尽忠様 -猪狩村奇譚-

湖城マコト

尽忠様がこの村を救ってくれる

「先輩、見えてきましたよ」

「あれが猪狩ししかり村」


 夏休み真っ只中の八月上旬。

 東北地方の山間部に位置する人口百名程度の小村――猪狩ししかり村を一組の男女が訪れていた。

 丸眼鏡をかけた男性は作家志望の大学生――翠川ひかわ領明りょうめい。187センチの長身だが、インドア派なこともあり体は細身。全体的に縦長な印象を与える青年だ。

 黒髪をハーフアップにまとめた小柄な女性は、領明のバイト先の後輩であるひのき操子みさこ。童顔かつ、領明とは40センチ近い身長差があるため、二人並んだ時の印象は年の離れた兄妹のようでもある。

 

 ちなみに、領明は21歳、操子は19歳と、実際の年齢差は2歳だけだ。


「きっと先輩も気に入りますよ。帰りたくなくちゃうかも」

 

 期待してくださいと言わんばかりに、操子は声高に胸を張った。

 操子はこの猪狩村の出身で、彼女にとってはこれが上京以来初めての里帰りとなる。


 恋人でもない、バイト先の一先輩に過ぎない領明が操子の里帰りに同行した理由は、執筆活動に関係したある種の取材だ。

 領明は現在、某新人賞に小説を応募すべく、局地的な風習をテーマとしたミステリー作品の執筆を目指しているのだが、門外漢だったこともあり、プロットの段階で行き詰ってしまっていた。

 そんな領明に救いの手を差し伸べたのが、読書家であり、領明の良き相談相手である操子だった。


『私の故郷の村には、尽忠じんちゅう様と呼ばれる存在を祀る風習があって、今年は数十年振りに尽忠様を新しい者へと取り換える特別な夏なんです。自分で言うのもなんですが、とても雰囲気のある村ですし、きっと先輩の創作意欲も刺激されると思いますよ』


 恋人でもない、バイト先の先輩が帰省に同行するのは如何なものかと、領明も当初は消極的だったが知的好奇心には抗えず、操子と共にこうして猪狩村を訪れることと相成った。


「操子ちゃんの言うように、確かに雰囲気があるね」


 木造建築の家屋が立ち並ぶ、豊かな自然に囲まれる山村。

 村全体を包み込むノスタルジックな雰囲気は、足を踏み入れた瞬間に、昭和中期にタイムスリップしてしまったかのような錯覚を覚えさせる。

 不思議な風習の伝わる錆びれた(失礼ながら)山村へ、都会からやってきた小説家の卵。

 実際に事件など起こるはずもないのだが、領明はさながらミステリー小説の主人公、ないしは語り部となった気分であった。


「何もない村ですが、ゆっくりと寛いでいってください。これから私の実家へ案内しますね」


 無邪気な笑顔を浮かべた操子が、急かすように領明の手を引いた。




「あらあらあらあら、操子ちゃんったらこんな良い男の人を見つけてくるなんて」

「タッパがあって頼りがいがありそうだ」

「ど、どうも」


 その日の夜。操子の生家である檜家は宴会騒ぎの大賑わいを見せていた。

 村一の名家だという檜家は武家屋敷を思わせる広大な平屋建てで、宴会場として利用されている大部屋には家族親戚はもちろんのこと、数十名の村人も姿もある。

 過疎化の一歩を辿る小村でのこと。住民はみな顔見知りで家族に等しい存在。孫や娘のように可愛がっている操子が男性を伴って帰郷してきたのだ。領明が注目の的となるのは必然といえる。


「大事なお客様だ。たんと食べておくれよ」

「兄ちゃん。酒はいける口かい?」

「都会の男はやっぱりお洒落ね」

「ど、どうも」

 

