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深紙凪架

Ep.0 レボリューション・バカンス


 わたしの友達は魔王だ。

 彼女が世界を滅ぼそうとしたら勇者が立ち上がること請け合いである。

 しかしその勇者というのは100%わたしなので世界の皆さんは安心していつもの生活を楽しんで欲しい。世界の危機はその耳に轟くことなく解決される。

 というのも、魔王は案外話しの通じる人で、じっくり突き詰めて「なぜ世界を滅ぼしたいのか」を聞いてやり、理由の中身をほぐしてやるか、わたしが断固として「ダメなものはダメ」と抑止するか、彼女のお母さんが片手をかざせば必ず翻意する。

 最後の解決方法の問題点については別の機会に話そう。

 とまれ、ダメだと強固に押し切れば押し切られてくれる。このように話せばちょろい魔王だ、と、聞こえるかもしれない。が、ストップをかけるのはわたしでなければならない。だからちっともちょろくはない。

 わたしでなければならない事情は二つある。一つは彼女に辿り着くまでに蹴散らさないといけない人数がすごい。人数というか、障害と呼ぶか、それは人それぞれだろうけど。わたしにとっては人数だ。

 なんでかって、人形だから。人形が立ち塞がるから。いっぱい。どのくらいいるのかは知らない。誰も把握してないような気もする。気づくと増えていたりする。二度と見なかったりする。

 でもまあ、ソプラとか、ルトとか、ホォリーとか、単体戦闘シンプルの三兄妹とか、あとこぞう君とリリンあたりは変わらない。接客係の舞姫と治療係の追儺ついなも、見なくてもどこかにはいる。えーと、突破しなくちゃいけないのは今挙げた十人は確定として、そのほか四大元素エレメンターズの五人に(どうしてか四大なのに五人いる)、気が向けば怪盗ショパンと助手のブルペンあたりも加わるかもしれない。

 人形といっても普段の姿は人間と同じだ。目が乾燥すればまばたきをするし、肌を傷つければ血もでる。花粉症もいるらしい。

 そういう人形が人間としてうろつけているのが魔王が魔王たる所以で、魔王が魔王の力で自作の人形を人間に変化させているからそうなる。

 これらの人たちを突破するのは難しくない。みんな友達なので。「話しがある」と言えば部屋に通してくれるし、逃げたら捕まえてきてくれる。最後まで抵抗してくるのはリリンなんだけれども、そこまでいけば本人がリリンにどくように命じる。

 そんな魔王の名前は、ラクセルという。


 何の話かというと夏休みだ。

 ハイスクール一年生の夏、友達が増えた話をしている。

 なぜこんな話をしなければならないのかというと、わたしは他人からすると所謂〝新学期デビュー〟をしたから。そこまでかと疑問を抱かずにはいられないのだが少なくとも周囲はそう主張して譲らない。

 ある時を機に変わった自覚はある。けれど、その噂される理由が『男ができた』とあっては不愉快を露骨に表すのも躊躇いはない。

 できたのは、友達だ。

 その中には男の子──男の子という設定の──もいるけれど、大事な友達だ。『そういうの』じゃない。

 そういうのじゃないの。


 ラクセルは、見た目はとても凡庸だ。ブスではないけど、美人でもない。クラスのほとんどを占めるタイプの容姿。美しさを数値化したのであればわたしと似たようなものだ。名前は、このストリースタリア共和国の住民票には〈ラクセル・オン・アレリア〉と登録してあるらしい。でも、本名は別にあるとか。大事な名前なので、隠さなければならないらしい。年齢はわからない。年上だと思うんだけれど、本人は自分の誕生日も知らないので数えようがないらしい。

 らしい、が続くのは、彼女の人生はわたしが出会ったときから矯正しようがなく破綻しており、原因はお母さんにある。これも、「らしい」。直接会ったことないから。

 遠回りになってしまったけれど、ラクセルというのは外見はそんな感じで、物理的な中身は特殊な一族の血を引いている。末裔の中では最も年若い娘とのこと。

 源流は遠い島を治めていた王族で、島が他国に侵略されて、一部だけが落ち延びて、現在はこのストリースタリア共和国の首都から北西、ノースエリアに入ったあたりの深い森にでっかい館を立てて住んでいる。

