羅梅鳳、武芸を披露す。

 人品と賄賂の関係について、十六股文じゅうろっこぶんで述べよ。


 陳粋華ちんすいかの答案


 □□□□、、□(あてはまるフォントなし)

 <東夷訳とういやく

 我思ふに、すべての事柄は人品に起因すべし。



 羅梅鳳らばいほうの答案


 ■■■■、、、、■■(乱筆の為判読不可能)

 <東夷訳とういやく

 賄賂を得るものすべて、ことごく斬って捨てて、家系みな九族にいたるまで、弾劾に処して然るべし。 


**********************************



 陳粋華ちんすいかの日常は、ごくごく平凡に過ぎていく。

 それが、官吏というものだ。究極の事務職。永遠に続く日常。永遠に繰り返される日常。特に文官はそうだ。

 基本、師匠で上司の劉甫りゅうほ老人の下働きというか、小間使いが主な仕事である。

 毎日、城外ではあるが天京てんきん、都内の官吏宿舎を出て、青禁城に登城とじょう。 

 司史所ししじょを訪れ、やれ、あれを買ってこいとか、あれこれを取ってこいとか、いう、師匠の言われるがままに、城内の違う房に行ったり、あっちへ行ったり、城外に買い物に行ったり。

 この劉甫老人、よる年波には勝てず、さすがに歩くこと自体が億劫おっくうらしい。

 この司史所、恐ろしいことに天下の秋王朝しゅうおうちょうともあろうが、たった二人でまかなっているのだ。

 それと、小成こなりこと、陳粋華もちょこちょこ、実務も任されている。竹簡と木簡への小刀での掘り方を習ったり、資料の整理、これが一番面倒なのだが、、。


「これ、小成こなり、雑記用の布が足らぬ、北天通ほくてんつうで賄ってくれぬか」

「ハイ、御師匠」


 と陳粋華。

 この時代、汎華大陸ならびに、世界中でいまだ紙は発明されていない。

 陳粋華は、てくてくと天京てんきん随一の文具四宝ぶんぐしほうの街、北天通ほくてんどおりに赴く。

 北天痛りには、文房具屋まさに軒を延々と連ねる。

 <万文堂ばんぶんどう>に<展書院てんしょいん>、<博記屋はっきや>に<莫大筆ぼうだいひつ>。

 北天通に通じる、往路を曲がろうとした瞬間、ズルズルでもなくガラガラって感じでもない、嫌な音が角の向こうからし嫌な予感がした。

 角から、顔を半分だけのぞかせてみると、予想はあたった。

 羅梅鳳らばいほうふみの街といってもいい、北天通を長剣の鞘を引き摺りつつ歩いていた。

 武芸武術バカのあの女が、この通りに用があるはずがない。

 その筈で、あっちをウロウロこっちをキョロキョロといった感じである。

 陳粋華が、どうにか、羅梅鳳を避けて、雑記用の布を購入できないかと思案しているところ。

 さすが、課挙武官登第者である、恐るべき、直感で陳粋華に気づいた。


「やぁ、ご同輩」と羅梅鳳。

「こんにちは、、」と蚊の鳴くような声で陳粋華。


 陳粋華の声は小さい。羅梅鳳はズカズカと歩み寄ってきた。

同期生だが同輩になった覚えはない。


『ちょっと嫌だ、、、(´・ω・`)』


「いやぁ、上役に、報告書も書けんのか、と恫喝されて頭に来て、文具四宝ぶんぐしほうを得んと想っていたところ、武具や得物(剣や鉾や槍)と違い要領を得ず困っていたところだ。我が同輩殿よ、選んでくれまいか」


 女にもかかわらず気取きどった男言葉なのも、イラつく。

 

