第22話 紅茶談義

 翌日。卯崎と別れ一人教室に入った俺がなにをするでもなくぼーっと天井を見つめていると、99%位の確率(俺調べ)でクラスで二番目に早く登校してくる生徒、神月楓が教室に入ってきた。


「あら、朝から人の死体を見てしまったわ。早く119に電話しないと。それとも110の方かしら?」


「人の顔を見ていきなり死体扱いはやめろ。というか死体だったら119に電話しても意味ないだろ」


「久しぶりに会った気がしたと思ったら死んだような目で天井を見つめていたから死体かと思ったのよ。悪かったわね」


 これっぽっちも悪いと思っていないような口調でそんな事を宣う神月。本日もその毒舌はお変わりないようだ。


「ていうか久しぶりって何だよ。毎日会ってんだろ」


「そうなのだけれど、なんだかいきなり半年ぶりにあなたに会ったような気がしたのよ」


「意味が分からん……」


 会ってそうそう訳の分からないことを言いながら隣の席に座る神月。ショートカットの黒髪がふわりと揺れた。


 ショートカット。それを見て思い出すのは陸上部のあの二人だ。


「……時に神月さん。つかぬ事を聞くんだが」


「あなたが私に話すことはいつだってつかぬ事かろくでもない事かどうでも良い事のどれかでしょう? 残念な事にちょうど暇だから聞いてあげるわ」


「ありがとうございます。ただ聞く気があるなら人の話をぶった切るのはやめて欲しかったっす」


「早く話さないと私の聞く気が失せるわよ?」


 なんかもはや毒舌の域を超えて女王の風格すら漂ってないですか? 神月さんそのキャラで良いんですか?


「その、髪型の事なんだが。神月はなんでその髪型にしてるんだ?」


 俺の知る限り、つまりは少なくとも高一の最初から神月はずっとショートカットだ。それだけ長い期間同じ髪型だと言う事はそれなりに理由があるのではなかろうか。ショートカットという言葉が昨日から引っかかっている俺はそんな事を思いながら尋ねた。


「特にないわ。強いて言うなら髪の毛のお手入れが楽だから、かしら」


「……はい?」


「聞こえなかったのかしら? あなた、耳鼻科にでも行った方が良いんじゃない?」


「いや、しっかり聞こえていたんだが、まさかそんな単純な理由だったとはって感じで」


 もっと深い理由があるとばかり思っていたのだが。


「単純な理由? 女子にとって髪の毛のお手入れと言うのはとても大事な事なのよ。髪は女の命という言葉を知らない? あれは単に長ければ良いという事ではなくてその質まで含めて言っているのよ。つまり髪の毛の質を楽に保てるという事はそれだけで髪型を決める要素の一つになり得るということよ。まあ、乙女心のおの字も分からないあなたには理解も出来ない事でしょうけど」


 怖い怖い怖い。怖いよ神月さん。どうやら俺の何気ない一言は彼女の触れてはいけない部分に触れてしまったようだ。みんな、言葉選びは慎重にしようね!


 まあでも、今の神月はぼっちと言われたときに比べれば大分怒りのボルテージは低い。あれは本気で怖いからな……。まず圧からして違うからね。ぼっちって言われたときの神月は殺気すら感じさせる位怖い。


「今、要素の一つ、って言ったよな? てことは他にも要素があると思うんだが、乙女心が分かる神月に是非教えていただきたい」


 俺がそう言うと、神月は少し怪訝そうな顔をしながら口を開いた。


「何故そんなに食いついているのか分からなくて少し気持ち悪いけれど……まあいいわ。他に最も一般的な要素を上げるとしたら、そうね……」


 そこで神月は少し考え込むような素振りを見せてから、


「……好きな異性の好みのタイプに合わせて髪型を変える、とかかしら」


 そう言った。


 ***


 放課後。例のごとく紅茶の香り漂う旧写真部部室で俺と卯崎はソファに腰掛け向かい合っていた。ていうかいい加減旧写真部部室っていうの面倒だな。


「さて、依頼についての話ですが。解決方法をいくつか考えてきました」


「いくつか?」


「ええ。私もこのような依頼は初めてなので、どれにしたらいいのか先輩からも意見を貰おうかと思いまして」


 そう言いながらカップに口をつける卯崎。それに習って俺も紅茶を飲もうと口に含む。


「って苦っ。え、なんでこんなに苦いの?」


 今まで飲んだ事のある紅茶は苦みとか渋みとか、そう言ったものはまあ、あるなーくらいに感じられる程度だったのだが、今飲んだやつは最初からもう苦い。なんか緑茶みたいな渋みがある。


