第26話 エピローグ(2)
カルムの街から二日後。俺は、久しぶりに戻った王都を走る馬車から降りた。
「さて、と」
久しぶりだ。ここに立つのも。ここ数日は、アーシャルと魚釣りをしたり、一緒に飛んだりして、懐かしい日に戻ったような気がしていたせいで、学校を出たのがひどく昔だったような気がする。
――そうは言っても、実際は一週間ぶりぐらいなんだけど。
俺は、目の前に広がる変わらない白い建物群を見回しながら、苦笑を浮かべた。
青い空の下では、学生の行きかう校舎が、俺の視界に入りきらない規模で広がっている。
前にある鉄の門にかかった名前はアストニア国立大学附属騎士養成剣術学校――俺が通う学校の正式名称だ。
その名の通り、王都ドリードのアストニア国立大学の隣にある広大な敷地には、本校舎、俺達が使っている新校舎、西校舎、それに闘技場や練習場、演習場までもを備えた本格的に騎士や剣士を育てる学校だ。
学科も幾つかに分かれており、俺が通っているのは大半の生徒が所属する騎士科。ほかにも弓科や魔法戦に対抗する騎士を育てる魔法騎士科などもあり、ここを優秀な成績で卒業すれば間違いなくアストニアの騎士団で活躍する道がひらける。
それだけに、もう一つのアストニア大学附属校の魔術学校と並ぶ中等学校の二大難関校だ。もっとも、卒業して騎士団にという道は、俺の興味にはないのだけれど。
「ここは変わらないなー」
つい数日前のマームの迷宮での激闘が嘘のようで、一つ伸びをした。
今も木陰では、たくさんの生徒達が、授業で習った剣の型を復習したり、戦術に関する教科書を広げたりしている。本来今はテスト期間中だから、まだ座学の多い下級生は大変なのだろう。だけど、なんだか、それさえもが懐かしい感じだ。
もっとも、俺が当たり前の学校風景を妙に懐かしく感じてしまうのは、そのせいばかりでもないが――
「へえーここが、兄さんの通っている学校?」
けれど、その時アーシャルが俺に続いて乗り合い馬車を降りてきた。そして珍しそうに人間の建物を見回している。それに、笑顔で振り返った。
「ああ、ここで剣士や騎士になりたい学生を教えているんだ」
「ふうん。たくさんの人間が一つの場所で生活しているなんて、まるで蟻塚みたいなところだね」
――よりによって、蟻塚かい!
心の中でそうつっこむが、まあ仕方がない。たくさんの部屋が並んだ様子が、こいつの知識の中では、きっと蟻塚が一番近いものだったのだろう。
――それよりも、問題点は……
俺は少し悩みながら、アーシャルを見つめた。額に少しだけ汗が滲んでくる。
――さあ。どう話したものかな?
だけど、さすがに言い出しにくい。特にカルムのあの顔を見た後では。
だから、俺は珍しそうに周りを見回しているアーシャルの姿に、小さく溜息をついてから笑みを浮かべてみせた。
「さすがに、疲れただろう? 街の中では、竜の姿で飛べないし」
取りあえず、無難なところから話してみる。王都には、さすがに竜の翼で飛んでくるわけにはいかなかったから、近郊の村から乗合馬車で来たのだ。だけど何人もの人間が座る車内は、竜のアーシャルにはさぞ窮屈だっただろう。
「まあ、人間のサイズは小さいからね。でも、兄さんの側にいられるのなら平気だよ!」
――うっ。出た!
「あのさ、そのことなんだが……」
さすがに俺は今度は額の汗を隠せずに、アーシャルを見つめた。
――うーん。困った。どう話したら通じるだろうか。
「あのさ――言い出しにくいんだが……そろそろ、父さん達のところに帰ったほうがよくないか? ほら、ここは人間だらけでお前には危ないし」
「ええっ! いやだよ? なんで、折角会えた兄さんと、また離れないといけないの!?」
――やっぱり出た! どうするんだよー!! これー!!
カルムを出てから三日間、王都へ戻る道のりをアーシャルと一緒に過ごした。竜の翼なら時間に余裕があるからと、川で遊んだり、一緒に空を飛んだり。時間が十七年前に巻き戻されたみたいで幸せだったのだけど……
でも、そのあと、どれだけ帰るように言っても首を縦に振らない!