『おまえに、会って困っておるのは、こっちだ。武芸バカめ』


 と陳粋華が想っているところを、羅梅鳳は、陳粋華の肩に手をかけてきた。体育会系っぽい遠慮のなさ、距離の近さ。

 こういうのは、ガリ勉の陳粋華の一番イヤがるところだ。

 しかし、驚きもあった。この羅梅鳳、陳粋華の肩に腕をかけている限り、思っていたほど大きくない。

 ちんちくりんの陳粋華と変わらない背の高さだ。が、肩幅とかはさすがに広く、やたらガタイは、いい感じがする。切れ目の細い目はよく見ると、美人に見えなくもないが、娘さんの汎民族はんみんぞくがいうところの娘々にゃんにゃんとかよばれる、かわいさとかは一切感じない。

 ちょっとかわいそうな感じもしてきた。

 武官にも課挙を登第するかぎり、筆記試験は受けなければならない。

 文具四宝も選べないとは、武官とはいえ、どんな勉強法をしてきたんだ、この武芸バカは、、、。

 まさか、地面に拾った小枝で地面に文字を書いてきたのではあるまい??。

 羅梅鳳の長剣の柄と合致した豆だらけの手のひらを見ていると、、、、。

 マジでありうる。

 この厚顔無知な羅梅鳳が、かなり可愛そうになってきた。

 陳粋華は、適当に文具四宝を見繕ってやり(一番安いのを)、師匠に言いつけられた、布を大量に購入すると、スキをみつけて、さっと体をかわそうとしたら、流石に武官だ。

 逃げる犯人を犯人を圧する捕り方のように陳粋華に鋭い視線を向けてきた。

 羅梅鳳が逃げたら、切り捨てると言ったていである。


「世話になった、一杯おごりたい。古老豚(酢豚)の旨い、いい店を知っている。案内しよう。こっちだ」


 こういう、貸し借り感覚がすぐ出来るのも、体育会系の悪いところだ。文系は、お互い気を使い尻込みするものだ。

 はっきり言うとまだ仲良くなっていないのだ。気を使ってほしい。


 ほぼ、拉致である。

 店の名は<真壮飯店しんそうはんてん>。天京てんきんによくある下の上レベルといった飯屋である。二階まであり、酒もでる。繁盛している。給仕する女もきれいな女ばかりである。そしてそのまんま、接客もするといったよくあるパターン。客は、ほぼ男。