「……やはり初めてのストレートティーだとそう言う反応ですよね」


「ストレートティー?」


「これまで私が出していたのは紅茶にミルクを入れたミルクティーというものでして、紅茶の渋みが強く出ないものなんです。ストレートティーというのはそのまま、紅茶だけを純粋に楽しむ飲み方です」


「なんで今日のはそのミルクティーってのにしなかったんだ?」


「今日お出ししたヌワラ・エリヤという茶葉はストレートで飲むのが最も美味しくいただけるんです。少し渋みが強いのが特徴で緑茶のような青さがあるので初めての方には少しきつい味に感じてしまうと思いますが」


 何でそれを紅茶初心者の俺に出したんだよ、と言いたいのを我慢しつつ再びカップを手に取る。


「別に無理して飲む必要は無いんですよ」


「いや、絶対無理って言うほどじゃないから。それに残すのは茶葉に悪い気がする」


 そう言いつつ、少しずつカップの中の紅茶を飲んでいく。やっぱ苦い。苦いが苦手と言うほどではない。そんな中途半端な苦さを舌に残して俺はカップの紅茶を全て飲み干した。


「おめでとうございます、先輩。これで先輩も脱紅茶初心者ですね」


「別に紅茶専門家になるつもりはないけどな」


「……私、実は今結構驚いているんです」


「そんな風には見えないけどな」


 俺の言葉を無視して卯崎は続ける。


「今まで先輩に出してきた紅茶、さらに言えばこの間出かけた際に飲んだ紅茶は全部、本来ミルクティーよりもストレートで飲んだ方が美味しくいただけると言われているんです」


「じゃあ、どうしてミルクティーにしたんだ?」


「紅茶はストレートでも苦くない、という方はたくさんいらっしゃいますが、正直初心者がいきなりストレートで紅茶を飲んだら苦いと思う方が多いと思うんです。なので今までは先輩に紅茶を楽しんでいただくためにもあえてミルクティーで出していたんです」


 そうなのか。そんな配慮今まで気づきもしなかった。


「今日ヌワラ・エリヤを出したのは先輩がどのくらい紅茶を飲めるのかを確認する意味もあったんです。先ほども言いましたが、私は先輩がこれを飲めるとは思っていなかったので、これを参考にしてどれくらいの苦さにするのかを調整しようと思っていました」


「参考にするために初心者が飲めないような苦さの紅茶を選んだのか」


「もちろん飲めない事を想定してミルクも用意していました」


 本当は紅茶を入れる前にミルクを入れなくてはならないのですが、と卯崎は付け足した。どうやらまだまだ紅茶の世界は奥が深いようだ。


「……まあ、俺は基本何でも飲めるが、苦いよりは甘い方にしてくれるとありがたい」


「分かりました。参考にしますね」


 そう言って卯崎はいつもの微笑みを浮かべた。


 ***


「……さて、大分話が逸れてしまいましたね。本題に戻りましょう」


 紅茶談義が一段落し、俺たちは今日の本題である依頼の解決策について話し始めた。


「いくつか考えてあるって言ってたな。まずはなんだ?」


「はい。まず一つ目の案ですが、あの二人の片方、もしくは両方に別の好きな人を作らせて二人の仲を疎遠にさせる方法です」


「まあ、妥当なところだな」


 恋仲の二人――厳密にはあの二人は恋人ではないが――が別れるのに最も単純な理由は何か。恐らく二人のうちどちらかの浮気だろう。

 人は新たに興味のあるものが出たとき、それまで大事にしていた「好きなもの」を簡単に手放してしまえる生き物だ。それはおもちゃであっても恋人であっても変わらない。

 

 だから、二人の仲を疎遠にさせるという点ならば、それが最も単純で効果の見込める方法だろう。


 だが、


「どうでしょう、先輩」


「……却下だな」


 俺はその案を蹴った。


「どうしてですか。二人の仲を引き裂く、という奥沢先輩の依頼はそれで達成できると思うのですが」


「まあ、確かにそこまでならこの案でも十分だと思う。けどな、この依頼はそれだけだと足りない」


「どういうことですか?」


「よく思い出してみろ。奥沢先輩は二人が今のまま恋にうつつを抜かしているとなにが問題だと言っていた?」


「確か二人が練習に集中できなくなって、次の大会に支障が……あ」


 どうやら気づいたらしく、卯崎は得心がいったように声を漏らした。


 そう、もしこの案が上手くいって二人の仲が疎遠になったとしても結局片方、もしくは二人とも恋にうつつを抜かしている、と言う状況は変わらない。奥沢先輩の依頼を達成するにはあの二人を疎遠にするだけでなく、大会に集中できるようにするということも必要なのだ。


