第25話 ごめん、今回はデート回じゃないんだ

 日曜日。金、土と二日連続で降っていた雨はぴたりと止んでいた。神は一体誰に味方してくれたのだろうか。卯崎か、奥沢先輩か、はたまた俺か。まあどうでも良いことだな。


 そんな事を考えていると、まるでモーセのように人混みを割って誰かがこちらにやってきた。勿論卯崎である。


 この間の真っ白な服とは違い、縦縞模様の入ったブラウスにデニムのショートパンツと、今日はずいぶんと雰囲気の違う服装だ。生足が強調されているせいか、ちらちらと卯崎を見る人の視線が下に向いている。


「すみません、先輩。お待たせしました」


「いや、俺もさっき来たところだ」


 そう言ったところで、この間も同じようなやりとりをしたなと気づいた。もっとも、今回はデートごっこではなく他人の尾行という、全く目的の異なるものだが。


 それに、俺の予定通りに進めば、この後俺は卯崎に嫌われるはずだ。


「それで、先輩。宮本先輩と三浦先輩の二人はどこにいるか分かりますか?」


「それなら大丈夫だ。さっき見つけて、視界の端にとらえてある」


 そう言って、俺はその方向へ指を指した。

 その先を目で追い、俺が指さす二人を認識した卯崎は……固まった。


 なにが起きているのか分からないと言った表情。しかしそれも数秒。すぐに現状を把握した卯崎は、その現状を作り出した張本人である相手、つまり俺に向かって言葉を発した。


「…………なんですか、あれ」


 その言葉は感情が一切込められていない、無機質なものだった。ちらりと卯崎の方を見やると、普段の微笑すらも浮かべていない、無表情。


 だが、こうなる事は予想済みだ。むしろそれを狙っていたと言ってもいい。


 卯崎が俺に質問を投げかけた理由。それは。


「どうして……宮本先輩と、奥沢先輩が一緒にいるんですか」


 宮本先輩の隣にいるはずの三浦先輩はおらず、代わりに依頼人であるはずの奥沢先輩がいる。卯崎が出した案とはまるで違う現実。


「悪いな、卯崎。……三浦先輩の代わりに奥沢先輩を呼んだのは、俺だ」


 それを作り出したのは、俺だ。


 ***


 つぼみさんからの依頼を受けた次の日、つまり木曜日。俺は授業が終わるや否や、奥沢先輩のいる三年の教室へと足を運んでいた。


 入り口近くで先輩を発見した俺は、先輩が友達と話し終えるのを待って声をかけた。


「奥沢先輩。少し良いですか」


「えっ? あ、君は確か……」


「二年の古木です。卯崎の使いっ走りの」


 俺が話しかけると奥沢先輩は一瞬知らない奴に話しかけられたかのような表情をしたが、すぐに思い出してくれたようだった。忘れられてなくて良かったぜ。


「な、何の用かな? 卯崎ちゃんのところに行った方が良い?」


「いえ、卯崎は関係ないです。今日は個人的な用件があってきました。今から少しお時間いただけますか?」


 反論させないように一気にまくし立てる。陸上部は今日も通常通り活動日だ。ここで奥沢先輩に部活に行かれたら困る。


 だが幸い、奥沢先輩は頷いてくれた。


「……う、うん。大丈夫だよ」


「では屋上に行きましょうか。あそこなら人も滅多に来ませんし、話をするにはうってつけです」


「屋上ってこの学校にあったんだ……」


 奥沢先輩は屋上の存在に少し驚いたようだった。屋上は行き方が複雑なため、奥沢先輩のようにそもそも存在を知らないという人が大半なのだ。

 だから、他の人に聞かれたくない話をするにはもってこいの場所である。


 俺の先導で屋上までの道を歩く。しばらくして階段を登り切りドアを開けると、そこには青空が広がっていた。夕日にはまだ少し早い時間帯だ。


 誰もいない屋上で、俺と奥沢先輩はある程度の距離を保って向かい合った。


「……それで、話って?」


 奥沢先輩の問いかけに、俺は小さく息を吐いてから口を開いた。


「単刀直入に言います。奥沢先輩、あなたの本当の依頼はあの二人の仲を引き裂く事じゃない。違いますか」


 まっすぐに、目線を逸らさずにそう言うと、奥沢先輩は対照的に俺から目を逸らした。


「……ど、どういう意味かな?」


「そのまんまの意味ですよ。それとも、もっと直接言えば良いですか」


「……」


「先輩、宮本先輩の事が好きなんですよね」


「……っ」


「本当は宮本先輩に告白したい。けどその勇気が出せずにいる。そうやって現状維持に甘んじているうちに宮本先輩が三浦先輩の事を好きになってしまった」


 俺の言葉に奥沢先輩はなにも言わない。ただ何かに耐えるように目線を左下に固定してぎゅっとスカートの裾を握っている。


 奥沢先輩は現在進行形で自分が隠してきた秘密を赤の他人も同然の俺に暴かれているのだ。良い気分のはずがない。

 それでも、俺は言葉を続けた。


「宮本先輩と三浦先輩の仲が近づくのを恐れたあなたは、卯崎に相談する事にした。陸上部のため、なんていう最もらしい建前を持ち出して。……先輩、本当は三浦先輩がそれほど宮本先輩を好きではないことを知っていたんじゃないんですか?」


