第8話暴動

かける言葉が見つからないとは、まさにこの事だ。先程までの怒りが塵のように消え去り、ただ目の前の事実を受け入れられない。


なおもプラプラと取れかけた陰部を揺らす男が派手にコケると、傷口に触ったのかただ転んだだけとは思えない、苦痛に満ちた顔で悶絶し、残り3人はその男を助けるのかと思えば、目にも入らぬと言わんばかりに無視し、そのまま道路へ向かってなおも逃走した。


卯月はそれを走って追いかけることなく、ただゆっくりと目の前の男に詰め寄り、手に持っている血濡れのナイフを光らせる。


卯月は、あのナイフをいつも持ち歩いていたのだろうか、それとも、この治安が悪化した昨今のことを考えて、持ち歩くようにしているのだろうか。働かない頭でぼんやりと考えていると、テント入口で長い棍棒を持って見張っていた男が、慌てた様子で叫び出す。


「貴様、テロリストの仲間か!」


なんの躊躇もなく、男は棍棒を思いっきり横に振って卯月の頭に叩きつけた。派手な打撃音と共に、卯月は地面に伏したが、それでも男の攻撃は終わることはない。ゴン、ゴンと鈍い音を鳴らしながら、卯月の体を殴り続け、見るも無惨な痛々しい姿へと変わっていく。


「ま、待て………」


「てめぇやりすぎだ!」


口を開こうとしたその時、我々男性列から体格のいい1人の若い男が飛び出し、殴り続ける男に体当たりをした。体勢を崩して倒れる男に、若い男がすかさず駆け寄ると、手に持っていた棍棒を奪い取り、力の限り男に向かって叩きつけた。


体格と若さゆえの力の為か、若い男の一撃は先程聞いた打撃音とは比べ物にならない、凄まじい音が鳴り響く。男は命乞いとも言える言葉を発しているように聞こえるが、その言葉をかき消すかのように打撃をまた繰り返し、最後は皮膚が裂けてひき肉のような傷口を晒して男は息絶えてしまった。


この一連の騒動により、ついに我々若者と自警団との対立が表面化してしまい、自らの保身のために大人しく並んでいた列が崩れ、近くの自警団に向かって拳を振り下ろす大乱闘となった。元々自警団の数は若者よりも少なく、長い棍棒1つでどうにかなるようなものでは無い。棍棒を振りかざそうとしても、他の若者に棒を捕まれ、奪われ、そして一対多数のタコ殴りだ。


「何が自警団だ、ふざけやがって!」


「傍から見ればテメェらの方がテロリストだろ!」


「老害はさっさと棺桶に入れ!」


「ま、待て! 助けてくれ!」


まさに阿鼻叫喚、暴力の応酬の渦。怒りと憎しみと不満の放出だ。


騒ぎを聞きつけ、自警団メンバーではない中年層の面々が会社の入口から外の様子を伺いにきたが、荒れ果てた外の様子に顔を真っ青になり、慌てて入口を塞ごうとするが、それに気づいた近くの若者が阻止に入り、奪った棍棒をねじ込んで入口をこじ開けた。


1度ガソリンに火がつけば、そう簡単に消えるものでは無い。遂にはただ会社の入口にいた無関係の中年の男に棍棒を振りかざし、頭から噴水のような血飛沫を飛び散らして中年の男は倒れ、そこから若者による無差別殺人が始まってしまった。


対する俺はと言うと、その乱痴気騒ぎに便乗するでもなく、ただ眺めていた。自警団メンバーを助けるつもりは毛頭ないが、とはいえ暴徒の一員になろうという気も起きず、ただ自体の行く末を傍観するしか無かったのだ。


ああ、ついにこうなってしまったか。これでもうこの会社は営業できないだろう。そうぼんやりと考えていたら、ふと、倒れている卯月美里が目に入った。


そうだ、卯月は無事か? せめて卯月は助けなければ。


近くに駆け寄り、卯月の様子を見るが、やはり酷い。所々アザだらけで、恐らく骨折しているのだろう、腕がパンパンに腫れ上がり、頭は何処か切れているのだろう。もう髪の奥まで血塗れだ。


卯月の口元に手を当てると、薄らとだが呼吸はしている。まだ、助かる。


下手に動かしてはいけない。ここは救急車だ。


スマホを取りだし、すぐに119を電話をかけるが、何故か繋がらない。警察や救急車は3コール以内に繋がるはずなのだが、そんなに混雑しているのか?


何度かけ直しても繋がらない、こうなれば警察だ。110に切り替えて電話しようとすると、どこからともなくパトカーのサイレンが鳴り響いた。渡りに船とはまさにこの事、道路に出て手を振ろうとしたが、その光景にギョッとした。


パトカーは1台所ではない。5台以上のパトカーと機動隊用車両が2台の大編成でこちらに向かっている。それもそうだ、今この会社で起きていることは間違いなく事件、いや、暴動なのだから。恐らく社内で通報者がいたのだろう。


会社の前に警察一行が到着するやいなや、車から降りると警官は俺に向かって拳銃を抜き、怒声を浴びせた。


「無駄な抵抗はせずにその場に伏せなさい!」


「ま、待て! 俺は関係ない!」


「指示に従いなさい!」


あの血走った警官に、俺の話など通用はしないだろう。大人しく指示に従って伏せると、警官は拳銃を向けたまま近寄り、俺の手首に手錠をかけた。誤認逮捕など冗談じゃない。


だが、それよりもまずは卯月だ。彼女の傷は早めに見てもらいたい。


「お巡りさん! 俺を連れていくのはいいが、まずはそこの女を病院に連れて行ってくれ! 重症だ!」


そう言われ、警官は拳銃を向けたままちらりと卯月に目線を変え、再び俺に目線を向けた。


「彼女は後続の救急車にのせるから安心しなさい」


警官は優しい口調で答えたが、俺への扱いは全く優しくなかった。無理やり立たされたかと思えば、そのままパトカーに詰め込まれた。


サイレンを鳴らしてパトカーは走り出し、気分はまるで凶悪犯罪者だ。ここでじたばたしても仕方が無いので、窓から見える景色を眺め、気分を紛らわすこととした。


どうやら会社の前は封鎖されているらしい。対向車は皆警察車両で、一般乗用車は1台も走っていない。しかし、こうして見てみると、この街も大分荒れているようだ。元々は普通のオフィスビル街だったはずなのだが、道にはゴミが散乱しているし、落書きも多くなっている。どうやら元々この街は警察にマークされていたらしい。


その後警察署に到着すると、長ったらしい取り調べを受け、知っていることは洗いざらい話し、翌日の日の出頃にやっと開放された。

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日本は老いました 成神泰三 @41975

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