羊乳酒ようにゅうしゅかなえで」


 と羅梅鳳。

 陳粋華はびっくり。あのまずくて、世界中で一番きつい北方の蛮族の酒を鼎って、、。

 陳粋華が何を頼むか、もじもじしていると、


「お前は、麦酒エールぐらいにしておけ」と羅梅鳳。


『なんで、お前が勝手に決めるんだ』


「あと、適当に、見繕ってくれ」

「ハイよ」と女給さん。

「古老豚(酢豚)は?」と陳粋華が付け足すと、

「付けときますよ」とまた、女給さん。


 ワイワイガヤガヤした、感じが、そもそも陳粋華は苦手である。落ち着かない。酒のあてが、出てきて、陳粋華が覗き込んでいると、羅梅鳳は箸で摘んで食べだした。


「豚の皮と筋の醤油と生姜しょうが甘辛煮あまからにだ、これもいける」


 陳粋華が返事をしようとしていると、酒がどんどんと運ばれてきた。羊乳酒の鼎

は相当大きい。高さが、二の腕ぐらいある。


「これ、一人で全部飲むんですか?」

「分けろ、という意味か?」

「いえ、絶対に要りません。文字通りに酒量として尋ねたまでです」

「日と相手と場のノリに拠るな、おまえ、結構面倒くさい女だな。単純に文具四宝の礼をしたいというだけだ、他意はない」


 ちょっと筆を見繕ってやっただけで、酒場につれてこられる方が、よっぽど面倒くさいと思うのだが、いかがなものだろう。

 陳粋華の麦酒エールも、杯が縦長でデカイ。飲みきれそうにもない。適当に、小用しょうよう(トイレ)とでもいって、逃げよう。

 この羅梅鳳という女は任官式からやばいと思っていた女だ。想像通りだ。

 羅梅鳳はもうグビグビ飲んでいる。羊乳とアルコールと腐敗臭や、醸造した飲み物の一種独特の匂いが陳粋華の周りまでプンプンただよってくる。

 陳粋華は麦酒を舐める程度にちびちび。陳粋華は身長もちびちび。


『うえーっ、もうクラクラしてきた、、(-_-;)、、。』


 陳粋華の養父は一切酒をたしなまかったので、陳粋華はたまらない。げに天京てんきんいや、都は恐ろしいところだ。


「なんだ、おまえ、朝服でこんなところに来ているのか?」


 と羅梅鳳。

 当たり前だ。これでも、師匠の言いつけでこんな下町までやってきているのだ。


「問題でもありますか?」

「まぁ、この士大婦人したいふじん、羅梅鳳が居ればどってことないが、面倒くさい連中も多いからな、都は」

「どういう意味ですか?」

「あそこの席を見ろ」


 見たことのない、変わった朝服にこれまた見なれない派手な髷止めをした、四人ばかりの男性の集団が、酌婦を無理やり膝に乗せ杯を重ねている。

 

「どこの部署でしょうね?」

秋朝しゅうちょうには属していないさ、すぐにこっちに来るぞ」

「えっ、どうしてですか?」

なんじが、朝服を着ているが故に」


 そういうと、羅梅鳳はぐびっと、羊乳酒の鼎をあおり、にやっと笑った。


「どうやら、御高名な陳氏はご存じないらしい。あの手のやからを”課挙かきょくずれ”と都では呼ぶ。

「”カキョクズレ”?」

「任官式では、七十代の老人や、四十、五十のおじさんもお前と一緒に並んでいただろう。みんな課挙に合格できず何年も何十年も浪人するうちに、おかしくなっていくんだな」

「勉強すればいいだけじゃないですか」

「もう連中は、勉強もしてないさ、かく言う羅梅鳳様も、そう成りかけていたから、世の中怖いもんだ」


『確かに、この女は普通じゃないからな、、』


「ほら、自分の能力が足りないから、合格できないんじゃなくて、努力はするのに何年も不合格でいろ、自分が正しくて、世の中のほうが、逆におかしいって思うようになるんだよ、人間は。世の中、為政者を恨む理由には事欠かない。気がつけば、反体制派の指導者や扇動家になっているってわけさ。確か、尚顕しょうけんの乱の首謀者も、、、」

魏凌何ぎりょうかです」

「も、そうじゃなかったっけ?。まぁ、知的階級のゴロツキ、チンピラだな。一応、課挙を受験してるだけで、民は壮士、進士、と持ち上げてくれるしな。もしかすると先の官吏様だ。みんなもちやほや言うこときくんだろ。噂をすれば、なんとやらだ」

「おい」


 掛け声より先にまず、酒臭い息がやってきた。変わった朝服と髷留めをした一人の背の高い男が立っていた。陳粋華からすれば、子供以外ほぼ全員自分より背が高い。赤い顔に赤い目。


「おまえ、官吏かぁ?」


 子音の正確な発音ができていない。汎民族はんみんぞくの言葉は表意文字で最初から同音異義語多い上に地域でも発音がまちまちだ。書けば通じるが、話すと通じないケースがやたら多い。ましてや、民草たみぐさの識字率はかなり低い。ほぼ官吏だけが複雑に部首ぶしゅへんかんむりが入り混じった汎字はんじを書きこなす。

 陳粋華は返答に窮した。

 朝服を着た状態で身分を詐称した場合の合法性と違法性とその緊急避難に関してずっと脳内法典を参照していた。前例がまったくない。先ずカキョクズレ、という概念がはじめてだ。勉強だけしていれば、いいもののどうして崩れなければならないのかが、わからない。