 領明は決して人見知りなわけではないが、休む間も無く村人たちが次から次へと語り掛けてくるため、若干表情が引き攣っていた。


「操子から聞いたけど、あんた、尽忠様に興味があるんだって?」


 操子の親類だという、体格のいい高齢の男性が愉快そうに領明の肩に腕を回した。


「はい。地域の風習というものには以前から興味がありまして。お邪魔でなければ見学させて頂けたらと」

「お邪魔なんてとんでもない。あんたは大事なお客様だ。特等席を保証するよ!」

「あ、ありがとうございます」


 豪快に背中を叩かれて領明は前のめりとなる。男性のテンションにやや気後れしてしまったが、歓迎されているようなので何よりだ。


「尽忠様というのは、具体的にはどういった存在なんですか?」

「災厄からこの村を守ってくださる、とてもありがたい存在だ。時には戦渦から、時には災害から。尽忠様は何度も村を救ってくださった」

「今年の夏は、尽忠様を取り換える大切な年だと聞きました。もしや今も何か危機のようなものが?」


 一瞬、場が静まりかえったような気がした。


「どうだろうな……」


 それまで饒舌だった男性が、苦笑すると同時に口を閉ざしてしまった。

 引っ掛かりを覚えた領明だったが、初対面の相手に深く追求する気にもなれず、結局それ以上は尽忠様について聞くことは出来なかった。




「どうぞ、先輩」

「ありがとう」


 状況が一段落したタイミングで、操子が笑顔で日本酒を注いでくれた。


「こんなにたくさんの人が集まって、君は村の人たちからとても愛されているんだね」

「小さな村ですから、みんなが家族みたいなものです。みんなが私を愛してくれるし、私も村のみんなを愛しています」

「それはとても幸せなことだね。だけど、君が上京すると決めた時、村の人たちは寂しかったんじゃないかい?」

「みんな快く送り出してくれましたよ。私には大事な使命がありましたから」

「使命……?」


 領明は重たくなってきた瞼を擦りながら、姿の霞む操子へと訪ねる。


「先輩との出会いは運命でした。先輩はまさに理想の男性でしたから」

「突然なんだい……こんな……大勢の前で……」


 突然の告白に気持ちが昂るが、異常な眠気のせいでいまいち思考がはっきりとしない。旅の疲れと呼ぶには、あまりにも唐突な体の異変だ。


「先輩は理想的な尽忠様です」

「どういう――」


 領明の意識は不意に消失し、テーブルの上に力無く突っ伏した。

 宴会の参加者達は領明を介抱するどころか心配する素振り一つ見せず、今日という日の幸運を祝い、酒盛りを続けていた。




「……僕はいったい……!!」


 意識を取り戻した領明は、自身の置かれた状況に困惑し、その頬を冷や汗が伝い落ちた。

 領明は薄暗い地下らしき一室に囚われている。人形ひとがたを模した木製の台の上に寝かされ、体は両手両足を中心に入ロープで縛られて、大の字で固定されていた。

 必死に体を揺らすも厳重な拘束はビクともしない。猿轡さるぐつわをはめられていないだけ温情だが、異常事態が起こっていることに疑い用はない。

 宴会が始まって間もなく、急に意識が遠のいてきた。酒にはそこそこ強いし、あの程度の飲酒で意識に影響が出るはずはない。薬物など、第三者の手が加わったと考える方が自然だ。


 直前の操子の意味深な発言もある。これらの意味するところは――


「お目覚めのようですね、先輩」

「操子ちゃん……」


 物陰から姿を現した操子は、領明の知る操子とはまるで別人だった。

 白い装束に身を包んだ操子の顔に、普段のような明るい笑顔はない。無感情なその表情は無機質な人形のようだ。右手には大きな鉈が握られている。入念に研いだばかりなのだろう。刃には鋭い光沢が見て取れる。


「……サプライズにしては、少々やり過ぎじゃないかな?」


 物々しい凶器の存在に恐怖しつつ、領明は平静を装って操子へと問いかける。

 拘束された体と、凶器を手にする異様な雰囲気の操子。あの刃がどこへ振り下ろされる物なのか、想像なんてしたくない。

 執筆に悩む先輩の創作意欲を刺激するための、村人も強力しての大がかりなサプライズであることを祈るばかりだ。


「今宵、新たな尽忠様が誕生します。先輩を素材にね」

「……物騒なことを言うのは止めてくれないかな」


 素材など、人間相手に使う言葉ではない。

 そんな台詞を吐いていいのは、SF小説に登場するマッドサイエンティストぐらいのものだ。


「……僕を尽忠様の素材にすると言ったが、そもそも尽忠様とは何だ?」

「この状況で質問するとは、意外と余裕ですね」

「物書きは知的好奇心旺盛たれ。これが僕の信条でね……」


 事情を知りたいのは本音だが、一番の目的は時間稼ぎだった。

 少しでも時間を稼ぎ、脱出の機会を伺わなければいけない。会話を続けることで、操子を思い留まらせることが出来る可能性だってある。


「確かに先輩はもう立派な当事者です。知る権利はありますね」

「ならもう一度聞くよ。尽忠様とは何だ?」

「事の始まり数百年前。猪狩村は長期に渡る不作に見舞われた時期があり、村人は飢餓きがに苦しめられていました。村の危機を救うべく、村人たちは一つの決断を下しました。災厄を払うため、人身ひとみ御供ごくうを捧げることにしたのです」

「人身御供……生贄」

「誰を人身御供とするのか、村人たちは大いに悩みました。当時からとても結束の強い村だったそうですから、仲間内から生贄を出すことに大きな抵抗があったのでしょうね。そんな時です、山で遭難した外部の男性が村へと迷い込んできたのは。村人たちは歓喜しました。この男を使えば、村から犠牲者を出さずに済むと。村人たちは貴重な食料を男性へ振る舞って歓迎したそうです」

