第3話

01

 私に腕がないのはどうしてだろう。


 そう思ってから、レゾンはふと気づいた。今まで「腕が欲しい」と考えたことなど、ただの一度もなかったからだ。欲しいと言わなかったものを、どうしてヒトに作ってもらうことができるだろうか?


 そもそも、人型の体を提案した開発者たちに、必要ないと断言したのは自分だ。


 自分に必要なのは、考える頭だけ。動く体があったら、ひとりでなんでもできてしまう。そうしたら、ヒトの必要性を感じなくなってしまうかもしれない。


 その主張は、ある意味で正しかったのだろう。けれど、ある意味では正しくなかった。


 とうに、最下層部のマイクとスピーカーは電源を落としてある。ヴィオレを止めるために必要だったのは、合成音声でうまく喋る技術ではなく、一本のアームだ。それだって、念動力を操るハイジアを捕えることはできないだろう。


 かといって、言葉でヴィオレを留められたかと言えば、それも不可能な気がした。最下層を去るヴィオレの背に、レゾンは謝罪の言葉を連ねることしかできなかった。他に最適な言葉を見つけられない。長きに渡り起動し続けている電脳が、機能を停止しているかのように単純な言葉ばかりを弾きだしてくる。


 もう彼女を止めることはできない。代わりにレゾンは、浅間下層に取りつけた定点カメラを総動員して紫色のあとを追った。そんなことをしてどうするのだ、という問いが自らの中から沸き起こったが、やめることなどできそうにない。


 重大なバグだった。


 ヒトのために知識を絞るのが、人工知能・レゾンの役割である。


 同時に、ヒトがいなければレゾンの維持も不可能で、存在意義も消失する。


 レゾンは、自分のためにも人類を存続させるべきだった。だから浅間の設計で「重要機関は上層にある」などという凝り固まった文化など取り入れなかったし、「ヒトの遺伝子組み換えは行うべきではない」なんていう倫理も切り捨ててハイジアを設計した。


 アダムとイヴさえ残れば、他はどうでもいい。


 個など一切尊重せず、種としてのヒトを守り抜く。


 世界が放射能で汚染されて、人類が存亡の危機に立たされたとき、確かにレゾンはそう誓った。浅間のあちこちにカメラを設置したのだって、あらゆる異変を迅速に察知するためだ。


 浅間を人同士の戦いで滅ぼすわけにはいかない。そう考えたレゾンはヒトの観察をそれまで以上に熱心に行い、手に入る限りの知識を蓄積し続けた。


 ヒトを知りすぎたのだ。


 ヒトを知りすぎた故に、レゾンはその存在意義を失った。


 ヒトにはできない決断を行うのが、人工知能の役割だ。種の存亡が関わっているならば、なおさら決断は迅速に、正確に行う必要がある。私情や罪悪感、歴史やならわしに縛られる人間をフォローするのが、人工知能だ。


 レゾンは私情を知ってしまった。


 ヴィオレの小さな幸せを願ったのだ。


 私情を挟む人工知能に、存在意義などない。


 レゾンの電脳のあちらこちらで、赤い警告色と共にエラーが鳴る。自らの存在を否定したのだから、当然のことだ。


 それでも、レゾンはヴィオレから目を離さなかった。

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