「官吏かぁ、と、この士大夫したいふ様が訊いてるんだ。答えんか!!」


 背の高い赤ら顔の男は、相当、酔いがまわりへべれけになっているらしく自分の科白せりふの勢いに自分自身で耐えられず。

 勢い余って、陳粋華と羅梅鳳らの食卓につんのめって両肘をついた。

 これが、いけなかった。

 赤ら顔の酔っぱらいは、手を食卓についたときに、羊乳酒の鼎を倒してしまった。

 何事にも、繊細で丁寧な陳粋華は、飲む気もないのに、ぱっと自分の麦酒の杯は胸元に手繰り寄せていた。

 羅梅鳳の表情が一気に固くなった。


「いやぁ、悪いね、こんな蛮族の胡族こぞくが飲むような、まずい酒をすっかりこぼしちまって、、。知ってるぞ、今年から、朝廷が採用しだした、女性官吏だろう。こいつが答えないから悪いんだ。そうだろう?。このチビは、わかった。ところで、お前は、男か、女かどっちだ?」


 赤ら顔の酔っぱらいが羅梅鳳の表情を覗き込むようにして、屈み込んだ。

 陳粋華が羅梅鳳の表情を確かめようとすると、羅梅鳳はうつむいている。


「女なのに、なぜ男の髷留めをしている。そして、馬でも乗るように胡服こふくい股下こしたをえー?。しかし、まぁ、なんという醜女しこめだ。男の格好をするのも納得というものだ」


 と赤ら顔の男はいうや、今度はそっくり返ってゲラゲラ笑いだした。

 羅梅鳳は、うつむいているのでなく、下目でまだ席についたままの三人をちらっと見ていたのだ。


「おい、お前らは有名な課挙崩れの一団としてこの天京でショバ代をいくらでも得ているかもしれないが、おれらはしがない最低辺の官吏だ。この酒は俺の俸禄からすれば高い部類に入る。これは、理屈としてやむを得んだろう、こぼした酒を命であがなえ、それが、誇り高き士大夫というものだろう」

