。

 となれば、妥当な手順から提案してみる。

「目撃証言でも集める? 流石にノーヒントじゃ時間かかると思うけど」

「そこで無理と言わないのがお前の怖いところだよ。まあ聞き込みはしよう」

 別にできるとも言ってないのに。

 確かに私は、今迄の人生で物を探した時に見つからなかった経験はあまりないのだが、多少運と勘が良いだけの話だと思う。

「といっても、お隣さんとかはグラウ氏がもう聞いたって言ってたから。まだ聞いてない裏手の家とかその辺りからいこうか」

 特に異存はなかったので、私は頷きつつ左側の住宅群を指さした。

「じゃあ適当に手分けしましょう。私こっち」

「え、手分けやだ」

「なんでよ」

「一人寂しいし・・・・・・」


 こいつは、割と平気でこういう事を言う。


 見上げてくるその目を見れば、それがそこまで切実なものではないことは分かる。

 だとしてもその手を振り払うことが出来ないのは、「事情が事情である」ことと、何よりも――

「じゃあ今回だけ、ね」

「えー」

 私が一人で大丈夫な保証もないから、だろう。


 本当に甘えているのがどっちかなんて。

 今は、考えたくないのだ。

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