「……外部の男性」


 昔話と自分の置かれた状況との類似点に、領明の中の不安はどんどん強まっていく。


「気を良くした男性は完全に油断してしまいました。男性が眠ったのを見計らって村人たちは彼を拘束、人身御供とすべくその体を生きたまま加工しました。村という大きな家と、村人という大きな家族を支えるための、一本の柱としてね。初代の柱は村を支えるべく、今でも村中心部の地下に埋められています。文字通りの人柱ひとばしらとしてね。人柱として男性を埋めて間もなく、村は豊作に見舞われ飢饉は解消されたと伝わっています」

「人柱……まさか尽忠様というのは」

「はい。人柱とされた人間そのものを刺す言葉です。人柱は『ジンチュウ』とも読めますからね。『尽忠』という字を当てたのは、人柱として村へ尽くしてくれている方々への感謝の念の表れです」

「詭弁だ。損な役回りを無関係な人間に押し付けておいて、感謝の念だなんて」

「正論だと思います。だけど、この村はそうやって回って来たんです。村に危機が訪れる度に外部から新たな尽忠様を迎え入れ、災厄を払ってきた」

「……何度も繰り返してきたというのか」

「近年だと戦渦を逃れるために戦時中に一度、土砂災害を鎮めるために20年程前に一度、新たな尽忠様を迎え入れています。伝え聞くところによると、尽忠様は先輩で6本目ということになるそうです。より長い柱とすべく、尽忠様に選ばれる男性は長身の方と決められています」

「……僕を人柱にしなければならない理由――今この村を襲っている危機とは何なんだ? 見たところ、切迫した危機は感じなかったけど」

「ダム開発ですよ。近い将来、猪狩村はダムの底へ沈むこととなります。村の存続の危機、ある意味で過去最大の危機と言えるでしょう」

「ばかげている。確かに村の人たちからしたダム開発は大事おおごとだろう。だからといって、人柱を立てることでそれを回避なんて出来るわけがない。最初の事案のような数百年前ならともかく、今は21世紀だ。人柱に何の意味もないことくらい、君にだって分かっているだろう」


 領明の知る操子は良識を持ち合わせた頭の良い女の子だ。猪狩村の異常性は理解出来ているはずだし、一年に満たないとはいえ上京し外の世界にも触れている。操子の情に訴えかける価値は十分にあるはずだ。


「……分かっていますよ。新たな尽忠様を求めて東京に出た時も、先輩と出会った時も、この村へ先輩を連れてきた時も……今だって。尽忠様には何の意味もないことくらい……分かっています」


 それまでは無感情を貫いていた操子が声を震わせ、辛そうに目を伏せた。無感情な表情は、葛藤を覆い隠すための仮面だったのかもしれない。


「だったら……」

「だけど駄目なんです」


 自らの感情を覆い隠すかのように、操子は近くの作業台に置かれていた女面を被り、物理的に表情を消した。


「私自身は尽忠様を作り出す行為に何の意味も見いだせないけど、上の世代の人達は尽忠様がこの村を救ってくれると本気で信じている。きっと結果は伴わないけど、家族のように大切な村の人たちがそれを望んでいるから、私はみんなのために尽忠様を完成させてあげたい。私の行動理由はそれで充分です」

「操子ちゃん……」


 説得など通じないのだと、領明はこの瞬間に悟った。意味の無い行為だと認識した上で、自分なりの信念を持ってそれに臨もうとしている。そんな相手が今更止まるとはとても思えない。


「長話が過ぎましたね。そろそろ加工を始めないと」


 そう言って、鉈を手にした操子が拘束された領明へとゆっくりと近づき、無機質な女面越しに顔を覗き込んだ。


「……加工というのは?」


 大の字で固定された体。最初から嫌な予感はしていた。


「不要な手足を切り落とし、より柱らしい姿へと加工します」

「……手足を落す……なるほど。この村が狩るのは「しし」ではなく、「四肢しし」だってわけか……偶然なのか戒めなのかは分からないけど、悪趣味な言葉遊びだよ」


 このような危機的状況にあってもそんなことを考えてしまうのは、ある種の職業病なのかなと領明は苦笑する。


 狂気に当てられ、領明自身もすでに正気ではないのかもしれない。


「こんな時になんだけど、今ならとても面白い物語が書けそうな気がするよ」


 まずは領明の左腕を落すべく、操子は切断する位置を冷静に見極めていく。


「今の僕なら、きっと最高のサイコホラーが書けるはずだ」

「完成を望めないのが残念です――」


 狙いを定めた操子は、領明の左腕目掛けて勢いよく鉈を振り下ろした。




 了

 

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