「は?」


 赤ら顔の男がそっくり返ったところから、まっすぐ戻すまでもなく、羅梅鳳が剣帯から鞘ごと長剣を外すと、その鞘でコツンと赤ら顔の両脛りょうすねを叩いた。


「痛てぇえええええええええ」


 そんな力を入れて、叩いたようにも見えなかったが、男は、もんどりうって倒れ込んで、すねを抑え苦しがった。

 羅梅鳳は普通に食席から立ち上がると、一歩を普通に歩んだ。

 その一歩の下は、<真壮飯店>の床でなく、赤ら顔の男の首の上だった。

 羅梅鳳は普通に一歩踏み出し、男の首を踏みつけると、陳粋華が今まで聞いたことのない変わった、ゴキという嫌な音がした。

 そして、そのまんま、羅梅鳳はてくてく残りの”課挙崩れ”の方に歩いていった。

 近くの席にいた、客が赤ら顔の口や鼻に手をやり確かめると、、。誰よりも、大きな声で叫んだ。


「死んでる。こ、こ、殺しやがった、あの男女」


 羅梅鳳は、鞘のままの長剣を剣帯に戻すと、ゆっくりとした歩みで、死んだ赤ら顔の男の仲間の方へ歩いていった。

 今までガヤガヤ騒がしかった<真壮飯店>の店中は水を打ったように静まり返った。


 残った課挙崩れの三人は邪魔なものでも、押しのけるように、膝の上に座らせていた酌婦をまず押しのけた。

 キャと声をあげると、酌婦たちは、ものすごい勢いで店の奥へ消えていった。

 三人のうちのリーダー格の丁祖ていそが、顎で一人に合図を送った。


嵐鬼らんきを呼んで来い」


 その言葉を聞くや、その男は脱兎の如く店外に駆けていった。

 羅梅鳳は、男たちの目の前まで来ていたが、呼びに行った男を止めようともしなかった。

 残った、二人の”課挙崩れ”も帯剣はしている。ふたりとも、長剣の柄に手がかかっている。


「おまえ、朝服を着てないが、課挙登第の武官だろう?」

「だったら、どうする」


 羅梅鳳が応えた。


「俺達が、烈志団れっしだんだと知ったら、どうする」

「臆病で弱いやつほど、群れるものだ、知っててやっていると、言ったらどうする」

嵐鬼らんきが、来たら、間違いなく、お前死ぬぞ」

「丁度いい、昼間から酔っている”課挙崩れ”を斬ったところで、名が廃るだけだ」

「俺は、<烈志団れっしだん>の丁祖ていそあざな士遂しすいだ。こっちは、荀韓じゅんかん字は、、」


 羅梅鳳がさえぎった。


「”課挙崩れ”の連中の名前を覚えるつもりはない」

「俺たちが死ぬほど勉強しても受からなかった、課挙に登第した官吏がたった一杯の羊乳酒のために死ぬのか?」

「前々から、”課挙崩れ”の連中は、昔の勉強中の自分を見ているようで、虫が好かないといったらどうする」

「俺たちも、官吏が死ぬほど嫌いだっていったらどうする」


 知的なのか、知的でないのか、わかならないが、どうする、どうするの十六股文のような、修辞法のやり取りになってきた。


 その時、店の反対側で陳粋華の袖を引っ張る人物がいた、<真壮飯店>の女将おかみである。


「どうか、お役人様、荒事は店の外の往来でなさるようにあの男女の御同輩様に申し付けてくださいまし、今日のお代どころか、これ、金子もこのとおりお渡しいたしますんで、、どうか、」


 と、小さな巾着袋に銀銭がじゃらじゃ入ったものを袖の下に入れようとしてきた。

 見事な賄いである。

 陳粋華、官吏になってはじめての賄賂わいろだ。

 しかし、陳粋華は言った。


「臣、陳粋華とあのものとは、一切関わり合いがございません。どうか誤解なきように」

「しかし、同席されていたではありませんか?」

「拉致されていたのです。つまり被害者です。都巡視とじゅんしか、都警邏とけいらに早く連絡を」


 女将の顔色が変わった。


「そ、そんな、もう間に合いませんよ、、」


 その時、汗だくの大男が、<真壮飯店>のすだれの暖簾のれんを首だけくぐった。

 そして吠えた。


「俺の午睡ひるねを邪魔するやつは、誰だぁ。士遂しすい大哥ダーコー(一番上の兄貴)でも、容赦はしねえぞ」

「あいつだ、嵐鬼らんき

 

 呼びに行った”課挙崩れ”が上がった息のまま羅梅鳳を指差して言った。

 丁祖ていそが言った。


嵐鬼らんきは、機嫌が悪そうだぞ」


 羅梅鳳が応えた。


「アイツのことを知っていると言ったら、どうする」 


 丁祖ていその表情が少し変わった。


「酔いが冷めたか、”課挙崩れ”。暇があれば、お前達の悪名は十二分に都の辻辻端から端ま轟いている。斬りすててやってもいいし、もっと苛酷な生を与えてやってもいい。そのまま、表にいろ、デカブツ!」

 