 世界というのはコンピュータのプログラムのようなものらしい。これも「らしい」。見たことないから。

 話しが飛んだようだけど、ラクセルを語るには重要な部分なのでよく聞いて。

 プログラムというのは設計だ。世界の設計図。空が太陽の光を受けたとき人間の目にはそれが青く映るとか、風が吹けば林檎が地に落ちるとか、時間の流れは戻らないとか、そういう設計図が世界の裏側にあり、専用のプログラム言語で書いてあって、個々のプログラムがネットワークで繋っていて正常に走っているから人は今日もお腹が空くらしい。らしい。

 察しがよければ気づいただろうけど、ラクセルの一族はそのプログラムやネットワークの変更権限保有管理者アドミニストレータなのだ。

 昔は大洋の真ん中にある小さな島で歌ったり踊ったりして暮らしていたのを、よせばいいのに別の国が遥々海を越えて侵略なんてするものだからアドミニストレータ一族は世界に散り散りになった。年月が経ってラクセルが生まれた。

 長くなったが、これでラクセルのどこが魔王なのかわかってもらえただろう。ラクセルがふとO2として安定して存在する酸素を全部Oに分離させてしまおうとして実行すると動植物は死滅する。たぶん。Oになったことないからわかんないけど。うっかり適応できたりするものもあるかもしれないけど。人間は残らず死ぬだろう。ラクセルさえも含めて。

 分子をわけるだけだから割りと簡単でこれが思いついた中では一番楽だと言っていた。怖い。何が怖いってO2を分離する目的をちゃんと世界滅亡に仮定して思いついていることだ。絶対やったらダメだと念を押しておいた。

 で、もう一つ。魔王にわたしが言うことを聞かせられる経緯。わたしと彼女の物語だ。あまり長くはない。

 夏休みだった。

 わたしはジュニアハイスクールに入った頃から、すなわちもう三年前から不仲が加速し毎日のように怒鳴り合い詰り合いが飛び交う両親の罵声に歪んでいて、だけど不良にもなれない―悪いことをしようものなら両親の暴力を含めた憤懣がすべて向けられるので―半端者で、はっきりいって精神的に衰弱していた。専門用語っぽい言葉だと心神耗弱。

 河に行った。首都の水源になっている大河だ。

 特に意味はない。無意識に入水しようとしたんだろうと思われそうだが、本人たるわたしの主観だと純粋に行く場所がなかったのだ。夏休みだというのに友達がいないので遊び相手がいない。家にはいたくない。公園で一日過ごすのは苦痛だ。図書館にいく日もあったけど、そう連日本ばっかり読んでいられるほど本好きでもない。

 適当に街中をぶらついて、遊ぶようなお金もない。日差しがきつくて涼を取りたかった。河はそこからの思いつき。水辺は涼しいだろう、大きければなお涼しいだろう、みたいな。

 流れているのだかいないのだかわからないほど大きな河を眺めていたら、すべてがどうでもよくなった。街で暮らしていると自然と関わりあうことは少ないが、抗いようもなさげな圧倒的な水と対峙するとどうあがいても勝てないことを実感する。

 河が広いので何もかもどうでもいい。論理的にまともとは言えないけれど、まあ、だからなんだ。河が広いのでもう家には帰るまいと決めた。帰らなければ帰りが遅いとぶたれることもない。

 その河はノースエリアを経由してウエストエリアに入ったあたりの巨大湖に続いている。わたしはなぜか歩いてその湖まで行ってみようとした。最東端の街イチリービアから首都までの道のり(急ぐ場合飛行機を使う)より遠いのに、我ながら無茶である。そこまで追い詰められていたと弁明すればカウンセラーは「つらかったね」とでも親身になるだろうが、当時は無謀だとまったく思わなかった。