まあ、俺もこいつに黙っていなくなった疚しさがあるから、余計に強く言えなかったんだが。
でも、とうとう学校にまで来てしまった。
――さすがに、これはまずいよな……
額から出る汗の量が増えたのを感じながら、さあどう説得しようかと悩む。
「言いにくいんだが――ずっと、一緒にいるのは無理だと思うんだ。ほら、ここは人間の学校だし。俺も寮住まいだから――」
竜のアーシャルと、ずっと一緒に暮らすことはできない。
それに、何より俺の今の体は人間だ。故郷のカルムの街には人間の両親や妹もいる。だからいくらアーシャルが心配でも、人間の生活を捨てて、また昔みたいに洞窟で一緒に暮らしてやることもできない。そんなことをすれば、今度はユリカや両親が半狂乱になるだろう。
――そりゃあ、またアーシャルと一緒にいたいのは俺も一緒だけど……
でも、無理なものは無理だ。残念すぎるけれど……
それなのに、アーシャルときたら、俺の前できょとんと赤い瞳を開いている。
「なんで、無理なの? 十七年近くも離れていて、やっと出会えたんじゃない?」
「いや、それはわかるが! だからって、昔と同じというわけにもいかないだろう!」
いくらなんでも、人間の俺が竜のお前と一緒に居続けるのは無理だ。学校もあるし、心配している人間の家族もいる。だから――
「それに、そろそろ竜の父さんと母さんも心配しているだろう!?」
懐かしい竜の両親の顔を思い浮かべて、説得してみた。
なにしろ、迷宮に行った日から数えても、今日で四日目。そりゃあ俺も久しぶりでつい離れがたかったというのもあるけれど。でも、まだ子竜が親に断りなく出歩くには、少し長すぎる。
だから――と説得しようとする俺に、しかしアーシャルの返事は簡潔だった。
「嫌だね」
「え?」
「また、僕を置いていくつもりなんだろう? それで、前に危ない目にあったのに――僕、人間の兄さんから離れないからね?」
「いや、だからって……そうは言っても、さすがにお前まで行方不明になったら、竜の父さんの鱗がはげるぞ?」
――そうでなくても、頭頂部が薄いようなって、気にしていたのに。
「父さんなんて禿げたらいいんだ! そうしたら、僕が巨大なフジツボの冠で飾ってやる!」
「なんでフジツボ!? っていうか、お前父さんの頭にそれを見たいのか?」
「えーだって、かわいいじゃない。いつも家族仲良しで家庭円満の象徴みたいだし」
「あれに家族円満を感じるのは絶対にお前だけだ!」
――というか、フジツボって家族なのか? そもそも、そこからが疑問なんだが!?
「文句を言うのなら、父さんに怒鳴ってやる! 『息子の愛情に文句があるのか』って!」
「いや、そんな愛情はさすがに欲しくないと思うんだけど……」
――ああ、弱った。どういったらいいのか――
思い返してみたら、こいつの強情は昔から筋金入りだった。果たして、言葉を変えてみて、通じるだろうか?
「それに、俺の部屋は寮なんだ。ベッドだって一つしかないし、本来学校関係者しか入れないから、ずっとというわけにもいかない。だから、やっぱり一度父さん達の所に帰って……」
狭いだけじゃない。竜のアーシャルに人間の街は危なすぎる。だから、なんとか父さんたちのところに帰ってほしい。
休みの日には郊外まで会いに行く――そう続けようと思ったのに。
「ふうん。じゃあ、僕が王都に巣を作ればいいだけの話だね」
「え? ちょっと待て!?」
――お前、まさかこの街に住む気なの?
「うん。兄さんから王都で暮らしていると聞いて、それなら巣を作れば、ずっと一緒にいられるなーと考えていたんだ。まあ、僕も少し早いけれど、巣立ちをしてもおかしくない年だし」
――ちょっと待て!
「何馬鹿なことを言っているんだ! 第一少し早いなんてもんじゃないだろう!」
思わず俺は声を荒げた。それなのに、アーシャルはしれっと腕を組んでいる。
「ふん。じゃあ、家出でもいいよ。まあ、兄さんと二人暮らしがそうなるのかはわからないけれど」
「ダメだ!」
なんてことを考えているんだ! 竜に対する人間の危険性を全くわかっていない。
そりゃあ俺だって、またアーシャルと離れたいわけじゃない。傷つけたいわけじゃないんだ。だけど、せめて休日に街の外で会うぐらいじゃないと――
「――だって……」
けれど小さな声で呟くと、急にアーシャルの瞳がくしゃりと歪んだ。
「兄さん、僕に黙って人間になって……」
うっ!やっぱり恨んでいたか。
「知らない間に、僕以外と家族になって、しかも暖かい家庭を築いているなんて……!」
「だからって、俺がその史上最低な浮気男みたいな表現はやめてくれ!」
それじゃあ、まるで俺が二股をした挙句、恋人を捨てた男にしか聞こえないだろうが!?