 今度は、羅梅鳳が吠えた。

 <真壮飯店>の女将が胸をなでおろした。陳粋華は驚いた。しかし、何という言い草だ。

 官吏は、私怨による私闘は一切禁じられている。喧嘩はご法度なのである。


『でも、今のうちに逃げなくっちゃ』


 羅梅鳳が、丁祖と荀韓を睨みつけ威圧してからきっちり暖簾のれんをくぐり、往来の表に出た頃、陳粋華も調理場の裏口からゴミ捨て場の河原を経て<真壮飯店>を出た。

 しかし、羅梅鳳のことが全く気にならないと言えば、嘘になる。足が、自然と戻り<真壮飯店>の角から、<真壮飯店>の前の通りを伺うことにした。

 案の定、<真壮飯店>の通りの前は、かなりの人だかりになっていた。


 羅梅鳳は、長剣の鞘を引き摺りながら表に出ると、嵐鬼の前、二丈(6メートル程度)ぐらいのところに向かい合って立っていた。 

 嵐鬼は、身の丈、七尺(2m10cm)はあろうかという大男だ。横幅も相当で膂力りょりょくは、計り知れなさそうだ。

 これだけの大男を陳粋華は見たことがない。今まで見た青禁城せいきんじょうの衛兵でもだ。まだ、精鋭の近衛兵は見たことがないけど。

 髪は天然パーマで後ろで荒く結んでいるだけ、髭、もみあげ、すべての体毛、汚らわしいほど不精にし伸ばし放題に伸ばしている。毛だまりの中に顔が存在する感じだ。

 つのこそ無いが鬼とよばれても、文句はいえまい。

 おそらく、武官目当ての受験だっただろうが、筆記試験のことなど考慮していなかったに違いない。

 逆に、こんな男をからだがデカいだけで採用しないだけでも、秋王朝しゅうおうちょうはギリギリ常識がある。

 嵐鬼は、戈(ほこ)を構えている。

 戈は、一丈(3m)の長さの棒の先にL字型の一尺から二尺程度の刃がついている。 もちろん、鞘などつけていない。戈は一番身分の低いそつがもつ武器だ。

 一番相手から離れて戦い、相手をL字型の刃で引っ掛けて、傷つけ殺傷する。

 それを見ても、嵐鬼が貧しいか身分の相当低い出であることが予想される。

 父親がそつ(最下級の兵士)で、家にあった得物、武具がこの戈だったのであろう。

 そう思うと、ちょっと可愛そうになってくる。

 世の中は可愛そうな人間ばかりだ。


 往来の人だかりは、丁度嵐鬼の戈が届かぬ範囲で、形成されている。

 その境目に羅梅鳳。

 相変わらず剣は鞘に収めたまま。常識的にいって、石のつぶてでも投げる以外、女が勝てる相手ではない。

 陳粋華の位置からは、羅梅鳳は背になっていて、嵐鬼の姿しか見えない。


 言葉を先に発したのは、羅梅鳳だった。


「お前、嵐鬼というのか?。実技試験での一対一の双列戦を覚えているか?。」


『この二人、課挙の試験で当たってんのぉ!?』


「傷は癒えたか、木偶の坊でくのぼう、嵐鬼よりこっちのほうがしっくり来るわ」

「うるせー黙ってろ、このチビ、お前が後で娘っ子だって聞いて俺がどれだけ歯噛みしたか!!」

戦場いくさばでは男も女もないぞ、ましてや、武官にとってもだ。どうせ田舎に戻っても、野良仕事か、強盗になるのがオチだろう。丁祖なんかの下で飼われてないでその体をいかして普通に卒として禁軍に仕えろ。伍長ぐらいにはすぐになれるだろう。それが一番マシな生き方だ」

「うるせー、あの試合でもやたらめったしゃべくってののしりやがって、あんときは、木の戈だったが、いまは、本物の刃物だぞ」


 またもや、陳粋華の袖をひっぱる人間が居るので、振り向くと、<真壮飯店>の女将だ。


「どうぞ、この金子を差し上げますんで、お連れの方にあの碌でなしを殺すように行って差し上げてくださいまし。以前あの男は、うちで大暴れして、、」

 この女将とは、どうにもやっていけそうにない。


 羅梅鳳は続ける。


「一度だけ、機会を与えよう、<真壮飯店>の入り口で見ている、丁祖を始め、あそこの”課挙崩れ”三人をその戈で斬ってきたら、許してやろう。課挙の武官など諦めて、田舎へ帰れ。それ以外は、、、」

 羅梅鳳が言葉を切った。

 嵐鬼にも、一瞬ひるみが出た。


「死か、一生残る苛酷な不具とその生だ」


 丁祖にも一瞬怯えた表情が出たが、人だかりの衆目が自分に集まっていると気づくや、丁祖は無理やり、笑いに変えた。

 

 少し、間があった。嵐鬼が考えている証拠だ。 

「残念だな、少しは脈があるやつだと、思っていたが、武官には情けや、、、、」とそこまで、羅梅鳳が言った時、嵐鬼が


「でぇややややや」

 と吠えながら、一気に羅梅鳳との廻いを詰めてきた。

 羅梅鳳は鞘から剣すら抜いていない。

 人だかりの誰も、あまりの恐怖に見ていられない。

 戈で嵐鬼がついた瞬間。羅梅鳳は、ひらりと躱した。L字型の反対側へ。続いて、「どやあああああ」と嵐鬼は吠えながら、戈の向きを180度反転させ薙ぐ。羅梅鳳は腰をかがめ、避けた。