 トコトコトコトコトコトコトコトコトコトコトコトコトコトコトコトコ…………

 歩いて歩いてひたすら歩いて日も西に傾いて赤くなった。

 河原には丈の長い草が青々ともさもさしていて、ザァッと音がするたび風の形が見えるようだった。

 その草がまばらになって石ころだらけの開けた場所に、こぞう君がいた。

 人形の一人だ。ラクセルの世話係側近であり、側近すぎて世辞に疎い。

 しかし初対面のわたしがそんなことを知るはずもなく、人里離れた河原で何をしているのかと疑問に思った。自分のことは棚において。

 こぞう君はわたしに気づくと小走りで近づいてきて、ちょっと逃げようかなとしたとき、こう言った。

「自動販売機、知らない?」

「………………知らない」

 小さく言った。素っ気なくしたしたのではない。面食らったのだ。自動販売機。街から離れ、車道もないこんなところに誰がそんなもの設置するのか。

「困ったな」

 こぞう君は大抵無表情なのでこのときもさっぱり困ったような顔はしていなかった。だけど、深くため息をついたので困っているのは本当なのだと感じた。

「自動販売機、探してるの?」

「うん」

「……喉が渇いたの?」

 すぐそこに河があるのだから自販機がなければ河の水で妥協してもいいんじゃないかな……と漠然と考えていたら、こぞう君は首を横に振った。

「命令されたんだ。自動販売機でジュースを買ってこいって」

「…………………………」

 わたしが黙ったのは、咄嗟に「あ、いじめだ」と判断したからだった。

 実はこれは当たらずとも遠からず。こぞう君を嫌っているリリンがパシリはパシリとして命じたのだけど、リリンは絶対にできないことを要求するほど意地悪ではない。彼女の命令はこんな街から遠く離れたところではなく『ラクセルの館から街に直結していることになっている扉』から街に出て買ってこいという旨だった。しかし、外を出歩き慣れていなかったこぞう君は勘違いして館の玄関から出て自販機を探していたのだ。

 ラクセルの館は湖のずっと手前、ノースエリアの森深くにあった。こぞう君もわたしと出会った場所に来るのもだいぶ歩いたはずだ。

「街まで行かないと、ないと思う。自動販売機……」

「街ってここからどのくらい?」

 腕時計を見た。自分で買った八百カッレちょっとの安物の時計だ。最後に時計を見たのはお昼すぎだった。

 迷ったけれど、わたしはわたしが来た方向を指差す。

「あっちに……歩いて四時間くらい」

「そう。ありがとう」

 あっさり向かおうとするので止めた。

「いくつもり? 夜になっちゃうよ」

「君は街から来たんだろう」

「そ、そうだけど」

「君が帰っても夜になると思うよ」

「…………わたしはいいの。帰らないもの」

「この先は森と草原しかないよ」

「いいの」

 こぞう君はそこで初めてなぜわたしがそこにいるのか不思議に思ったようだった。

「武器はある?」

「武器?」

「武器。戦う道具」

「ない」

「野営する道具も持ってないよね?」

「うん」

「森には狼がいるから入らないほうがいいんじゃないかな」

「街には……家には帰りたくないの」

「困ったね。ぼくも自販機でジュースを買わないと帰れない」

 彼は細かいことは聞かなかった。こぞう君だから、家に帰りたくない理由など尋ねる発想がなかったに違いない。

 帰れない同士似たような境遇だと勝手に親近感を覚えて、一緒に困りながら二人で河原に腰掛け、日が沈んでいく時間を過ごした。

「こぞう君はなんでこんなところにいるの? 街から来たんじゃないんだよね?」

 変な名前だとは思ったのだ。のちに、わたしは彼らの『本名』について含蓄を得てしまうのだが、そんな名前だと自己紹介されてはそう呼ぶしかない。

 森を指差す。

「あっちにラクセルの家がある。ラクセルはたくさん家を持ってるけど、いつもいるのはそこ。ぼくもそこにいる」

「お金持ちなんだ」

「お金は持ってる。働いてるから」

「こぞう君はラクセルさんの何?」

「被造物」

 全然頭は悪くなくて、無表情なだけで愛想がないわけでもないこぞう君なんだけど、受け答えは単純でストレートすぎて逆にわかりにくい。

「被造物」

 繰り返すと、頷いた。

「被造物」

「じゃあ、ラクセルさんは、こぞう君の……造物主?」

「そう」

 表現が独特系の天然なのかなと―病気ではなさそうだし―自分なりに咀嚼して、

「……お母さん?」

 と問いかけると、少し間があった。

「関係としてはそうなる」

 引っかかる物言いだったがそれも当然で、広義としては『母』で間違っていないのでこぞう君はわたしの問いを否定できなかったのだ。

 友達、いなかったから、そうやって人の家族の話を聞くのは新鮮だった。なんだか自分でも奇妙なんだけれどこんな変なこぞう君にとても親しみを持ってしまった。同じくらいの年頃の男の子(実際はとんでもなく年下だった)とそんなに話すことはなかった。