けれど、俺の前でアーシャルの瞳は、何かを堪えているように下を向いてしまった。
「だって――僕だって、寂しかったのに……! 僕達以外が兄さんの家族になっているなんて……!」
俯く瞳には少しだけ透明なものが光っている。
「怖いんだ。僕の兄さんの筈なのに……兄さんじゃなくなってしまったみたいで――」
「アーシャル……」
「わかっているよ。これが僕の我が侭だって。でも、兄さんを見つけたはずなのに――僕の兄さんのはずなのに……まるで、もう僕は弟じゃなくなってしまったみたいな気がして――」
怖いと泣くように呟いている。
「アーシャル」
――それにどう言ってやったらいいのかわからない。
俺が突然いなくなったことで、こんなにもアーシャルを苦しめてしまっていた。
「だから、僕が守るよ! 今度もし、兄さんに何かあったら、僕が必ず助ける……! だから――――もう、遠くにいかないで……」
「アーシャル……!」
「お願いだよ。もう兄さんが生きているのか死んでしまったのかもわからない、あんな思いは二度としたくないんだよ……」
俺が見ている前で、赤黒い瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。それにたまらず、赤い髪を引き寄せる。
「アーシャル……」
どう言えばいいのかわからない。
俺が突然いなくなったことで、こんなにもアーシャルを苦しませてしまっていた。俺の姿が見えないだけで、夢かと思って泣き叫ぶほど。
決して、そんなことは望んでいなかったはずなのに。
――どうしよう……
どうすればいいのかわからない。
声を出すことすらできず、アーシャルの震えている肩を抱きしめてやった。ぎりっと指に力をこめるが、はがゆい。
こんなになっているのに、何も言ってやれない。アーシャルを助けられるのは、俺だけなのに。
もどかしくて、指に力を込めた。ぎゅっと抱きしめた肩に力を入れた。けれどその時、遠くから明るい呼び声が聞こえてきたのだ。
「おーい、リトム」
誰かが呼んでいる声に、俺は抱きしめていたアーシャルから顔をあげた。
「おーい。帰ってきたのか?」
よく知った声に、俺はアーシャルから体を離すと、聞こえた方向に体を向けた。声がしたのは、本校舎の向こうにある俺たちがいつも使っている新校舎の方向からだ。見れば、背の高い姿が手をあげながらこっちに近寄ってくるではないか。親友のコーギーだ。
少しくせっ毛の人懐っこい顔が、俺を見て、くしゃっと笑顔に輝いている。
「よっ、課題は無事できたか?」
「ああ。なんとか五つ星迷宮を攻略したよ」
「五つ星!? じゃあ、これで留年回避じゃないか! やったな!」
「なんとかな」
小さく息をついて俺は明るい親友に笑いかけた。いつ見ても、笑った前歯が印象的だ。
「まあまあ、滅多にない留年を経験しそこねたのは残念かもしれんが、チャンスはいくらでもある! 今は素直に喜んでおけ!」
「なんで俺が悲しんでいると思うんだ。というか、したいのならお前が経験しろ!?」
「やだよー絶対にごめんこうむる」
ふふんと鼻歌を歌っている。
それに俺は一瞬拳を握り締めたが、見慣れたその笑顔にすぐに解いた。
「あ、そうだ。学長がお前のこと呼んでいたぜ? なんか帰ってきたら、すぐに学長室に来るようにだと」
「学長が?」
「ああ。今度は学校の何の備品を壊したんだ?」
「だから! なんで身に覚えのないことを、さも当たり前のように、俺に前科としてつけようと企むんだ!?」
「ちぇっ。罰で寮の食事抜きになったら、俺が片付けてやろうと思ったのに」
「おおっ、追加の課題を言い渡されたら、お前に押し付けてやるから楽しみに待っていろ!」
「嫌だねーそれはお前のために泣きながら返してやるからー」
「嬉し泣きだろ!」
「涙は涙さ。ま、それはともかく」
そこまで言うと、急にコーギーは今まで浮かべていた笑顔を潜めた。そして、俺の耳にそっと顔を寄せてくる。
「ちょっと気をつけろ。お前の名前がいよいよ本格的に王直属の白銀騎士団への推薦候補にのったらしい」
