06

 問いではなかった。確認ですらなかった。ヴィオレは確信して糾弾した。


 ヒトを導く人工知能であるレゾンは、ハイジアのヴィオレに隠し事をしている。


 知りたいことならばなんでも教えてくれたレゾンが、自分に向けてなにも言わないことが、ヴィオレには恐ろしくてたまらなかった。


 自分を拾い、かわいがってくれたハイジアの少女たちが、念動力のペストに殺されたことだって教えてくれたレゾンが口を閉ざすなど、あってはならないことだった。


 それ以上にレゾンの口を重くするものが、存在していいはずもない。


 ざり、とスピーカーが息を吹き返す。


「きっとヴィオレは私を嫌う」


 ノイズまみれの合成音声は、子供が泣きながら訴えようとしているのに似ていた。


「私は重大なバグを放置し続けていたのだ。今更それに気づいた。私はヒトを存続させるための人工知能だ。私が維持されるにもヒトという種は必要だ。だというのに種と個をひとつのものだと考えていたのだ。種を守るためなら迷いなく個を捨てるべきだったのに」


「レゾン……?」


 要領を得ない言い訳のような言葉の羅列は、ますます子供の癇癪じみていた。


 これほど音声が乱れていながら、金属製の球体に変化がまるでないのがむしろ不気味だ。いっそガタガタと震えてくれれば、レゾンがそこにいるものだと認識できるはずなのに。


「──ヴィオレをドクター・御堂みどうに託したのは私の判断だ」


 突然現れた御堂の名に、ヴィオレはすぐさま立ちあがった。


 なにも考えずに力を入れた右足首が鈍く痛む。テーピングの圧迫も、今は煩わしいものでしかなかった。


「なんの話を、してるの……レゾン」


「ヴィオレをハイジアにするとき、私は封印計画の説明と共にヴィオレの必要スペックについて説明した。ハイジアをヒトとして扱わない計画に、ドクター・御堂が反発することを理解していながら、私はその人選を覆さなかった」


 足が震える。


 思わずヴィオレは柱へ手をついた。そうでもしなければ立っていられない。


 御堂祐樹ゆうきは唯一ハイジアを人間扱いする科学者だ。そんなことは下層の研究所内では当たり前の認識で、当然レゾンの認識もそうだっただろう。


「つまり、私は……私が失敗作になるのは、決まってたことだったの?」


「ドクター・御堂が私の計画を無視する確率は六七パーセントだった。それでも私が彼にヴィオレを託したのは、計画までの間、少しでも大切に扱ってくれる科学者の元に、送ってやりたかったからだ──」


 ヴィオレはなにも言い返せなかった。


 言葉を失っていた。寄る辺を失っていた。立っている地面すら崩れていきそうだった。


 ヴィオレが失敗作になってしまったのは、どうすることもできない失敗の積み重ねではなかったのだ。


「すまない、ヴィオレ。私の、独りよがりな、自己満足だ」


 ヴィオレは金属球から目を反らした。


 自分が失敗作であることは、仕方がないと思っていた。


 念動力のペストは、浅間あさまが初めて相対した脅威だった。


 だから、念動力のハイジアを作るのだって初めてのことだっただろう。


 誰だって最初は間違える。念動力のハイジアがうまく作れなかったのは、きっと単純なミスで、次また同じペストが現れれば、思い通りのスペックが発揮できる。


 それなら、ヴィオレが失敗作であることにも意味がある。


 科学者たちからの白眼視にも耐えられる。他のハイジアより不利な戦いにも耐えられる。四人のハイジアを犠牲にして手に入れたものはちっぽけだったけど、また次に生かせるならば悪いことではあるまい。


 ──そう、思っていた。


「バカみたい」


 いつの間にか、ヴィオレは口に出していた。


 表に出す前にいつもつっかえてしまう本音が、今はやけに素直だ。


「バカみたいじゃない……私が」


 ヴィオレ、と呼ぶ声が遠く聞こえた。


 もう名前を呼ばれることすら嫌だ、とヴィオレは思う。紫の意味を持つ名は、ハイジアになると同時に与えられた識別コードのようなものだ。


 ヴィオレとは、希望を一身に受けた名前だった。


 ヒトでは存在し得ない紫の光彩は、世界の放射能汚染を止める希望が込められていた。浅間に閉じこもる生活が終わるかもしれない未来を、ヴィオレという名に見たのは何人だったのだろうか。


 多少ペストをうまく殺せるようになったところで、失敗作のヴィオレに向けられる視線が変わるはずもない。ヴィオレに期待していたのは、そんなことではなかったからだ。


「ちょっとでも期待に応えようって思ってた私が、バカみたいじゃない」


 ヴィオレはフードをかぶった。そして、最下層から出るためのたったひとつの階段を、逃げるように駆けあがる。


 スピーカーから聞こえる雑音も、右足首が放つ痛みも、何もかも無視してひたすらにヴィオレは走り続けた。


 もう、誰のことも信用できそうにない。

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