019:『存在理由』

 「人とは何だと思う?」


 己己己己いえしきにそんな事を言われた。

 夏休みも中盤に差し掛かり、まさに夏本番。

 神室での生活にも慣れ、そこが初めから家だったかの様に遠慮も無く、どっぷりと俺達五人は居候いそうろう生活にはまっていた。まぁこの生活に慣れ過ぎてしまい、もう居候感は全くというほど無いのだけども。

 それでも己己己己への恩義を忘れてしまった訳では無く、いつかはちゃんとこの恩を返すつもりだ。

 お金は無いが、体で返すつもりでいる。体といっても変な意味では無い。全然変な意味では無く、いつか己己己己が俺に協力を求めてくる時がきたらその時はしっかり体で返させてもらうとしよう。


 例により神使に餌を与えながら、己己己己は人間の存在理由を問うという哲学的な、そんな突拍子も無い質問を俺へ投げかけてきたのだった。


 「人って、人間の事だよな ホモサピエンス、知的生命体の事だよな」


 「まぁそうなのだけども。じゃあそのホモサピエンス、知的生命体であるところの人間は何の為に知能を有し、何の為に生きていると灯夜君は思うんだい」


 そんな事言われても困る。そもそも動物すら俺には何の為にいるのか分からない。それなのに人間が何の為に居るとか分かる訳が無い。


 「知能はたまたまじゃあないか 生きる意味の方は子孫繁栄の為とか」


 そんな事しか言えない。分からないものは分からない。人もそうだが俺には地球、宇宙が何の為に有るのかと訊かれても、たまたまとしか言えないだろう。そもそも答えられる奴なんて居るのだろうか。

 ホモサピエンス、知的生命体であるところの人がこの地球上に存在するという確立は、箱の中にジグソーパズルをバラバラに入れ、箱の蓋を閉じ、それを振ってジグソーパズルが完成するほどの奇跡とも言えるだろう確率だと、どこかで聞いた事がある。

 そんな奇跡の存在である人が存在する理由だなんて俺に言わせればたまたまとしか言えないのだ。


 「へへっ ありがとうさん」


 「答えは何なんだよ」


 答えなんてあるのかとも思ったが、己己己己こいつならあるいは、と思いそんな事を口にしてしまった。

 己己己己が人間の存在理由を知っているのならば、俺に質問なんてしてくるはずが無いじゃあないか。という考えに至ったのはそんな事を言ってしまった後。

 質問を撤回するにはもう遅かった。

 別に撤回するほどでもないが、答えを己己己己が知らないという事を知っていながら意味の無い質問をしてしまったと思ったというだけである。


 「へへっ 僕が答えを知っているならば灯夜君にわざわざ質問なんてしないよ」


 やっぱり。そういう返答がくるのであろうと思ってのさっきの後悔タイムだった。

 『でも』と己己己己は続ける。


 「でも__僕の考えならあるけど聞いてみるかい」


 「ああ 聴かせてくれ」


 「人は死ぬ為に生き、生きる為に知識を有する これが僕の考え」


 ん? 生きる為というのは分かる。それは分かるが、死ぬ為に生きるというのは分からないしそれってなんか矛盾してないか。

 死ぬ為に生きるならすぐにでも死ねば目標達成じゃあないか。存在理由が【死】ならば、もとより【生まれる】という事自体が存在理由に反している事になってしまう。【死】が存在理由ならば存在理由という言葉すら危うい。


 「それってなんか矛盾してないか」


 「矛盾と言ったらそうなるのかもね」


 『でもね』と己己己己は、きっと日課であるのだろう神使への餌やりを終え、ムクッと立ち上がり話しを続ける。


 「ゲームもクリアする為にプレイし始める。小説も書き手からすれば書き終える為に書き始める。読み手ならば読み終える為。アニメだったら見終わる為。人は終わるために物事を始めるんだよ」


 「まぁそれはそうなんだが...」


 こいつアニメオタクだったりしそう、などと考えてしまった事は今回は伏せておこう。


 「終わる為とは言ったが、終わる為には過程が大切なんだよ」


 「家庭?」


 「まぁ人間は死ぬ前に家庭は築きたいものだが、家庭の有難さに気付きたいものではあるが、家庭じゃあなくて今回は過程だよ」


 「あぁ過程ね」


 本当に日本語というのは難しい。同じ読みでも意味が全く違う。日本語とは言ったが、俺は日本語以外の言語を知らない。日本語以外の他の言語でも同じ様な事があるのだろうか。