他の理由もあるにはあるけどそのあたりはノーマ……学校でわたしの後ろの席のモデル事務所に所属している美人ランク学年ナンバー1で特にわたしが〝新学期デビュー〟した原因を知りたがったクラスメイトが適当に話すだろうから省く。

 こぞう君の話を纏めると、館にはたくさん人がいて、全員ラクセルという人物が母親で、リリンというお姉さんがいて、こぞう君は嫌われていて、今回パシられてそこにいることになった。

 ここまでの話しだとただの嫌な人なのでフォローしておくとリリンがこぞう君を嫌うのは彼女にとってかなり切実な事情があったりする。『お嬢様』に無礼を働かない限りはまとも。ただ、無礼を働くと刃物を持ち出す。とはいっても無礼を働くとみんなして怖くなるんだけど。

 話を戻す。

 話しを聞き続けているうちに、『ラクセル』は普通の産みの親ではなくて孤児院的なものの院長さんのようなものだと解釈するようになった。造物主、というのは育ててくれて今の自分を作ってくれたって意味なら通る。

「わたし、ね」

 一方的に聞き出しているのも悪いと思って、わたしは自分の話をした。

「家に帰りたくないの」

「聞いた」

「お父さんとお母さんが仲悪くて、部屋にいてもいっつも怒鳴り合う声がするの。すごく怖いし、でもやめてって止めたら矛先がこっちにくるし、家にいたくない」

「そういうときって家以外に行くところはあるの?」

「ない。あるとしたら、悪い人たちがいる、ような、未成年なのにお酒とかタバコとかやる人のいるようなところ。でも、わたしそんなとこにも行くの怖い」

「ならどこに行くの?」

「……どこもない……」

 立てた膝に顔を向ける。

「お金ある?」

「え?」

 唐突に言われて横のこぞう君を見た。こぞう君の顔は薄暗くてほとんど見えなくなっていたけどやっぱり無表情で、その分含みもない。

「ちょっとだけ、なら」

「ラクセルにお金を出せば大抵のものは売ってくれる」

「泊めてくれる、ってこと?」

「『宿泊する部屋』を買うならそう」

「『宿泊する部屋を買うなら』?」

「別のものが欲しければそれでもいい」

 こぞう君はわたしが何を知らないかを知らない。だからわたしはいちいちそれは知らないと彼に教えなくちゃいけない。意味がわからない、といえば彼も言葉に詰まる。何がわからなくて意味がわからないのか、彼もわからない。頭の良すぎる人に解けない問題を教えて欲しいと乞うようなものだろう。

 だから、わたしは一つ一つ目の前で問いていく様子を見ていてもらって、どこで詰まるのかを教える。

 このやりとりは逆にこぞう君の世界が広がったようだ。彼は生まれたときからラクセルと一緒にいて、テレビを見たり先に作られた仲間の話しを聞いたりすることで知識を得ていった。

 ただ、ラクセルの仕事がどういうものなのかを知らない人間がいる、ということについて知る機会はなかった。ラクセルと一緒に会う人は必ず『お客さん』で、もちろんお客さんはラクセルに仕事を頼む以上ラクセルの仕事がどういうものなのかを知っている。彼が直接会う人間に、ラクセルの仕事を知らない人はいない。

 回りくどくなった。

 知らない×かける知らないが意思疎通をするのは苦労したという話だ。こぞう君は淡々としていたが、面倒くさがりもせず尋ねられたことには『簡潔』に答える。

 コツを掴んでからはそれなりにスムーズに進んだ。すなわち「同じ内容を長くして」で彼は熟慮する。それでやっとわたしにわかる説明になる。

 纏める。ラクセルは店を経営しており、名前はShopショップ、なんでも屋さんでお金さえ積めば具体的物品に限りなんでも売る。消しゴムのカスから誰かさんの心臓、失われた古代文明で流通していた銀貨から核ミサイルまで物でさえあれば売る。ただし、お代はラクセルの言い値。

