赤い町


 小学生の頃、郷土について調べてみんなの前で発表するような、よくある課題をやった。隣接している町や、歴史、特産品など、みんな違うものを調べていたような記憶がある。僕は、住んでいた町の中でも特に古い建造物を見学に行って、その建物についてのことを発表した。それは古い建物なのだが、洋館で、なにがしかの文化財に指定されていた。中は資料館のようになっていて、昔の町の様子や、貴重な資料等も見ることができた。その課題自体は、正直面倒に思う気持ちが強かったのだが、その洋館の資料を見て回るうちに、隣町に関する記述が書いてあったのは、とても興味深かった。どうやら今の名前は昔からある地名ということではないらしい。

 それから高校生になってから、高校で出来た友達と、小学生時代のことを話していた時だった。こんな課題あったよな、という流れで、郷土について調べる課題が面倒だったという話になった。その意見にはおおむね同意だった。そこで友達に、


「そういえば、僕の町に洋館があるだろ? あれについて調べた時に知ったんだけどさ、徳美原とくみはらって昔は名前が違ったんだって」


 そう言った時の、その町に住んでいる友人の顔が今でも忘れられない。さっきまで談笑していたのに、急に無表情になって、何かを見定めるような目で僕を見ていた。何か、別の人間にでもなってしまったような、そんな雰囲気さえあった。あの目の黒さを、僕は一生忘れることなどできないだろう。


「へえ、知らなかったわ。なんてーの?」


 少し遠いところから通学していた友達に聞かれ、僕はその目の呪縛から逃れることができた。


「あ、ああ……あれ、なんだっけな。さっきまで覚えてたはずなんだけど」


「何を?」


「へ? いや、だから……」


「ごめん、俺、なんかぼーっとしてたみたいだわ。話覚えてない」


 だがその会話は、僕以外覚えていなかった。それから何回か、徳美原町とくみはらちょうについての話が出るたびに話そうとしたのだが、僕はいつも旧名を忘れてしまうし、思い出せそうになると今度は友達が会話の内容を忘れる、または徳美原のことなどなかったような会話に繋がるといった現象が起こった。あの町には何かがあるのだと確信するのに、これ以上のものはない。

 僕はある日思い立つと、あの洋館を見学しに行くことにした。あの資料があった部屋には、昔と同じように、同じ資料があった。昔の地図だ。古い紙に、僕が住んでいた町周辺の地形と、地名が記されている。隣にあるその町は、旧名を毒海原どくみはらという。幼かった僕の見間違いではないことを確認して、次に他の資料を探す。だが、地名以外の情報は得られなかった。次に僕は、その毒の海原なんて名前をつけられた、隣町に向かった。

 毒海原には、神社がある。なぜか窪地にある重月じゅうげつ神社だが、参拝者は多いようで、僕も宮参りや七五三はここでした。どう調べても祭神の詳細が出てこず、何を祀っているのか、何に祈っているのかわからない。夏に祭りもあるのだが、その際の神楽では、舞う者も見る者も必ず口を隠さなければいけないらしい。それに一体どんな理由があるのか、僕は知らない。

 秋の重月神社には行ったことがなかった。近付くにつれ、少し異様とも言える光景が見えてくる。


「……花?」


 青いにおいがかすかに香る。敷地である窪地いっぱい、赤い海が広がっていた。なんといったろうか。あれは、たしか……。


「ヒガンバナだ……」


 夥しい数の、彼岸花が咲いていた。とても美しいはずなのに、なぜだろう、背中を冷たい何かが走るのを感じた。あれは、あの花は普通じゃない。なにかとても、とても良くないものだ。

 敷地の入り口には、黒い鳥居が構えている。黒い蝶とすれ違ったのを横目で見て、境内へ続く石段を下る。黒い蝶は、境内に近付けば近付くほど増えていった。あれだけ花があれば、蝶も多くいるのだろうか。でもなぜ、さっきから黒い蝶しかいないんだ?

 気にし始めると、多くのことが気になった。普通、花はその時期に急に現れたりしない。目の前には、地面を埋め尽くすほどの彼岸花。だが、春に来た時、葉などあっただろうか。これだけあれば、ほとんど草むらのようになっていたはずだ。いや、玉砂利や白石が敷き詰められていた。参道を逸れて、白石を踏んで、それら同士がぶつかり合う音を、僕は確かに聞いたことがある。今は、参道の玉砂利以外の地面は見えない。

 見回しているうち、所々に白い彼岸花もあることに気付いた。そしてここに来るまであんなにすれ違った黒い蝶だけでなく、白い蝶がいることにも気付く。黒い蝶は白い花から飛び立ち、白い蝶は赤い花に止まっていた。その浮世離れした光景を、蝶にも好みがあるのかもしれないと呑気なことを考えて、ぼーっと見つめていた。


 ……あれ、今。


 白い蝶が、赤い花の蜜を吸っている。あの渦巻き状の器官が、わずかに揺れている。

 見間違いだろうか。


「吸ってる……」


 赤い花から、水に溶けるように色素が失われていく。白く変わる頃には、蝶は黒くなっていた。それが飛び立ち、外へ出て行く。

 僕は、この町にある何かを探るという当初の目的も忘れ、誘われるようにその蝶を追いかけた。自分が今どこにいるのか、なぜ蝶を追いかけるのか、わからない。ただ唐突に、亡き祖母に言われたことを思い出した。


『徳美原に行ってはいけないよ』


 なぜ、祖母はあんなことを言っていたのだろう。重月神社に宮参りや七五三に行ったのは、祖母に行かなければいけないと強く言われたからというのもあるのに。

 蝶は僕をマンションまで連れてくると、帰宅途中だろう少女にまとわりついた。制服はたしか、徳美原にある高校のものだ。流石に声をかけるのも躊躇ためらわれて、素知らぬ顔でやりすごす。不審に思われないよう気をつけながら、蝶の顛末てんまつを目で追う。少女には見えていないのだろうか。

 しばらくひらひら舞った後、少女がマンションに入る前に、蝶は少女の耳に入った。少女の耳より大きかった蝶が、黒いもやのようになり、耳孔じこうに吸い込まれていった。

 もう驚くのも疲れて、少女を追うわけにもいかず、その場を後にする。蝶が溶けて人の耳に入ったより、蝶が花から何かを吸い取る光景が何度もフラッシュバックする。帰路を辿る中で、僕は考えていた。あれがなんだったのか。もしかしたら、あの町に何かがあると強く思うが故の、白昼夢だったのではないか。当然、家に着くまで答えなど出るはずもなかった。


 数日後、高校卒業後の進路を決定づける事件が起きた。隣町で、女子高生が自殺したのだという。どうにも徳美原の高校に通っていたらしく、特にいじめなどはなかったと聞いた。蝶を追って辿り着いたあのマンションの屋上から、飛び降りたとも。中学の同級生だと言う女子が、卒業アルバムを持ってきて、この子だよとみんなに教えていた。ちょっと家庭は複雑だったけど、明るくていい子だったのに。

 あの少女だった。人知れず慄く僕と、徳美原に住む友達との目が合う。知らない人みたいな顔で笑ったそいつは、あの黒い目で僕に見せつけるように人差し指を立てると、鼻の前に持って行った。


「……しぃー」


 黒い蝶が舞っている。僕は、どこか離れた大学に行くことを決めた。

 あの町は、呪われている。


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赤はなぜ赤い 木枯水褪 @insk

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