「白銀騎士団?」
その名前は、前にも聞いたことがある。確か、このアストニア王国でも指折りの精鋭騎士団だ。それだけに入るのにも厳しい条件があり、かなりの腕の持ち主しか入れないから、剣を持つ者にとっては憧れの対象として話されることが多い。
だけど、俺の成績は、ここ半年留年寸前だったはずなんだが――
「そう。毎年最上級生の中で、最も成績が優秀と認められた者が、この学校から推薦されるだろう? 過去三年間の成績の総合で、来年のに、いよいよサリフォンとお前、二人の名前が並べられたのさ」
「何で俺が……成績でいえば、俺は今は落第寸前なはずなんだが」
むしろありがた迷惑だ。そんなものに推薦されたら、教養や礼儀の山のような座学に縛りつけられて、夢の
けれど顔をしかめた俺を、コーギーは小さな息を一つついて、面白そうに見つめている。
「お前、去年までは毎年学年最終試験でサリフォンを負かしていただろう? だから不調さえ戻れば、お前の方がいいんじゃないかと考える先生もいるってことだ」
「迷惑だ!」
断言した俺に、完全にコーギーは笑い出した。
「まあ、俺はお前のそういうところが好きだけれどな。だけど、サリフォンの家は、父親も叔父もみんなこの推薦で白銀騎士団に入っている。やっこさんにしたら、当然おもしろくない」
「だから気をつけろか」
やっと、さっきのコーギーの言葉の意味がわかって俺は頷いた。
――あいつ! まさか、そんな理由で、俺をあんなに学校から追い出したがっていたのか!
「そういうこと。じゃあ伝えたからな」
茶目っ気たっぷりの笑顔で歩いて行こうとする親友の服を、俺は慌てて握った。
「あ、ちょっと待ってくれ」
「うん?」
コーギーの背がひどく高いせいで、俺の手は、裾を握る形になってしまった。けれど、それに不思議そうに振り返ってくれる。
「悪いが、今から学長室に行く間、こいつを見ていてほしいんだ」
「こいつ?」
それに、コーギーがやっと俺の後ろにいるアーシャルを見つめた。
「うん? 見たことがないな。誰だ?」
「えーっと……」
それになんて説明しようかと悩む。コーギーには、俺に妹しかいないのは知られているし……
けれど困っている俺の様子に、僅かにアーシャルが瞳を伏せた。
「見事にそっくりだなあ。あ、わかった。故郷にいるとかいうお前の妹だろう?」
――なんでだ!?
「違うわ! わけあって離れて暮らしていた弟だ!」
どう見ても、男じゃないか!
「え? この顔で!?」
おい。それは瓜二つな俺に対する挑戦か!?
だけど叫んで振り返ると、花が咲いたようにアーシャルの顔が嬉しそうに綻んでいる。
――あれ? これで正解か?
うん。ちょっと色々話を誤魔化すのは大変かもしれないが、まあアーシャルが嬉しいのが最優先だしな。誤魔化すぐらいの苦労で笑ってくれるのなら、そっちの方がいいのに決まっている。
けれど、それにコーギーは口笛を鳴らした。
「へえ――」
一つ頷くと、指を立てている。
「お前、妹だけかと思っていたら弟もいたんだなーいいぜ。学長室に行ってる間ぐらい見といてやるから」
「助かる」
――深くつっこまずにいてくれるのが、ありがたい。
本当は少しは不思議に思っているだろうに。けれど親友の気遣いを感じて、ほっと息をつくと、俺はアーシャルの頭に手を置いた。
「取りあえず、学長室に行って来るから。後のことはそれから話そうな」
「兄さん……」
ぽんぽんと軽く叩いてやった。けれど、跳ねる俺の手の下で、アーシャルの瞳は不安そうだ。それに俺は少しだけ苦笑した。
――わかっている。帰ってくるよ。
そして、アーシャルの赤い髪をくしゃっと撫でてやる。
「兄さん……」
「じゃあ、行って来るよ」
そう言うと俺は、頼むとコーギーに目で告げた。そして、まだ不安そうなアーシャルに手を振ると、俺は呼ばれた学長室へと足を向けたのだ。
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