 胡散臭いにもほどがあり、頭大丈夫な人かな本当に、と普通なら疑わしくなる話なのだけど、彼がおーまじめにするのでわたしはそういう仕事も世の中にはあるんだすごいなー、でぼんやりと納得してしまった。

 そんなこんなで完全に夜になり、狼が遠吠えをしていたので『宿』は売ってもらったほうがいいんじゃないかとこぞう君は勧めた。反対する理由はなかった。

 腰をあげたとき、遠くからエンジン音がして、丸い光が一緒に近づいてきた。二人乗りのバイク。

「おう、こぞう」

 男の人の声。

「何やってんだ?」

 運転していたのがソプラで、後ろに乗って体を反り気味にタンデムバーを握っていたのがルトだ。二人は街にある店で働いており、毎日「通勤」している。ソプラは白い棒を咥えていて、タバコ吸いながらバイクとか危ないなーと思ったら完全に白い棒で、後々それがなんなのかはわかったが危険なものを咥えているのに変わりはなかった。

 ホォリーを加えてスリーマンセルになる使い手ユーザーズだ。とても面倒見がいい。ちょうどいいので「彼氏ができたの?」と新学期に後ろの席から聞いてきたノーマはソプラに想いを寄せるようになるとここで暴露しておこう。

 こぞう君はのんびりと、

「リリンに自動販売機でジュース買ってくるように言われたんだけど、自動販売機がないんだ」

「このあたりにあるわけないだろ。お嬢の私有地だぞ。誰が管理するんだよ。なんで店に来なかったんだ?」

「そうなの? 知らなかった。二人はどうして扉使わないでバイク?」

「リリンがこぞうが帰って来ないってムカつきながら店に来たんだよ。店に来てないなら館の玄関から出ていったんだろうから帰りがてらお前の捜索だ」

「へえ。リリン怒ってた?」

「まあな」

「そっかー」

「隣りの女の子は?」

「お客さん」

「ここにいたのか?」

「ここにいたよ」

 二人はライトをつけたままバイクから降りて近づいてきた。ソプラがゴーグルを上げる。ソプラはあまり背が高くなく、目線が近い。ルトは平均的な身長で、もしかしたら男ばかり近づくと怖がるかと気を使ってくれたのか、離れたところで待った。こういうあたり、使い手ユーザーズは心配りができる。

「何を売って欲しいって?」

「泊まるところ」

「そうだろうなー」

二人はとやかく言わず―基本的にみんな人の事情を詮索しないのだ―名前とこぞう君の仲間であるだけの紹介をした。

 館までは距離があるから、とソプラはルトの代わりにわたしをバイクの後ろに乗せた。

 距離があるのに二人を歩かせるのは悪かったけど、既に何時間も歩いていたからバイクに乗せてもらえるのはありがたかった。

「お前らちゃんとついてこいよ」

 ソプラはゴーグルをつけなおすとバイクを発進させて、体感では三十分くらい走って……窓が縦に五つ、五階建ての館についた。玄関先に灯った二つの明かりから照らされる表面は煉瓦なのか沈んだ赤で、屋根は白い。

 見上げつつ、バイクを降ろしてもらった。

 ら、こぞう君とルトはすぐ後ろにいた。びっっっっっくりした。二人とも息を切らしていた。走ってついてきていたのだ。

 正気というか常識というか、わたしが『自分の世界』を取り戻したのはそのときだったろう。湖に行こうとか思いついたり、こぞう君の話に納得してしまったりとちょっとおかしかったわたしだが、わけのわからないことをわけがわからないと認識することで、自分は『こういうの』をわからない人間だと思い出すことができた。

 要するにわたしは疲れていたのだ。人生に疲れていたというとアル中気味のOLに怒られそうだけど、怖いことにも嫌なことにも何もできず、何にもなれず、ただ学校に行って家で汚い言葉を使った怒鳴り声を聞くだけの毎日はつらかった。そういう世界から抜け出したくてその一歩として無意識に今までの世界と物理的な距離をおこうとひたすら街から遠ざかるほうへ歩いた。

