2章2話

 全ての物には裏と表があり、表から見て感じたことが裏にも当てはまるとは限りません。ローマン迷宮は表から見る限りは巨大であるものの建造物の基準に当てはめることのできる塔なのですが、いざ足を踏み入れればその見当は外れていたとすぐに分かります。これは立ち入った当人にしか理解できないことで、外観から推測される内部の大きさと実際に見るそれが幻影のように大きくかけ離れているのです。


「とても不思議な場所ね」

「異世界の遺物なんてこんなモンだろ」


 一階層はどこまでも広がる湿地帯でした。塔の中なのに湿地帯だなんておかしいですね。でもそうとしか表現できません。地面は泥濘だらけで短い草が生い茂り、空には雲もあります。しかし地平線の行き着く先には天にも届く壁が確認できますし、空も何かに覆われているような気がします。まるで星を一つ映画館にして、有りもしない像を投影しているかに思えました。


「こんなに広い場所で迷ったら大変ね」

「四階層までなら行ったことがあるし、オートマップを見ながら駆け上がれる。実質五階層だけがネックだな」


 自動車用道路地図を持っていたのですね、でもこんな場所で役に立つのかしら。そうは思いましたが、翔くんが自信満々なので何かの役には立つのでしょう。


「準備は何もいらなかったのかしら」

「携帯食と毛布くらいは常備してるぜ」


 そう言って背中のリュックをポンポンと叩く翔くん。


「じゃあ行こうか、【覇気】っ!」


 目に見えない何かが彼の体を中心に広がったのを感じました。


「翔くんも魔法を使えるのね」

「いや、これはスキルポイントで交換したスキル。雑魚敵が寄りつかなくなるんだ」

「買い物をして貯まったポイントで、景品がもらえるようなものかしら」

「違うけど大体合ってる。相田さんほどじゃないが、かなりイケてる能力だろ」


 私ほどではないと言いますが、私自身は健康になっただけで何も特筆すべき能力はないのです。麦茶にヤカンに手押し車。全て私の持ち物に宿る能力なので、それがなくなればただのお荷物老人になってしまいます。夢天の精霊魔法は使えますが、それも一日二回使う程度の錬魔素しか保有していません。


「それに俺のレベルも上がってるから、行くだけなら一人でも行けると思うんだ」

「翔くんは本当に強いのね」

「まあな。でも……彼女は未踏破階層の未踏破区域に取り残されたらしいから、ほぼ確実に怪我を負ってると思う」

「何とか助けてあげたいわね」

「だから相田さんに着いてきてもらったんじゃねーか」


 私の魔法が役に立つかもしれないのですね。もしそうなら嬉しいことです。


「翔くんとコルネットさんはお友達なの?」


 彼が助け出そうとしているのは領主様の御令嬢であるコルネット・ローマンさん。お祭りで演説をしていた意志の強そうな声をした女性で、迷宮攻略の最前線を務めるチーム【ローマンの翼】のリーダーです。どうして領主様の御令嬢ともあろう方が冒険者をしているのかは存じません。


「喋ったこともねーよ。たまたま見かけてから、ずっと頭に引っかかってるんだ」


 臆面もなくそんな台詞を口にできるなんて若さとは素晴らしいですね。それは一目惚れという病でしょう。他ならぬ翔くんが想いを寄せる女性なのですから、きっと素敵な方なのだと思います。


 一階層を迷いなく歩く翔くんの後について二時間ほど経過しました。途中、数回の休憩を挟んだのですが、こちらが歩いていようが座っていようが魔物らしい魔物とは一度も遭遇しません。いえ、遭遇はするのですが、私達を見つけるや否や大急ぎで逃げて行くのです。


「そろそろ一階層のゴールだ」

「思ったより早かったわね」

「真っ直ぐ進めるからな。その前に休憩しよう」


 初めての迷宮とあって少しは気合を入れていたのですが、蓋を開けてみれば早歩きのお散歩とそう変化はありません。私は危険なのに安全なこの空間で、いつも通り麦茶をヤカンから注ぐのです。

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