 戈は、空を切ったが、嵐鬼はすぐに突くために伸ばしていた手を縮め構えを戻す。

 嵐鬼とて、相当の手練だ。

 もう、戈の廻いの中に羅梅鳳は入っている。

 続けて、嵐鬼は腰をかがめた小さな羅梅鳳めがけて、脳天をぶち割るかのように真上から、戈を振り下ろしてきた。

「どぉうううううう」

羅梅鳳、今度は、意図的、戈の刃の方にわざと、体を躱した、というより、身を開いた。

 今度は、嵐鬼、続けざまに戈を羅梅鳳に向けて薙ぐった。流石に、四合目は羅梅鳳でも躱せないか、周りの人間は思い、人だかりから悲鳴が出た。

 しかし、羅梅鳳、今度は飛んだ。縄跳びでも飛ぶように。

「ぐぅおおおおおおお」

 嵐鬼が怒号とともに、戈を短くもって、もう一撃突いてきた。羅梅鳳、また躱す。

 まるで、娼妓の剣舞でも見ているようだ。しかも、羅梅鳳はまだ鞘から長剣すら抜いていない。もう何合目だ?。

 羅梅鳳がそんなに早く、見た目動いている気もしない。ただ、小さいことが有利に働いている気はするが、羅梅鳳はギリギリで最低限の動きで躱しているのだ。

 逆に、捕まえて、取っ組み合いに持っていったほうが、という気さえしてくる。

 戈を嵐鬼が短く持って振り回し始めると、嵐鬼の背後で被害が出始めた。

 柄の部分で見物人をなぐったり、通りの家や、館の屋根板や瓦をバシバシ割り始めた。

 しばらく、嵐鬼が戈を振り回す、羅梅鳳が躱すといった繰り返しが続いた。

 流石に、羅梅鳳にも若干じゃっかんの疲れが見える。

 もっと酷いのは、嵐鬼だ。

 肩で息をしているし、時には、戈が、地面に着いているときさえある。

 しかし、対する羅梅鳳は、ある一定の距離をとって嵐鬼には近づかない。


『わざと、大振りさせているのだ』


 陳粋華にもわかった。


「そんなものか、木偶の坊でくのぼう


 羅梅鳳の声が飛ぶ。

 当初は、おおおっとか、ああああっとか、野次る声が飛ばしていた周りの人だかりからも、声が出なくなってきた。

 もう勝負が見えてきたのだ。

 しかも、羅梅鳳は鞘から剣すら抜いていない。

 とうとう、ガタンっと、嵐鬼の戈の刃が地について止まった。

 嵐鬼の左手は膝についてうつむき、全身で喘ぐような息をしている。

 ほんの少しだが、一寸、二寸経った。

 羅梅鳳は、一二歩、歩み寄ると右足の胡靴の裏で戈をポーンと蹴った。

 カラン、カラーンと音がして、嵐鬼の戈が地面に転がり周囲の人だかりのほうに転がった。

 嵐鬼はもう戈を持ち続ける握力さえなくなっていたのだ。


「双列戦の時、以下だな」羅梅鳳が言った。


 しかし、羅梅鳳は嵐鬼の手が届く範囲には、近づかなかった。


「一つだけ、教えてやろう、おまえみたいな馬鹿力のやつは、こんな相手と離れて戦う武器じゃなくて、もっと相手と近くでたたかえる武器を選ぶべきだ。最悪、つば競り合いでもなんでも利用して膂力りょりょくで相手を潰すんだよ」と羅梅鳳。


 羅梅鳳の右手がゆっくりと剣の柄に向かった。

 そして触れた瞬間。近くにいた、群衆から声が飛んだ。


「生かしてやれよ、よく戦ったよ。あんたのほうが、すごすぎるんだ」

「やめろ、この男女はもう店の中で一人殺してるそうだぜ」

「だけどよ、かわいそうすぎるぜ、力の差がありすぎりゃあ」

「そうだ」

「そうだ」


 群衆の中の声の主は、増えていった。

 羅梅鳳の動きが止まった。そして、声のしたほうをそれこそ嵐鬼を見るより、殺気のこもった目で見た。


「刃物を持って人に立ち向き合うやつは、もう刃の上を歩んでいるんだよ!」

 