 言い切ってから一度深く呼吸をする。まだ奥沢先輩は俺と目を合わせようとしない。


「今言った事は全て俺の勝手な推測です。根拠なんてほとんど無いも同然だ。だから違うなら違うと言ってください。その時は謝ります。……でも、もし本当の事なら。本当は自分の恋の手伝いをして欲しかったと思っているなら。その恋愛、俺に手伝わせてください」


 そう言って頭を下げた。


 卯崎とは真っ向から食い違う解決方法。奥沢先輩が本当にしたかった依頼を解決する。それが、俺が考えた最良の答えだった。


 最後まで俺は奥沢先輩から目を離さなかった。そうする事が俺の精一杯の誠意だった。


 そうして頭を下げ続ける事数分。奥沢先輩がぽつりと言葉を漏らした。


「……そう、古木君の言うとおり。私は孝の事が好き。ずっと前から、好きだったの」


 それは俺の推測を肯定するもので。


「小学生の頃から、ずっと孝のそばにいた。私は、それだけで十分だった。走っている彼の姿を見るだけで心が満たされてたの。だから、この気持ちを伝えて孝に拒絶されるのが怖かった。それで彼のそばにいられなくなるのが怖かった」


 一旦自分の想いを口にすると抑えきれなくなったのか、奥沢先輩は堰を切ったように次々と言葉を紡いでいく。


「……でも、孝は三浦ちゃんの事が好きになった。二人は誰が見てもお似合いで、私が入る余地なんてどこにもなかった。当たり前だよね。だって私は、今まで自分の気持ちをひたすら隠してきただけで、孝の隣に立つ女の子になる努力なんてなんにもしてなかったんだから。慌てて外面だけ必死に取り繕ってみたけど、そんなものが通用するわけもなくて。だから、私は……」


「宮本先輩から三浦先輩――恋敵を引き離そうと思った」


「あはは、最低だよね、私。そんな事をしたって彼の一番になれるはずがないのに」


 そう言って奥沢先輩は力なく笑った。笑いながら静かに涙を流していた。その涙の理由は俺には分からなかった。


 分からなかったが、それでも俺は奥沢先輩に力強く呼びかけた。


「確かに先輩のやろうとしていたことは間違っていたのかもしれない。でも、それに気づけたのなら、先輩にだってチャンスはまだあるはずです。いや、絶対にある」


「……でも、孝は三浦ちゃんしか見てないんだよ? 私の事なんてそもそも異性として意識されてるのかも分かんない。それくらい絶望的なんだよ」


「なら無理矢理にでも振り向かせたら良い。異性として意識されてない? それってつまり先輩が異性として意識されさえすれば宮本先輩が振り向いてくれるかもしれないってことですよね。全然絶望的なんかじゃないですよ」


「で、でも……」


「ああもう!」


 なおも否定の言葉を重ねようとする奥沢先輩の言葉を無理矢理遮る。


「先輩はそのいちいち否定から入るのをやめてください。そうやって何でもかんでも否定して自己完結させてるから宮本先輩が取られそうになってるんでしょうが」


「う、そ、それは……」


「いいですか、先輩。俺が聞きたいのは一つだけです。先輩は宮本先輩と付き合いたいんですか、付き合いたくないんですか」


 結局、話の根幹はそんな単純な事なのだ。そこから目を背けて、選択をしなかったからこんなややこしい状況になってしまっているのだ。


 俺の問いかけに、奥沢先輩は頬を赤く染めながら小さな声で呟くように答えた。


「…………それは、勿論、付き合いたいよ」


「なら、俺にもその手伝いをさせてください」


「……いいの?」


「勿論です」


「私のサポート、多分すごく大変だよ?」


「それは今までのやりとりで十分すぎるくらいに分かりました。……まあ、なんとかなります。最悪当たって砕けろって言うつもりなんで」


「それ全然大丈夫じゃないよね!?」


「いやいや、なにをいいますか。恋愛は何回当たって砕けたって次があるんですよ。だったら実るまで何回でも砕けたら良いと思います」


「……古木君、意外とスパルタなんだね」


「さすがに冗談です」


 まあ、本当は半分くらい本気で言ったが。


 それにしても、嘘を吐いていたという負い目から解放されたからか、奥沢先輩の表情が心なしか明るくなったように感じる。それに言動もはきはきとしていて、これまでの奥沢先輩とは少し違った印象を受ける。恐らくこちらが素なのだろう。


 ともあれ、こうして俺は本当の意味で『奥沢先輩の』恋愛相談を受ける事になったのだった。


 ***


「……どういうつもりですか、先輩」


 回想終わり。場面は日曜日の遊園地。隣には無表情でこちらを見つめる卯崎。


「すまんが今は話せない。あとで理由は話すから、取りあえず二人を追いかけよう」


 その卯崎の問いに俺は答えず、入り口へと歩いて行く宮本先輩と奥沢先輩を見失わないようにと歩き始める。が、卯崎はそこに立ったまま、こう言い放った。


「私が行く必要、ありますか?」


「……これはお前が望んだ形じゃ無いかもしれないが、お前の受けた依頼だ。お前には最後まで見届ける義務がある、と思うが」


 俺が振り返らずにそう言うと、しばらくして卯崎が俺の横まで歩いてきた。


「しかたないので先輩に付き合ってあげます。ここでなにもせずに帰るというのも不毛ですし」


 そこには明らかな苛立ちが含まれていた。

 卯崎が初めて見せた怒りの感情。それに俺は安心してしまった。


 卯崎だってなにもかもを微笑みの中に隠す事は出来ない。それを知れて良かった。

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