 だからこぞう君みたいな今まで会ったことのない種類の人は大歓迎だった。変な話も聞いて、促されるままに知らない人のバイクにも乗って知らないところに連れてこられた。

 拾ってくれたのがこぞう君で、ソプラとルトで、本当によかった。

 玄関を開けると怒ったリリンが腕組みをして待ち受けていた。こぞう君より先に「客だ」と私が前に出されると怒り顔を引っ込めて普通に挨拶をしてラクセルを呼びに向かった。

 客間に通されて、ソファに腰掛けていると舞姫がお茶を持ってきた。舞姫は穏やかな美人だ。単体戦闘シンプルの一人、ルダと同じ顔なのだが雰囲気が違う。ルダはもっと情熱的だ。同じ顔な意味は別にないらしい。双子設定もついていない、むしろ姉妹設定なのはダーニャでこっちは全然似ていない。本当に脈絡がない。

 閑話休題。

 いくらか待たされて、ラクセルが登場した。

 とりたてておかしなところは何もない普通の人だ。顔も、美人でもブスでもなく普通で、ほくろとかの特徴もない。強いてあげるところがあるなら思ったよりかなり年が近かったのと、服装が民族衣装っぽいこと、こぞう君と同様に無表情だったが、ラクセルに愛想はなかった。そのくらい。

 もうちょっと詳しくと言われたなら、気になったのは足だ。民族衣装の一部なのか、なんなのか。アンクルバンドが巻かれており、バンド同士が繋がれている。伸び縮みするので歩くのに差し支えはなさそう、なんだけど。足が自由に動くなら枷ではない。だが囚人を彷彿とせずにはいられない。磁気コラントッテネックレスに似たヒモ状の何かも首にかけている。

 ファッションセンスにケチをつける筋合いはあるまい。こんな森深くに住んでいるような人だ。変わっていても仕方ない。民族衣装の一環なのだとしたらその民族に悪い。

 わたしは事情を話して恐る恐る泊めて欲しい、と頼んだ。構わないと短く彼女は言って、ソファの後ろに待機していたソプラとルトに世話係を命じた。

 私は一晩のつもりだったんだけれど、泊まりたい期間を指定しなかったから次の日以降、誰も出て行けと言わなかった。

 毎日三食出た。

 舞姫は細々と調度を持ち込んでは足りないものがないかと尋ね、窓際に花を飾り、わたしが快適に『暮らす』部屋を整えた。

 わたしがラクセルのちょーふしぎパワーを知ったときは、すっごい「ズル」だと感じて、みんなが人間ではなく人形である非科学さも受け入れがたくて、大騒ぎして、単体戦闘シンプル三兄妹に痛罵されたりリリンに殺されかけたあたりのことはまだ恥ずかしくて笑い話にできないので仔細は語らない。

 完全なる家出少女になってしまったわたしだが、警察が探しに来ることもなく、テレビもニュースにしていなかった。両親は探しているのかどうか思い馳せたりもしたが電池の切れたKTPに充電する気にはならなかった。GPS機能は電池を食うからいつも切ってあって電源を入れたって居場所がバレることはないけど、正直、『途切れている』のは気持ちが安らいだ。

 しかも、ラクセルの館は居心地が良い。ごはんはおいしく、ベッドはふかふか。テレビは大きく見放題、映画は言えばなんでも出てくる。渡される服はセンスが良くて可愛い(このセンスに染められたせいで〝新学期デビュー〟と言われる一因にもなった)。

 VIP待遇は最高だったが、お支払いは怖かった。

 が、わたしが見返りとして提供したもののために、結局金銭的なやりとりは発生しなかった。その後もラクセルがわたしにお金を要求したことはない。

 わたしが何を提供したかというと……鬼ごっこである。

 ラクセルも、人形たちの誰も、鬼ごっこを知らなかった。言われてみればいまどき子供だってジュニアスクールや団地の公園で少なくとも十人程度集まったときの暇つぶしくらいにしかそんな遊びはしない。ドラマでもあまり見ない。