 羅梅鳳がつぶやくように言った。これは、人だかりに言ったのではなかった。羅梅鳳が自身に言って聞かせたのだ。

 その時、陳粋華も含めて、群衆の皆が気づいた。

 羅梅鳳の男物の汎服はんふくもそこら中が切れていて、赤く染まっている。傷だらけだ。

 ギリギリで躱していたようで、幾度もギリギリで切られていた嵐鬼の”振り”もあったのだ。

 あたりを静寂が包んだ。

 

「栄誉ある武官として死ぬ、ほまれをやろう、嵐鬼とは、あだ名であろう、本名を名乗れ」

 

 嵐鬼は、涙を流しつつしばらくうつむいたままだったが、口を小さく開いた。


郭四かくし

「なんて名前だ、四男坊か?」


 郭四は小さく頷いた。


なんじ、郭四に禁軍黄軍きんぐんおうぐん校尉こうい羅梅鳳が 死を言い渡す。武官として最後に言葉を残すなら朝廷の武官として承ろう」

「言葉なき死のほうが、ほまれ高いんだろ?」

「そうだ」

「さっさとやれこのチビ」


 陳粋華には羅梅鳳の目に光るものが在ったような気がした。

 羅梅鳳は自身の剣を最後まで抜かず、重いはずの戈を軽く拾い上げると、その項垂うなだれている郭四の鼠径部そけいぶを、ピンポイントで軽く打ち付けた。

 たったそれだけだった。

 郭四はそのまんま地面に突っ伏すように倒れた。

 大男の死にしては、あまりのあっけなさに群衆からはぐぅの音もなかった。

 

 羅梅鳳は<真壮飯店>の戸口に立っている丁祖ていそら烈士団三人のほうを見た。

 もうそのうちの一人は闇雲に走って逃げていた。

 其時、あらぬところから声が上がった。


「コイツらをやっちまえ、来年は課挙登第だとか、うそぶいて、朝廷に税も払っているのに、二重にショバだい取り立てやがって、」

「そうだ」

「なにが<烈士団>だ、”課挙崩れ”のクセしやがって」

「そうだ、やっちまえ」


 群衆は丁祖と荀韓を取り囲んだ。丁祖も荀韓も、士大夫気取りで剣を持っているから、すぐに鞘から長剣を抜刀した。

 しかし、ぶるぶる震える手で長剣を群衆の方に向けているだけだ。


「やっちまえ」


 一人の男が丁祖に飛びかかった。ああああという恐怖に駆られた絶叫の元、へたに丁祖がその男を斬った。男はどこかを斬られ血しぶきを上げたが、切られた逆の半身の腕で丁祖の汎服の襟を掴んでいた。

 大きなつぶてを持った次の男が丁祖にもう襲いかかっていた。

 次には、群衆が丁祖を取り囲みあっという間に見えなくなった。襲いかかる群衆の怒号によって、丁祖の悲鳴すら聴こえなかった。

 荀韓も、同様だった。

 誰の血かわからない血しぶきが、<真壮飯店>の看板にかかった。


 陳粋華は、丁祖に襲いかかる、群衆には目もくれず羅梅鳳を見ていた。

 羅梅鳳は、いつにもなく細い目をして、剣帯にさした、長剣の鞘をガラガラいわしながら、歩ゆみ去ろうとしていた。

 羅梅鳳の眼の前には、おっとりがたなで駆けつけた、都警邏とけいらの十人隊が、行手をさえぎっていた。が、羅梅鳳が


「どけ」


 と言うと、地が裂けるように、都警邏は道を譲った。

 羅梅鳳の目に涙が溜まっていることを陳粋華はしっかり見た。


*************************************


  陳粋華の男性レポ。

  今日は、ショックが大きすぎて、また色んなことがありすぎて、また、麦酒エールの酔いのせいでレポ出来ない。

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