「それに、だ。相談者の恋愛関係に第三者が積極的に踏み込んだらそれは正しくその人の恋愛とは言えない、じゃなかったか」


「……」


「ま、あれだ。二人の仲を引き裂くってところに執着しすぎだな、その案は」


「……そうですね。次に行きましょうか」


 案外あっさりと引いた卯崎が次の解決策を提示する。


「第二の案は……おまじないです」


「って早くも神頼みかよ」


 思わずノリツッコミをしてしまった。いやでもおまじないって、それはないだろ。一体いつの時代だよ。


「ですが先輩、これには根拠がありまして」


「……なんとなく予想がつくが、なんだ?」


「今回の依頼の解決策を練るに当たって、インターネットでいろいろと調べてみたのですが、この手の悩みはそれ専用のおまじないというか、呪いみたいなものが存在するようなのです」


 そう言われてスマホで「恋人 別れさせる」でグーグル大先生に聞いてみると、卯崎の言葉通り怪しげなおまじないやら呪いやらと書かれたサイトがいくつもヒットした。


「たかが恋人の仲を引き裂くのに呪いって、オーバーキルすぎるだろ」


「インターネットというのは多少誇張しすぎる傾向がありますから、実際は呪いなんてたいそうなものでは無いと思いますが。それでもそう言ったサイトがいくつもあるという事は恐らく一定の効果は見込めるのではないかと。あくまで推測ですが」


「ずいぶんと自信なさげにいうな」


「……自分が持ってきた案で言うのも何ですが、私もこの案が上手くいくとは思っていません」


 そりゃあそうだろ。この案はあまりにも根拠が乏しい。なんで卯崎がこれを持ってきたのか不思議なくらいだ。


「……で、先輩。どうでしょうか」


「もちろん却下だな」


 おまじないや呪いと言った類のものは科学的根拠が極めて乏しい。科学的根拠がなければその確実性を証明できず、確実性がないならばやるだけ時間の無駄だ、ということだ。


 卯崎も却下されるのは当たり前だと思っていたようで、そうですよねとだけ言ってから次の案に移った。


「では次の案についてです、と言ってもこれが最後なのですが。……先輩、ディ○ニーに行くカップルは別れる、という話を聞いた事はありますか?」


「ああ、小耳にはさんだことはあるな。確かアトラクションの待ち時間が長くて二人きりの会話が持たなくなって、そこで相手の事をつまんない奴だって感じて別れてしまうっていうやつだろ?」


「他にも理由はいくつかありますが、大まかに言えばそういう話です」


「で、それがどうしたんだ?」


「その理論をあの二人に適用しようと思うんです。つまり、あの二人をわざと二人きりでどこかに出かけさせ、そこでお互いの欠点を自分で見つける事で自然消滅を狙う、と言う事です」


 卯崎が簡潔に説明を終える。確かにこれならば奥沢先輩の依頼内容は一応全て満たす事が出来、かつ確実性もそれなりに保証されるだろう。


 だが……いや、だからこそ、その提案は薄気味悪く、はっきり言って悪質だった。

 もしこれが成功してしまえば依頼は解決できるだろう。だがその後はどうだ。宮本先輩と三浦先輩の間には気まずい空気、もしかしたら険悪な空気が流れる事になり、二人と仲が良いであろう奥沢先輩の立場も難しいものとなってしまうのは明らかだ。


 卯崎はそれを理解した上でこれを提案してきたのだろうか。気づかなかっただけならまだいい。しかしもしそれに気づいていてなおこの案を通そうとしているのなら、そこには明確な悪意が込められている。


 それでも、俺には卯崎を問いただす事は出来なかった。


「……その案は確かに確実性も高くて、なおかつ奥沢先輩の依頼内容にも沿った解決策だと思う。だが失敗したときのリスクが高い。二人でデートをさせるわけだからな。それがもし上手くいきました、なんて話になったらむしろこっちが二人の仲を進展させてしまう事になる」


「……つまり?」


「まあ、なんだ。……一旦保留ってことにしとかないか。他にもっと良い方法があればそっちを使った方が良い」


 だから何とか違う方向で、無理矢理にでも理由付けをして、俺は結論を先延ばしにするという、なんとも中途半端な答えを出したのだった。

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