 用でもあったのか、広間にたくさん集まっていたのでふと「この数なら鬼ごっこができそう」と呟いたのがきっかけだった。

 衝撃的な遊びだったらしい。体を動かし、頭脳戦もあり、暴力はない。戦闘訓練や筋トレ(人形が筋トレ……)はしても、「お外で遊ぶ」経験は誰にもなかった。

 鬼ごっこにも種類がある。いろ鬼、こおり鬼、缶けりも鬼ごっこの一種か。一番ウケたのがドロケイ。名前もヒットしていた。

 ルールは単純。予め制限時間と範囲を決め、泥棒チームと警察チームに分かれる。泥棒が逃げ、警察が追いかける。警察が泥棒にタッチして十秒数えると逮捕、『牢屋』と決められたスペースに連れて行かれる。

 泥棒を全員捕まえたら警察の勝ち。制限時間逃げ切れば泥棒の勝ち。ポイントなのは、牢屋に入っている捕まった泥棒に、捕まっていない泥棒がタッチすると牢屋の泥棒は逃走が可能になるところ。泥棒の引き付け役が警察をおびき出してその隙に、とか、警察が持ち場を離れたフリをして泥棒がやってくるのを待ち伏せする、とか、巧みな駆け引きとチーム連携が必須である。

 VIP待遇により太った気がしたのもあり興味があるならやってみない? と誘ってみたらみんなハマった。

 いつの間にか、ラクセルまで参加していた。友達になってから見たラクセルの通常行動からすると、こんな遊びに混ざるなんてすごく勇気が要っただろう。それでも、ラクセルも、遊びたかった。このときの話をするといつも二人で笑ってしまう。

 当時はまるで露知らず、その日、同じ泥棒チームだったわたしは、捕まって牢屋にいるラクセルに高みの安全圏から手を振り、

「待っててー! 今助けるからねー!」

 と、言った。ありがちな陽動だ。

 ラクセルの声を鮮明に覚えている。遠目でも、彼女の目はきらきらしてた。

「――ッ、待ってる!」

 静かで陰気なラクセルがそんな表情で大声を出したのに驚いたし、遊びとは思えない切実な響きも驚いたし、遊んでいる全員が一気に刮目してラクセルを凝視したのも驚いた。

 ありったけの声で叫んだラクセルは頬を上気させて、ぽろぽろ涙をこぼしていた。

 

 ……………………。

 ラクセルは特殊な一族の末裔だ。

 世界の変更権限保有管理者アドミニストレータ

 よせばいいのに別の国が遥々海を越えて侵略なんてするものだからアドミニストレータ一族は世界に散り散りになり──

 新しく生まれた変更権限保有管理者アドミニストレータの適切な育て方が失われた。

 聞くに、もう変更権限保有管理者アドミニストレータの血はかなり薄まっていて、お母さんはそんなに大したことはできないんだそうだ。けど、ラクセルは先祖返りで生まれつき強い力があった。気まぐれで人間の血を緑にもできる。

 ……………………。

 世界の設計図に変更を加えるのにはそれ用のプログラム言語に相当する『何か』を声に出さないとならない。

 備考。ラクセルのお母さんは、絶望的に子育てに向いていない性格だったそうだ。

 ……………………………………。

 「喋るな」と、「一切声を出すな」と、……、どのようにしつけられたのか、聞いた。けど……うん。

 夜にソプラたちが、教えてくれた。みんなにとってラクセルの叫び声なんてクラゲの骨のようなものだったと。


 ラクセルにとって、「友達と遊ぶ」のは、初めての体験だった。

 ずっと、遊び相手は自分の作った人形だけだった。

 人形たちは人間と変わらい見た目で動いて喋る。個性もある。

 だけど、自分が作った人形。

 わたしにはわからない。みんなに対する、ラクセルの気持ちは。

 わたしにとっては人形のみんなは人間だから、きっとずっとわからない。


 でも、みんなが人形でも、わたしができた。


 このあたりでわたしとラクセル―Shopショップのみんなとの出会いの話はほとんどおしまいだ。

 ハイスクール一年生の夏、わたしは友達が増えた。

 ストーカーに遭っていると怯えたノーマをわたしのバイト先となったShopショップ店舗に連れて行ったのは十一月。


          ✜


 店の奥の『館に繋がっていることになっている扉』を通って私室に行く。ノックはするけど返事は待たずに開ける。

「ラクセル、頼まれて欲しいことがあるんだけど、暇?」

 ラクセルはとりたてて美人ではないけど、笑うと可愛い。

「どうしたの、ノリィ」





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