3章11話

 宵闇の膜に覆われた塔は、これまで何度も目に留めました。これだけ大きな建造物なのですから意識せずとも視界に入ってしまうのです。しかし今まで近づこうという気持にはなれませんでした。強襲してくる魔物、凄惨な死体、そして翔くんを追い詰めたペンドラゴン。そのような記憶が、無意識に足を遠のかせていたのかもしれません。


「おや、貴女は。最近噂の夜の魔女さんですかね」

「こんばんは管理官さん。こんな夜更けまでご苦労さまです」

「これが仕事なもんで。この塔に御用ですか」

「用といえばそうです。ちょっと中を覗いてみたいだけなのですが」

「あはは、最近はそんな方が増えましてな。まあ危険もないし、ご自由に見学して下さい」

「ありがとう、ではゆっくり見学させてもらいますね」


 以前は湿地帯が広がっていた一階層はどこへやら。だだっ広いエントランスを囲むように並んだ小部屋と、ぐるり内壁に沿って上階層へと伸びる階段が見て取れます。ここからでは確認できませんが、中心部の天井にはハンナの言っていた吹き抜けもあるのでしょう。内壁や階段には綺麗に切り出された石材が使われており、外壁と内壁の二重構造になっているのだと分かります。


「こんな時間なのに人がいるのね」


 塔の内壁に沿って測量らしきことをしている人達が見受けられます。きっと商人の方達ですね。こんな夜分までご苦労さまです。


「さてと、それでは昇ってみましょうか」


 箒にまたがり地面を軽く蹴りました。それだけで私の体は宙に舞い、天井付近へと急接近して行きます。考えたのですが、吹き抜けを使わなくとも透過すれば良いのではないでしょうか。そのまま上昇を続け、天井からの透過を試みました。


「あら、どうしたのかしら」


 石材の部分は問題なく透過できるのですが、未知の金属で出来た二層目で止まってしまいます。魔素で構成されているこの体を通さないなんて、この金属は不思議ですね。殘念ですが、できないものは仕方ありません。お行儀よく吹き抜けを目指してみましょう。


 第一層の中央部、その天井は広い吹き抜けになっておりました。これは構造が変形する玩具のように変化したと考えるべきか、それとも幻影の箱庭が消えたおかげで元からあった形が見えるようになったと考えるべきか。折を見て答えを探してみるのも面白そうです。


 体を直角にして、吹き抜けを一気に上昇します。殺風景な石の景色が線のように流れたのも束の間、またもや未知の金属によって行く手を阻まれてしまいました。どうやら最上層手前の天井にぶつかったようです。もしも生身の体でしたら、ごっつんこでは済まない阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されていたことでしょう。


「最上層への階段は……、あそこね」


 遠くに見える内壁沿いの階段目がけて箒を飛ばします。それに沿ってぐるりと旋回しながら昇って行き、ようやく目的地である最上層へと到着いたしました。


 たくさんの魔法装置が外側から中心に向かって並べられ、中央の空間だけがぽっかりと開けています。三百六十度どこからでも観賞できるオペラ座を思わせる空間には、ひとつの人影が存在していました。


「こんな場所まで訪れる方が僕以外にいたなんて。機能の停止したこの塔にはもはや何の魅力もないはずなのですが」


 燃えるような赤髪を腰まで伸ばした背の高い男性です。両の腰に差した装飾剣を見るに、高貴な身分の方なのでしょうか。いいえ、違いますね。


「それを決めるのは貴方なのかしら。それとも私?」

「それもそうですね。つまらないことを口走ってしまい申し訳ありませんでした」


 彼は振り返り、優雅に礼の仕草を取りました。開け広げられた合わせのローブから覗く胸板は厚く、日頃から体を鍛えていることが伺えます。美しさの中に精悍さの宿る顔立ちは、この場の不思議な雰囲気と相まって神話世界の登場人物みたく映りました。


「始めまして素敵なレディ。僕はバース、名字も二つ名もないただのバースです」

「ご丁寧にどうも。私の名前はラズリーヌですよ」


 自己紹介を交わした二人の間に沈黙が走ります。その沈黙に耐えかね、先に言を発したのは私でした。


「お芝居は終いにしませんか。貴方、ドーラさんでしょう?」

「……考えればルリコさんにばれるのは当然ですね」


 魔素で構成された今の私には、人が無意識に発している錬魔素の色彩が見えるのです。それは千差万別で、ひとつとして同じものはありません。


「錬魔素がドーラさんのそれでしたので。やはり貴方も夢天の魔法を使えたのね」

「お恥ずかしながらその通りです」

「宿場町にいるはずのドーラさんが分身の力を借りて何をしておられるのかしら」


 彼の言葉を借りるわけではありませんが、冒険者にとって魅力がなくなったこの塔で何をしていたのかが気になりました。夢天の精霊魔法を隠していたことも怪しく思えます。


「話せば長くなりますが聞きますか」

「ええ、是非とも聞きたいわ」


 ただ単に好奇心や興味からくるものなら良いのですが、一緒に行動している翔くん達に何某かの被害が及ぶことをしているなら止めなくてはなりません。私は意識的に眼光を鋭くし、ドーラさんを睨みつけました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る