 「そう、過程 始めてすぐに終わったら意味が無いだろう。確かに【終わる】のが最終目的ではあるんだけれども、人生も物語と同じで起承転結が大切なんだよ」


 「起承転結ねぇ 確かに起承転結が無くちゃ物語として成立しないな」


 「起、結じゃあつまらない。それに起、結は望まなくても誰にでも訪れる」


 【起】つまりは誕生。【結】つまりは死といった所だろう。確かに、それは生きとし生ける物全てに平等に訪れる。己己己己の話はさらに続く。


 「起、結とは異なり承、転は働きかけない限りただただ起で始まり結を待つだけになってしまう。

 承、転とは【生きる】事。生きるとはつまり【楽しむ】事、そして【辛い】事なんだ。ゲームで言えば【プレイ】、小説の書き手からすれば【書く】事。読み手からすれば【読む】アニメで言ったら【見る】だね」


 「確かに辛い事もあるな。今の俺みたいに」


 「へへっ、そうだね。でもね、苦労は買ってでもという諺ことわざがあるように、【苦労】つまり【辛さ】というのは必要なものなんだよ。」


 「そうか? 俺は辛い事は出来ればしたくないと思うものだがな」


 「苦労を知らないという事は、苦労の後に訪れる達成感も知らないんだよ。辛い事を乗り越えないと幸せはやってこない。正確には、苦労を知らない人は幸福にも気づく事が出来ないんだよ」


 「気づく事が出来ないって事なら、幸福は訪れてはいるんだな。気づかないだけで」


 「そう、皆に平等に訪れる幸福が一番身近にあるんだ。それは気付けない人の方が多いけどもね」


 一番身近な幸福。家族とか友人とか、そんな所だろうか。俺にはそのくらいしか思いつかない。

 美月や景の事をルームメイトと呼ぶべきなのか、友人と呼ぶべきなのかは分からないが、もし二人を友人と呼ぶのならば、出会いこそ幸福ではなかったにせよ今は幸福と言うべきなのであろう。


 「一番身近な幸福って、家族や友達の事か」


 「確かにそれも身近な幸福と言えるだろうが、家族や友人が居ない人だって居る。幸福はもっと身近にあるんだよ」


 もっと身近な幸福...だめだ分からない。己己己己の言うように、それに気づけない人の方が多そうだな。

 己己己己は、ビンビンに立ちに立った襟を直す様な素振りを見せながら、満を持すかの如く真剣な、厳粛げんしゅくな、というべきなのだろうか。文字通り襟を正し、そんな顔でこう言った。


 「生きている」


 「ん?」


 「生きている。それは何よりの幸福だろう」


 確かに。生きていなくては楽しさなんて味わえない。でも、それと同時に生きていなければ苦しみを味わう事も無い。はたして楽しさとは苦労してまでも手に入れたいものなのだろうか。苦労を乗り越えたからといって、その後の楽しさ、幸福とはその苦労を凌駕りょうがするものなのだろうか。


 そんな俺の考えはただの取り越し苦労だったようだ。俺と己己己己が話しをしている神社の表側にまでそれは聞こえてきた。

 それは神社の裏側から聞こえ、俺の疑問を一瞬の間に解決してくれた。俺は少しばかり疑心暗鬼ぎしんあんきになりかけていたのかもしれない。

 そんな疑問や症状を一瞬の間に解決してくれたのは景の笑い声だった。

 そうだよ、俺が言ったんじゃあないか。痛みが笑いに負ける筈ないと。言ったではないか。

 景の笑い声は思い出させてくれた。


 苦労の後にある幸福は苦労を凌駕する。


 「確かに、生きるという事は幸福なのかもしれないな。いや、幸福なのだろう」


 「これは僕の考えであって、人によって存在理由は違うのだろうけれども、【生きる】という事無くしては苦労も幸福も無い。人生は山登りなんだ。人生最後に笑う為に、【死】という最終地点を笑って迎える為に、若いうちに山は登らなくてはいけない。老いてから登ろうと思っても、そんな老体じゃあ登るに登れないだろう。そんなんじゃあ最終地点で笑ってなんていられないと僕は思うね」


 【苦労は買ってでも】その諺の意味が十分過ぎるほど分かった会話だった。

 人の数だけ正義と悪がある様に、人の数だけ考え、理解があるのだけれども、正義だろうが悪だろうが【生きている】という幸福あっての事。

 【生きている】それに喜ばなくてはいけないのだろう。

 本来、生きている事を喜ぶのは命を失いかけた後であって、命を失いかけた後ならば否が応にも生きている幸福を感じるのだろうが、命を失いかけた訳でもないのに生きる幸福に気付けたのだから、それは喜ぶべき事なのだ。

 生きているという幸福に気づいた事。それ自体が何よりの幸福なのかもしれない。

 それに気づけた事により、これからの人生が大きく変わってくるのではないだろうか。

 辛さ、苦労すら【生】あっての事で、それらさえ喜びに感じられたらもう言う事は無い。

 人生薔薇色である。まぁこの世界には色は無いのだけれども。それでも悪い人生では無いだろう。良い人生になるに違いないのだ。

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